第94話 終わりに向けて
恐るべき勢いで押し寄せる霧の弾幕。
ロドリゲスの視界が、白によって一瞬のうちに塗り潰された。
「む……?」
当然、エスナの姿も霧に飲まれて掻き消える。
「やはりこれは、攻撃性皆無のまやかし。 こんなも──グッ!?」
ロドリゲスは頭部を激しく揺さぶられた。
「……なん、だ?」
混乱するロドリゲスの思考は、視界同様に白く染まったままだ。 理解の追いつかない彼に、全方面から次々と衝撃が叩き込まれる。
「な、にが、起こって──」
例えばそれは、拳で殴られたような。 例えばそれは、刃物で引き裂かれたような。 ロドリゲスの肉体には様々な形で攻撃の痕跡が刻まれている。 しかしその全てが単一の感覚として認識されてしまっている。
「流石に、鬱陶しいな……」
ロドリゲスは理解の追求を諦めて、思い切り地面を蹴った。 その瞬間、全てを理解した。
「……魔人エスナ。 この霧全てが、貴様か」
肌に触れる霧。 エスナのマナを含んだ極小の水滴一つ一つに、ロドリゲスは彼女の存在を感じ取っている。
ロドリゲスは魔人ならではのマナ知覚能力を有している。 それ故に、空間全体から発せられるエスナのマナ──その存在感に当てられていた。
《万霧万象》は、エスナの意のままに変化する霧幻世界。 現在ロドリゲスに降り掛かる事象は全て、エスナとして認識されている。 しかしロドリゲスにとっての問題はそれだけではない。
「なるほど……してやられたな」
ロドリゲスはこの瞬間まで、その身に撃ち付けられる事象の解析を強いられていた。 それが今、地面を蹴って身体が浮き上がったことで状況理解が追いついた。
視界全てが白い。 それ即ち、未開域に隠れ潜むだけだった人間たちが自由に動けるということ。 むしろこれこそが、エスナの狙いだった。
「──っぐ!」
示し合わせたように、ロドリゲスの身体に無数の衝撃が走った。 それらは何らかの攻撃だと認識可能だが、あらゆる事象がエスナという存在に上書きされる。
(魔人の知覚能力を逆利用されたか……。 これは自動発動的に備わっているからして、意図的に遮断することも難しい)
ロドリゲスは即座にエスナの意図を看破した。 空中姿勢にまま全身を錐揉み状態にされながらも、思考だけは冷静に保持し続ける。
(無数に浴びせられる何者かからの攻撃も、エスナの霧を纏うことで如何なるものかを判断することさえ難しくなっている。 この女、魔人と成ってなお補助的な方面に魔法を覚醒させるとはな……。 しかしこれは、エスナ単独では我を滅し得ないことの裏返しでもある)
エスナが発動させた魔法は、実のところそこまで濃霧というわけでもない。 彼女とロドリゲスの動きを観察していた連中からしても、彼女らを見失うほどでもなかった。 しかしながらロドリゲスは、高められたマナ知覚能力のために霧の一つ一つを色濃く知覚し、伸ばした手先さえ見えなくなってしまうような濃霧として誤認してしまっていた。
「……良いだろう。 全てを看破した上で、完全なる勝利を貴様らに見せつけてくれる」
ロドリゲスは徹底した防御を敷きながら、致命打を避けることだけに集中して逃げ回る選択を取った。
(個体差の区別が困難になったとはいえ、存在そのものを偽ることはできぬ。 ククク……馬鹿者共め、自ら居場所を晒すが良い)
ロドリゲスに触れる攻撃が、敵の居場所を徐々に顕にしてゆく。
▽
「お、おい……! なんだか領主の動きがおかしくねぇか? あの様子なら俺らでも──」
それは、臆病なハンターの一声から始まった。
ロドリゲスの異変を、領域内の誰もが勘付いていた。 それは、偶然領域に取り込まれたハンターたちでさえも。
「《穿弾》」
「《雷撃》」
エスナの魔法発動に合わせて、すでにフエンとカチュアの攻撃が始まっている。 その他、遠隔攻撃可能なモノたちが一斉に行動を開始していた。 そんな者たちを見れば、ハンター連中が勘違いするのも仕方はなかった。
ロドリゲスは地面に着地したあとも、挙動不審な動きを繰り返している。 それはどこからやってくるか分からない攻撃を回避しているように見える。
「お前ら、今がチャンスだッ……! あれに便乗して領主を仕留めるぞ!」
「そ、そうだな……。 あれは動くだけの的だ。 それなら俺たちでも──」
(ふん、何が「俺たちでも」だ。 無理に決まってるだろ)
メイグスは、慌ただしく準備するハンター連中を怪訝な面持ちで眺めていた。
メイグスはラフィアンと別れて一旦持ち場に戻ってきている。 ラフィアンの命令でハンター連中を焚き付けろと言われていたが、どうにも言い出せずにいた。 しかしここに来て、状況が変化してきた。
(だけどこれは良い流れかもな。 俺まで参加させられかねないってのは厄災でしかないが、どう回避する……?)
ハンター。 本来なら一般人よりもかなりの可能性を秘めている彼らも、魔人と正面戦闘を繰り広げる連中に比べると弱者という立ち位置に立ち尽くすしかなかった。
ハンターたちは空間に取り込まれてしまった不運に絶望しながら、自ら命を賭して戦闘に参加することは決して考えなかった。 どれだけ束になっても敵わない魔人に対して、エスナなど他の魔法使いたちがどうにかしてくれることを祈るばかりだったのだ。
(お前らが寄ってたかったところで領主に勝てるわきゃねーんだけど、俺が言い出さずにこうなったのは行幸か。 ラフィアンとまともに接触したのは俺だけだし、とりあえずそれを口実に離れるか)
「悪い、お前ら。 俺はちょっくら用を思い出した! 先に始めててくれ」
メイグスは作り物の引き攣った笑みを顔面に貼り付けてそう言った。
「はぁ!? お前まさか、この期に及んで逃げる気かよ……?」
集団意識的に領主討伐の流れになっていたところに水を差すメイグス。 当然そういった意見も出てくるだろう
「ち、違げぇって! ラフィアンから言われてた内容を思い出したんだよ! こっちが動き出すなら連絡くれってな。それに、こんな身体の俺が役に立てるところなんて伝書鳩くらいなもんだろ?」
「はは! 確かに、違げぇねぇ! お前みたいなデブは、前に出てっても視界を遮る障害物にしかならねぇよな!」
「だ、だろ!?」
メイグスは内心ほくそ笑む。 しかしすぐ、彼の目論見を邪魔する者が現れた。
「おいおい、コイツを行かせて本当に良いのか? もしかしたら領主に通じてて、俺らを売るつもりかもしれねぇぞ」
気怠げな雰囲気を纏ったヴァラという男が、メイグスに疑念をぶつけてきている。
本来ならメイグスなど木っ端ハンターが領主に接触できることなどないのだが、異常な状況においては判断力が十分に作用しない。 そういうこともあって、メイグス以外のハンターの目が、魔物を見るようなものに変化していた。
「はぁ……? んなわけねぇだろ!」
「領主にゴマスリして生き残るつもりかもな。 手土産に俺らの首を添えて、な」
「な、なんてことを言うんだよ! 俺に限ってそんな!」
「まぁ、いいんじゃねぇーの? どうせこの空間からは出られないしな。 逃げる場所もねーし、コイツのことだから逃げられるんならすでに逃げ出してるだろ」
別の楽観的な意見がメイグスを後押しする。
しばしの沈黙。
メイグスの頬に冷や汗が伝う。
「ま、それもそうか。 メイグス、行っていいぞ。 だがもし俺らの邪魔するなら、真っ先にお前を殺すからな?」
「わ、分かったよ……」
(馬鹿どもが。 せいぜい勘違いしてろ。 俺らなんて泡沫の存在なんだよ。 ちょっとでもできるとか思い上がると、今に痛い目を見るからな)
メイグスは背中に嘲りの言葉を多数浴びながら、脱兎の如くラフィアンたちの元へ。 強者の近くにいた方がまだ安全だと、その判断による行動だった。
それほど時間が経過しないうちに、領主に対する攻撃の弾幕が強まった。
同時期──。
「ニナ、あっちは放置するわけ?」
ニナは何も言わずに歩き続けている。 マリビはそんな彼女の背中に声を投げた。
「まずは生存者の確認から。 現状集まりやすいのはここだから」
エスナの霧に乗じて激戦区から離れたニナたち奴隷区画の一行は、何も残されていない瓦礫の町に舞い戻ってきていた。 ハンターたちの攻撃が加わって激しさを増した戦いに、ニナは赴かなかった。
「よう! お前ら生きてたのか」
ニナが声の方へ視線を遣ると、ワソラを伴ったジギスが向かってきていた。
「そっちは二人だけ?」
「そうだな。ニナの方はそんだけか?」
「ええ。 となると、すぐに動ける戦力は五人ってこと?」
「その認識で合ってるぜ」
ニナ、マリビ、ファバイに加えて、ジギス、ワソラの二人が合流した。
「私たちが向こうに赴いている間、何かわかったことはある?」
「腕輪の縛りで動けなかった連中は、残念ながら全員まるっと領主の魔法に飲まれて消えちまったみたいだな。 その他、町に取り残された中で生き残りは皆無だ」
「犠牲魔法、ね……。 犠牲というものは本来他人に強いるものじゃないんだけど、実際に起こってしまっているのだから仕方ないわね。 でも、少しくらい逃げ出せた人も居たでしょ?」
「まぁな。 途中で日和って逃げた連中もいたけどよ、そいつらもついさっき全員殺されたな
よ」
「えっと……どういうこと?」
「ゼラが生き残りを殺し回ってんだよ。 自分だけは大丈夫と高を括ってた首脳連中?ってのも纏めて全員な。 恐らく、モルテヴァ以南に生存者は皆無だな」
「死んじゃったら、意味がないっていうのにね……。 ゼラも好き放題してくれるわ」
ニナは呟くようにそう漏らした。
奴隷区画としての目的は、奴隷身分からの解放と領主の打倒。 しかしながら解放対象たる奴隷が不在とあっては、ニナたちは一体ここまで何をしてきたというのか。
「今の俺らならゼラも殺せると思うけどな。 どうするよ?」
「どうだろう。 でも、領域からの解放条件が領主殺害だから、ゼラは味方って考えた方が良いかもしれない。 こっちに牙を剥いてきた時は話が別だけど」
「ニナあんた、仲間が殺されたってのに随分無感情よね。 どうかしてんじゃない?」
「私たちは失敗した。 今更それを無かったことにはできないし、挽回できるものでもないでしょ。 だから考えるだけ無駄なの」
「あんたエスナに調教されて人間の心を失ったんじゃない?」
「かもね。 とにかく、優先順位が変わってしまった以上、方針を改めて考えないといけない。 みんな、意見はある?」
ニナが他の面々を見渡すと、各々発言がなされた。
「やっぱゼラはキモいし、殺した方がいいと思うんだけど。 あいつは元々領主の手下なわけだしさ」
「俺もそれには賛成だな。 好き放題してんのが気に入らないよな」
「マリビとジギスはそういう意見ね。 他は?」
残ったワソラとファバイに話題が振られる。
「俺はゼラとも領主とも戦うのは賛成できねぇな。 脱出条件探す方がリスク低いだろうよ」
「まったく、ファバイはいっつも逃げ腰よね。 情け無くないわけ?」
「これだから力に酔いしれてる連中は嫌なんだよ。 雑魚の魔法使いを数人殺せたところで俺らは紛い物には違いねぇっての。 ゼラとか領主とか、俺らと違う本物には遠く及ばないのが分からねぇのか? 無駄に死ぬのは賛成できないな。 ワソラはどうなんだ?」
「確かに、さっき殺した魔法使いも言われてみれば雑魚か。 それだけで強くなったというのは思い違いだったかも」
「ワソラ、あんたは結局どっち?」
「私はどちらかと言うとファバイ寄り。 偽物だとしても、せっかく見出した魔法の力を失いたくない──というより、広めていかないとならない。 これに関しては、エスナを介していたとはいえ私たちが獲得したものなのだから。 それを無駄にするのは、死んでいった仲間に失礼だと思う。 マリビもジギスも、死ぬのなら技能を誰かに伝えてから死んで」
「根性無しを棚に上げてアタイらを否定しないでくれる? 結果で示せばいい話でしょ」
「無駄死にするのが美徳なの?」
「そっちは弱腰が美徳?」
パンッ。
ニナが手を大きく叩いたことで、白熱しようとしていたやりとりが一旦沈静化する。
「話を聞くに、全員が足並みを揃えるのは難しそう。 だからここからは、各自の判断で動いたらいいかな。 残念なことに、守るべき仲間はみんな先に行っちゃったからね。 このうち一人でも生き残れば簡易魔導書の製法は伝えられるわけだし、無理して他人の考えに合わせる必要も無い。 今まで抑圧されていたぶん、ここからは派手にやりましょう。 他に何かなければ解散ということで」
誰からも異論はなく、マリビが悪態をつくこともなかった。 ニナはそれを見て最後の言葉を告げる。
「あと最後に。 ここまで行き当たりばったりだけど、それは仕方がない。 周到な準備をしていた領主の方が先に行ってるわけだしね。 だけど、奴隷区画で培った意志の強さで私たちは負けてないわ。 だから……なるべく死な――」
「うーん、それは難しいと思うな」
「――ああ、噂をすればですか」
割って入る闖入者の声。
ニナの視線を追ってマリビたち四人が振り向くと、そこには複数の切断された頭部を抱えたゼラの姿があった。
ゼラは今まさに仕留めてきた獲物の頭部を晒すことで、明らかな害意をニナたちに向けている。
「あーらら、ちょうどよかったじゃん。 これはもう、ゼラをここで殺しとけってお達しでしょ? ほら、皆でやろうよ」
「勝手に話を進めないでくれる? 死ぬのは自由だけど、巻き込まないでよ」
「ここで逃げたら、アタイがあんたを殺すけど?」
「は?」
ゼラを他所に、元々相容れない間柄だったマリビとワソラが更に険悪なムードへ。
「死んでくれるなら何でもいいんだけどさ。 どうする君たち?」
「つぅかよ、何で俺らがお前に殺されなきゃいけねーんだ? そんな暇があったら領主を殺して来いよ。 それともなにか? ビビってんのか?」
ゼラの威圧を物ともせず、ジギスが挑発で返した。
「別に君たちが憎くて死んで欲しいわけじゃ無いんだ。 ロドリゲスを確実に殺すために、君たちが邪魔ってだけ」
「意味が分からないな」
「うーん、どうしよっかな。 あんまり時間がないんだけど、まぁいいか。 こっちから情報を晒してあげると、ロドリゲスは人間を殺すことで傷を回復できる──謂わば吸収能力みたいなのを抱えてるわけ。 だから雑魚が生きてると、あれを仕留める時に邪魔なんだよね。 どうせ君たちの目的はロドリゲス殺害なわけだし、君たちが死んだとて最終的に僕がやるならそれで満足でしょ?」
「お前が持ってる頭部も、その過程ってわけか」
「そう」
「でも、お前は大きく間違ってる。 俺らがお前と領主どっちも殺して、それで終わりだ。 お前こそ俺らの邪魔をしないように黙って見てろよ。 つうか、自害して消えてくんね?」
「簡易魔導書だっけ? そんなもので何かが変わるとも思えないけど、死にたいというのなら相手してあげよう」
ゼラは右手を差し出すと、そこに魔導書を具現化させた。 ニナたちも、五人それぞれが古ぼけた魔導書をその手に抱えた。
「君たち、実に良い殺意だよ」
「何言ってんだ? とにかくお前ら、やるぞ」
「はぁ……最悪」
ジギスに無理矢理背中を押され、ワソラは彼に恨めしい視線を投げかけつつゼラに向き直る。
「それじゃあ、上級魔法使いたる求道者の実力ってのを見せつけてあげよう。 ──《乱力》」
ゼラの左目。 そこに刻まれた奇怪な紋様の魔法陣が怪しく光を帯びた。
▽
未開域の奥地へ向かっていたハジメとエマ。
「ハジメさん!」
「なんだ?」
「なんかその……やばいっす!」
「えっと、何が!? 具体的に頼む!」
ハジメはエマの抽象的な表現を受けて、思わず足を止めた。
「ハァ……ハァ……ん、えっと……何というか前方から嫌な感じが迫ってて、あの……」
「ごめん、意味が分からん。 前方ってどっちだ? 真正面か?」
「あ、あれっす……!」
エマが前方を指差すが、そこにハジメは何かを確認することはできない。
「……何か近づいてくる気配があるけど、あれなのか?」
しばらく動かずにいると、ハジメの《夜目》が何者かの接近をいち早く捉えた。
「あれって何ですか!?」
「いや、こっちに向かってくる存在があって──」
「違うっす! 赤い壁っす!」
「はぁ!? 何を言っ、て……」
ここでハジメは、迫り来る存在をはっきりと認識できた。 全身を黒く染めた、魔人と思しき姿が一つ。 しかしながらエマが危険視しているのは別のものだ。
「エマ、魔人だ……!」
「魔人の壁? 壁の魔人?」
「おい何を言ってる!? 敵だぞ!」
(ダメだ、エマと意思疎通が上手くいかねぇ……。 というか、壁って何だ……? エマって危険を察知できるんだよな。 だとしたら、俺には理解できない何かを見ててもおかしくは無いわけか?)
話に伝え聞く魔人。 人類を害し、周囲に不幸を振り撒く存在。 しかしながら、ハジメは魔人を見てもあまり驚異を感じなかった。 それは、エスナや魔人となったロドリゲスを見てきたことが原因だろうか。
魔人も素早くハジメたちに迫っており、いずれにしてもここが危険な場所というのは変わりない。
「そんなことより早く逃げるっす!」
「何から逃げるんだ!?」
「壁から!」
「やっぱそっちかよ!」
「あ、わッ!?」
ハジメはエマの手を引いて走り出した。
(エマは魔人を見てるのに、全く言及してこない。 ってことはやっぱり、魔人以上にやばい現象が近づいてるわけだ)
「エマ、抱えるぞ! 《減軽》」
「わ、ちょ!?」
ハジメは魔導書を開いてエマに魔法を付与しつつ、軽くなった彼女を簡単に肩に抱え上げた。
《減軽》は以前の修行中に獲得した魔法で、《重量操作》を獲得したのちに使用することは皆無だった。 しかしながら《重量操作》は他人に付与できない魔法のため、ここにきて使用用途が生まれ始めている。
(ソロ活動なら《重量操作》だけで良かったんだろうけど、これから誰かと行動を共にするなら支援系の魔法も習得しないといけないな。 だが今はとにかく、エマの言う壁から逃げないと……!)
「エマ、背後に何が見える!?」
ハジメはエマのお尻を前に抱えているため、背後の確認は彼女に任せて走ることに集中している。
「え、っと、あの、黒い人と赤い壁が見えますぅ……!」
「黒いのは魔人だ。 でも赤い壁ってのが分からん! もっと分かりやすく説明してくれ!」
「あ、はい、はいっす! なんか流動性があって、木のてっぺんよりも上までずっと続いてます! そんな壁っす!」
「いや、それを壁と言われても……」
そろそろ壁とやらの正体も掴めるだろう。 ハジメはそのような考えで背後を一瞥した。
「いや、壁じゃねぇじゃん! 霧だろ、どう考えても!」
「へ?」
「ってか、魔人怖え!」
エマがしきりに壁と称するもの。 それは白く分厚い霧の弾幕だった。 ハジメは同時に、魔人があまりにも接近していたことに酷く狼狽した。
「あの人は赤くないから大丈夫っすよ!?」
「エマお前、さっきから何言ってるか分かんねぇからッ!」
「そこの人、やっぱりあれってそんなに危険っすか?」
「悠長に話しかけてんじゃねぇ! 敵だし、言葉も通じるか──」
「イカニモ」
「通じるんかい! じゃあもう背後と魔人の相手は任せるわ……」
ハジメは気を取られて転びそうになっていたので、後方の面倒事はエマに押し付けつつ逃げることに集中することとした。
「あたしには赤い壁にしか見えないんですけど、あれって霧なんですか?」
「霧ノ魔竜ガ放ツ息吹ダ。 アレハ、アラユル生命ヲ狂ワセル」
「ハジメさん、魔竜って!?」
「知らねぇよ! 魔人が逃げるってことは相当危険なシロモノなんだろ! というか、普通に会話してるこの状況は何……?」
(この魔人、本当に害がないのか? それとも、この状況から脱した直後に攻撃してくる? 現状、危険度の高さとしては霧>魔人なんだよな。 霧への対処法も考えないといけないし、魔人が攻撃してきた場合にも備えて《歪虚》は待機させとかないとな。 しかしマズいな、そろそろ俺の思考リソースも限界だ……)
ハジメが混乱しながら駆けている間に、魔人が追いついて並走するまでに至った。
「えっと、魔人さんって呼べばいいっすか?」
「個体名“マリス”」
「マリスさん、問題解決のために協力しないっすか? あたしは危ない場所を見分けられるっすよ!」
(なんか随分と人間みたいな名前だな。 それにしてもエマ、自分から能力を明らかにするのはどうなんだ……?)
ハジメはそんなことを考えると同時に、人外相手にも物怖じすることなく会話できるエマに畏敬の念を抱いた。
「個体名ヲ」
「あ、ごめんなさいっす。 あたしがエマで、この人がハジメさんっす!」
「ハジメ、オ前ノ能力ヲ詳ラカニセヨ。 解決策ハコチラデ提示スル」
「はぁ……!?」
(魔人を呼び寄せるって意味で、当初の目的は達せられてるってことでいいのか? やべぇ、また状況に翻弄され始めてるぞ……)
次々に変化する状況。 思考の追いつかない者から振るい落とされてゆく。
本作を読んで「面白い」「続きが気になる」と思われましたら是非ブックマークをお願いします。
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作者の執筆力に繋がりますので、ギモン・シツモン・イチャモンなど、良いものも悪いものもどうかご意見よろしくお願いします。




