3/刑事
「なるほど、それが経緯ですか。面白い話ですね」
「何が面白いのか、私にはよくわかりませんけど」
ははは、と意味なく笑っていそうな彼に、私は訝しげな表情でぎゅっと膝に置く手を握った。
移動中の車は、あそこに向かっているのだろう。かなり高級な車だ、日本車だがそれなりのメーカーが作っているに違いない。あいにく、メーカーのエンブレムは確認しなかった。ハンドルを見ればわかることだけれど、それさえ億劫に思えた。
「いや、その女の彼氏さんですかね? 男の役割が面白いんですよ」
「……はぁ」
曖昧な返事しかできず、少し恐縮気味に私は「何がですか?」と問う。
「例えば、その話を物語としましょう。あなたは犯人役で、女は被害者。これは決まりです。では、男は? ――と考えたとき、僕は男の役割を焚き付け役だと思ったんです」
「焚き付け役……」
「ええ。だって、絶妙なタイミングではありませんか。まるで、『犯人役であるあなたを怒らせるため』に、車の話をしたように思えません?」
「――ああ、そう思えば」
確かにそうだ。あの言葉がきっかけで、私はしばし唖然としてしまい、彼女に免許のことを訪ねたんだ。
そして――
事件は起こる。
「…………」
助手席で黙る私に、彼は微笑み、再び口火を切る。
「男は何を思って、そんなことを言ったのでしょうか」
「うーん……」
数十秒考えたが、見当がつかなかった。そもそも男は私のことを知っていたのだろうか。いや、あのプライドが高く自己意識だけで生きているような女だ、事故のことを話すようには到底思えない。男を仮に彼氏だとして、どうして免許を持っていないか問うのは普通だろうが、彼女はそれでも頑なに喋らず濁しただろう。男は彼氏という立場を考えて、訊くのを諦めたはずだ。つまり、男は免許剥奪の経緯も知らない。……あくまで仮定だが。
となると……、どうなのだろう?
さっぱりだ。
「僕は、きっと意味なんてないと思っているんです」
「と言うと?」
適当に相槌を打ち、話を聞く。
「卯月さんは、衝動的に女を殺したと言いましたよね」
「ええ。むしゃくしゃしたからやった、後悔はしていない――みたいな感じです」
「だから、同じですよ。男は感情的に、気分的に、園山理沙は外車に乗りたがっていたのを去り際に思い出し、それを言った。それだけで、それで終わりなんですよ。人生、そういうものでしょ?」
根拠もなく偶然と言い切るのは、些か煮え切れない。それに、人生論まで語るのは大袈裟すぎではないだろうか。
だが、彼は真剣に話していないのだろう。浅い考えで、私に口を出しているのは明白だ。真剣な告白を馬鹿にされたような気分だったが、不思議と嫌な心持にはならなかった。納得はいかないが、否定もできない推論だからだろうか。
「作り話みたいですが、まあ事実なのでしょうね。さて、僕もそろそろ刑事らしく行きます。いくつか質問に答えてもらってもいいですか?」
唐突な提案に、私は別の不安を懐き告げる。
「運転は大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ、僕は運転得意なので」
「そうですか」
自信満々に答えるのならば、もう何も言う必要はなかった。
「園山理沙の判決は、どうでした?」
「禁錮二年でした」
「執行猶予はありましたか?」
「ええ、それも二年です」
そこで彼は前方をただ見据えて考えた様子だったが、十秒ほどで再び口を開く。
「……納得は、できましたか?」
この質問は、予想できた。私は間を置いてから、自分の想いを告げる。
「納得……できるわけない、じゃないですか。――ただ」
「ただ?」
「あの時は、どうにでもなれと思っていたことも事実です。何せ、どんな判決が下されようと息子は帰ってきませんから」
吐き捨てるように、私は俯きがちに言った。
すると、彼は違和感を感じたように微妙な表情になる。
「となると、さっきの話と矛盾していますよね。卯月さんは『時の関節が外れているように、思えるのです。この不条理が、私は納得いかない』と言っていましたよ」
「過去は過去、現在は現在でしょう。あの女と再会するまで、私は加害者である彼女も、人生で最悪の転機を迎えて、暗い暗いトンネルで怯えるような、深い罪悪感に苛まれているに違いないと決めつけていたんです。だけど違った。それを知った瞬間、世界の不平等さに納得がいかなくなりました」
「それも決めつけです。女も実は、深海のように深い反省をし、日々を気をつけながら生活していたのかもしれない」
極めて真顔で、彼は流暢に言葉を発する。
「あなたと出逢って頭がぐちゃぐちゃに混乱してしまい、開き直ったように発言したのかもしれませんよ」
彼の声は、すんなりと受け入れられるものだけど……否定せざるえない。
「そう思いましたよ、私も初めは。でも沸々と込み上げてくる怒りを精一杯沈めて対応していました。そうだ、彼女はきっと本心で喋っていないんだ。プライドの高い彼女のことだ、きっと心を閉ざして、表情もそれなりに変えて、口にしているんだ。――そう思おうと必死でしたよ。しかし、対話していくにつれてだんだんと、許せない気持ちになっていたのです」
彼はそこまで述べると、ハンドルを握っていた左手を顎に当て、考える動作をした。数秒で再びハンドルを握ると、自論を展開する。
「人は自分通りに生きていく人間だと考えています。けれど他人のことも気に掛けるのも、また人間です」
「……突然、なんですか?」
「いえ、世界には他人のことなんか一切気にしない人間もいるって話ですよ」
「ああ――」
何が言いたいのか、ようやく悟る。
「あいつも、そういう女でした」