第117話 荒れる街道
「ここに入って待っていろ」
「おわっ!」
シノンは雑に投げ飛ばされ、地面に転がった。 背後で扉の閉じられる音がした。
目隠しをされて連行されたシノン。 頭の覆いは外されたが、後ろ手は縛られたままで十分な動きは取れない。
「いてて……。 ありゃ、エマちゃんも捕まったんだ?」
「シノン姉……さん……」
シノンが連れてこられた施設には、エマが先に到着していた。
殴られたのか、エマの顔面や露出した手足は各所が腫れ上がって青痣を作っている。 そんな彼女は、左右から両腕を掴まれて組み伏せられている最中だ。 着衣は乱れていない。
「あらら、派手にやられちゃったねー」
「おい、勝手に喋るな!」
薄汚れた広い室内には、そこそこの数の人間が集っている。 全員が同じ制服を身に纏い、何かしらの組織だということを示している。 そのうちの一人、若い見た目の男が声を荒げた。
「別にいいじゃん。 暴れるわけでもないし、そうやって魔導書を出されてる間は何もできないって」
「貴様、あまり俺たちを怒らせるなよ……!」
「あー、こわいこわい。 今度から気をつけまーす」
「貴様ァ!」
(俺たち、ね。 はい、雑魚確定。 あとの面々はどんな感じかな?)
シノンは男に無理やり立たされて叫ばれたが、それを完全に無視して、魔導書を見せつける男に意識を移した。 やはり魔導書は相当に傷んだ装丁をしている。
「ねぇねぇ、そこのお兄さんさー」
シノンは魔導書を持つ男に声を掛けた。
(魔導書の色は火属性関連かな。 攻撃力重視で、精神操作とか厄介な感じはなさそう)
「おい貴様、俺の言っていることが聞こえないのか!? 喋るなと──」
「同志ヤズイ、お前が静かにしろよ」
「っ……あ、同志ラオロ、申し訳ありません! しかしこの女が!」
「好きに喋らせようぜ。 そいつには何もできねぇさ」
「……分かりました」
上司と思しきラオロの指示に、ヤズイは素直に従った。
(同志とか言ってるけど、上下関係はしっかりあるわけね)
「君たち、なんでエマちゃんに酷いことしたの?」
「……ん? ああ、そこの娘のことか。 同志が情報を吐かせるって言うから任せた結果だな。 一応俺たちは横一線の繋がりって集団だからよ、俺はあれこれ指示しない主義なんだ」
「ふーん、そう。 それで、何を聞こうとしてたの?」
「その前にお前、名前を教えろよ」
(ラオロは話が分かりそうだね)
「シノンだよ」
「シノン、お前が色々教えてくれたらエマって娘にも乱暴はしないでやるよ。 しばらく時間があるから、お前が素直であるほどエマの安全は確保されるぞ?」
「そゆことね、了解了解」
「同志諸君、エマを離してやりな」
「「「はっ」」」
エマは支えを失って床に項垂れた。 ただし、安心できるわけでもない。 常にラオロが首元へ刃を突き付けている状況は変わらない。
多くの人間が見守るなか、ラオロとシノンの会話が始まる。
「で、シノン。 エマが魔導書を出せないみたいなんだが、お前から出すように言ってくれないか?」
「どうして魔導書が必要なのかな?」
「質問しているのはこっちだ。 エマを殺されたくなかったら、さっさと答えたほうがいいぞ?」
「殺すのなら魔導書を出させたあとなんでしょ? じゃあ君たちがエマちゃんをすぐに殺すわけないじゃん。 もっと現実的に脅したほうがいいと思うけど」
シノンの指摘に、ラオロは思わず舌を鳴らした。
「……生意気だな。 ヤズイがキレるのも理解できるよな」
「ま、感情を制御できないのはそっちのせいだから。 一応教えてあげると、エマちゃんが魔導書を出せないのはホント。 あの娘は体現型魔法使いだからね」
「体現型って何だ?」
(魔法使いなのに何も知らない。 王国民として無知なのか、後天性の魔法使いだから知らないのか。 いずれにしても、情報的優位に立ってるのは強みかな。 虚実を混ぜるか)
「知らないの? 魔法技能が常時発現できるせいで、魔導書が展開されてる扱いなのよ。 だから魔導書はどうやったって出ないよ」
(実際は出せないわけじゃないんだけどね。 体現型魔法が一定のレベルを超えるまで、魔導書が出ないってのが事実。 教えてあげる義理はないけど)
「詳しいんだな」
「君は魔法使いなのに詳しくないんだ?」
「いちいち癇に障る女だな。 死んどくか?」
ラオロは殺気を隠そうともせずシノンに凄む。
シノンはどこ吹く風という顔で続ける。
「情報を吐かせずに殺すんだ? 勿体無いね。 というかさ、君たちは誰かを待ってるんでしょ? 君が下っ端を待つわけでもないし、多分来るとしたら上司だよね。 上司を待たずに勝手なことなんてできるわけなくない? 小物ってのがバレるから、あんまりイキらないほうがいいよ」
ラオロは額に青筋を立てながら、それでもシノンの指摘は事実であるため反論が難しい。
(ここで攻撃性の魔法をぶっ放すのはデメリットの方が大きいし、精神を乱す意味でも挑発は継続)
「……俺がお前を殺せないとでも思ってるのか?」
「殺せるとでも思ってんの? そうやって虚勢を張ってる暇があったら情報収集すれば? 君たち、ほんと程度が低いよ?」
シノンの挑発は部屋全体に。
周囲の面々の手元に力が入る。 ラオロの合図を待っているのだろうか。
(動きを見せる人間が居ないってことは、この中ではラオロが一番上だね。 ラオロに魔法を使わせて被害を誘発するのもアリかな?)
「同志ラオロ! あなたが手を汚す必要はありません! なんなら俺たちがそいつを殺しちまいますぜ!?」
シノンを排除しようと意見した一人に、呼応した連中が次々に捲し立て始めた。
「チッ……混乱が狙いか? お前ら、静かにしろ!!!」
ラオロの一言で場が静まり返る。
(ラオロは幹部クラス。 でも、魔法に関しては素人。 チグハグだね。 新しい力が入ったせいで秩序が定まってないのかな)
「下らない小細工はするな。 お前たちのことを全て話せ」
「ふーん、そう」
周囲の連中はシノンに殺意を向けているが、ラオロの指示には従わざるを得ないということで苦虫を噛み潰した表情のまま動きを止めている。
「周りの君たちもさ、やりたかったらやればいいのに」
「黙れ。 話せ」
「賢明だね。 まず知ってると思うけど、私たちは四人でやってきた。 面子は私とそこのエマちゃん、ハジメちゃん、あとは私のお父さん」
「その肌の色はヴェリア出身か? 全員そうか?」
「私とお父さんはヴェリア。 残り二人はヒースコート領の出身」
ラオロは、続けろという風に顎をしゃくった。
「私はこの通りっていうか、さっきも全身まさぐられて確認されたから魔法使いじゃないんだけど、ハジメちゃんとお父さんは魔法使いだから気を付けてね」
「……何を気をつける必要がある?」
「君たち、魔法使いから魔導書を奪って回ってるんでしょ? でも、生半な戦力じゃ勝てないってこと」
「問題はないな。 特にそのハジメって奴は、確実に殺される」
「誰に?」
「教えるかよ」
「ふーん」
「仲間が魔法使いなら、属性と使用する魔法も詳細に話せ」
「せっかちだなぁ」
(情報を口頭で集めるってことは、闇属性の魔法使いはいないのかな? もしくは、今は来れないだけなのか。 ラオロたちが待ってる人間が誰かっていうのも気になるね)
「お父さんは土属性で身体強化による近接戦闘がメイン。 遠距離攻撃は見たことないから知らない。 ハジメちゃんは闇属性の防御魔法を使ってたかな。 あと、エマちゃんのは尋問して吐かせたんだよね?」
「いや、口を割らなかったな。 見た目以上に強情な女だよな」
「へー、そうなんだ」
「で、エマはどんな魔法を使う?」
「んーとね……」
シノンはエマを見た。
エマは地面に突っ伏して疲労困憊という様子だが、ここまでの会話を聞き逃してはいない。 これから自らの魔法をバラされるのではないかという疑念の色をその目に含んでいる。
「“そろそろ雨が降るかどうか分かる魔法”だよ」
「は? なんだ、その魔法は?」
「旅では重宝するんだけど」
「全くもって理解できないな。 使えない魔法なら、とりあえずそれでいいか。 あとはそうだな、お前たちは何を目的に旅してる?」
「私たちは調査家。 魔竜を追ってるんだよね」
「魔竜って、あれか? 未開域にいたってやつか」
「そう、それそれ。 調査もあるし君たちの邪魔はしないから、そろそろ帰してくれない? お父さんにも暴れないように言ってあげるからさー」
「そりゃあ無理な相談だよな。 お前はここで喋り続けろ。 というかよ、お前が全部事実を話してる保証もないしな。 積極的にお前を解放する理由もないだろ?」
「それもそうだね」
「沙汰は追って別の者が下すから、お前はせいぜい身の安全を祈ってることだな」
「疑り深いねぇ……ん? 地鳴り?」
カタカタと、屋内照明などが小さな音を刻んでいる。 振動は一瞬かと思われたが、変わることなく続いている。
「どこぞの馬鹿が派手に争っているのか」
ラオロはシノンを睨みながら言う。
「かもね」
ラオロ以外の面々は少し浮き足立っているようだ。 何も知らされていないといった面持ちだ。 その中の数人が口を開いた。
「同志ラオロ、我々で確認して参ります」
「ああ、頼んだ」
シノンの横を抜け、数名が部屋の外へと出て行った。 一瞬だけ見えた屋外には、まだ薄暗い空間が続いていた。
(少なくともお父さんのせいじゃないね。 お父さんの手持ちにそこまで大規模な影響を及ぼす魔杖はなかったはずだし。 ラオロも想定してない何かなのかな?)
ラオロはシノンに向き直った。 彼だけが他の面々より落ち着いた様子を見せている。
「さあ、続きだ」
「次は何を話せばいいの?」
「魔法だ。 お前の考えている通り、魔法について俺たちは少し疎いからな。 基本的なことから教えてもらおう」
同時刻──。
中心街から、少し北に進んだ街道上。 街道で幅を利かせている組織“ラウンジ”を纏めるカイヤザの前に、彼の見知った顔が幾つか並んでいた。
「これはこれは、組合の面々が揃い踏みだ。 どうかされたか?」
「カイヤザ、貴方には伝えていたでしょう? 魔法使い失踪事件の調査に参りましたのよ」
カイヤザの眼前に並ぶ集団。 その先頭に立つ妙齢の女性──魔法使い組合長のベルマリット=ロヴァがカイヤザに言葉を投げた。
「随分とお早い到着だ。 後ろの面々はやけに物々しいが、戦争でもするつもりか?」
「必要とあらば」
黒いローブに杖を手に持つ姿のベルマリット。 もう一方の手には黒い魔導書が開かれている。 貞淑な見た目とは裏腹に、発言や立ち姿からはかなり攻撃的な印象を受ける。
「そういった物騒な物言いはやめていただこう。 ここは我々の街だ。 組合がでしゃばる場所ではない」
「こちらの人員も行方を晦ましていますのよ。 組合として、この街が物騒な場所ではないことを確認する必要があります。 邪魔はせず従っていただきましょう」
「従わざるを得ないような圧を掛けながら、よく言ったものだ」
ベルマリットには、魔法使いが十数名帯同している。 その他、騎士姿の人間もいれば、屈強な肉体を誇る男たちも。
「貴方はすぐ煙に巻くものですから」
ベルマリットの背後には、物言わぬ全身鎧。 騎士は、本来であれば集団の中で最も地位が高いはず。 しかしながらベルマリットが騎士と同等の地位を得ているため、今は発言などせず動きを見せていない。
「騎士様までご登場とあらば、従うことも吝かでは──」
「《統制》。 私どもに対するあらゆる攻撃を禁じます」
ベルマリットが有無を言わさず魔法を発動。
《統制》は闇属性の四大性質の一つ、“代償”を基軸に持つ半強制の制限魔法。
カイヤザは、自身が魔法の適用範囲に飲まれたことを即座に理解した。 攻撃の意思が、著しく薄められている。
「お前たちは、いつだってそうだな」
「何が、でしょうか?」
「そうやって、身勝手に魔法で弾圧を強いる。 それが領主の意向か?」
「ええ。 反乱の芽は、早急に摘めとの通達を受けておりますのよ。 領主様は、街道での貴方たちによる自治を認めております。 ですが、勝手に意思を生やすことを望んでおられません。 身勝手な課税や物資調達による組織拡大は、反乱の意思ありと判断されてもおかしくはないはずです。 違いますか?」
「思い込みが激しいな。 治世が思わしくないことを民衆の責任として断罪するから、いつまでもディアス領は変わらないのだ。 領主に言ってやれ、お前が変われと」
騎士が腰に帯びた剣を引き抜く音で、この場は一気に剣呑な雰囲気に包まれた。
「それ以上は聞き捨てならぬ」
「ベン殿、貴方がやらずとも」
「いや、これは領主様の剣たる我の役目だ」
騎士が鎧を鳴らしながら前に出た。 空いた片手に緑の魔導書を開きながら。
「《疾風怒濤》」
《疾風怒濤》は風属性の強化魔法。 中級の強化魔法《疾走》と、同じく中級の攻撃魔法《暴風》の双方を極めることで発現した上級魔法。
騎士の体周囲に、嵐のような鋭い風が吹き巻いた。 それらは鎧に絡みつき、全てを傷つける暴威を纏わせている。 構えられた剣も、嵐を纏って攻撃力を極限まで高めている。
戦闘の予感に、あたりで見守っていた人間は慌てて逃げ出していく。
「噂に名高い魔法騎士か。 ビューフォート家の天才まで連れてくるとは、なるほど組合は本気のようだ」
「ご理解いただいたようで」
カイヤザは周囲を見渡した。 誰もがこの場から離れ、戦場は整えられてしまっている。 あとは誰が火蓋を切るか、そういう段階だ。
「俺を殺すのか?」
「領主様は、不要な頭を切断して付け替えろと言っておられましたので」
「領主こそ、付け替えるべき頭だとは思わないのか?」
「口を閉じろ、下郎」
騎士ベン=ビューフォートの怒りは限界に達している。
「頭だけでなく、身体ごと消し去るべきだ。 ビューフォート家の誇りが、そう──」
ヴェンが地面を踏み抜いた。 纏った嵐が地面を砕き、彼の身体を目にも停まらぬ速度で弾き出した。
「──言っているッ!!!」
振り抜かれた騎士剣は、嵐を振り撒きながら周辺の建物ごとカイヤザを消し飛ばした。
▽
「っぐ……う……」
(痛ってェ……。 何、が)
ハジメは暗い森の中で目を覚ました。 クラクラとする頭で何とか状況を思い出す。
「……《歪虚》」
急いで防御魔法を展開し、その上で思考を巡らせる。
「ちっく、しょう……っ痛!」
思い出したように、全身の痛みが産声を上げた。 痛みによって魔導書を取りこぼした右腕も、見ればあらぬ方向に捻れている。
「あ゛あ゛ッ! くっそ……」
グルル……。
「……は?」
ハジメは気が付いていなかったが、魔物が彼を見下ろしていた。 数匹どころではなく、数十の獣影が周囲を取り囲んでいる。
「いや、えっと……」
しばらくハジメが動けないでいると、魔物たちは彼から興味をなくしたように動き出した。 それらは一様に同じ方向を目指して走り抜けていく。
「どう、なってんだ……?」
(俺はあいつらの攻撃の時に、《歪虚》のベクトルを……いや、そんなことはどうでもいい。 傷だらけだけど紙一重で命は助かってるし、魔物は俺の魔法を恐れて近づいてこないみたいだ。 今のうちに動きたいけど、この身体じゃ……)
左足を貫かれたことに加え、右腕までもがひしゃげてしまっている。 全身打撲による痛みもあれば、擦り傷切り傷も絶えない。 つまるところ満身創痍であり、魔物が攻撃を仕掛けてこないのもいつまで続くか分からない。
「現状継戦は無理。 だから、あいつらに見つからないように移動して……」
(移動して、その後どうする? まずここがどこか分かっていない上に、目的地も定まっていない。 あいつらが俺を運んできたのなら、時間的にもそこまで街道から遠くはないはず)
ハジメはそこまで考えて、ふと気づく。
(魔物は、どこに向かってる? 魔物が大勢で移動することなんて、そうそうある話か? というか、なんで俺は魔物に襲われない? さっきまで《歪虚》の効果って思い込んでたけど、その前に発動した魔法が原因の可能性の方が高いだろ)
そう考えると、先程感じていた地響きと魔物の動きが繋がってくる。
「魔笛と同じことをしてるってことか。 だとすると……」
ハジメは魔導書を最後のページで固定し、少量のマナを込めた。
「《乱律》。 くっ……頭に響く」
キィィン……。
一瞬、魔導書からマナの波動が拡散した。 範囲としては、注入したマナ量に比例したごく狭いもの。
ピシッ──。
ハジメの周囲を駆けていた数匹の魔物が突然動きを止めた。 まるで全身が麻痺して硬直しているような、自らの意思では何もできない状態ということが見て取れる。 小型の猿の魔物だったり、中型の角猪だったり。 魔法に触れた魔物は一様に静止してしまっている。
(マナの量に応じて範囲が変わるのか。 さっき発動した時は相当量のマナを消費したから、大勢が反応したってことでいいんだよな。 俺は魔笛と同じようなことをしてるってわけだ。 あの時の魔笛は、自分よりも強大な魔物にさえ俺らを襲わせるよう指示してた。 だからこの動いてる魔物は、俺の指示を動いてる可能性が高い)
静止した魔物は何を考えているか分からない目で虚空を見つめている。 決してハジメを意識しているわけではなく、そもそも意思すら感じられないような印象を受ける。
「止まってるこいつらは何かを待ってる状態ってことか。 だから試しに……“ヴィシャトールとヴィシャファトを襲え”……うわっ!」
途端、堰が切れたように走り出す魔物たち。
「よしよし……。 多分俺の推測は合ってる」
ハジメは激しい鼓動を感じながら、ホッと胸を撫で下ろす。
その後ハジメは、何度か《乱律》を使って効果を確かめた。 まず、街道へ向かえとの指示に魔物は反応しなかった。 これはおそらく、ハジメが街道の方角を認識していないか、魔物が街道の存在を理解していないことが原因だと考えられる。 もう一度ヴィシャ兄弟を襲えとの指示には、先程と同じ方角への移動が見られた。 魔物の群れに対してヴィシャ兄弟がずっと同じ場所に留まっているとは思えないため、これもハジメの認識の範疇でしか魔法効果がないことを示唆する要因となった。
「なんでもかんでもできるわけじゃないってことか。 でもまぁ、ある程度の認識は得られた。 次は……」
ハジメが座して待っていると、目的とする魔物の姿が見えた。
「《乱律》。 “俺の側に来い”」
(この魔法、いちいち頭に響くのだけは勘弁だよな)
漆黒の、豹に似た魔物。 体調四メートルほどの、大型で巨大な角を持ち合わせた上位種。 サシで戦えば一般人なら瞬殺されるであろう体躯を持つ魔物だが、ハジメの指示通り彼の側で動きを止めた。
「“伏せて背中に俺を乗せろ”」
ハジメは傷んだ身体をなんとか押して、異常な獣臭を放つ黒豹の背中に跨った。 角を掴んで安定感を得る。
(臭せぇし、まじで怖えぇ……。 普通に戦ってもやばそうな魔物だけど、今は俺に従ってくれてるな。 いざという時は《改定》で即座に脳を破壊するくらいは準備しておかないとな。 とはいえ、移動手段を得られたのはありがたい)
「“お前は指示通り、俺を安全に運べ”。 あ、いや、少し待て!」
急に動き出そうとした黒豹。 落ちそうになったハジメがなんとなしに放った言葉を聞いて、すぐに拾って動きを止めた。
(なんだ、そこまで意識した命令じゃなくても従うわけか。 それなら、これもいけそうだな)
「《強化》」
ハジメは魔法を、自身および黒豹にも掛けてみた。 どうやら《強化》は魔物にも奏功するらしい。
(《歪虚》はどうやら、俺の意思を反映して効果を示すみたいだな。 こいつはさっき《歪虚》に触れても潰されなかったし、俺の無意識がどうにも作用してるっぽいな)
ハジメは魔法に対する知見を深めつつ、森の中を黒豹に跨って北上し始めた。
(にわかに魔物使いになっちまったぞ? まずはどこかで身体を癒さないとだけど、魔物を連れて入れる場所なんてないしな。 どうするか……)
ハジメは現状ヴィシャ兄弟と戦えるだけの身体ではないので、今は彼らを回避する意味合いで森の中を進んでいる。 とはいえ、目的地がはっきりしているわけではない。
(エマたちのところに行こうにも、治癒ポーションを手に入れるのが先決か。 現在地を知る必要もあるから、誰かしら人間に接触するのは必須だよな。 金は無いから、最悪犯罪もやむを得ないか……)
どれくらいの時間森の中を走らせていただろうか。 陽はすでに落ちようとしており、夕暮れの日差しがわずかに届く程度になっている。
「おわっ!」
森の切れ目。 森の間を切り開いた道にハジメが飛び出した時、すぐそばに行商らしき馬車があった。
ヒヒィィィィン──!
黒豹はしなやかな動きで以て態勢を整えたが、相手方はそうはいかなかった。
「わ、うわッ!?」
車両を引いていた馬が驚きのあまり仰け反って倒れ、傾いた馬車の御者台から男が投げ出された。
「痛でッ! ま、まも、魔物!?」
馬車の持ち主は、ハジメと変わらないような若者だった。
「や、やめて! 食べないで!? 殺さないでェ!!!」
「おい、落ち着けって!」
若者は黒豹を見て腰を抜かしてしまっている。 ハジメの姿も目に入っているはずだが、恐ろしさで視野が狭まっているようだ。
若者は魔物から離れるべく上半身を翻し、足はうまく動かないようで、腕だけで逃げ出そうとした。 そして見た。
「うわああああッ!?」
馬車を追って来たのだろうか。 東側から複数の魔物が迫っている。
「俺の魔法から外れた魔物か? いや、これはむしろ好都合か。 “殲滅しろ”」
ハジメは転げ落ちるように黒豹から降り、敵集団へ向かわせる。
「っぐ……!」
黒豹は強化された肉体で敵との距離を数歩で詰め、潜り込むようにして角を振り上げた。 一匹の魔物が打ち上げられている間に、黒豹は別の一匹の首を噛み砕いた。 続く爪の切り裂きで三匹目を牽制し、落ちてくる魔物に角を突き刺した。 頭を振るって刺さった魔物を振り飛ばすと、三匹目も頭を噛み砕いて絶命させた。
一瞬のうちに行われた芸当に、ハジメは驚きを禁じ得ない。 同じく若者も声が出ないようで、ゆっくりと近づいてくる黒豹を見て失禁。 そのまま意識も手放してしまった。
ハジメは再び黒豹に跨り直し、若者に近づく。
「おい、あんた大丈夫か……? ああ、くそ。 伸びちゃってるな」
白目を剥いて泡を吹く若者。 股間に広がるシミと尿臭に、ハジメと黒豹は思わず顔を背けた。
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作者の執筆力に繋がりますので、ギモン・シツモン・イチャモンなど、良いものも悪いものもどうかご意見よろしくお願いします。