大蜘蛛との戦い
「さて皆さん、準備は万端ですか? 大蜘蛛を倒し慣れているとはいえ、油断は禁物です。奴は大きな体躯の割に動きが素早いので、背後を取られないよう十分に警戒してください。
基本としてはこれまでの道中と同じ陣形で、私とエイダが攻撃を行い、マサシくんとニックがその援護を行うことを互いに徹底して挑みましょう」
と、まるで先生が生徒を心配するかのように、確認を取るエミーシアさん。
というのも、大蜘蛛の棲み処へと繋がる入口が、もう既に俺達の目の前に出現していたのである。
その入り口は蔦なのか、それとも糸なのかよく分からないものが上部から垂れ下がっており、奥への視界を完全に遮っている。
中に入ってみるまでは、状況はよく掴めないだろう。
いくら何度か倒したことがある大蜘蛛とはいえ、毎度毎度同じ状態で遭遇するわけではない。足場が悪い所で遭遇すれば、倒す難易度は格段に上がる。
俺は、自分の身を引き締めるために拳を強く握りしめた。
「それでは、行くぞ」
エイダのその言葉を合図に、大蜘蛛の棲み処へと足を踏み入れる。
少し薄暗いトンネルのような通路を抜けると、視界が一気に開けた。
そこには――――――――
辺り一面。白い糸が張り巡らされていた。
よくよく見ると、糸には大蜘蛛の食事として消費されるのであろう、生き物たちが捕縛されている。
生きているのか死んでいるのか、ここからではよく分からなかったが、力尽き身動き一つ取らないその様子はまるで壊れた玩具を連想させた。
「ぼーっとするな。奴が来るぞ!」
エイダの声が辺りに響き、我に返る。
音もなく忍び寄る大きな影。
それは、影などではなく――とても大きな大きな蜘蛛だった。
「行きます。援護をお願いしますね」
冷静に言い放ち、後ろを振り返ることなく突進するエミーシアさん。
その後に続くエイダ。
「はい!」
力強く答えた俺のその返事は、2人に届くことはなかった。
ここに辿り着くまでの道中で効果が切れてしまった『アタック・エイド』と『ディフェンス・エイド』をかけ直す。
少なくともあの時よりは、この補助魔法も役には立つだろう。
――それ以外に何もできない自分が、少しだけ歯痒かった。
大蜘蛛は、俺達4人全員を合わせても足りない程の大きさをしていた。
その大きな体躯に、一気に詰め寄る2人――――。
やはり、2人は凄かった。
それは武器を使って戦う強さのことだけではない、素早く動く大蜘蛛に匹敵してしまえる俊敏さ、大蜘蛛の動きを即座に封じてしまえる判断力。
「エイダ右側をお願い。私は左側を」
「了解」
阿吽の呼吸で、左右に4つずつある足を瞬時に切り落とす。
こうなってしまった大蜘蛛は、もはや最期の時を待つただの塊に過ぎなかった。
「止めは私が――――」
エミーシアさんはそう言って、柄を持ち替え刀身を大蜘蛛の頭へと突き立てる。
ブシュッ――――――――。
その鈍い音と共に、大蜘蛛は動きを停止した。
「終わ……った、のか?」
と、それまで援護射撃に集中していたニックが声を出す。
「あ、ああ、終わったよ!」
俺はそれに促されるように喜びの声を上げた。
それが、全ての始まりだったとは、露ほども知らずに……。
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俺のサポートなどあまり役には立っていなかった気もするが、純粋に、今目の前で起こった出来事に興奮している自分がいた。
俺と同じチームにいる人間が、俺と一緒にパーティーを組んでいる人間が、最後の一刀まで息を呑むほど美しい戦い方をしていた。その情景をただ見ているだけだった自分すらも、その瞬間、接敵していたのではないかと錯覚してしまえるほどの臨場感。
――――俺は、その臨場感に溺れ、一歩、また一歩と2人へ近づいていく。
「来るな!!」
今まで聞いたこともないような、張り詰めた声をあげるエイダ。
そこで、現実へと引き戻された。
「なっ、どうしたんです!?」
「いい? よく聞いて。マサシくん。ニックを連れてここから逃げて」
エミーシアさんがいつもの穏やかさとはかけ離れた、冷たい透き通るような声で言い放つ。
「逃げるって……一体どこまで……」
「どこまででも。このフィールドから離れれば安全だから」
「で、でも2人は……」
「我々は大丈夫だ」
そう言い切るエイダ。
「そんな、急に……。でも……やっぱり、2人を置いては……」
「分からないか? ここから先、君たちは足手まといなんだ」
足手……まとい…………。
その言葉が頭の中で繰り返される。
俺はそこで、分かったと返事をすることも、そんなことはないと言い返すことも、どちらも出来なかった。
そんな煮え切らない俺を他所に、状況は刻々と変化を始める。
――――メキッ。
――――メキメキメキッ。
――――バリッ。
最後の音を皮切りに、そいつは姿を現した。
そいつは、どこからともなく出現したわけではない。
そいつは、先ほど2人が倒したはずの大蜘蛛の体内、もはや塊に過ぎないその場所から、突如姿を現した。
体内から外皮を無理やり突き破り、頭部、背中、そして手足が不規則に出てくる。
いや……出てくる、というより――――それは、生まれるという表現の方が正しいだろう。
おぞましさを孕ませた紫色の頭髪。蔦を連想させるほど細く、長い手足。
そいつは――――人間の形を成していた。
「孵化が始まってしまった」
エイダのその声色には、絶望を感じさせる響きが混じっていた。
「大丈夫。まだ大丈夫よ。落ち着いて対処しましょう」
エミーシアさんが答える。
一体何が起きているのか理解することも出来ず、目の前にある恐怖に硬直してしまう。
「ニヒヒヒヒ。ニヒヒヒヒヒ――――」
そいつは、笑った。
「アー、アー、うまい。ソトノクウキはうまい。ソトノクウキはうまい。ソトノクウキはうまい。アー、アー、うまい。ソトノクウキはうまい。ソトノクウキはうまい。ソトノクウキはうまい」
まるで壊れた玩具のように、何度も、何度も、同じ言葉を繰り返す。
虚ろな足取りで、一歩、二歩、三歩とこちらへと近づいてくる。
こいつは……違う。
大蜘蛛なんかとは比較にならない。こいつの中には、異常なものしか含まれていない。
俺の頭の中で警鐘が鳴り響く――――。
その警鐘を打ち消すかのように、
「マサシくん! マサシくん! しっかりして!!」
エミーシアさんの声が辺りに響き渡った。
「え? あ、はい」
「あなたは大丈夫。あなたは足手まといなんかじゃない」
「でも、俺なんて……」
肌で感じ取れるほどの恐怖に、足を動かすことすら出来ない俺なんて……。
「私は知ってる。あなたはとても強い人よ――――。
だから今は逃げて。お願い……マサシ」
あれ? エミーシアさんが俺を呼び捨てに……と、そんな些細なことが気になった瞬間。
俺の体は、従来通りの動きを取り戻していた。
「分かった! ありがとう。エミーシアさん」
そうだ。少なくともせめて、彼女に託された己の役割だけでも果たさなくては――。
俺は、混乱からか恐怖からか、動くことも言葉を発することも出来ていないニックの元へと駆ける。
その背後に立ち込める不穏な空気を打ち消すように――。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
これから怒涛の展開、の予定です(笑)