7/事後
「うん。じゃあ、隠しましょうか」
私は、彼から発せられた言葉の意味を考えるのに、軽く十秒は有した。
「……え? 何て仰いました、刑事さん」
「死体を隠そう、そう言ったのです」
死体を隠す。つまりその意味は、この事件を隠蔽するという意味に他ならない。その台詞を、私ではなく刑事が口にするのは、信じがたい。けれど事実、彼はそう述べた。
「気にしないでください。これは、古い知人を助けるだけのことですから」
呆けていると、彼は時計を確認しつつ言った。時刻はわからない。知る必要もない。ただ、古い知人という言葉が、引っかかった。違和感をの沼にどぶどぶと、沈んでいくような。
「卯月さん。僕のこと、覚えていますか?」
「――は?」
覚えていますか、と彼は私に問うた。だが、彼の顔に覚えはない。その背も、高級そうな腕時計も、何一つ記憶に引っかからない。
「すいません、思い出せないです」
私が謝ると、彼は微笑み、気にしないでください、と俯く私に顔を上げるよう促した。
「まあ、かれこれ十数年前ですからね。覚えていなくて当然です」
「十数年前も?」
「ええ。僕はすぐ思い出せたんですけど……」
やはり駄目だった。必死に探る私に、彼は答えを告げる。
「僕は卯月さんと、約束をしたんですよ。内容はごく簡単なものでした。僕はまだあのとき子供で、小学校から中学校へと上がる春休みでのことでした。その約束の内容は――」
「――キャッチボール」
ふと、言葉が漏れた。自分でも戸惑う。
刑事は一瞬驚いた様子を見せたが、先の頬笑みに戻り、
「そう、キャッチボール」
と続けた。
ああ、そうか――私は悟る。長い間忘れていた。彼――刑事は、あの日、あのときの少年だったのか。
「まるで、僕が卯月さんに凶器を渡したみたいですね。皮肉なものです。……そうか、あのナイフを落としたのはあの日だったのか」
彼も私のように、あの日のことを思い出しているようだ。
あのときの私はまだ若かった。大学三年生で、彼女にふられ、少し寂しかった時期。それでもまだ活力に満ち溢れ、いい会社に就職しようと、いい妻を見つけようと、あれこれしていた、輝かしき青春時代を送っていたんだ。
狂ったのはいつだったっけ?
壊れたのはいつだったっけ?
崩れたのはいつだったっけ?
それはいつでもなくて、きっと私が生まれて最初から決まっていた、運命だったのかもしれない。
世の中の関節は、最初から外れていた。
「まあ運命なんてそんなゴミみたいなもの、僕は信じないですけどね」
でもきっと、ここで出逢ったのは偶然じゃない。
刑事はそう続けた。
運命をゴミと言い捨てる彼に、私は少しばかり感銘を受けた。運命なんてものは最初からないと、語ってくれているような気持ちになる。
それでもまあ、私が彼と出逢ったのは、偶然じゃなくて、運命のような必然だったのだろう。
刑事は、腰を下ろし死体の掌にポケットから取り出した折り畳みナイフを使って、何やら紋様を描いていく。
ハンカチでナイフから血を拭き取ると、すっと死体を背負い、おんぶの形にする。
「いったい、何をやっているんですか、刑事さん」
私は訊くと、彼は考える素振りを見せてから、驚愕の事実を告げる。
「この紋様は僕が殺した印みたいなものです。そう、実は僕、刑事じゃないんですよ」
「……は? え?」
どういうことだ。彼が刑事じゃない? でも手帳は持っていたし、特に刑事らしからぬところは……。
ありまくりだった。車も時計も、高級すぎる。私は庶民でそこまでの知識はないが、ぱっと見でわかるくらいに、上質な品物ばかりだ。
「では、本当の職業は……?」
「秘密です」
肝心なところだが、これでいい。何となくは察してしまうが、これ以上知ってしまうと後戻りできないような気がした。世の中には、知らなくていいものもたくさんあるのだから。
「ですがまあ」
しかし、彼はこう続けて言った。おまけ程度に。薄らと、安らいで逝った死体のような頬笑みで。
「一人くらい、貰ってやるよ。そういう気持ちです」