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容疑者の名は、沢村学。2008年の春から部屋を借りていた。当時の年齢は十八歳。不動産屋の資料によれば、大学生ということになっていた。ということは、事件当時は二一歳か二十歳になっていたはずだ。くしくも、おれと同じ年齢ということになる。
そこまでわかれば、予想はたてられる。
おそらく、寺尾幸子と同じ大学──つまり、おれや沙織とも同じ大学に通っていたのではないだろうか。
「沢村学。成応大学の学生。2010年四月二十日。午前十一時」
学校に行っていたであろう日付と時刻で検索をかけた。
やはり出たのは、おれの出身大学だ。
念のため、事件の起きた時間も調べてみたが、あたりまえのように寺尾幸子の部屋が画面に映った。沢村学が犯人であることは、ほぼまちがいないだろう。
あとは、その裏付けを取るだけだ。
* * *
四月二四日、月曜──。
午後一時に、沙織のマンションをたずねた。今日も、手応えがある、と会社を説得し、この地区をまわっていた。
突然の訪問にも、沙織はこころよくなかに入れてくれた。
「今日は、お店休みだから、ずっといてくれていいよ。それと、はい、これ」
部屋に入ると、早々に、なにかを手渡された。
DVDと鍵?
「え、これ……」
「いつでも入り込んでいいよ」
合鍵、ということか。
「で、でも」
「信じてくれたでしょ、わたしのこと」
そんなことが理由で、合鍵を渡すものだろうか?
やはり、彼女の思考回路は理解できそうになかった。
「それも観といてね。このあいだ、忘れてったでしょ」
そのDVDは前回、鑑賞させられそうになった彼女の出演AVだった。
「い、いや……これは」
「受け取って。気持ちだから」
なんの気持ちだ?
ダメだ、またペースを握られる。
これではいけないと、心を引き締めた。
「沢村学、って名前に聞き覚えある?」
DVDのことは置いておいて、単刀直入に問いかけた。
「え? 知らないよ、そんな人」
「よーく考えて。おれらと同じ大学だった。学年も同じだと思う」
「う~ん……」
「なあ、寺尾幸子さんにつきまとってた可能性があるんだ」
「わかんないよぉ」
「彼女と、ほかに仲のよかった友達はいなかったの? 沙織ぐらい」
「わたしぐらい仲のよかったともだち~? そういえば、いたなぁ……名前は知らないけど、サチ先輩と同じ学年の人。でも、わたし、その人のこと好きじゃなかった」
「どうして?」
「サチ先輩とわたしがいっしょにいるのを、あんまりよく思ってなかったみたいだし」
「男友達ってこと?」
「ちがうよ。女だよ。女同士は、いろいろあるんだって、友人関係は」
こじれると陰湿になるのが、女性同士のつきあいということか。
「なんだか……あまりガラのよくないグループと親しくしてるって噂もあった」
「元ヤンってこと?」
「見た目は、普通だよ。美人だし」
「その人の連絡先とかは……」
沙織は、首を横に振った。
名前も知らないのだから、わかるはずもないか……。
「幸子さんのお父さんは、知らないかな?」
「知らないと思うよ。話に出たこともないから」
ということは、その女友達にコンタクトを取ることはできそうにない。
「あ」
あることに気がついて、思わず声をあげてしまった。
「どうしたの?」
基本的なことを確かめていなかった。
「寺尾幸子さん、彼氏はいたの?」
「いなかった……と思う」
「なんで、断定的じゃないの?」
「いたのかも……」
「……って、どっち?」
「いないと思うんだけど、いたとしても不思議じゃないよ。サチ先輩、素敵女性だし」
沙織の話を総合すると、寺尾幸子は、彼氏がいないことのほうが不思議がられるほどの魅力的な女性だったということだ。
そんな女性ならば、ストーカーの一人や二人、ついていたとしても不自然ではない。
どうにかして、ストーカーの存在をつきとめなければ……。
「もう一度、よく思い出してくれ。沢村学っていう名前」
頼りは、沙織しかいない。
「写真とかないの?」
「そうか、写真を手に入れればいいのか」
とはいえ、その方法は簡単なようで、簡単ではない。
大学に問い合わせても、当時の現住所しかわからないかもしれない。もし実家の記録が残っていたとしたら、家族から写真を手に入れることも可能だ。しかし、思惑どおり実家の住所を大学側が把握していたとしても、いかに卒業生とはいえ、そんなことを軽々しくは教えてくれないだろう。昨今はとくに、個人情報のあつかいには、どこも過敏になっている。大学によっては、名簿を金庫で厳重に保管している、というところもあるらしい。
それに、なんとか実家の場所がわかったとしても、友達でもなんでもない人間に、家族は写真を渡してはくれない。きっと。
そういうときは立花まりあにお願いしたいところだが、さすがにもう無理だろう。
「卒業アルバムとかは?」
困った顔をしていたからなのか、沙織が素朴にそう言った。
なるほど。が、いまそれはどこにある?
「あー、どこだったか……」
懸命に思い出そうとした。どこに仕舞い込んでしまったか。探し出すには、おれの部屋の収納を片っ端から掘り起こすしかない。
「わたし、持ってるよ」
沙織が部屋を出ていくと、ガザゴソと音がして、五分ほどで戻ってきた。
「はい」
手渡された。成応大学の卒業アルバムだ。
一人一人の顔写真と名前を調べていった。三十分近くかかった。
「ないね……」
「学部がちがうんだ」
「たしか、全学部の卒業者名簿もあったと思う。写真はなかったけど、住所が載ってるから、直接たずねてみれば?」
「住所は、わかってる。知りたいのは、実家の住所」
沙織には、どういうことなのか伝わっていないようだった。
「沢村学が、当時、住んでいた場所は知ってるんだ。もうそこには、いない。……いや、もうどこにもいないんだ。すでに死んでるんだから」
沙織の口が、ポカンとあけられた。
と、重要なことを、おれがまだ理解していないことに思い至った。
「そうだ……調べられるんだ……」
《ゲイザーシステム》を使えば、そんなことは造作もないことなのに、まだ自分が神のごとき機能を把握しきれていないことが、もどかしく感じられた。
「悪い、おれ、もう行くわ」
「え、ちょ、ちょっと! DVDは!?」
急いで沙織の部屋を飛び出すと、時間を確認した。まだ二時になっていない。
たぶん、もどってこれるのは午後四時ぐらい。今日は一件も契約を取っていないが、なんとかなるだろう。一応、狙撃されるまえに、会社には電話を入れておいた。定時連絡には早かったが、致し方ない。
携帯を、マンションのエントランスに設置されている郵便受けに入れた。沙織の部屋番号だ。物騒だが、彼女は鍵のたぐいはつけていなかった。こうしておけば、GPSで場所を特定されることはないだろう。自分のサボリが発覚することを恐れてのことではない。《ゲイザーシステム》の位置を知ってしまったら、会社の人たちに迷惑がかかるかもしれないからだ。
準備は整った。
〈バン!〉
* * *
どうして、おれはこんなに慌てているのだろうか。べつに制限時間があるわけではないのだから、なにも仕事中にここへ来る必要はないのに……。
そんな、うちなる変化に軽い戸惑いをおぼえた。使命感のようなものに後押しされている錯覚。なにかが、おれを突き動かしている。
『気遣いは無用だ』
突然、ヤコブが声を発した。昨夜来たときは、なにも言っていなかったから、とても久しぶりに聞いたような感慨がある。
「……どういう意味だ?」
『ここの位置を知ることは不可能だ。GPSは機能しない』
どうやら、携帯電話の細工のことを言っているようだ。
『君のいる場所も、こちらでうまくやっておく。君は、神のごとき力を持った、選ばれし者──ただの人間ではないのだ』
それは、特権意識をもて、ということだろうか。まるで、ヤコブがそう言っているように感じた。
「前回、検索した沢村学。2005年四月一日。時刻は、午前十二時」
気を取り直して、調べはじめた。
2008年の春に十八歳だったということは、2005年当時は高校一年生だったはずだ。そのころは実家で暮らしていただろうと考えてのことだ。深夜十二時ならば、かなりの高確率で家にいるはずだ。
茨城県の水戸市がクローズアップされた。しかし、そこから画面が動かない。
思い出した。2005年までは、簡素な検索しかできないのだった。
「2006年四月一日に変更」
松本町というところが拡大され、一軒の家が点滅している。ここが沢村の実家なのか確定させるために、五月、六月も同じ要領で検索した。どうやらここでまちがいないようだ。
「茨城か……」
そこまで足を運ぶには、休日を使うしかない。すぐ思い立って行ける場所ではないことに、わずか落胆した。
いや、もっと遠くから上京してきたわけではないことに、感謝すべきだろうか。
一縷の望みをもって、2007年の四月から六月を同じ方法で調べてみた。すると、画面に表示されたのは、茨城県ではなかった。埼玉県草加市氷川町──。ここから(もどった地点からという意味)近い場所だ。
どういうことなのか不明だが、とりあえずここへ向かうことを瞬間的に決意していた。