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母はかわいそうな人だ。  作者: 五十嵐準
1/1

私よりずっと、

人はいつか死ぬしいつ死ぬかもわからないので今まで言いたくて仕方がなかったことをここに記すことにする。


 人に3度どうしても許せないことをされたらその人を嫌うことにしている。2度目までは何をされても嫌いとは思わないようにしている。誰かを嫌いになりたいわけじゃない、人を嫌うってとても体力がいる。疲れたくないので、基本的に人のことは好きである。嫌いになっても1年も会わなければ忘れる。嫌い、という感情は好きより持続しにくい。私は父が嫌いである。

 母はとてもかわいそうな人だ。私は過去を振り返る時、特に小学生時代を振り返る時、必ずその場所は家だ。たくさんの習いものをしていて学校にも毎日行っていたがそれらは思い出そうとするととても時間がかかる上にとても不確かなものだ。私が心の中でずっと復唱していた「痛いからってなんだ、特に死ぬわけでもない。」という言葉はもはや癖になっていた。右足に大きな傷ができた時だって私はヘラヘラ笑っていた。痛いからって、痛いだけじゃ人は死ねない。死にたいと思っても、思うだけじゃ人は死ねない。母が私を殴るとき私はひたすらフローリングの模様を数える。爪にはいっている目を凝らせば見える薄い線を数える。反論は思いついても聞いてもらえないのだから思いつくこともやめた。母が機械のように同じ単語しか吐かなくなったころこの時間がそろそろ終わることを感じる。痛くても死ねないが涙はでる。今でも痛いと反射的に心の中で呟く、死ぬわけじゃない、痛がっても痛みはなくならないなら痛がる必要はない。教育は洗脳だ。幼い頃に教えられた教訓、いつまでも、きっと死ぬときまで私はコレに縛られ続ける。

 父に4度失望した。5度目以降は数えていない。1度目はある朝の廊下、父がぬけぬけと「何してんの?」とのたまった。私は前日いつものごとく母に殴られていた。理由は給食のトレイにひくナプキンを持っていかなかったからだ。私は忘れ物癖がひどい。忘れたことに気づいても取りに帰ったりはしなかった。後で怒られればすむことだ。でもこの日に限っては少し後悔した。母のヒステリックがいつもよりひどい。私はかれこれ2時間は殴られていた。途中姉が塾から帰ってきたがさして私たちを気にした様子もなく手を洗い部屋に戻りそこから出てくることはなかった。私はこの時間は父が帰ってくるまで続くのだと分かった。母は父の前ではとても機嫌が良かった。父はそんな自覚などないようであったが。姉が帰ってきてから1時間ほどした後だったか、父が帰ってきた。母は先ほどまでの声色とは打って変わって知らない人からの電話に出る時のように父におかえりなさい、と言った。父が玄関で靴を脱いでいる間に母は父の上着を手に「あんた、いつまでそこにいるの。早く寝なさい。」と言った。私は走って寝室まで行った。父とは目を合わせなかった。どうしてもっと早く帰ってきてくれなかったのだ、など小言はいくらでもあったがずっと続いていた嗚咽のせいでそれを口から出す体力は残っていなかった。いつの間にか寝ていた私は血まみれの布団で目覚めた。きっと母の爪がいつのまにか私の腕を傷つけていたのだろう。母は当時爪を長く伸ばしていた。1cm以上は常に伸びていたように思う。血が出たのは初めてだったので私はひどく焦って急いで洗面所に言って腕を洗っていた。母はすでに起きておりキッチンにいた。いつもより遅く起きた私に怒らなかったことを不思議に思った。既に血は乾いていたが洗ったときに傷口が開いたらしい、新しく水で流れていく血を何故かぼうっと見ていた。いつの間にか起きてきたらしい父が言った一言を私は一生忘れられない。昨日まで父は私の中でヒーローだったのだ。母の暴力が唯一止む理由は父だった。父さえ家にいてくれれば私が殴られることは少なかった。気づいたのだ、私は昨日から血まみれだったのだ、そりゃもう布団が真っ赤に染まるほど。腕の傷が5年も跡になるほど。昨日、確かに廊下で私は父とすれ違ったのだ。父は、ヒーローなんかじゃなかった。彼が吐き捨てた台詞を私は絶対、一生、忘れてやったりはしない。

 母はかわいそうな人だ。母はあまり声を大にしては言えない新興宗教にはまっていた。そのことに気づいたのは小学校高学年のときだったように思う。幼稚園の頃、母に連れられて近所の友達とその親と4人でどこか大きな会場に定期的に通っていた。2階で何かよくわからない話が始まると私は友達と1階へ行き無料のお茶を飲んだり鬼ごっこをしたりしてすごしていた。階段の上では廊下にまであふれた人達が床に座ってなにやら本を開きながら偉そうな人の話を静かに聞いていた。ある日私はリビングに呼ばれた。日曜日の昼下がりだったように思う。母にここに名前を書いてほしい、と何かの誓いと書かれた紙を渡された。けして強制されたわけではないが特に断る理由も思い付かず母の機嫌が悪くなっても困るので書きたいわけではなかったが名前を書いた。姉は部屋にいた。何故か誰にもこのことを言うことができなかった。母のなんとも言えない雰囲気がとても異様であったことが原因だと思う。

 父に2度目に失望したとき、私は父のことを特別意識していたわけではない。父は遅くまで仕事をしていてあまり家にはいなかったし、父の私を心配しているという定期的に吐く言葉も信じられないほどには特別な感情を持っていなかった。ある種、私は父のことを馬鹿にしていた。弱みを握っているつもりだった。私は幼い時、風邪で学校を休んだ時は特別に両親の寝室で過ごしていた。母が仕事に行っている間に父が忘れていった携帯を見つけた。父はきっと知らなかったと思うが私は父の携帯の暗証番号を知っていた。なんとなく盗み見していたのを覚えていたのだ。当時私は携帯を持っていなかったし、母の携帯を遊びで触らせてもらったことはあるが独占したことはなかった。昼も過ぎずっとつけていたテレビにも飽きていた私は自然と父の携帯を開いた。なんとなくメールを開いてみたがやはり特に面白いものもなく、知らない単語が並んでいて理解することもできなかった。ただ一つ、明らかに男の人の名前であるのにかなりの絵文字が使われている違和感のあるメールがあった。読んでみたがやはり意味が分かるわけもなく、ただその画面をぼうっと見つめた。無意識にその文面を覚えていた私が当時父が浮気をしていたことに気づいたのはそれからずっと後だった。父を馬鹿にしていた。私は弱みを握っていたのだ。何かの用事で大阪にいったとき家族でご飯を食べた。母はトイレに行っていておらず父と二人でエレベーターを待っていた。私はいつでも父を揺るがすことができる、いつでも浮気のことを母に言うことができる、と強気になっていた。母がもう少しで帰ってくるとき、本当になんとなく言ってみたのだ、私が母に紙を渡されて名前を書いたことを。全然期待などしていなかった父に気づいたら言ってしまっていた。どこかで信じていたのかもしれない。父が常々私に言っている「私のことを心配している」という言葉を、どこかで鵜呑みにしてしまっていたのかもしれない。父がそんな事をしているのか、といって何もなかったかのようにエレベーターのボタンを押して帰ってきた母を迎えたとき父はけして私を助けてくれないことを思い出した。どうして言ってしまったのだろう。言ったって変わるわけなんてなかったのに。

 母はかわいそうな人だ。私や姉から嫌われていることを知っていた。いとこ家族とご飯を食べた帰り、よくあるどちらかしか助けられないとしたらどちらを選ぶという話になった。60歳の偉い科学者、赤ちゃん、20代の働き盛りの男性、お金持ち、だれか一人しか救えないとしたら誰を選ぶか、と従兄弟が聞いてきた。私はどう考えても老い先短い人より幼い子供を救った方がいいと言ったら叔母はふざけた様子で「そりゃそうだけど、あんただってお母さんと友達どちらかしか助けられないとしたらお母さんを選ぶでしょ」と言った。私は特にそれに返事をするつもりもなかったのだが母は間も置かず「その子は友達を選ぶよ。私のことは嫌いだもの。」と返した。私は母に同情はしたが、やはり母より友達を助けるだろうと思った。それはけして母が嫌いだからではなく追い咲き短い人よりも幼い子供を救ったほうがよいと思ったからだ。

 私の年も距離も離れた従姉妹は私の劣等感をとても刺激した。私は大学生になっていた。実家からは遠く離れた土地で一人暮らしをしていた。その頃になると私の精神もずいぶんと安定していた。私はここまで柔らかな性格をしていただろうか、と驚いた。母の機嫌を伺わなくても良い生活は私をとても穏やかにさせた。もうこの頃になると私は母の事をさして嫌いではなくなっていた。母のおかげで何度も死にたいと思ったけれど、そんなことはもうどうでもよくなっていた。一人の生活がここまで楽しいものだとは思いもしなかった。そんな時、母方の祖母の容態がよろしくない、と知らせを受けた。もう会うことができないかもしれないので母の実家である沖縄に来るように言われた。私は私が非情な人間であることは理解していた。父方の祖母が亡くなった時、伯母や伯父が泣いているのをなんの感情もなく見ていた。今まで散々もお金の話をしていた彼らが苦しまずに逝けた祖母によかったよかったと言っている様を見てどうして人は皆大人になってしまうのか悲しく思った。大人になんてなりたくない。病室を出て廊下で姉が泣いているのを見て、全ては私が悪いのだと知った。今まで私がこんなに非情に育ってしまったのは家の環境のせいだと思っていた。どこかで姉も最低である、と思い込んでいた。姉が祖母の死を悲しんでいるのを見て最低な私は裏切られた気分でいっぱいだった。しばらくして現れた母にそんなことを悟られたくなくて、悲しみに暮れている振りをして病院の窓から外を見ているふりをした。私は自分が非情な人間であると、そのとき確かに理解した。そのときの事もあり、母方の祖母に会いに行く飛行機の道中、ずっと悲しい表情をできるかどうか心配していた。もう会うのは最後だと、何度も呟けば悲しくなれる気がしたのでずっとそうしていた。祖母は病室のベッドに横になっていた。私のことはあまり覚えていないようだった。少し寂しい気がしたが何年も会っていないので当然か、と諦めた。歳の離れた従姉妹にも初めて会った。写真で赤ちゃんの頃の姿を見たことはあったが、もうそのときの愛らしさはなく叔父にそっくりな顔立ちをしていた。母はその従姉妹を溺愛していた。母にとって姪や甥はたくさんいるが、幼く反抗もしない子供が好きな母には甘やかされてすくすく育っている従姉妹が可愛くて仕方がないのだ。母は従姉妹の一冊のノートを私に見せてきた。可愛いでしょう、この子、おばあちゃんがこうなってからお医者さんになりたいって言って看護日記を付けているのよ。開くと日にちと汚い字で祖母へご飯を食べさせてあげた、今日はよく食べた、などとイラストとともに書いてあった。とっても可愛いのよ、という母はこのノートが3日しか続いてないようにしか見えないことはもうどうでもよいのだろうな、と思った。私には昔、夢があった。小学校低学年の頃はペットショップの店員さん。動物が好きだった。母が大の動物嫌いであったので実際に触れ合ったことはなく、触れ合い方も分からなかったので諦めた。小学校高学年の頃はお花屋さん。母が花をとても好きだったので、これなら許されるだろうと思った。しかし私が花に対して興味を持てなかったので口には出していたが心から思ったことなどなかった。6年生の頃、初めて音楽にハマった。男の人がやっているバンドにばかりハマっていたのでなんとなく男の人にしかなれないと思っていたので最初から諦めていた。バンドマンにはなれなくても、音楽に関わる仕事がしたいと漠然と思っていた。中学の頃、初めて母の事を誰かに話した。保険室の先生だった。当時、生理痛がひどく薬を飲む事もしていなかったので月に1度保健室のお世話になっていた。顔ははっきりとは思い出せないが、私のことを苗字でよぶ少し男まさりな先生であった。泣きながら汚く話す私の言葉を先生は最後まで聞いてくれた。そのとき何かを言われたわけではなかったけれど、話すだけで救われる事があると知った。心理カウンセラーになりたい。心理カウンセラーになって、私のようなかわいそうな子供たちの話をたくさん聞いてあげたい。初めてちゃんとした理由で何かになりたいと思った。「心理カウンセラーなんて何人の人がなりたいと思ってるの。近所のあの子だって何年も浪人して結局諦めたんだからね。お母さんあなたには公務員になってほしいな。」私は夢を見るのを諦めた。高校にも行きたくなかった。勉強が好きだったことなど一度もない。ただできるからなんとなくやっていただけで、好きだと思ったことは一度もなかった。母に高校だけは行って、行ったら何をしてもいいから、と言われたのでしぶしぶ行ったのだ。何をしても良いと言われた私は高校では本当に何もしなかった。高校のほとんどの人がやっている部活にも入らず、隠れてやっていたバイトでもらった給料も全てカラオケに消えて夜は帰ったらすぐ寝ていた。当時大学生だった姉は成績が優秀であっても人間はなんにもなれないことを私に教えてくれていた。姉がなんとなくそのままニートになっていく様を見て、このまま自分もこうなるのだと思っていた。進路調査を出す頃、進学校に通っていた私は周りは大学に行く事を知った。やりたい仕事がありそれにあった学科に行く。その当然のことが私には決められないでいた。模試に希望校を書かなければいけないときは全て鉛筆を転がして決めた。3年生になった頃母は私に何処に行くつもりなのか聞いた。どうして母の中では大学に行く事になっているのだろうか、と疑問に思ったけれど口に出す事はなく私は消去法で決めた大学名を適当に答えた。一人で学校以外に行った事のない私に受験の日、母は付いてきた。母と愛知へ向かう道中、私は驚いた。ここに通えることができれば、母はこんなに電車に乗り継がないと私に会いに来る事はできないのだ。どうしてこんな簡単なことに気づく事ができなかったのだろう。しかしそれに気づいた頃はすでに遅かった。高校のとき何もしていなかった私がそんな簡単に大学に受かるはずもなくその年は記念受験で終わった。そして一年浪人した私はこの田舎に来たのだ。受験に失敗した人達が来るような大学で私は劣等感に拍車をかけていた。しかし、そんなことは問題ではなかった。母と離れることができたのだ。こんなに嬉しいことはない。一人でゆっくり考える時間ができた。そんな時、従姉妹に会ったのだ。お医者さんになりたい従姉妹、私の母に買ってもらったアニメのおもちゃを見せてくる従姉妹、甘えたような声を出して私の後ろをついてくる従姉妹、全てが私を苛立たせた。おもちゃを買ってもらったことなんてなかった。私の夢を聞いてくれたことなんてなかった。私に、こんなものを書かせるような感情しか、父と母はくれなかった。私だって医者になりたかった、普通の女の子になりたかった。母を喜ばせる仕事に就きたい、と思いたかった。それでもそう思えない自分を嫌いになんてなれない。私が私を嫌いになったら誰が私を愛してくれるのだろう。母は私を愛してくれるだろうか。

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