6/過去
僕の小学校生活は、実に呆気なく終わった。何も感じず、ただずっと立っているの辛いなあ、としか思っていなかったら、いつの間にか終わってしまっていた。学年の大勢はこの学校を去ると実感し、この卒業式の最中に思い出やらで泣きじゃくり、『旅立ちの日に』という歌は聴くに堪えない不協和音と化していた。それでも親身に聴く親たちは、よほど器の大きい人たちなんだろう。僕はしっかりとビブラートを効かせて歌った。寧ろ僕のソロの方がいいかもしれない。もっとも、合唱曲として覚えたこの歌は男性と女性でパートが分けられており、ソロでは完成しないのだけれど。
僕はこの春休み中に地方の方へ引っ越すことになっていたからか、友達と呼べるだろう他人から卒業アルバムに多くのメッセージをくれた。特に何も思わなかった。悲しいとも、嬉しいとも。
卒業式を終え、着なれないスーツのような服のまま校庭を横切る。多くの卒業生は友達と仲良く喋ったり、泣いたり、親と話していたり――僕は帰った。家と呼べるかも怪しい寝床に真っ直ぐ、帰ろうとした。
住宅街を抜け、大通りを陸橋で渡り、近道の大きな公園を通る。
胸元に付く造花が目にちらつき、衝動的にそれを地面に捨てた。池がすぐ横にある、木陰の涼しい道だ。慣れない物を捨て少し気分が楽になると、突然「ねえ」と後ろから声を掛けられた。
ゆっくり振り返ると、そこにはまだ若々しい、見た目からは少年とも青年とも言える男性が造花を拾い、こちらにそれを向けていた。
「これ、落したよ」男性は優しい笑顔でそう言うと、造花を受け取るよう促してくる。
「――あ……どうも」
断るわけにもいかず、ぺこりと軽くお辞儀をして、僕は彼が軽く投げた造花を、野球をやっていた癖でボールをキャッチするように手に取った。改めて眺めると安物らしい、粗い造りだ。
ふと、男性の顔に目がいった。
なんだか頬が赤くなっている。しかも手形に。
「お兄さん、そのほっぺどうしたの?」
「え? ああ――」
男性は左頬の赤みを左手で摩ると、少し俯く。
「さっき、彼女に叩かれちゃってさ」
重い内容だった。僕は特に何も思う事はなかったが、こういうときは謝らなければならないことを知っている。
「ごめんなさい」
音の強弱もない棒読みだったが、
「大丈夫、気にしないで」
と、男性は無理な微笑で返した。
「そう言えば君、野球をやっているのかい?」
「はい、まあ」
「やっぱりね、俺もたまにそのキャッチの仕方をしてしまうんだ」
「じゃあお兄さんも野球をやっていたんですね」
「高校までだけどね。これでも甲子園までは行ったんだよ」
えっへんと、子供らしく威張る男性に、僕は「凄いですね」と抑揚無く言った。
するとお兄さんは何かに気付いたのか、じっと僕の顔を覗いてくる。
「……ん? ていうか君、もしかして孤児院の子かい?」
「よく知ってますね」
「まあ、あの近くに住んでいるからね」
「へぇ、そうなんですか」
適当に相槌を打って、僕は彼をじっと見つめる。……思えば、確かに見覚えのある顔だ。本当に通行人程度の感覚ではあるが、ぼんやりと思い出せる。
「君、今度キャッチボールやらない?」
突然な提案だった。僕は学校のクラブチームに参加していたが、野球は最後の試合で負けて以来プレイしていないし、そもそもボールなんか触らなかった。
たまには、いいかもしれない。
「ええ、是非、やりましょう」
僕は満面の愛想笑いを浮かべた。
「これから君は春休みなんでしょ? なら明後日、どうかな?」
「大丈夫ですよ、じゃあ明後日に」
内心、少しは嬉しかったのかもしれない。僕は左ポケットで握りしめていたナイフを離した。
「――待ってる、からね」
そう言う彼の表情は、どこか寂しげで、儚くて、今にも泣き出してしまうんじゃないかと思わせる。無論、僕には一切わからない感情が渦巻いているので、本当にそうかは定かではないが。
「うん。じゃあ、また」
僕が言った。
「じゃあ、また」
彼が言った。