定時
「ねえもう夜だよ、明日学校だよ」
昼頃に帰って来たと思えば、部屋に引きこもり、何も言わずにベッドで寝転がっている。
「へそを曲げるのは、子供のうちにやってもいいことだけど、普段の貴方の態度からすると、面の皮が厚いという部類の人間に入るんじゃないかしら」
普段は周りの人間に、子供だとかガキだと思いながら馬鹿にしてる癖に、いざという時になるとひねてしまう。
「うるさい!」
時計を投げつけ、ドアに当たって壊れた。
「そうやって癇癪を起こすのはとても良くない」
「もうほっといてくれよ!どうせ」
「どうせ僕は駄目だ、でしょ。本当に意気地無しだね」
悠牙は頭に血が上り、机の上のハサミを自らの首へと当てる。
「面白い、そのなまくらで大切に惜しんで来た命を絶つと言うなら、止めはしない」
「人には誰しも生きる権利があるし、死ぬ権利がある。だけど、死ぬ気もないのに死のうとするのは、傲慢で冒涜的な考えだよ」
格好だけつけて、結局何もできやしない。
1つも良いところが思い付かない、馬鹿で間抜けな男、それが私なのだ。
「って考えてるんでしょ、ほんと子供」
ハサミを払いのけ、頬を叩いて襟を掴んだ。
「一度ぐらい、ヘラクレスの選択をして見たらどうだ!」
ヘラクレスの選択……昔何かの映画で聞いたことがある気がする。
敢えて困難な道を選ぶという、ギリシャ神話の話だ。
「大人になるっていうのはね、酒が飲める事でもタバコが吸える事でも、女を抱けるようになる事でもない。責任を取れるのが大人になることなんだよ」
竹子は悠牙の手を掴み、じめじめとした夜へ飛び込む準備を始めた。
「さぁ、行こうぜ!」
自分よりも男らしい竹子に、思わず惚れてしまった。
そこからは結構早かった。
押し倒した彼女の家へ出向き、菓子折りを持って謝罪した。
最初は困惑されたが、今時こんな真面目な子は居ないと、相手の親御さんからも褒められてしまった。
「一歩踏み出してみたら、案外怖くないもんだよ」
「うん、そうだね」
人に謝れる人間になれた、それだけで大きな進歩だ。
自己嫌悪、その感情がちょっとだけ薄れた気がした。
そして初めて、自分を愛し愛してくれる人を見つけた。
「それじゃあ、もう一軒お礼参りに行こうか」
そう言って彼女は、自分を殴ったクラスメイトの家へ歩き始めた。
暴力性を秘めた目で。
東京都 16:30にて
「我々は定時の会である。今からあなた方の本社ビルを爆破させて頂きます」
「は?」
電話を取った受付係は、相手が何を言っているか分からなかったが、直ぐに爆破予告だと理解した。
2時間後…
「えー先ほど爆発が起きた現場です!警視庁からの発表はありませんが、今のところテロとの見方が~」
大手からネットニュースの連中まで、もう日も暮れるというのにざわざわとやって来た。
辺りは報道機関と野次馬で埋め尽くされ、規制線の内側では科捜研やら鑑識がパシャパシャとカメラと薬品を使い、様々な部署の人間が詰め掛けていた。
公安も勿論いるが、1人場違いな女が紛れていた。
「なんでお前が居る?筋が違うだろ」
警視庁公安部 外事課の羽黒は、同期で別部署の内田に詰められる。
「私もそれが知りたい、上からの命令」
「ほーん、なら外国人テロリストがやったとでも?」
「それを調べんのが、あんたと私の仕事」
狙われたのはエレクトロセキュリティ、IT系の企業で巷ではブラック企業として有名だった。
犯行声明を行った後、社員全員が退避したのを見計らってから爆破した。
爆破から1時間後には、厚生労働省のホームページがハックを受け、定時の会と名乗る組織の声明文が載せられた。
我々労働者は限界に達している
国は企業へ外国人をもっと雇えと圧を掛け、低賃金で働かせるのはまさに現在の奴隷制度である
日本人からだけ税金を毟り取り、我々もまた奴隷のように働かされている
これは労働者達の怒りである
この現状を維持して私服を肥やす企業を
この現状を見て見ぬふりをする政治家を
この現状を改善しない愚かな国家を
我々は許しはしない
定時の会より
「社畜が考えた文章みたいだ、笑える」
「……………うん、なんで私なんだろなぁ」
どう考えても、これは国内の事案だ。
外事課の出る幕ではない。
羽黒は眼鏡のレンズを拭き、アスファルトに描かれた白線を見つめながら耳に掛けた。
もう太陽がてっぺんに昇っていないというのに、冷房を入れていないサーバー室のように暑い。
夏に備え美容室でショートカットにした髪ですら、鬱陶しく感じる蒸し暑さだ。
「もう行く、何か分かったら連絡頂戴」
「うい」
羽黒は現場を離れ、コンビニで緑茶とおにぎりを大量購入すると、立体駐車場の隅っこに停められていた8人乗りのファミリーカーに乗った。
「何か情報は?」
「何も、そもそも私は外事課で管轄外ですから」
「だもんな、アルファ01から全隊へ、巣に戻るぞ」
何故陸自の機密部隊に、公安の刑事が付いているのか。
それは、その更に上からの指示と思惑があったのだ。
5ヶ月前……陸上自衛隊駐屯地にて
「合同訓練とは好都合ですな、これならコソコソ密会しててもそこまで怪しまれない」
自衛隊と警察の合同訓練の最中、警察庁長官と防衛大臣は、如何なる通信も傍受も許されない部屋に座っていた。
「前置きは無しにしましょう。今日ここに集まったのは、最悪のシナリオに備える為です」
手を後ろに組み、飾られている富士山の絵を見る防衛大臣は、険しい表情を浮かべていた。
国内の反政府組織によって難民が一斉決起し、日本全土で暴動が起きるという現時点では荒唐無稽なシナリオだった。
「この文章がマスコミに漏れでもすれば、大臣の首が2、3個飛びますな」
今世間は、過剰なほど差別を嫌っている。
差別を嫌い過ぎて、逆にヒステリックになりかけている。
難民を万引きでしょっぴけば人権団体から叩かれ、国の政策が悪いと批判される。
武器を隠し持った人間が暴れる可能性を考えること事態、人道的ではないらしい。
「今年だけで警察官が60人殉職している。このまま警察だけで対処が出来るとは思えない」
「ならそちらで人員や装備でも何なり、増強するとよろしいのでは」
「今の弱腰総理が、野党からの批判を受け流しながら予算を通せるとお思いですか?」
事なかれ主義で知られる木ノ下総理は、党内ではハト派で有名な人間だった。
「例え予算を通したとしても、警察の軍隊化とマスコミに叩かれて白紙に戻るのが落ちです。それでは遅すぎます」
「我々はどう言葉遊びをしても、軍事組織でありますから、シビリアン(文民)の指示がなければ動けませんぞ」
「それを言うなら、貴方だってシビリアン(政治家)じゃありませんか。動かせる力はある筈ですよ」
「しかしなぁ、この計画が露見すれば、首を飛ばされてそのまま吊られかねんよ」
「今更それがなんだって言うんだ。国が滅ぶよりはマシだ」
官房長官の顔は、反逆者としての一面を映し出し、拳を握る手は、反逆の責任を負う者として震えていた。
「そこまでやるか……何故だ?何故そこまでやる?」
「少し前、息子がバングラデシュで死んだ。難民と政府軍の交戦に巻き込まれて」
出来の悪い子で、理想論ばかり口にしていた。
息子は正義感からか、私への当て付けかは判らないが、家を飛び出し難民支援のボランティアに勤めていた。
世の中を変えたい、そう意気込んで南アジアの誰も知らない土地で死んだ。
大学へ行く途中の車の中で、毎日デモ隊と警察の衝突を見ていたからかも知れない。
だから息子は正義感を拗らせたのかも知れない。
「私はね、理想論を語る馬鹿な青二才でも、生きてられるこの国が好きなんだよ。馬鹿な息子が、義憤に駆られて親よりも早く死ぬのは御免だよ」
「…………………公安の監視を緩くしておけ、敵の殲滅には陸自の特戦を使う」
警察と自衛隊には、決定的な違いがある。
警察が相手を逮捕し、更正の機会を与えているとするなら、自衛隊は国土を守る為ならば、相手がどんな善人であろうとも殲滅することにある。
「難民を焚き付けて、革命家を気取る組織を秘密裏に潰す事が、私の考える治安維持だ」
マスコミにも人権屋にも、国民にも官僚にも感知されない。
本来動いてはならない部隊を独断で動かし、ブラックリストに載っている団体や人物を消していく。
1つの武装組織が誰の監視もなく行動できるというのは、言わば手綱一本で、いつ暴走するかも判らない暴れ馬に乗るようなものだ。
反乱、もっと俗っぽく言い換えるならクーデターすらも可能な状態なのだ。
上手く行けば、我々の行動は歴史に残らない。
失敗すれば、100年後の教科書に日本の汚点として記録される。
賭けだ。
これは賭けに他ならない。
潮外市にて
「はぁ~疲れた」
同じ学校の知らない奴に突き飛ばされ、腹を立てて帰ると謝罪をしにやって来た。
気持ちが上がったり下がったりで、何だか眠れなかった。
「……トイレ」
ベッドからもぞもぞと起き上がり、部屋を出ると、知らない男と出くわした。
「わっ!」
「あっどうも、室外機の点検です」
一瞬驚いたが、その後ろに母親が懐中電灯を持って立っていた。
そういえば、エアコンが壊れたから修理の人が来るって言ってたかな。
「奥さんこの部屋ですか?」
「あーはいはい、ここです」
「すみませんこんな夜分に、少し大きな音がするのでうるさくなるかもしれません」
「はぁ」
空返事で返答するが、内心嬉しくあった。
幾らうるさくなっても、この暑さの前では寝ようにも寝られないからだ。
便座に座りながら携帯を取り出し、友達へメールを送る。
20:21
エアコン修理明日だったのに今日来た
良かったじゃん
でも来たやつ動き気持ち悪いから早く帰って欲しい
どんな風に?
手首の動きがテクニカル
ガンッゴンッと何か大きな音が聞こえる。
「何時頃終わるのかな?」
用を足し終わり、自室に戻ろうと血が溢れまぶたが途端に重くなる。
「あ゛う゛」
まぁ察しの通り、私が犯人な訳だ。
映画でもドラマでも漫画でも小説でも、作者が隠そうとして隠しきれていない犯人は滑稽に見える。
この場合、私がそうだ。
ついこの間、一家惨殺を行った直後だと言うのに、また同じ地域で事に及べば、当然連続した事件だと思われるだろう。
私が捕まるのは時間の問題ではあるが、この物語の場合優先されるのは事件の過程であり、結末ではない。
階段で死んでいる父親の死体を踏み越え、洗面台の歯磨き粉をうがいコップに出し切り、自分のモノを突っ込み出した。
この行為に特に意味はない。
意味を持たせることに意味があるのであって、奇怪であればあるほど注目は集まる。
泡立った体液を死体に掛けていくが、本当に意味がない。
よく変わっていると言われるが、他者から見て変わっているなら私は変わっている。
やりたいことがわからない。
趣味を見つけるのが趣味なのだろうか。
わからない。
便所の前で首を切り取って、また突っ込んでみる。
こういう感情を虚無というのか、わからないが、……やはりわからない。
腕時計のアラームが鳴り、自己保護的観点から見た引き際だと理解する。
「点検終わりました!ありがとございました」
私は靴を履いて、お礼の言葉を発して家屋から出た。