第5話 たぶん誰も悪くない
ハジメの部屋で三人とも下を向いてしまっている。
レスカはハジメを不用意に刺激してしまい、ハジメはレスカを傷つけてしまい、エスナはハジメに魔法を叩きつけてしまった。
「ごめんなさい……。 魔法は人に向けるべきじゃなかったのに……」
「あたしもハズメの気持ちも考えずに……」
「……」
これは誰が悪いかという話ではない。 いわばコミュニケーション不足から生じた事故だろう。
(やべぇ、女の子を傷つけてしまった……)
ハジメが顔を上げると、エスナとレスカは未だ地面に体育座りで沈んでいる。
それにしても、とハジメは思う。
(これが人間以外の生き物って考えられないよな……。 傷ついて泣くのも、傷つけられて怒るのも。 彼女らが俺を騙すような人たちには到底見えない)
「えっと……ごめん、レスカ。 傷つけたのは本当に申し訳ない……。 エスナ……さんがびっくりするのも当然だと思う」
それに対する返答をハジメは理解できなかった。 ただそれは言葉だけで、含まれる声色や表情から理解できることは多い。
ハジメに何もかもを見通せるような観察力はない。 しかしハジメが受け取った彼女らの感情は本物だった。
人間は言葉では嘘をつけるが、言葉以外では嘘はつけない。 ハジメはそんなことを微かに知ることができた。
「まぁ、俺は怒ってないので気にしないで欲しい。 レスカに関してはなるべく穏便な形で責任は取るつもりだけど……」
女は殴るな。 親から口すっぱく言われてきたことだ。 その約束を破ってしまったことに、ハジメはひどく心を抉られる。
「お姉ちゃん、ハズメは怒ってないって言ってる気がする」
「言葉は分からないわよ……」
「でも、とっても申し訳なさそうにしてるし、お姉ちゃんに対しても嫌な感情は持ってないと思うよ? 言葉は通じなくても気持ちは通じてると思う」
「そんなこと、分からないわ……。 村の人と一緒で、何を考えているかなんて……」
「……もう!」
「え……!? な、なにするの!」
レスカが強引にエスナとハジメの手を繋げた。
「仲直り! あたしとも!」
ハジメはそれぞれの手をエスナとレスカに接続させられた。 これまでの人生で女子と接触を持たなかったハジメは思わずドギマギしてしまう。 それはエスナも同じだったようで、二人して顔を赤くしてしまっている。
「これでおしまい! 」
「でも……」
「ハズメもいいよね!?」
「────?」
「ぬぅ、もどかしいー」
レスカはハジメの顔面を引っ掴むと、無理矢理にそれを上下に振るわせた。
「ほら、ハズメも良いって言ってる」
「そんな無茶なこと……」
「お姉ちゃんも言ってたでしょ? ハズメが来るって話の時に、家族だって」
「そ、それは……と、友達って言ったのよ」
「だめですー! あたしは家族って聞こえましたー! もうハズメは家族なの!」
「それはこの人に迷惑よ……」
「村長さんにお願いされたんでしょ!」
「それはそうだけど、私は知らない人と一緒なんて本当は……。 男の人だし、レスカも心配で……」
「あたしは家族増えた方がいいー! お姉ちゃんが学校行ってる間とか喋る人いないもんー」
子供のように──子供らしく床に転がって暴れ回るレスカ。
「それはお姉ちゃんにも責任があるけど……」
どうしていいか分からなくてエスナが視線を泳がせていると、ハジメと目があった。 二人の視線はまだまだ転がり続けるレスカに向けられ、 思わずクスリと笑いが漏れた。
「やだーやだー」
「わかった、わかったから落ち着いて?」
「え、わかった!?」
レスカは途端に動きを止めて目をキラキラさせている。 エスナが了承するまで暴れ続ける腹づもりだったのだろう。
こいつめ、とレスカは思う。
しかし相手を見抜く目を持ち合わせているレスカがここまで言うのなら、恐らくは大丈夫なのだろう。
「今回だけ、よ? 今みたいに暴れても、今度は甘やかさないからね?」
「はい!」
「返事だけはいいのよね……」
「じゃあハズメ、今から家族だよ!」
「────?」
言葉は分からないが、暗かった雰囲気がレスカの行動によって霧散してしまったことはハジメも理解できた。 誰も恨みなど抱えていない。 それが分かっただけで、ハジメの全身を固めていた緊張感がスッと和らいだ。
「へっくしょんッ!」
「「!?」」
ハジメは気が緩んだためか、派手にくしゃみをしてしまった。
そういえば、エスナから浴びせられた大量の水で室内はびしゃびしゃだ。 ハジメは全身が濡れそぼっているし、彼女らに関しても例外ではない。
ハジメはふと彼女らの体が気になった。
水に濡れたせいで彼女らの体のラインがくっきりと浮き出てしまっている。 エスナは身長の割にはそこまで膨らみは大きくなく、むしろレスカの方が……という感じだ。 その膨らみの先には、当然あるべきものが──。
(──ある! や、やばい……! これは精神衛生上良くない! )
ハジメは寒さも忘れて熱った頭を振り、別のものに意識を移す。 その様子をエスナが特に訝しげに見ているが、これ以上ハジメがおかしな行動をすればこの雰囲気はぶち壊しだ。
ハジメは勢いでそれを指差した。
「な、なに……?」
エスナは怯えながらその指差す先を追う。 するとその終着点はエスナの右手の甲で止まっている。
「これ、が珍しいの?」
ハジメはコクコクと頭を激しく上下させた。
「ハズメも魔法使いたいのかな?」
「分からないけど、まずは着替えない?」
「たしかにー」
この状態を放置していれば全員風邪を引きかねないし、部屋もカビてしまうだろう。
「お父さんの服がどこかにあったかな」
「お部屋も掃除しないといけないねー」
「ハズメ、待っててね」
間一髪、ハジメに安寧が訪れた。 あれをずっと晒されていたら、ハジメはどうにかなってしまっていただろう。
「これ着ていいよー」
ハジメがしばらくグショグショの衣類に耐えていると、レスカが着替えを持って来てくれた。 彼女らとさして変わらないデザインで、麻でできた甚平のようなものの上下セットだ。 肌を通すとややチクチクするが、この村──いや、この世界で上等な衣服など期待できない。
鏡がないため、着こなしはレスカに確認してもらう。
「似合ってる!」
ハジメはそんなことを言われたのだと思い、満足そうに頷いた。 レスカも笑みで返してくれている。
濡れてしまった衣類や布団などを運びながら、ハジメは慣れない会話を続ける。
エスナからハジメへの嫌な視線は無くなった。 ただ、ハジメがレスカとはしゃいでいる時は少し心配そうな視線を向けているので、恐らく妹を放っておけない性質なのだろう。
家の裏に急いで干すべきものを干し、その様子を眺める。 まずは様々なものを観察し、時には二人に追随する形で、ハジメはこの世界での生活様式を学ぶ。
「ハズメ、──。 ────?」
ハジメはレスカに言われるがままに鍬を振り下ろした。 勢いが付きすぎて、ざくりと刺さるだけでなく多くの泥が周囲に散布される。
「あ、ごめん!」
「──。 ──、──?」
レスカはあまり気にすることなく、根気よく色んなことを教える。
ハジメはこの世界に先日産まれたばかりの赤子も同然。 農具の振るい方も、料理の仕方も、ましてや祈りの方法も知らない。
レスカがここまで良くしてくれるのは、何もできない弟ができたような感覚だろうか。 そう思うと、ハジメは少し情けなくなる。
(一週間暮らしてみて分かったことだけど、不便だよな……)
言語は当然そうなのだが、それ以上に生活の至る所に無駄が多すぎてハジメは辟易とする。 現代人からすれば、あらゆるものは短縮され、削減され、最もコンパクトな形で提供されるのだから。
火を起こすのだって、火打ち石に加えて木枝や藁などの燃料が必要だ。 一つの物事に関して複数の手段を経由しなければならないことがハジメには我慢ならない。 とはいえ、エスナとレスカは文句言わずに全部淡々とこなしているのだからハジメは何も言えない。
(不便といえば、まずこの家の場所がな……)
エスナとレスカの家は村から大きく外れていた。 周囲には田畑が多いし、森も近い。 田畑の中心に家が建てられているという方が正しい表現かもしれない。 しかし不便さを最も象徴する現象は別にある。
(なんで村人はこうも冷たいんだ……? 徹底的に二人を無視してるし。 まぁそれは俺に対してもなんだけど)
エスナやレスカは事あるごとに村の中心へ赴くだが、村人連中からの好意的な接触は無い。 厳しい口調で何かを言われてばかりだ。
そんなに人も多くない村なんだから、助け合うのが当たり前だろうに。 ハジメはそう考えている。
(女の子二人が村の外れでひたすら労働させられて、そこに違和感はないのか……?)
ハジメは姉妹が誰かと遊んでいたり楽しげに話しているところなど見たことがない。 常に何かしらの労働に従事している。 当然、姉妹に付いて動くしかないハジメも日々の生活に変化が無い。
「ハズメ、──?」
「行く」
エスナが居ない時はレスカが率先してハジメを色々な場所へ連れて行ってくれる。 それでも村の方へは連れて行かれたことがない。
毎朝早く起きて朝食ののち畑を耕し、森に入っては薪木になりそうな木を伐採し、場合によっては薪割りだってやる。 それを毎日、日が暮れるまで行う。
三人で夕食を摂ったら、チューの木枝で歯磨き。 整容を行って泥のように眠る。
ハジメの体には未だアザが多く痛みもあって動かしづらい。 また筋肉痛もなかなか取れやしないので、ハジメは自分の体の弱々しさを呪うばかり。
(二人は寝た、か……)
エスナとレスカが就寝すれば、ここからようやくハジメの時間だ。 足音を殺しながら家を出る。
行き先は農具を置いてある納屋。 そこで薪割りに使用している斧と鍬を取り出すと、それらを抱えて畑の方へ。 周囲の森が少々不気味だが、ここくらいしか誰かに見られずに動き回れる場所はない。
「よし……。 今日は100回を目標に……」
ここ数日で始めた筋トレ。
長さのある鍬を抱えてそれを振り下ろしながら、目の前で真っ直ぐに止める。 そのまま再度振り上げ、腕を休めずにどこまでできるかの持久力を付ける。
これは単純に筋力を増やしたいという意図から行っているもの。 とはいえ100回連続の振り下ろしなど夢のまた夢なので、できる範囲で数を増やしていく。
「ッ……はァッ……はァッ……」
ハジメは上半身裸で地面に横たわって息を吐いた。
ハジメは最近ようやく、汚れることへの忌避感が薄れてきた。 畑作業の初日こそ土が付くだけでも嫌な気分になったが、毎日汚れていると気にもならなくなってくる。 自分以上に汚れるレスカやエスナを見ていれば、それも当然のこと。
手洗いもそう。 排泄だってそう。 水があるから汚れを落とせているように感じるが、日本の衛生観念で生きていれば全て無意味なものだ。 どれだけ洗ってもある程度が関の山なのだから、逆に気にしない境地に達したわけだ。
「……よし、次だ」
ハジメは次に斧を持ち上げ、限界が来るまでただひたすらに振るい続けた。 これは武器としての扱いを習得する意図によるものだ。
この世界には、どこに危険が潜んでいるか分からない。 だからこそ、いざという時のための手段は必要だ。 その考えの結果が、斧を振るうことにつながっている。
あらゆる武術などに心得がないハジメに、決まりきった型などない。 横に、縦に、時には斜めに。 漫画などで見た動きを想像してがむしゃらに身体を動かす。
(ふぅ……そろそろ終わるか……)
この特訓も、気づけば四日目だ。 少なくとも三日坊主にはならなかった。 なぜなら、そう──知らない世界を生き抜くという明確な目的があるから。
村での姉妹の扱いを鑑みると、彼女らが何か困っても誰も助けないだろう。 病気をしても、怪我をしても、誰も手を差し伸べてくれはしない。 だからハジメは、自分を鍛えて彼女らの手助けをしようと考えている。
(帰れることなら帰りたいけど、ここは地球とは別の世界だろうしな……。 恐らく俺は、ここで生きて死ぬ)
帰りたい理由があるとするならば、楽な生活がしたいから、これに尽きると思う。 それ以外の理由は、ハジメには特に浮かばない。
ハジメはこれまでの人生で特別な関係性の人間がいなかった。 だからこそ、ここで得た縁を切りたいと思わない。
(ここで生きてると、日本がいかに安全かが分かるんだよな。 自分がいかに恵まれた環境に居たかを思い知らされるな)
ハジメは背後に気をつけながら我が家へ戻る。
ここが地球ではないと確信したあの日から、ハジメは今でさえ完全に気が休まったことはない。 それでも、気を休められるかもしれない居場所ができた。
(日本に居たら俺の人生は無為に終わっていた。 ここに来たのは、俺の人生にとって大きな意味があるはずだ)
ハジメはポジティブ思考を保ちつつ、荷物を返却してから桶に水を汲んで裏庭へ。
「ひゅー……冷てぇええ……!」
ハジメは小声ではしゃぎながら、全身を水で濡らす。
ハジメは地球で唯一惜しいものがある。 それは風呂だ。 あの至福の時間だけは何としても取り戻したい。 しかしその手段がこの世界にあることをハジメは知っている。
「魔法。 なんて厨二心を刺激する響きなんだ……!」
ハジメは魔法をその身に受けたその時から、この世界に期待していた。 魔法が存在するという事実だけでハジメの心は踊った。
(何としても欲しい……。 そのためなら何だってやってやる)
ハジメには明確な目標ができていた。
魔法があれば生活を豊かに出来るし、身を守る手段にだってできるはずだ。
(目標を明確にしておくか)
言語の習得、これは不可欠。
身体能力の向上は、日々の労働と特訓で補っていく。 そのためには適切な栄養価を維持した食事が必要だが、獣を狩るならそれなりの肉体能力が必要になってくる。 狩りの経験があるかどうかレスカあたりに聞いておくのが良いだろう。
魔法の習得。 これはエスナに聞くしかない。
(まずはエスナと打ち解けないとな……。 あの魔法陣を見て彼女の手に触りまくったのは失敗、というよりセクハラだったからな……)
あんなにドン引きされた視線を受けた経験はハジメのこれまでの人生経験ではない。 場合によっては投獄もあり得たはずだ。
(魔法陣があって、魔導書があって、未知が広がっている世界。 テンション上がるなぁ……)
ハジメは汗を流し終え、家に戻る。 音を立てずに部屋に入り、眠りにつく。 そんな様子をエスナはこっそりと観察していた。
(レスカは信用してるようだけど、まだ何か隠してるかもしれないから要警戒よね)
村長からの指示があるため、エスナはハジメの出自などを知らねばならない。
たまたまハジメが夜中に歩いていた、というのは無理がある話だ。
ハジメの話す言語は明らかに異国のものだし、こんな辺境までどうやってやってこれるのかという疑問も湧く。 それ以上にハジメは何も知らない様子。 というより、何も知らされず生きてきたと言うべきだろう。
畑作業も料理も、人として最低限生きていくだけの術を持っていない。 それはつまり、ハジメ以外の誰かがそれを担っていたということ。
(クロカワとかいう家名があるのよね……。 少なくとも町や都市に籍を置くことのできる上級国民には違いがないはず……。 身分を偽るなら家名なんて名乗らないわけだし、どうにもチグハグ……)
エスナが初めて見た彼の手は綺麗すぎた。 彼が着ていた服も素材の想定が不可能なほどには高級な仕上がりだった。 靴も、衣服も、筋肉のつき方も、肌も、全てが彼女ら最底辺の農民と異なり過ぎている。
(やっぱりどこかの貴族……?)
しかしハジメは貴族にありがちな魔法技能を持ち合わせていない。 エスナはハジメの肌を盗み見たが、目立った場所に魔法陣は形成されていなかった。 下着に隠れている場合もあるので確定はできないが。
(それなら私の魔導印に興味を示さないはず……? 分からないわね……)
ようやく幕を開けたハジメの新生活だが、そこには未だ言葉の壁が高く聳え立っていた。
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