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9 四月二八日(金曜日)
葬儀は、四日後だった。
茨城県水戸市松本町──。
那珂川に近い閑静な住宅地に、沢村学の実家はあった。葬儀は、その近くにある斎場でとりおこなわれた。当然、初めて訪れた土地のはずなのだが、友人ということを偽って出席しているからか、以前にも来たことがあるような既視感があった。
仕事のほうは、有休を取ってある。明日は、二九日の祝日、三十日は日曜、五月一日も有休を取れたので、これで月曜まで自由に使えることになった。火曜も取れたら金曜まで休めたのだが、さすがにそれは無理だった。ゴールデンウィークにそういう休暇の取り方をするのはめずらしくないから、休むことにそれほど抵抗感はない。沙織もいっしょだ。
出席者の数は多かったが、ほとんどが地元の友人・知人・近所の人たちだった。近親者以外で東京からやって来たのは、おれと沙織(正確には埼玉だが)だけだった。大学時代の友人と名乗る者はいないようだ。
安堵していた。嘘がバレることはなさそうだからだ。と、同時に、罪悪感があることも事実だった。
祭壇に飾られた遺影。
やっと、彼の顔を確認することができた。
想像よりも、さわやかな顔だちをしていた。
ストーカーをするような暗い雰囲気はない。むしろ、好青年の見本のような容姿をしていた。
やはり、見覚えはなかった。
沙織の反応は、微妙なものだった。
見たことがあるような……ないような気も……。
そんな、ぼやけたものだった。
これまでに、沢村学の大学時代を《ゲイザー》で検索していた。被害者・寺尾幸子との接触はなかったか、また沙織との接触にも注意をとめた。とはいえ、たかだか数日では、圧倒的に時間がたりない。二週間ぐらいぶっ続けで調べる時間が確保できるのなら、かなり詳細な行動が判明するのだろうが……。
結果から言うと、沢村学と寺尾幸子の接点は、システム上は確認できなかった。学年は二つちがうので、二年間は同じキャンパス内にいることが多々ある。しかしそれが即、ストーカー行為ということにはならない。
沢村学が事件当日、沙織が帰ったあとに寺尾幸子の部屋へ行ったことはまちがいない。妥当に考察するならば、沢村がストーカーで、寺尾幸子を殺害したということになる。
証拠はない。
本人も、もういない。
証明する手段は、残されていないだろう。
胸中に、幸子の父親の顔が浮かんだ。
池袋でビラを配りつづけている姿。必死で犯人を捕まえようとしている姿勢には、無関係なはずのおれにも、胸に訴えかけるものがある。
どうにかならないものか……。
犯人はわかっている。
伝えたい。
あの父親に、犯人は沢村学である、と。
だが、それを言うことは、《ゲイザーシステム》の秘密を告白するということだ。
それをすれば、おれは死ぬ。
ふと、思った。
前任者はこの葛藤と、どう向き合ったのだろうか?
翌日。
四月二九日、土曜──。
まだ午前中から、立花まりあに連絡をとってみた。
電話の声は、どこか不機嫌だった。
かまわずに、射殺された被害者について、いくつかたずねた。どこに住んでいたのか、どういう職業についていたのか。以前、大まかな情報は教えられていたが、正直、覚えていなかった。住んでいた場所なら、《ゲイザー》で調べることも可能だが、あえてまりあの口から話を聞いた。
ついでに、思い切ってお願いした。
「その人の部屋に入りたいんですけど」
『ムリに決まってるでしょ! だいたいキミ、わたしのこと、便利屋かなにかだと思ってない!?』
一連の「お願い」で、かなり気分を害してしまっているようだ。もはや、遠慮がない。あたりまえか。自らの行動をかえりみて、おれはそう反省した。
「まりあさんには、本当に感謝しています」
『下の名前で呼ばれるほど、親しくなってません!』
「事件のことで、思い当たることがあるんです」
でまかせだった。
『ホントなんでしょうね!?』
「お願いします」
なかにはムリだけど、その場所まで案内してあげる──ということで、翌日の夕方に約束をとりつけた。
彼女には悪いが、外で済ます気はなかった。刑事がいれば、それもたやすいだろうと浅く考えていたのだ。
「絶対にムリよ。警察官だからって、勝手に住居に侵入できるわけじゃないのよ!」
四月三十日、日曜──。
その日、どうしてもなかに入りたいと告げると、立花まりあは開口一番、そう説教をたれた。
「い~い、令状というものがなければ、こっちが家宅侵入で逮捕されてしまうのよ!」
案内されたアパートは、草加市に位置していた。
また草加……。
寺尾幸子の実家に、ほど近かった。偶然だろうか?
東武伊勢崎線の駅から歩いて、十分ほどのところにある古アパート。富士見台の沢村学のアパートよりは大きくて新しいが、それでもけっして上等な住まいとは表現できない。
射殺された被害者の名は、並木秋人。年齢は三一。職業は派遣アルバイト。ただし、死亡する数ヶ月前から、探偵業の真似事のようなことをしていたらしい。認可をとっておらず、事務所もかまえていないが、インターネットにサイトを開設しており、そこで人探しや未解決事件の依頼を受けていたという。
捜査本部では、その活動が、なにかしらのトラブルを呼び込んだのではないか、と疑っているようだ。
その話を聞いて、おれは妙に納得していた。もともと本職がなく、《ゲイザー》の特権を手に入れたとすれば、探偵になるのは必然といえた。それ以外に、この性能を有効に使える職業は、なかなかないだろう。
一番、世の中のためになるのは警察官なのだろうが、並木秋人の年齢から警官になるのは難しかっただろうし、警察として《ゲイザー》を活用するには、推理的破綻が予想される。つまり犯人がわかっとしても、その証拠は提示できないのだ。重要参考人として事情聴取をすることができたとしても、自供を得られなければ逮捕はできない。
アパートの部屋は、二階の左奥ということだった。いまいる場所からは、玄関扉とそのわきの小窓が見て取れた。その窓から、光がもれていることに気がついた。
時刻は、午後五時を数分過ぎていた。外も暗くなりかけている。
「だれかいるみたいですね」
まりあの話では、部屋の賃料は山梨に住む両親が払いつづけているという。犯人の特定に、もしかしたらこの部屋が、なにかしらの参考になるかもしれないと、両親は考えているらしい。
「行ってみましょう」
そう提案した。まりあからの返事はなかったが、ついてくるところをみると、反論はないようだ。おそらく部屋にいるのは被害者の親だと思うが、家族から同意を得られれば、なかに入れてもらうのに令状はいらない。いや、警察手帳すら不要だ。
しかし警察官と同行していたということが、話をスムーズにしてくれた。ノックをしてから数秒、どこか警戒するように顔を出したのは、母親らしき女性だった。
「どちらさまでしょう?」
扉を大きく開けてはくれなかった。
そこで、まりあが手帳を開いて、バッジと身分証を提示した。
「刑事さん……」
そうつぶやくと、女性は、ようやく扉を大きく開けてくれた。
「あの、なか、いいですか?」
おれは遠慮がちに、了解をとりつけようとした。
「片づけをしていましたので散らかっていますが、どうぞ」
目論見どおりになった。
玄関を入るとキッチンがあって、その奥に六畳一間だけの部屋。段ボールがいくかあって、本やら雑誌やらを詰めている最中のようだった。はたして、これは片づけ中だから散乱しているのだろうか。もともと、酷い状況だったのではないか。
「もう、この部屋を引き払おうと思いまして……」
それで整理をはじめたのか。
いろいろな小物や書籍類が占拠しているテーブルに、数枚の紙が、まるでホコリ避けのようにのっていた。そこに書いてあった文字が、強く眼にとまった。
情報を求めます。
心当たりの方は、連絡をお願いします。
懸賞金──。
その数枚のビラを手に取った。
いずれも、未解決事件の真相を熱望する遺族の声が形になったものだ。
やはり前任者の彼も、おれと同じ行動をとろうとしていたようだ。それしかないのだ。《ゲイザーシステム》の使い道は。
「刑事さん、事件の手掛かりは、なにかみつかりましたか?」
母親から問いかけられた。おれを刑事と勘違いしているらしい。
「いえ……まだ……」
言葉を濁した。この事件だけは、解決できない。
なぜなら、その犯人に、いつもおれ自身が狙われているからだ。
だれが射殺したのかまではわからない。だが、その黒幕はわかっている。
ヤコブと名乗る男。
その後ろにも、さらなる黒幕がいるのかもしれない。《ゲイザーシステム》を取り巻く、謎の組織。摘発するわけにはいかない。そうすれば、次はおれが殺されてしまう。
並木秋人も、己自身だけが知る真実に悩んで葛藤し、それを役立てるため、探偵という活動をはじめたのだろう。
その過程で挫折し、命を奪われた。
奪った何者かに、激しい怒りを感じた。
と──、異変がおこった。
「どうしたの?」
まりあに問われて、われに返った。
いま、だれかに狙われていたような……。
ここは部屋のなかで、しかも窓のカーテンは閉じられている。だから、レーザーポインターの光は届いていない。しかし、確実に殺気が迫っていた。
心で思うだけで、やつらには察知されてしまうのか……?
《ゲイザー》を使いたいときは、そう思えばいい──つまり、おれの心の動きも、すべて組織に筒抜けになっているということか!?
そんなことが、現在のテクノロジーで可能だろうか?
「いえ、なんでもありません……」
緊張をともなって、おれは答えた。
その後、並木秋人の母親とまりあが会話を交わし、おれは部屋のなかを観察していた。
彼が、将来のおれの姿なのかもしれない。
心に苦いものを感じていた。