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更紗が住む小さなこの村には大きな森が存在する。
その森は神聖な森とされ、村人は鏡森と読んでいる。
森には神が住んでいると村人は信じている。
だから昔は神々見森と呼ばれていた。
それがいつしか鏡森へと変わっていったのだという。
だから人々は鏡森へは近寄らない。
この小さな村には高校はない。
だから高校へ行くには町まで行かなければならない。
更紗は毎日遠い町まで通っていた。
友達もおらず、いつも一人でいた。
「お前、また鏡森へ行くのかい?
あそこは神様の領域。
人が入っていいところではないのだよ」
母が眉をひそめて更紗を見る。
更紗はそれを無視して家を出て行った。
向かう先はもちろん鏡森。
更紗は森が好きだ。
柔らかな芝を背中に感じ、温かな日を浴びて横になる。
それはとても幸福な時間なのだ。
学校も友達も母親も全てが煩わしい。
母に私の気持ちが分かるというのか?
全てを忘れたいときはここで横になる。
すると全てが浄化された気持ちになるのだ。
この森には本当に神がいるのかもしれない。
そしてその神が心を浄化してくれるのだ。
更紗が目を開けると隣に知らない男が寝ていた。
「!」
慌てて飛び起きる。
いつの間に隣に来たのだろう?
気配を感じなかった。
更紗は男を見つめる。
男は着物を着て、黒く長い髪をしている。
こんな人は村では見たことなかった。
しばらく見つめていたら、男が身じろぎして目を開けた。
その目は深い緑色をしていた。
「…すまない。
お前がいつも気持ち良さそうにしているから、一緒に寝てみたくなったのだ」
男はそう言って笑った。
無邪気な笑顔につられて更紗も笑った。
「ここは私のお気に入りの場所なのよ。
とても気持ちいいでしょう?」
ああ、と男は言って起き上がった。
「私は泰正という。お前は?」
「更紗」
そうか、と言って泰正は笑った。
それが二人の出会いだった。
季節は冬へと変化していった。
冷たい風が森を吹きぬける。
「もうこうして外では横になれないね」
更紗が不満げに言う。
泰正は少し何かを考えているようだ。
「なら、私の家へ来るか?
森の少し奥にある」
そこならば寒くはあるまい、そう言って泰正は更紗の顔を見る。
「来るか?」
泰正はもう一度尋ねた。
更紗は頷いて泰正に付いて行った。
迷う理由はなかった。
泰正の家は小さな社だった。
そういえば聞いたことがある。
森の奥に小さな社があって、そこに神が住んでいると。
やっぱりそうなのだ、と更紗は思った。
泰正は神なのだ。
この森の神なのだ。
どうした?と泰正が首をかしげて更紗を見ている。
きっとこの社に入ってしまったら、私は戻ることが出来ない。
そんな予感がした。
引き返すなら今なのだ。
でもそうしたら、もう泰正とは会えなくなってしまうだろう。
それが分かっていた。
だから更紗は首を横に振るとその社へ入っていった。
社の中には何もなかった。
寂しい部屋だ。
でもここなら寒くない。
「泰正はどれくらいここにいるの?」
更紗は聞いた。
「…もう覚えていない。
人とこうして話したのも久しぶりだ。
この森に人は立ち入らない。
だから更紗が来てくれるようになって嬉しかった」
泰正は柔らかく笑った。
「ここは神様が住む森だから、入ってはいけないと教わったわ。
だから入る人はいない。
でも私はここが好きだから、そんなことは関係なかったの」
「そうか。
何度か声をかけようと思ったことがあった。
でもそうしたら人は驚いて逃げてしまうかもしれないと、そう思ってためらった。
あの日も、傍で見ているだけにしようと思った。
でも気持ち良くなって一緒に寝てしまったのだ」
そう言って泰正は苦笑した。
「これからは一人じゃないよ?
私が一緒にいる。
もう寂しくないよ」
更紗は泰正を抱きしめた。
幻ではない、ここに存在している。
そうして感情を持って寂しいと思っている単なる一人の男なのだ。
泰正は頷くと更紗を強く抱きしめた。




