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わたしのできること



 わたしは甲板清掃員(臨時)だ。


 甲板を綺麗にするのが仕事だ。

 それ以外にできることは、あまり無い。



 今日は強い風が吹いている。

 身体を押しやるその勢いを意識していないと、ふとした瞬間によろけてしまうくらいだった。

 こういう日は思わぬ事故も起こるから、安全確認、危機管理はしっかりしろ、と皆が声をかけ合っている。

「飛んでかねえように気ィ付けろよ、チビ」

 横を通り過ぎざまに、手袋を嵌めた手のひらがわたしの頭を叩いていった。

 みんなヘルメットにゴーグルにといろんな装備で全身を固めているから顔が見えにくいんだけど、今のは誰だったかな。 ……まいっか。

「チビじゃないけどりょうかーい」

 軽口には軽口で返して、でも言われたことはしっかり思考に刻み込む。ちゃんと気を付けよう。

 高所での作業は身体に着けた安全帯のフックをかけるのを忘れずに、風向きを考えて、無理にやろうとしないこと。

 気を使いながらの仕事は時の流れをいつもより遅く感じて、お昼の休憩まではまだまだ、もう少し───そんな午前中。


 ぴりっと空気が辛くなるような感覚があった。


 何かよくないことが起きている。

 わたしはクルーが連絡し合う無線のヘッドセットを持ってないから、情報も与えられない。それでも、みんなが緊張の糸をぴんと張る瞬間くらいは感じとれた。


 甲板で働く人たちがそろってきりりと顔を引き締める。それから作業する手に一段と、爪の先まで行き渡るように神経を集中させていく。

 より急いで、より万全に。何があっても、対応できるように。

 甲板で待機していた戦闘機の発艦準備が整えられ、次々にパイロットが乗り込んで、カタパルトで送り出されていった。

 こういう時にわたしは何もできない。組織立って動いている人たちの中に異分子が混じったところで、場を引っ掻き回すだけだ。甲板の隅に行って邪魔にならないようじっとしているしかないのが歯がゆかった。


 原因は───なんだろう。滓が出たみたいだけど、龍がいれば危険なことなんてそうないはずなのに。


 格納庫からは消火をはじめ様々な緊急時用の車両が引っ張り出されて、もしもに備えて待ち構えている。自力で着艦できなくなった戦闘機を受け止めるためのネットまで甲板に用意されて、不安になった。

 空を見上げる。機影らしいものはまだ見えない。


 じりじりしながら目を凝らして、空にぽつりと浮いた点をみつけた。その影が大きくなるにつれ、輪郭がはっきり見えるようになってくる。


 宙を滑って飛行する、人の形に似た姿。あの蒼い装甲は、ランスだ。

 人型で飛ぶのは速度が出せないから、なにか理由がないかぎりはしないって言ってたのに。 

 高度もいつもと比べるとずいぶん低い。どうしてだろう。


 嫌な予感は、彼の機体から長く尾を引く煙となって姿を現わした。

 エンジンの音がゆっくり近付いてくる。艦の人間はわたしも含め、みんな飛行甲板の端で固唾をのんで着艦を待った。


 ランスは滑空しながらではなく、上からほぼ垂直に下降してきた。

 近くまでくると、蒼い装甲に無数の傷が刻まれているのがわかった。両手が胸の前で合わされている。何か、持ってるみたいだ。

 重い金属の脚が甲板に落とされ、巨大な質量を受けとめた震動が響く。たたらを踏むようにバランスを崩した彼の機体が、斜めに傾いだ。


 ───下がれ!


 脳に直接叩き込むような、ランスの声。

 駆け寄ろうとしていたクルー達がはっと足を止める。わたしには日本語に聞こえていたけど、この艦で主に使われているのは英語だ。たぶんこの場にいる人間の、それぞれの言語にあわせて個別にメッセージを送ったんだろう。


 危険を察知した人たちの判断は素早かった。

 すてっぷばっく、誰かが上げた声とほぼ同時に全員が身を翻し、空間が開けられた。

 ランスはそこへ不自然に姿勢を保ったまま肩から倒れ込む。金属が擦れるひどい音と一緒に火花が跳ねて、割れた装甲の破片が甲板の上に散った。

 一歩間違えれば巨大な機械の下敷きにされるところだったのに、多少の危険にも怯まない人たちはすぐランスの元へとって返す。


 受身も取らずに倒れ、頑ななほどにランスが固守していた大きな手のひらが、駆け寄った人間の前で開かれる。そこから軽くて薄い布───パラシュートがするすると滑り落ちてきた。

 破れ目が目立つその布に包まれるように、人の手足が見え隠れしている。弱々しくも動いているのが確認できて、生きていることにほっとしたけれど、あちこちを染める赤い色も見えて胸が痛んだ。まだ安心するのは早いかもしれない。


 何があったのか聞かなくても、想像はできる。

 きっと戦闘機が撃墜されて、脱出したパイロットのパラシュートを『滓』が食い破ったんだ。

 それを助けにいったランスはわたしを庇ってくれた時みたいに動かなかったんだろう。そうしてあの傷を受けた。


 担架が用意されると、大きな黒い手がそこへ寄せられ、負傷したパイロットを人の手へと受け渡した。慌しく艦内へ運ばれていく担架を見送ってから、ランスに視線を戻す。


 大きく裂けた左肩。倒れた身体を起こそうと腕を動かすたびに、そこからきゅるきゅるとギアが空回りするような音がする。甲高い悲鳴にも、苦しげな呼吸にも似て聞こえた。

 右脚も動いていない。腿にあたる部分の装甲が歪んでいる。立ち上がることができないランスは、残る右手と左脚を使って這うようにリフトへ移動し始めた。


 そばに行きたかった。

 でもわたしが周囲をちょろちょろしても、邪魔にしかならないだろう。

 きっとランスは小さな人間をうっかり潰さないように気を使って、動きを制限しなくちゃいけなくなる。ただでさえ辛そうに機体を引きずっている彼に、余計な負担をかけるだけだ。

 心配でしかたない。でも遠巻きにただ眺めているよりも、他にもっとするべきことがあるはずだった。


 甲板のみんなの動きを見た感じ、他に誰かが帰艦する様子はない。今なら滑走路へ行っても大丈夫そうだ。

 バケツを持ち上げて、ランスが倒れていた辺りへ向かう。龍から剥がれ落ちた装甲の破片を急いで集めないと。

 こんなにひどい傷を負って帰って来たことは今までなかった。


 龍の機械の身体は、自己修復する。破壊された部位は高い熱を持って変形し、元に戻ろうとするのだ。けれど失った組織を補充できなければ、そのぶん装甲が薄くなったりして、どんどん弱体化してしまうらしい。

 地球にきている彼らはほとんど無補給だった。 龍が活動するためのエネルギー、兵装、医療設備、もろもろのものは、地球にとってはすべて未知の物質と未知の技術。

 それらの流出入を恐れた遠い星の龍たちと、地球の人たちが、必要最低限の装備しか許さなかった。

 ほんのひとかけでも失うことは、彼の傷が増えてしまうことと同じ。


 甲板に散った金属のかけら。鈍く光を反射するそれを掴み取ってすぐ、てのひらに熱を感じた。

「あつっ……!」

 嵌めていた作業用手袋から焦げ臭い匂いが立ちのぼる。慌ててかけらをバケツに投げ入れて、手袋を外した。

 龍のかけらは細く煙を燻らせている。もうかなりの高熱を纏っているのがわかる。この熱が消えないうちに本体へ戻せなければ、ただの金属の塊になってしまう。そうなったら、設備なしに元通りの回復は不可能───そう聞いた。

 手袋をぱたぱた振って空気に触れさせ、温度を下げてから、もう一度嵌めた。炭化して黒くなった部分がぼろぼろと崩れて穴が開く。手のひらがひりひりする、火傷してしまったかもしれない。気をつけないと。

 サイズが小さいものほど温度が高くなっているみたいだけど、触れている時間をなるべく短かくすればたぶん大丈夫。全部は無理でも、できるだけたくさん急いで集めなきゃ。

 甲板に膝をついて、かけらに手を伸ばす。


 そうやって拾い集める背後で、がららん、とわたしのバケツが音を立てた。

 振り返ったら、ちょうど踵を返すクルーの背中が見えて、またがらんとバケツが鳴る。今度はちゃんと見えた。さっきとは別のクルーが、かけらをバケツに投げ入れるのを。

 フォークリフトが何キロもありそうな大きな金属の塊を運んで横切っていく。

 その向こうに、何かを探すように甲板に視線を落とす人影もあった。

 龍のかけらを拾ってる。


 ああ───よかった。みんながランスに手を貸してくれるなら、きっと全部集められるだろう。


 わたしには重くて持ち上げられない大きな塊も、クルーの鍛えられた太い腕にかかれば綿の詰まったぬいぐるみみたいにひょいひょい拾われていく。ああいうのは彼らに任せて、わたしは見落としやすそうな小さいやつを拾っていこう。

 頬を甲板に寄せ、距離を近づけて探す。目で見つけられないくらい小さくても、かけらが放つ熱を頬に感じることもある。這いつくばるわたしは傍からみたら滑稽だろう。

 それでも、かなうなら、どんなに小さなかけらも見落としたくなかった。

 わたしにできることは、それくらいしかないから。





   ※  ※  ※





 傷ついたランスが身を置く格納庫の一角は、立ち入り禁止にされた。

 鎖で囲まれているけれど、誰もそこへ好んで近寄ろうとはしない。格納庫全体を鉄工所みたいに熱く変えてしまっているのだから、その根源ともなれば、どれだけの熱を放っているのか───鎖の外に立っていても痛いくらいの熱さだった。


「それ以上近付いてはいけない」


 穏やかに、響く声。

「鎖には触れないように」

 注意を促されて、張られている鎖に視線を落とした。見た目には何も問題ないように見えるけれど、これだけ熱い場所に長い時間置かれていた金属だ。熱を吸収してかなりの高温になっているんだろう。

 うっかり握ったりする前に教えてもらってよかった。


 胸を撫で下ろしつつも、傷ついているランスに気遣われる自分が情けなくて、唇を噛みしめた。


「ごめんね……わたし、何もできない…何も。掃除くらいしか───みんな、頑張ってるのに」

 結局、ランスの機体から剥がれ落ちた装甲の破片は、人海戦術であっという間に集められた。わたしが拾ったのはそのごく一部でしかない。掃除だって、クルーが忙しく作業している間は手が出せない。邪魔になるだけだ。

 わたしがやれることなんて、無くても何も変わらないくらい微々たることでしかない。

 ランスたちはパイロットを、人間と地球を守って戦って、傷ついているのに。同じ『居候』でも、龍とわたしじゃ天地の差だ。本当に情けない。

 顔を上げられなくて視線を落とした。


 俯くわたしの頭に、ランスの声が向けられる。

「───我々は利害の一致からこの航空母艦『ディーノ・ラテーロ』に身を置いているにすぎない。組織に従う一端である以上、目的を違えば敵対することも有り得る。だが奈津はどこにも属していない」

 ……うん。その通りだ。

 同じじゃなかった。龍は空の向こうに帰る故郷があるけれど、わたしはどこにも、寄る辺がない。

 龍とは違う。人間のクルーにも混じれない。

 ますます情けなくなって落ちこむわたしをよそに、穏やかな声は淡々と言葉を続けていく。

「それゆえに、命令によって敵対することもない。中立の状態を保てる存在は希少だ」


 ……え。

 なんだか考えてもいなかったことを耳にして、びっくりする。


「一方的な協定の破棄によって帰艦時に攻撃を受ける可能性も常に考慮しているが、『ディーノ・ラテーロ』に接近し、平常通りに清掃された甲板に奈津を確認するのは、我々に一定の───緩和を与える」

 妙に言い淀んだかんじは、言葉の選択をひどく迷ったせいのようにみえた。


 ……励まされたのかな。すっごいわかりにくくて、へたくそな慰めかた。

 でも、だから、そこにはきっと、嘘がない。


 わたしがここにいる意味が、ちょっとでもあるのなら。

「……うん。わたし、仕事に戻る」

 落ち込んで、立ち止まってるより、出来ることを探しにいこう。


 じんわりにじんだ涙を袖でごしごしふき取って、鼻をすすりあげる。ランスの機体から放たれる熱気が、顔の余計な水分をすぐに乾かしてくれた。

「傷がなおったら、煤払いするね」

 たぶん、空気に混じる塵が熱で焼けて、彼の装甲にこびりついちゃってるはずだから。

「宜しく頼む」

「うん」

 返ってきた穏やかな声に頷いて返す。

 上を向いて、ランスを見上げて、笑ってみせたつもりだけど、変な顔になってたと思う。でもいいや。かっこいいとか悪いとか、そういうのはどうでもいい。



 わたしは甲板清掃員(臨時)だ。

 やれることは少ないし、わたしがやらなくても、代わりになるものはいくらでもある。 おっきなことは何もできない。

 それでも、ちっぽけなわたしができる精一杯が巡りめぐって、他の誰かを支える手助けになればいい。


 わたしは甲板清掃員。臨時ではあるけれど、今日も明日も、誠心誠意、真心こめて、働きます。

 がんばるぞー!




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