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5 四月十七日(月曜日)
三日後──。
朝、出勤まえに、立花まりあから連絡があった。雨宮沙織のことを、ちゃんと調べてくれたらしい。どうやら初動捜査の段階で、沙織のことは捜査関係者も認識しており、聴取もしているということだった。ただし、事件当日に被害者宅を訪れたという証言はしていないようだ。
雨宮沙織に前科はなく、現在、借金もないという。しかし以前、風営法違反の容疑で新宿署が、ある店舗を家宅捜索したおりに、沙織からも事情を聞いているそうだ。たまたまその店に面接をうけに来ていたということだった。
電話を切ったあとも、ショックを隠しきれなかった。水商売ということは化粧などから予想はついていたが、風俗とまでは思っていなかった。
その日、仕事の合間を見計らって、沙織に電話をかけてみた。午後三時ごろだった。
今夜、仕事終わりに会えないか、と切り出した。だが彼女からの返事は、お店があるから、と断られてしまった。次の日の昼間だったら、ということで約束をとりつけた。直接部屋をたずねてくれ、ということだった。
四月十八日、火曜──。
外回りを、またこの地区にしてもらい、約束どおり彼女の部屋へ行った。
インターフォンを押したら、すぐに扉が開いた。
「あがって」
部屋のなかは、散らかっているというほどではなかったが、きれいに整頓されているというふうでもなかった。女性の部屋という印象はない。男勝りな室内だ。
「独り暮らし?」
「そうだけど」
男と住んでいるのなら、まだわかる気がした。かわいいインテリアとか、おしゃれな装飾とかが、まるでなかった。自分の部屋にいる居心地と、ほとんど変わらない。
おれの知る彼女の部屋は、もっと女性的でいい香りがしていたはずだ。
居間として使用している部屋のほかに、もう一部屋あるようだが、襖が閉まっているので、なかは見れない。たぶん、寝室だろう。キッチンに、バス・トイレという独り暮らしの女性宅としては、平均的な間取りだ。
ほぼ中央に置かれたちゃぶ台風のテーブルに、沙織がコップに注いだ麦茶を運んできた。
そのまま、そこに胡座をかいて座り込む。
記憶のなかの彼女は、そんな振る舞いをする女性ではなかった。これでは、オヤジではないか。清楚な雨宮沙織は、どこへ行ってしまったのだろうか……。
彼女と向かい合う場所に、腰をおろした。
「ねえ、紫月くんは、独り暮らし?」
同じ質問を彼女に返された。
「うん」
「恋人は?」
「いない」
「じゃ、する?」
なにを『する』のかが、思い当たらなかった。
「……? なにを?」
「エッチ」
ためらいもなく、沙織は口に出していた。
「したかったんでしょ?」
「え……、え!?」
「だから、連絡してきたんでしょ? するために、ここへ来たんでしょ?」
至極あたりまえのことのように言う。
「いや……そういうわけじゃ……」
「遠慮しなくていいって。あぁ、もしかして、お金とか請求されると思ってる? 心配しなくていいよ。お店とはちがうんだから」
絶句した。
「どうしたの、そんな驚いたような顔して。あ、誤解しないでね。お店は、本番ないところだから」
そのセリフで、沙織が本当に風俗店で働いていることが確定的になった。
「ムードが出ない? ちょっと待ってて」
そうことわると、彼女はテレビの横にあった棚を物色した。なにかを取り出す。DVDのようだ。
「これ観る? わたしが出演したやつ」
ジャケットを見たとき、そこに写っていた女性が、沙織と同一人物だということはわからなかった。
「プロのメイクがつくと、すっごい変わるでしょう」
「AV!?」
「若いときのやつだけど。三本ぐらい出て、やめちゃった。あんま、わたしにむかなかったみたい。ほかにも、きれいな娘いっぱいいたし。ライバルが多いと、わたしなんて、人気出なかったろうしね」
沙織は、プレーヤーにDVDをセットしようとしていた。
「知ってる女のAV観れるなんて、この贅沢者!」
「あ、いや、べつにいいよ! 今日は、話を聞きにきたんだ」
おれは慌てて、そう告げた。
「え? そうなの?」
彼女は、どこか残念そうだった。
「じゃあ、あげる。もってかえっていいよ」
反応に困ることを連発されている。完全に沙織のペースに巻き込まれていた。
「そういう仕事についたのは、いつごろ?」
本題とは遠かったが、流れでそう訊いた。興味も深くあった。
「卒業して、すぐ」
あくまでも沙織は、あっけらかんとしている。つきあっていたときは、そんな淫らな雰囲気はまるでなかった。中学のときから憧れていて、高校までは片思い。大学でようやく両思いになれたときは、天使のような女性だと感動していたのに。
「こんな女じゃなかった、って思ってるでしょ? でも、はずれ。こっちが本当のわたし。正直、紫月くんといっしょにいるときも、窮屈だった。こんな女って知ってたら、つきあいたくなかったでしょ? だから、マジメにしといてあげたの」
「そうか……」
おれは、力なく応えた。
「だまされた、って思ってる?」
「思ってる」
こういうタイプの女性だとわかれば、言葉にフィルターをかける必要もないだろう。
キスまで半年もかかったあの思い出は、まったくの偽りだったということか。
そういえば、《ゲイザーシステム》につれていかれた最初の日に、2008年の十二月二四日……その年のクリスマスイブの夜を検索したとき、彼女は、おれではない男とホテルにいた。つまりは、そういう女だったんだ。
「殺された寺尾幸子さんは、どんな女性だった? キミみたいな……」
「ちがう。サチ先輩は、ちゃんとした人よ」
その言葉には、真実の響きがあった。
「事件の日、夕方四時二十分ごろ、キミ、行ったよね? 彼女の家」
「え?」
ようやく沙織の感情が見えてきたので、そのまま本題に突入した。
沙織は、思いもかけなかったであろう問いに、眼を丸くした。
「な、なんのこと!?」
「キミは、まちがいなく寺尾幸子さんの部屋に行った。2011年一月十二日に」
「どうして、知ってるの!?」
「そんなことは、どうでもいい。警察には言ってないよね、そのこと? どうしてだ!?」
「な、なんなの……!? 紫月くん、ホントは刑事さん!?」
『紫月くん』と呼ばれることに、いまとなっては違和感がある。そういう言葉づかいや仕種までが演技だったとわかったいまでは……。
「刑事じゃない。だけど、知り合いに刑事がいる」
それは嘘ではない。真実とまでも言えなかったが。
「教えてくれ! キミはなにをしに、寺尾幸子の部屋へ行った!?」
「そ、それは……」
「殺したのは、キミか!?」
自分でも、思い切ったと感じた。
「わ、わたしじゃないわよ……そんなことしてない!」
あざむいているようには見えなかった。
「じゃあ、なんで彼女の部屋に行った!? なぜそれを隠していた!?」
「隠してたわけじゃないよ! ただ、ヘンに疑われるのがイヤだっただけ……」
「訪れた理由は!?」
「理由なんて、ない。普通に、友達の家に行っただけだよ……」
沙織の瞳は、涙でうるんでいた。
嘘なのか、本当なのか?
真実をしゃべっている印象が強い。だが、この女は平気で嘘をつく。
「そのとき、どんなことを話した!?」
尋問口調になっていることを、自覚していた。
「こわいよ……哲平くん……」
沙織の、おれに対する呼び方まで、ついには変わってしまった。
「いいから、答えろ」
「覚えてないよぉ……いつもと、おんなじようなこと」
「たとえば?」
「ねえ、なんでわたしが責められなくちゃいけないの!? 哲平くんだって、友達と普段交わした話の内容なんて、イチイチ覚えてる!?」
逆ギレしてきた。しかし、彼女の言っていることも道理がとおっている。
「部屋から出るとき、幸子さんは生きてたんだな!?」
「い、生きてたよぉ!」
「おまえが、犯人じゃないんだな!?」
「あたりまえだよ!」
張り詰めた空気のまま、長い沈黙がおとずれた。
信じるべきか、疑うべきか……。
「わかった。信じる」