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4 同日(金曜日)
立花まりあには、夜七時半という約束で会えることになった。むこうは最初、射殺事件のことだと勘違いしたみたいだが、べつの件なんですが──と告げても、声音からは嫌がる素振りはなかった。
こちらから警察署に行くつもりだったが、彼女のほうから来てくれるということだったので、待ち合わせ場所をおれが指定した。
現在、立花まりあの所属する係は、池袋の事件から外れているそうなので、本庁舎にいるということだった。だから霞ヶ関や桜田門駅に近い場所にしようとしたのだが、そのエリアはあまり詳しくない。少し離れることになるが、恵比寿駅前の喫茶店を待ち合わせに選んだ。
時間どおり、立花まりあは店内に現れた。
「お待たせしました」
彼女は、丁寧に口を開く。
「いえ。こちらのほうこそ、お忙しいところを……」
「捜査に協力していただいているのですから、当然のことです」
「あの……そのことなんですが……池袋の事件のことでは……」
一応、電話でそのことは伝えてあったが、ちゃんと伝わったのか心配になっていた。
「あ、もちろん大丈夫ですよ。どんな事件のことでも、警察官なら喜んでお聞きします」
そう言ってもらえると、緊張がとけた。
だからというわけではないが、あらためて立花まりあの容姿を確認した。
記憶のなかの彼女は、とても美しい存在として焼きついていたが、それは自分のなかで美化されたもので、実際に再会すれば、それほどでもなかった、と落胆するものだろうと考えていた。だが、それは彼女にたいして失礼な思い込みだった。
久しぶりの美貌は、凛々しくて、可憐だ。
ストレートの黒髪は輝き、エアコンの微風だけでなびくほど、軽くてサラサラだった。
以前は、ファッション誌の編集者──と形容したが、それを撤回したかった。モデルと言われても、たやすく信じてしまうだろう。
「で、どういう話なんですか?」
「六年前の事件です。これなんですが」
雨宮沙織から受け取ったビラをテーブルに広げた。ちょうど、紅茶が運ばれたところだった。
二人とも紅茶には視線も落とさなかった。
立花まりあは、ビラに真剣な眼差しを送っている。その姿を、固唾をのんで見守った。
「女性が殺されて、部屋を放火された事件ですよね?」
「知っていますか?」
「発生当時、わたしはまだ学生でしたので、捜査には関わっていませんけど、先輩の刑事から話を聞いたことがあります」
六年前に学生だったということは、おれと同年代──年上だったとしても一学年上、もしくは年下という可能性もあるということか。
「放火されているし、その日は雨が降っていたこともあり、証拠はなにも残っていなかったと……」
彼女は、細い糸をたぐりよせるように、思い出したことを口に出していた。
「いまだに、凶器もみつかっていません」
俗に言う『迷宮入り』というやつか。
「この事件で、思い当たることがあるんですか?」
「は、はい……」
どういうふうに切り出そうかと迷ったが、難しく考えるのはやめて、会話の流れにまかせようと決意した。
「じつは……被害者の女性は、ぼくの元カノの親友でして……」
年下かもしれない女性に対して「ぼく」というのは、使い慣れていない。しかし、わざわざ話を聞きに来てもらったのだから、「おれ」と言うのも気が引けた。
「そうなんですか」
「ええ。それで、その元の彼女なんですが、事件の当日、殺された被害者の部屋に行ってたみたいなんです」
まりあの表情は、とくに変わらなかった。
「その話は、本人から聞いたんですか?」
「いいえ」
「目撃されたんですか?」
「いえ……」
そこで、まりあは首をかしげた。
「話がよく見えないのですが……」
「ですから、ぼくの元カノのことを調べてもらえないでしょうか?」
とても困惑しているのが伝わってきた。
「残念だけど、なにも根拠がないのに、捜査することはできないわ」
「根拠はあります! 彼女が被害者の部屋に行っていたのはまちがいありません」
「ですから、それをどうやって知ったんですか?」
「それは……」
予想どおり、そこで詰まってしまう。
《ゲイザーシステム》のことを口外できない以上、それらしい理由をでっち上げるしかない。
「う、噂を……耳にしたんですよ」
本来なら、皺一つないはずの眉間が歪んでいた。
「ムリです。そんな不確かな情報では動けないわ」
「お願いします。手があいたときでいいので、調べてみてください!」
おれは頭を下げた。その思いに打たれたのか、立花まりあは、ため息をついてから、こう言ってくれた。
「わかりました。一応は、調べておきます」
「ありがとうございます」
「でも……どうして、そんなに必死なんですか?」
言われて、軽い驚きをおぼえた。そんなに必死だっただろうか。
「懸賞金、ですか?」
最初、まりあがなにを言っているのか、意味がわからなかった。
「そ、そういうわけじゃありません」
お金のために事件を解決しようとしている──そう思われたことが、ひどく不思議だった。そういう発想が、いまのいままでまったくなかったのだ。
ビラをよく見ると、確かに『懸賞金500万円』と記されている。沙織もそのようなことを口にしていた。500万円という金額は、懸賞金としては破格だ。公的懸賞金の場合、通常は100万、多くても300万程度だ。最高1000万円というふうに決められていたと思うが、そこまで高額になることは、まずない。おそらく公的制度とはべつに、遺族が実費で負担しているはずだ。きっと、実家の山林を売却した一部なのだろう。
しかし……おれは断じて、金のために事件を解決しようとしているわけではない。それは、本心だった。
沙織の特徴や住所を伝え、女性刑事と別れてから、東池袋の事件現場に向かった。もうすぐ、九時になろうとしていた。
《ゲイザーシステム》に表示されていた住所を頼りに向かったのだが、非常にわかりづらかった。画面に映し出された地図をそのまま撮影できれば便利なのだが……たぶん、それは禁じられてしまうだろう。
「ここかな……?」
やっとさがしあてた場所には、アパートはなかった。すでに取り壊されているようだ。二四時間のコインパーキングになっていた。道を挟んだむかいには、小さな花屋がある。
もう現場が消滅しているのであれば、そこから証拠をさがすことは不可能だ。周辺を歩いてみた。路地を少し行ったところに、コンビニがあった。コンビニの防犯カメラを──とも考えたが、六年も前の映像は残っていないだろう。それに、警察官でもない人間がお願いしたところで、断られるにきまっている。
「当時、警察でも調べてるだろうしな……」
やはり、おれにできることはないのだ。《ゲイザーシステム》を手に入れたとしても、それを活用できる術がないことを、あらためて実感した。
途方に暮れたように、駐車場までもどっていた。いつのまにか雨が降っていたが、傘をさすことも忘れていた。折り畳みが鞄のなかに入っていたことを思い出し、取り出そうとしたとき、鮮やかな色が眼に飛び込んできた。
真っ赤な傘。
外灯の光に、とてもよく映えていた。
女性だ。二十代半ばの女性が、花束を抱えて、駐車場の角に花束を置こうとしていた。花束は、むかいの花屋で買ったのだろうか。
寺尾幸子の関係者?
いや、そうとはかぎらない。この道で交通事故があったのかもしれない。
花束を置いた女性がこちらに歩いてきた。
すれちがう。
笑っていた。とても、可笑しそうに。
死者を弔うような表情ではなかった。
むしろ、歓喜に満ちているような……。
女性は通りすぎてゆき、路地のかなたに消えた。
では、なんのために花束を?
なかば無意識に、花屋へ向かった。ちょうど、店を閉めようとしているところだった。
「あの……」
「ごめんなさい。もう終わりなんですけど」
「あ、いえ……ちがいます! いま、女性が花を買いに来ませんでしたか?」
「え? ああ、そこに供えていく人のことですか?」
中年の女性店員は手を止めることなく、そう答えてくれた。
「そうです。ここで、なにかあったんですか?」
「さあ……」
困ったように、女性店員は首を傾けた。
「そこが駐車場になるまえは、アパートだったことを知っていますか?」
「ごめんなさい。三年前、ここへ来たときには、もう駐車場だったから。でも、なにか事件があったんでしょ?」
「そうみたいですね……。いまの女性、その関係者でしょうか?」
「どうでしょう。ただ毎月十二日に、いまみたいに、そこへ花を供えていきますよ」
「今日は、十四日ですよね?」
「そうですね。おとといは、いらっしゃらなかったので、今夜になったんじゃないですか?」
十二日といえば……。
寺尾幸子の月命日。
ならば、やはり寺尾幸子の友人か?
それにしては腑に落ちない。
どうしても、あの笑顔が頭から離れなかった。