第119話 魔導書の作り方
「貴様らはラウンジの構成員だな?」
「は? 誰、あんた?」
「我は、騎士ベン=ビューフォートである」
「あっそ。 騎士サマがそんなに偉いのかねぇ? 人に物を尋ねるなら、最低限の口の利き方ってもん……」
ヒュッ──。
ベンは有無を言わさぬ一閃。
構成のらしき男の首元を、風が通り過ぎた。
「……が、あ……ルぇ?」
男の首は切断面で斜めにスライドし、ゴロリと地面に転がった。 言葉の後半はもはや意味を成していなかったが、痛みと現実に気がつく前に彼の意識はブラックアウトした。
「ひ、ひィィっ!? こいつ、いきなり何──」
「テメェ、よくも仲間──」
ベンは残り二人も一刀のうちに頭部をスライスし、即座に命を散らせた。
「次」
ベンは一切の容赦を与えない。
「おうおう、随分と好き放題やってくれるじゃねぇかよ……!」
十数人で駆けつけたラウンジの面々が、ベンの背後から姿を見せた。 彼らは勢いのまま武器を構え、一斉にベンへと飛び掛かった。
「《嵐爆》」
ベンは彼らを一瞥しただけで興味を失くすと、一言だけ魔法を唱えて対象を地面に。
ベンもろとも巻き込んだ爆発は衝撃波を与えるばかりか、触れた対象に無数の風刃を纏わせる。
男たちは衝撃波だけで半数が即死し、残りの半数は地面に着く前に切り刻まれて一生を終えた。
ベンは魔導書を滅多に外へ出さない。 《疾風怒濤》発動時は見せつける意味合いがあった。 基本的には鎧の中で特定のページを開いた状態で具現化し、魔法を使用すれば戻すということを繰り返している。 彼の魔法発動を読んで対応することは至難を極める。
「次」
ベンの中に一切の慈悲はない。
「魔物か。 ラウンジの手引きだとしても、無駄なことだ」
少し以前から存在を認識していた魔物の群れ。 それが街道に到達した。
魔物は大地や丘陵を埋め尽くさんばかりの数であり、南北帯状に広がって抜け道など見えないほど。 それがそのまま街道に覆い被さったわけだ。
街道が壊される様子を、離れた場所から見るしかない街道の住人たち。 彼らは魔物の存在に気がつくと、一目散に東に向けて逃げ出した。 彼らを追う魔物もいれば、街道で人を襲う魔物もいる。
阿鼻叫喚の地獄絵図を呈し始めた街道において、それでもベンの目的は変わらない。
『敵は我らを殺そうとしている。 場合によっては住人を盾にすることさえあるだろう。 だが最重要は領主様であり、次点で我々魔法使いという存在だ。 優先順位を履き違えるな』
ベンは組合の面々に、そう力強く指導した。
『領主様あっての民だ。 指導者を持たぬ民衆など獣と同じ。 残すべきは領主様と、次いで領主様によって形作られる町村という枠組みだ。 民衆の命は、収まるべき空間を得てこそ意味を持つ。 民衆など現在考慮すべき対象ではない』
そうしてベンが単独行動に至るまで、組合には何度もその内容を復唱させた。
争いにおける迷いは致命傷となり、仲間までをも危険に晒す。 ベンはそう理解しているからこそ、言葉によって定義を明確にした。
「む?」
ベンは鎧に纏った風が拾い上げた違和感を元に、虚空に向けて勢い良く剣を振り上げた。
キィン──!
剣が見事に何かを弾いた。 しかし目で追える範囲内に投擲物は見えず、剣で触れた感覚も異様なものだった。
「方角は──ッ……!」
ベンは続け様に鳴る風切音を耳聡く拾い上げ、何度も小刻みに剣を行き来させた。 その度に剣は何かを弾き、捌ききれなくなった時点でベンは回避を選択。 回避した端々から地面に複数の破壊の痕跡が刻まれ、それでもなお攻撃が止むことはない。
抉られた地面には、明確に埋まっている物体は見えない。 地面を穿つ何かは実体を持たず、降り注ぐ攻撃全てをベンは視認できていない。
「不可視で連射可能な遠隔攻撃。 失踪した七名のうちこれが可能なのは、風属性のルヤか、光属性のライオット。 カイヤザを支援してると思しき空間属性のサーニラを含めると、少なくとも三名がラウンジに付いている可能性がある」
ベンは攻撃を捌きながら敵の位置を探り、なおかつ思考も回す。
「敵は位置を変えているが、どれも人間の足で移動可能な範囲を出ない」
ベンにとって、敵の射線を読むこと自体は容易だ。 しかし問題は敵との距離。 射角などから逆探知を試みているが、到底考えのつかない場所から放たれているという結果ばかりがベンの脳内に提示されていく。 夜闇で敵の姿を視界に捉えられないのは仕方ないことだが、それにしても打ち込まれている攻撃は異常だ。
「攻撃力、射程、命中率、そして隠密性。 どれを取っても一級品の性能であり、聞かされていたルヤとライオットの魔法技能とは乖離がある。 七名以外の魔法使いがラウンジに付いたか?」
敵の魔法技能は確かに高く、上級魔法使いであることに間違いは無い。 しかしベンを圧倒できるほどの攻撃が行われているわけでもない。 そこからベンは敵の意図を看破する。
「どうしても我の気を引きたいわけか。 であれば、この攻撃を無視して活動を継続することこそラウンジの嫌うところだろう。 我をその気にさせるには不十分だぞ、襲撃者よ。 《嵐爆》」
建物も魔物も、逃げ遅れた住人も。 ベンは躊躇なく破壊の限りを尽くし始めた。
「はっはっは! なんだあの男は!? 素晴らしいじゃあないか!」
ベンを攻撃するのは、ヴィシャトール。 ハジメに逃げられ魔法使用ができない状態で魔物の群勢に襲われたため、今は仕方なく街道に逃げ帰ってきている。 現在は魔法使用が可能だ。
「兄ちゃん、次はあの魔法が欲しいよ!」
「もちろんだとも、弟よ。 あの魔法を奪えば、名実ともに最強へと近づくだろう。 そのために弟よ、兄ちゃんを応援してくれ!」
「頑張れ! 頑張れ兄ちゃん!」
「力が、湧いてきたあああ!」
ヴィシャトールが数km先からの射撃を成功させられるのは、極限まで高められた魔導書の機能によるもの。 魔導書は経年劣化では説明できないほどの消耗具合を見せており、魔法の連続使用により劣化は加速する。
「《透過弾》!」
「兄ちゃん、どうなの?」
「これまで出会ってきた誰よりも強いじゃあないか……! この距離で致命傷を与えることは難しいねぇ」
「僕の魔導書はどうなるんだい!?」
「ま、まぁ、落ち着いてくれ……。 おっと、兄ちゃんをあまり急かすもんじゃあないぞ?」
「ああ、ごめんよ兄ちゃん」
「仕方がない。 好敵手として、あの男にはとっておきを使おうじゃあないか」
「わくわく!」
ヴィシャトールが魔導書を掲げると、魔導書は急速にマナを蓄積し始めた。
「いくぞ、《光陰矢の如し》!」
魔導書の装丁から、紙片がハラリと舞い落ちた。
ヒュォ──。
一際強い風切音。
ベンの視界に映る、光の弾丸。 鋭い針のように見えるそれを回避できないと判断した彼は、最小限の動きで手首を捻った。
剣の腹で斜めに弾くことを意図したベンだったが、期待通りの結果は得られなかった。
バギッ──!
「ッ何……!?」
接触部から砕け散る騎士剣。
「ぐ、ぬぅ……ッ!」
剣を貫いた遠隔攻撃は、鎧の肩部分に突き刺さった。 そのままベンの腕も傷つけながら、勢いを殺さず彼の後ろへと貫通していった。
「ハァ、ハァ……ッ……!」
だらりと垂れ下がった右腕。 腱が引き千切られた影響だ。 その他、動脈を傷つけたのか大量の血液が鎧の接合部から溢れ出している。
「くっ……」
ベンは転がり込むように近場の路地へ。 直後、防御不可能な無数の弾丸が絨毯爆撃の様相を呈し始めた。 弾丸は、建物も魔物も無視して縦横無尽に潜り抜けていく。
「上級魔法使いの力量には収まらない、法則を無視した攻撃……。 何が起きている?」
痛みを押しつつ考察を深め、降り注ぐ殺意からの逃げに徹する。
すでにベンはこの敵に負けている。 近接戦闘を得意とする彼は、遠距離攻撃に対する有効打を持ち得ない。 回避はできても、反撃は困難。 その上、武器も失われてしまった。
「ハァ、ハァ……。 敵の攻撃が恐らくは一過性に強化されているとはいえ、ベルマリットたちの支援は、必要だ……」
ズ、ン……。
何かがベンの中で蠢いた。
「なん、だ?」
影が覆い被さったような気がして、ベンはふと隣を見た。 そこには、彼を見下ろしながら佇むカイヤザの姿があった。
「せいぜい苦しめ」
「き、貴様ッ──」
ベンが魔法を放とうと左腕を持ち上げた時には、カイヤザの姿は煙のように消えてしまっていた。
ドクンッ……!
同時に出現した異常感覚。 カイヤザの言葉の意味を理解する間もなく、次なる問題が頭をもたげた。
「んぐあッ!?」
心臓が絞り上げられるような苦痛が苛み、ベンは苦悶のままに胸を押さえつけた。
「ああああ゛ッ……!」
四肢末梢の神経の端々まで広がる激痛。 人生で感じたことのない未知の苦しみに、ベンは悶えながらのたうち回るしかない。
脳内の大部分を苦痛に支配された中でわずかに残された思考に、ベンは紙一重でしがみついた。
頭部甲冑の覆いを持ち上げ、鎧に忍ばしていたポーションを震える手で口元へ。 いくらか砕けたガラス片までをも飲み込んだが、目下苦痛の改善が優先だ。
「ご、ッは……!?」
ベンの意思に反して、胃が全てを吐き出した。 遅れるように感じたポーションの味は、到底人間が口にするようなものではなくなっていた。
ポーションだけでなく、体内から次々に溢れ出す血液。 消化管で異常自体が進行していることは明らか。
「《嵐爆》……!」
痛みによってギリギリ繋ぎ止められている意識で、ベンは敵の接近を嫌って魔法を放つ。 しかしそれは、敵に自らの居場所を晒す愚策でもある。
「ハァ……ハァ……ぁ、っぐゥ……!」
ベンは朦朧とする視界の中、よろめきながらも強化された肉体を弾いてひたすら撤退を急いだ。
▽
混沌を絵に描いたような様相を呈する街道。
エマを連れて脱出したシノンは、魔物や戦闘を回避しながらトナライとの合流を目指していた。
「エマちゃん、止まって」
「……え?」
細い路地を最小限の戦闘で潜り抜けてきた彼女らだったが、シノンが少し慌ててエマを引き寄せ停止した。
「シノン姉さん……?」
「しっ。 静かにして」
ゴォォン!
シノンが路地の向こう側を注意深く警戒していると、何かが激しくぶつかり合う音が響いてきた。
騎士姿の人物が家屋に激突し、そこに馬乗りになる人物が見えた。
「ようやく捕まえたぁ!!! 兄ちゃん、いいよね? いいよね!?」
「ん、ぐっ……ぁ゛!?」
小太りの男が騎士に馬乗りになり、隣には背の高い上裸の男。 ヴィシャファトとヴィシャトールの二人組だ。 エマは見覚えのある人物が見えて、身をこわばらせた。
「流石だ、機敏なる弟よ。 では、お楽しみだ!」
「そうだね! そうだねっ!!!」
騎士は両手足を組み伏せられ、なおかつ首を締め付けられているため呼吸すら怪しい状況だ。
「魔導書を出したまえ。 でなければ、我が弟が首をへし折るぞ?」
「はやく! はやく!」
苦しみに呻く騎士が解放される様子はない。
「……助けないっすか?」
「……装備が万全じゃないし、今のところ助ける利益も見出せないかな。 あと、気になることがあるから黙って見てて」
シノンとエマは成り行きを見守る。
「何を心配しているかは知らないが、魔導書を出させるのは攻撃されないための保険だよ。 貴様を殺すつもりなら、すでに殺しているだろうに」
ヴィシャトールはそう言うが、騎士は一向に従う様子を見せない。
「仕方がないな。 荒っぽいが、一旦意識を落とすしかないな。 ヴィシャファト、慎重にな」
「もちろんさ!」
「ぐ……うぅっ……」
騎士は限界まで呼吸を止められ、程なくしてぐったりと項垂れた。
「さて」
ヴィシャファトは乱暴に胸部の板金を掴むと、腕力だけで変形・破壊を始めた。一方ヴィシャトールはしゃがみ込むと、気を失っている騎士の頭部に魔石らしき物体を押し当てた。 そうすると、騎士の胸元に魔導書が具現化された。
「……何してるんすかね?」
「……」
ヴィシャファトが大きく腕を振り上げた。
「ぃギあ゛ッ……! ゔッ! っぐ……あ゛ア゛!?」
何度も振り下ろされる拳は騎士の胸骨を砕き、騎士は強制的に目覚めさせられた。 そして限界を超えた痛みによって意識を失う。 これが繰り返される。
「いいね!? 苦しんでるね!?」
ぐじゅッ……ぐじゅッ……。
今度は血飛沫とともに嫌な音が響いた。 ヴィシャファトが傷口から差し込んだ指が体内に入り込み、両拳が入る程度に広げられていく。
「あ゛……っ……ぇヴ……」
騎士は白目を剥いて声にならない呻きを上げながら、重要臓器を守る胸郭という壁を無理矢理に裏返された。
「兄ちゃん、出たよ!」
「さぁ、そいつを早く寄越すんだ!」
「任せてよ! いっくよおおお!」
ヴィシャファトは嬉々として心臓を握りしめると、一気に上に引き抜いた。
「……エマちゃん、見ない方がいいよ」
「……え?」
シノンの忠告は遅く、その光景はありありとエマの脳裏に刻まれた。
ぶち、ぶち、ぶち──ッ!
夥しい量の血液がぶち撒かれた。 心臓に引き連れられた気管や肺動脈、その他生命維持に欠かせない臓器が引き伸ばされ、次々に千切れ飛んでいく。
悲鳴にならない悲鳴を上げ、騎士は絶命。 隣でヴィシャファトが小躍りしている。
「兄ちゃん、お待たせ! これが楽しいんだからさ!」
ダン、と叩きつけられた心臓。 魔導書の上でドクンドクンと最後の鼓動を見せつけている。
「ショータイムだ」
魔導書の上で肉片や血液を広げる心臓。 じわりじわりと魔導書に沈み始めている。
魔導書は心臓を飲み込むとともに、それ自体も妙な変化を見せた。 生い茂った緑が朽ちていくかのように、色味を失って正気を薄めていく。
ドクン──。
魔導書は最後に一つ拍動を見せると、力なくその身を横たえた。
「……うっ、ゔえ……ッ」
「……エマちゃん、今は控えて」
シノンは嘔気に苛まれるエマを抱きしめながら、歓喜に沸く二人の男を見守る。
「見事だったぞ。 これで魔導書はヴィシャファト、お前のものだ」
「やったあ! さっきハジメに使っちゃったけど、すぐに手に入って良かったね! あいつの陰気な魔法より、こっちの方が随分と具合が良さそうだ!」
「はっはっは、そいつはよかったじゃあないか! また色々と遊べるな! では──ん?」
ヴィシャトールは駆け出した。 そうして、違和感を覚えた路地裏を覗く。
「兄ちゃん、どうしたんだい?」
「誰かが居たように思ったが、気のせいだったようだ」
そこは、先程までシノンとエマが身を隠していた場所。
ヴィシャトールは誰もいないことが分かると、すぐに興味を失って弟の元へ身を翻した。
「どうせこの街の人間だよ。 そんな奴らよりさ、もっと楽しいオモチャで遊ぼうよ!?」
「ああ、そうだったそうだった。 ヴィシャファトの魔法を試すには良き連中だしな。 ついでに連中からも魔導書を奪って、簡易魔導書を量産しなくてはな! 行くぞ!」
「行っけえ!」
シノンは嘔吐を繰り返すエマを介抱しつつ、走り去る二人とは反対方向に移動していた。
「うッ……ウぇ……!」
「ほら、出るものは全部出しておきなよ。 ここからが大変なんだから──よっと!」
シノンが手のひらで触れた魔物が爆散した。
「魔石の手持ちが少なくなってきたね。 ずっとは難しい……どうしようかな」
もはやどこにでも入り込んできている魔物を蹴散らしながら、安置を探す。 そうして手頃な建物を選んで、シノンとエマは転がり込んだ。
「住民は逃げたっぽいね。 私たちを攫った連中と魔物が暴れてたし、まだまだ荒れるなー」
「ハァ……ハァ……」
「ひとまず魔導書を奪うってのが何かを知れたのは収穫だったね。 エマちゃんはどうするべきだと思う?」
「ハァ……何が、っすか……?」
「魔導書を奪って非魔法使いが台頭してきてるんだよ。 連中をここで駆逐しておかないと、魔法使いが生きづらくなるんじゃないかなと思ってね」
「そんなこと言われても……」
「ま、そういう時代なのかな。 ここで私たちが頑張ったところで何かが変わるわけもないか。 じゃあいいや。 お父さんと合流したら王都を目指そ」
「え? ハジメさんは……?」
「さっきの二人、ハジメちゃんの話してたよね? だから多分、殺されたんじゃないかな」
「いや、そんな……でも……」
「お父さんも下手したらやられてるかもしれないし、私たちもトンズラするよ。 どうせ行き先は王都って決めてたし、運が良ければどこかで合流できるでしょ」
「あたしは、その……」
「残りたければ残ってもいいよ。 付いてくるならそれも勝手にしたらいいし。 パパッと決めちゃって」
返答は分かっているくせに。 エマはシノンを内心で嫌悪する。
「ハジメさんは、大丈夫……」
「じゃあ街道を出よう。 今の私たちじゃ、魔導書を持った連中に太刀打ちできないからね」
「……はいっす」
街道脱出のため、シノンとエマは北を目指す。
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