化け物はケタケタと笑う
「ニック、動けるか?」
俺がニックに駆け寄り己の役割を果たそうとしている頃、その背後では既に戦いが始まろうとしていた。
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「さて、どうする? エミーシア」
「私も実際に目にするのは初めてだから……。
むしろ、あなたの方がやつ等については詳しいはず。戦略は任せます」
「了解した。が……、私が遭遇したものとは大分、様相も違うようだ……」
目の前で発している異様な空気感は同じ。
「ナンダナンダ? なにかアソブ? アソブ?」
けれどこの、覚束ない言葉、ふらふらした足取り。
自分が目にしたタイプとの明らかな違いがそこにはあった。
孵化したばかりで、言語知能や身体機能がまだ成長しきっていないのか……。
であれば、今が一番の勝機でもある。
1分、1秒あれば、奴等は急速に成長してしまう。
自分は一度遭遇したことがある、そのことがエイダにとっての僅かな自信へと繋がっていた。
「あいつはまだ生まれたばかりで、成長する前の初期段階なのかもしれない。
少なくとも、私が遭遇したタイプよりは知能も、身体も仕上がってはいない……と思う」
「つまり……今殺すのが最善だと」
「ああ、私としてはそう判断する」
そもそも、ここで逃げ帰るという選択がなかったことも事実だ。
背後にはマサシとニックがいる上に、ここで奴を取り逃がすということは、汚染物質をこのフィールド外に解き放つということになってしまう。
そうなってしまった時の悲劇を、彼女は誰よりも知っていた。
「では、どうやって切り込みましょう」
「あいつが動くのを待っていては、時間の経過とともに成長が始まってしまう可能性がある。
私としては初手から一気にケリをつけにいくのが最良だとは思う……が」
「相手の動きが分からない内に、こちらから手を出すということはリスクも高い……と」
「ああ……」
その後お互いに思案し、次に言葉を発したのはエミーシアだった。
「その作戦でいきましょう。
相手の動きを待っている内に逃げられても困りますし、何かあった場合は、私がどうにかします」
そう、ふわりと口元に笑みを浮かべながら、まるでこれから午後のお茶会でも開くかのように優雅に語り掛けてくる。
そのエミーシアの様子に、エイダは安堵した。
自分よりも、守護剣聖としての年数も経験も格段に多い彼女の言葉は、不思議な説得力があった。
それに鼓舞されるようにエイダは言った。
「では、先ほどと同じように左右から切り込もう」
「はい。ご武運を」
「エミーシア、あなたも――――」
それを最後のやり取りとして、エイダとエミーシアは不明瞭な敵へと立ち向かっていった。
「ニヒヒヒヒ、ニヒヒヒヒ。アソボアソ」
その拙い言葉が続く前に、両側から渾身の一撃が繰り出された。
右側からは、一寸の煌めきを放ちながら地面と平行に、エイダの槍による突きが展開される。
左側からは、静寂さの中に鋭さを潜ませながら地面と垂直に、エミーシアの刀による抜刀が展開される。
どちらも、敵のその頼りなくも不気味にぶら下がる腕を両断するように――――。
「フレイム・トラスタァァァ!!」
「光月転輪――」
左右から響き渡る声を聴きながら、紫色の頭髪はケタケタと笑っていた。
蔦のように揺らめきながら2本の腕が宙を舞う。
相手が何も出来ないその隙に、左右から胴体目掛けた2撃目が繰り出される――――。
エミーシアとエイダ、2人のタイミングは完璧だった。
ただ、2人の頭の中に、この不気味な化け物が異常なほどの跳躍力を持っているという知識がなかっただけ。
たったそれだけのことで、2人はこの化け物に決定打を撃てずに逃げられる。
紫色の頭髪をなびかせながら、その化け物は空を翔けた。
まるで重力というこの世界のルールに逆らうように、自由自在に空を翔け、そして着地する。
着地したその場所は――今まさにマサシとニックが向かっていた、大蜘蛛の棲み処の出口だった。
「ニヒヒヒヒ。ニヒヒヒヒ」
化け物は笑う。
それは何かが楽しくて笑うのか、それとも特に理由もなく笑うのか。
恐らく本人にすら、分かってはいなかっただろう。
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俺はエミーシアさんに言われた通り、萎縮し身動きがとれなくなっていたニックを何とか立ち上がらせようとしていた。
「ニック! ここから逃げるぞ!」
「あ、あぁ……」
ニックは今目の前で起こった出来事が理解できず、意識が混濁してる様子だった。
「ニック! ニック! 分かるか? 取り合えず立つんだ!」
「あ、うん。分かった……」
無理やりニックを立たせ、手首を掴みながら出口へと走ることにした。
エミーシアさんとエイダの状況がどうなっているか、走りながら横目でちらりと見てはみたものの、その光景が視界に収まることはほとんどなかった。
彼女に言われたこと、ニックと2人でこのフィールドから出る。そのことにだけ集中する。
「約束……したんだ。約束……」
そんなことをぶつぶつ言いながら夢中になって走っていたせいだろうか、それとも余りの静かさに、その忍び寄る足音に気付かなかったせいだろうか。
頭上から影が降り注ぎ、その異変に気が付いた時――――
そいつは俺の目の前に立っていた。
「ニヒヒヒヒ。ニヒヒヒヒ」
「あ――――……」
俺が、声にもならない音を発した瞬間、
「その人に手を出すなああああああ!!」
そう叫びながらエミーシアさんが、普段の冷静さとはかけ離れた様子でこちらに猛進してくる。
目の前で笑うことしかないしないそいつは、エミーシアさんが来るのをただずっと待っていた。
「マサシ、後ろに下がって」
エミーシアさんは辿り着くと直ぐ、俺に背を向け冷たく言い放つ。
あの時向けてくれた笑顔、いつもの穏やかな佇まい、それが今の彼女には微塵も感じられなかった。
そんな彼女の雰囲気に気圧され、言われるがままに2,3歩後ろへと下がる。
「ンー、ンー、オカシイ。オカシイな。それが、だいじなんだナ? だいじなんだナ!」
眼前に刀を構えながら、彼女が答える。
「だとしたら、何だというの?」
「ニヒヒヒヒ。おもしろソウダ! それ、おもしろソウダ!」
まるで、最初から崩すことを目的として積み木を積み上げるように、心底愉快な笑みを浮かべながら、紫色の頭髪をした化け物は言った。
それは、初めて化け物が自分以外のものに興味を示した瞬間だった。
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