第114話 中心街
ロヒル街道の酒場。 その中には、無法者が蔓延る特別な場所がある。
ズガッ──!
激しい物音を立てて、砕けた扉が深夜の酒場内に飛散した。 人間が凄まじい勢いで扉にぶつかった結果だ。 それを示すように、血みどろになった男が屋内に向けて吹き飛ばされていた。 それでもなお殺しきれない衝撃は男を数度床に跳ねさせ、最終的に男を壁へ叩きつける形で事態の終結とした。
どよめく店内。
「よぉーお、邪魔するぜ」
その掛け声とともに入店してきたのは、街道に住まう者ではない。 貧相な身なりからは身分が想定しやすいが、その手に握られた魔導書が想定を否定する。
闖入者の登場に、屋内に控えていた連中は口々に騒ぎ立てた。 それぞれの手には即座に武器が握られ、武力行使が開始される寸前で状況は止まってしまっている。
「何者か教えてくれるか?」
店内にあって眉一つ動かさず静観を決めていた男──カイヤザが言葉を投げた。 対象は、男女二人組の闖入者。
「俺はジギス」
「私はニナ」
モルテヴァの騒乱を生き残った二人は、すぐさま北上し街道に辿り着いていた。
「この辺りの者ではないな? そのような物騒な登場で、我々に何を望んでいる?」
カイヤザは努めて冷静に話しているが、ニナとジギスが魔導書を展開している以上、迂闊なマネはできない。
「いやなに、ちょうど良い場所に手頃な集団が居ると聞いたもんだからよ。 挨拶がてら、俺たちへの協力をお願いにやってきたんだ」
「それは随分と高圧的な願いだ。 金銭でも欲しているのか?」
「まさか。 こういう見た目だが、金なら間に合ってる。 俺たちからの願いは……いや、相談に近いか。 この場を荒らしに来たわけじゃないってのは先に伝えておくけどよ」
「ついさっきあんたがぶっ倒した男のことはどう説明するつもり?」
「そりゃまぁ、攻撃してきたのはあいつだしな。 正当防衛ってやつだ」
ヘラヘラとのたまうジギスに対し、カイヤザは鋭い視線を向けた。 しかし隣のニナが否定をしないため、カイヤザはひとまず二人の言を信用することとした。
「それはうちの若いのが悪いことをした。 ……で、相談とは?」
「その辺の詳細な説明はニナからしてもらう。 俺はちょっくら適当な魔法使いでも探してくるからよ」
「……?」
ジギスはそれだけ言ってすぐに出ていってしまった。
カイヤザはジギスの発言の意図するところが分からなかった。 しかしそのような思考も、部下たちの挙動により掻き消されてしまった。 店内はニナと大多数になり、若い連中がジリッと靴を鳴らしている。
「やめておけ。 我々では、束になっても魔法使いサマには勝てない。 分かっているだろう?」
カイヤザが場を諌める。 ニナはそれを見て、カイヤザがワントップの組織だということを確信していた。
「もういい? あなたが御しきれないなら、私が間引いて静かにさせるけど?」
「みな、突然のことに驚いているだけだ。 必要ならこちらでやる。 気遣いは不要だ」
「そう、了解。 じゃあ単刀直入に」
ニナは一息吐いてから本題を口にする。
「あなたたち、階級社会をぶっ壊したくない?」
ニナとカイヤザの邂逅は、街道に新たな秩序をもたらした。
▽
ハジメたちは中心街にまで近づいていた。 中心街に拠点を確保して行動するのが最適だろうという結論に至ったからだ。
「慌ただしいなー。 明らかに私たちに向けられる視線が増えてるね」
「人通りが激しくなったから、というわけではないな……」
ハジメはシノンに言われた通りに、周囲への観察を強めていた。 すると、明らかにおかしな動きを見せている人物が見つかった。 それも一人ではなく、無数にいる。
「組織立ってるね。 動きは素人だけど、面倒なのに見つかったかな。 そこそこの人員は確保してるみたい」
「排除するか……?」
「そんなことしても、相手に攻める口実を与えるだけだよ。 こっちは気づいてない振りしつつ、情報を探ればいい。 相手が勝手に動いてるんだから、そのうちクリティカルな情報を落としてくれるよ。 場合によっては、拉致って吐かせればいいんだから」
「物騒だけど、それも仕方ないのか……」
ハジメはシノンの思考に染まりつつあるようだ。 犯罪行為に対する敷居が少し低くなっているように感じている。
「流石にこれだけ人が多い、と……注意を払い続けるのは無理だな」
人通りが増えてくるにつれて、ハジメの集中力にも限界が来た。 というより全てを把握することなど、そもそも困難な話だった。
人通りが増すのは、中心街が近くなっているということ。 ただ中心街とは言うものの、完全など真ん中に位置しているわけではない。 むしろ、かなり南に位置していると言っても良い。 これは、街道が北に北に伸び続けていることが原因だ。
東西の大きな往来と交通する街道部分が、中心街として発展した経緯がある。 ということで、中心街という呼称が定着したまま残されていた。
中心街は雑多に家屋や商店街が立ち並び、一つの大きな集合体を形成している。 建物の並びに突如はほとんどなく、中心から外へ外へ広がっている。
「おー、すごいね。 めっちゃ人がごった返してる! ここなら何でも揃いそうだね」
中心街の交差点。 昼間ということもあって、東西と南北それぞれからの人間が無数に行き来している。 それでもなお、褐色肌のシノンとトナライは浮いている。
「おそらくここは、敵の懐だろうけどな」
「虎穴に入らずんば、ってやつだよ」
「最近はリスク前提って状況が多過ぎ──って、すいません!」
ドン、とハジメは肩に衝撃を覚えた。
「チッ」
ぶつかってきた背の高い男は不機嫌な顔を隠そうともせず、舌打ちしながら肩を揺らして歩き去っていく。
「なんだよ、気分悪いな……」
「ま、そういうこともあるよ。 じゃ、お父さんよろしく」
「おうさ」
「ん?」
ハジメが疑問を感じた時には、トナライは背後に歩き出している。
「不注意そうだしカモだと思ったんだね。 たぶん貨幣袋を盗られたから確認した方がいいよ」
「え、まじ!?」
背中のエマを傾けながら急いでポケットを確認すると、小銭を幾つか突っ込んでいた皮袋が消えている。
「……まじかよ」
本当に小銭しか突っ込んでいなかったが、こうも簡単にスられたことにハジメはショックを隠せなかった。
「街のゴロツキか何かかな。 ああいう連中に対してなら何しても怒られないから、ハジメちゃんは安心しているといいさー」
「何しても、って……。 何するんだ?」
「分かんない。 まぁでも、お父さんの手腕と相手の出方次第かな。 あまりに抵抗するようなら殺されたって文句は言えないからね」
「そうなのか……」
この世界は日本のような法治国家ばかりではないとはいえ、やられたらやり返すというものにも限度はある。
「明らかな犯罪行為は闇属性魔法でバレるけど、前後の文脈が加味されれば大丈夫だよ。 法の範囲内でギリギリを攻めるのは慣れてるから」
「どんな場所で育ったんだよ……」
つくづくシノンの生育環境が気になるハジメ。 しかしそれを知らされることはない。
「ほら着いた。 聞いてた宿はここだね」
街道に入ってから何時間歩いたかは分からないが、ようやく宿らしき場所に辿り着いた。
宿は中心街の中にあって、入り組んだ路地をいくつも抜けた先に鎮座していた。 入り口の構えは大きく、場所は丘上からやや下った場所にあったが、それほど不便を感じる感覚はない。 宿を出入りする人間も多く、ある程度安心感が得られそうな印象がある。
「一番いい部屋をお願い」
到着早々、シノンはそう言った。
宿は入り口を入ってすぐにカウンターがあり、右手には食堂。 その向こう側には二階に登るための階段と、階段下には薄暗い通路が続いている。 カウンターの裏側には厨房らしき空間が見えている。
「じぃちゃん、こんな連中……」
「黙りなさい。 金さえ払えば何でも構わない。 金貨十枚だ」
宿を経営しているであろう老爺の隣で、孫らしき若者が何やら言っている。 しかし老爺はピシャリと言い放って若者を黙らせた。
それにしても、三泊で農奴の給金三ヶ月分以上も掛かるとは。 ハジメは運用される金額に驚かされる。 最近では金銭取引が介在する仕事もしておらず、そろそろ本当に稼ぎが必要そうだ。
「コナン、案内して差し上げなさい」
「……分かった。 じゃあ、ついてこいよ」
「コナン!」
「うっせぇな……」
コナンはギリギリ聞こえるか聞こえないかくらいの小声で悪態をつくと、ズンズンと進み出した。
ハジメたちは一般客が入っていく通路とは異なるルートで案内を受けた。 ここはカウンターの左手側に設置された扉から続く通路であり、通路の左側にはいくつか扉で仕切られた部屋が設置されていた。
「……ここだ」
通路の一番奥に着くと、コナンはぶっきらぼうに言った。 かと思えば、口悪く暴言を吐き捨てて戻っていく。
「お前ら臭っせぇから出てくんなよな」
「ふーん」
「二度と顔を──」
「あ、ごめん」
「──あぐっ!?」
コナンが派手にすっ転んだ。 シノンが足を引っ掛けている。
怒りですぐに顔を上げたコナンだったが、
「ひっ……」
シノンからひどく冷たい視線を向けられ、それだけで萎縮してしまった。 所詮はこの程度の男だったということだ。
「……くそが」
シノンは逃げていくコナンの背中をしばらく追い続けた後、老爺に渡された鍵で扉を開いた。
「なぁ、シノンちゃん。 あんなことして大丈夫なのか?」
「あんな何者でもない人間は、私たちに対して何もできないよ。 何かするとしたら上位の人物と接触するだろうね。 そうすれば、より多くの情報を得られるかもしれない。 その布石だよ」
「そんなとこまで考えてんのか……」
「ま、考えなしの行動ばっかりしてるハジメちゃんとは違うってことだね」
「ぐう……」
「ほら、さっさと入りなよ」
「お、おう」
与えられた一等室は窓が一つだけで、広さとして二十畳程度だろうか。 ソファ三つとベッドが二つ、その他は机だったりよくある調度品が置かれているというくらいだ。 広さはそこそこであり、室内には洗面所と浴室がそれぞれ一つずつ。 とはいえ、値段に見合ったクオリティには少しい遠いようだ。
「なんかしょぼいね」
シノンは壁をコンコンと叩きながら窓を開けた。 するとそこには、分厚い金属板が待ち構えていた。 金属板はガッチリと固定されており、固定を外して左にずらせば宿の外が垣間見えた。
「と思ったら、防犯意識が高いのか。 安全性という面であの値段なら、百歩譲って納得かな。 壁も厚いっぽいし、及第点って感じ」
ハジメとシノンは浴室で汗と汚れを落とした。 ハジメが浴室を利用している間に、シノンはエマの身体を拭いて綺麗にしていた。
シノンは荷物を広げ、あれやこれや唸ってから言った。
「じゃあ、もう一つの鍵は預けておくね。 私は買い物とか色々やることがあるから、夕飯の時間までには戻るつもり。 エマちゃんのことはよろしくー」
「おう、任された」
そうしてハジメは、静かに眠るエマと二人きりになった。
「……ふぅ。 とりあえず一区切りだな」
モルテヴァを出て数週間だが、一つ一つの旅は濃厚かつ危険に溢れている。 今回はシノンとトナライがいたおかげで何とかなったが、それでも新たに浮上した問題が未解決なまま残されている。 これを処理せずに進むと、また新たな問題に直面した時に被るリスクは遥かに大きくなりそうだ。
「寝れん……」
ハジメが色々と考え事をしていると、寝つくのも難しかった。 身体は疲れているが、どうにも脳が休まらない。
「しゃーない。 眠くなるまで別のことを考えるか。 まずは装備だが……」
現状、ハジメはあらゆる装備が充実していない。 今後も使用できそうなのは、ベルナルダンでダスクにもらったダマスカス鋼の短剣くらいなものだ。 オルソーに作ってもらった黒刀は折れてしまっているため、大した使い物にはならないだろう。 せめて剣の腹で防御用で使用するのが関の山だ。
「うーん……。 武器は護身用程度の活躍しかしてないな。 モルテヴァでマナ伝導率の良い短剣を作ってもらう予定だったけど騒動のせいで無かったことになっちまったし、エマを住わせてた鍛冶屋のおっさんも……」
思い出されるのは辛いことばかりだ。
「魔法武器は何かしら入手するとして、次は防具か」
ハジメは防具に目を向けてみたが、あるのは衣類程度の機能しか発揮していないような革製装備だけだ。
「俺って純粋な魔法使いとしての後衛職じゃないんだよな。 防御力も必要だし、だからといって防御力だけ高くても、魔笛の時みたいなマナによる攻撃とか純粋な魔法攻撃に耐性も必要だよな。 だとすればその辺りも揃えないとな」
いずれにしても金は入り用だ。
「というか、一番大事なのは魔法だよな。 攻撃も防御も支援もできるけど、最近お世話になってる《歪虚》以外に……ん?」
ハジメは何も考えず魔導書をペラペラとめくっていると、目の端にちらっと映るものがあった。
「……は? は──っとォわ!?」
ハジメは思わず立ち上がり、そのせいで足元の荷物を踏んづけて後方に転倒。 眠っていたエマの上に倒れ込んでしまう。
「んうぎッ!?」
「おわ、エマすまん!」
「……ぐぐぐ……痛い、っすぅ……」
「起きたか……! すまん痛いよな? ってか、辛いところはないか!?」
エマが痛みに顔を歪ませながら身をもたげた。
「頭も痛いし……最悪の目覚めっす……。 ここ、は……?」
「えっと、街道の中心地にある宿だな。 ひとまず俺らは無事に進めてきてる。 エマのおかげだ」
「それはよかったっすけど……。 あたしって、どれくらい寝てたっすか?」
「四半日くらいか」
「そんなにっすか、迷惑かけて申し訳ないっす……」
「無事だからそう謝らなくていい。 それで──」
「どうしたんすか?」
「──ああ、いや……何でもない。 今はシノンちゃんとトナライさんが外に出てる。 俺らは留守番だ」
「そうなんすね」
「あ、そうそう。シノンちゃんが身体を拭いてくれてたけど、多分汚れは落ち切ってないから浴室を使ってくれ」
「え、あ、臭かったっすか!?」
「そうは言ってねぇからさっさと行ってこい」
「あ、はいっす!」
エマが慌てて浴室に走って行ったのを見送って、ハジメはもう一度魔導書を覗き込んだ。
「……ある、よな。 どこで手に入ったんだ?」
《乱律》。 新たに追加されているページには、見慣れぬ魔法が記されている。
これまで魔法が追加された際にはいずれも、《改定》が関わっている。 そうするとつまり、今回の魔法は道中の魔物から得られたということとなる。 《改定》を使用した相手は魔物しかいないのだから。
「魔笛から、だろうな……。 魔法が手に入ったって感覚は無かったけど、魔物からも奪えるのか。 もしかしたら人間からも? ……いやいやいや、それは駄目だろ。 できたとしても、やっちゃいけないよなぁ」
ハジメは色々と悩んだ末、《改定》の使用相手を限定した。
「人間に使うのはやめておこう。 もしかしたら、魔物みたいに狂って死んでしまう可能性もあるわけだしな。 ただ、どんな効果があるのかはどこかで試しておきたい気もする。 使うとしたら犯罪者か? いや、それも駄目だよなぁ……」
安易に魔法を入手できるならそれも良いかもしれないが、そう簡単に行くような世界ではないことをハジメは理解している。 何かを得るには、相応以上のリスクを背負わなければならないのだから。
「これからは積極的に魔導具を購入して魔導書に刻もう。 魔法はどれだけあっても困ることはないしな。 シノンちゃんにも相談しないとな」
しばらくすると、エマが髪を濡らした状態で部屋に戻ってきた。
「ハジメさん、出たっすよ」
「え……ああ、綺麗になったか?」
「長旅だったんで、かなり垢が溜まってたみたいっす。 でももうピカピカっす!」
ハジメは思わず目のやり場に困ってドギマギしてしまった。
エマはノースリーブシャツにホットパンツのような装いで、明らかに下着は装着していない。 エマが軽く足を上げるだけでも、局部まで見えてしまいそうな勢いだ。 この世界は下着という概念がそこまで定着していないため当たり前なのだが、慣れようと思っても慣れるものではない。 エマはいたって普段通りにしているため、ハジメも努めて冷静に心を落ち着けた。
「ふぅ……そりゃあ、よかったな」
「よいしょ、っと。 寝て汚れも落としたら、あたし随分元気になったみたいっす。 ハジメさんはこれから何かするつもりっすか?」
ハジメは、無造作にベッドに腰掛けたエマをなるべく見ないようにしながら答える。
「二人が情報収集に出てるから、夕飯までは休もうと思う。 エマは自由に過ごしてていいけど、危ないから外には出ないほうがいいかもな」
「危ないんすか……」
「俺らを狙った敵の正体が分からないままだしな。 どうしても外出したいなら着いて行くけど、どうする?」
「いや、ハジメさんは休んでほしいっす。 あたしはその間、ハジメさんを見守っておくっす!」
「あんま見続けるのは勘弁してくれ。 じゃあ俺も、少し寝るわ」
「はい、おやすみっす」
エマが元気なことが確認できると、ハジメに急な睡魔が襲ってきた。 エマの好意もあるため、ハジメはそのまま意識を手放した。
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