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清掃員と整備班



 わたしは甲板清掃員(臨時)だ。


 航空母艦『ディーノ・ラテーロ』の飛行甲板を掃除するのが仕事だ。


 わたしが働く甲板には、ほかにもいろんなお仕事を担う人たちがいる。

 もちろん主役は飛行機なんだけれど、パイロットが甲板にいることはあまりない。彼らはお仕事の時間のほとんどを空で過ごしている。

 甲板でずっと働いているのは、そのサポートにまわっている人たちだ。


 大きな航空母艦の設備はどれも大規模で、やっぱり大きいから、ひとつのものにたくさんの人が協力しあって取り掛かる。

 要所には航空機の運行がスムーズにいくよう誘導する人、火器専門のチーム、離着陸に使うカタパルトやワイヤーの準備点検をする人。

 甲板の中心で走り回っているのは彼らだから、もしかすると主役はあっちかもしれない。

 滓が現れた時のスクランブルは鬼気迫る勢いで、本当に大変そうだ。


 わたしはそういう時、いつも彼らの邪魔にならないように、すみっこにいる。でもそれは、わたしだけじゃなかった。ふと気がつけば大体似たような位置にいたのが、飛行機の整備の人たち。

 彼らは緊急時に備えて万全に準備を整えておくのが基本なわけで、整備中の予備の機体まで無理矢理発艦させなきゃならないような事態にはそうそうならないだろう。

 整備班にはそれくらいの余裕があってもらわなくちゃ困る。


 一口に整備といっても、その対象は様々だ。電子機器、機体、銃火器なんかには、それぞれにそれ専門の、いわゆるスペシャリストの人たちがいて、ひとつの飛行機に複数の整備班が手を懸けているのだ。


 その整備のおっちゃんたちの中に、日本人の集団がいる。



 本日のお仕事に必要な道具を引っ張りだしてバケツに突っ込み、格納庫を歩いていたら、そのおっちゃんたちと鉢合わせた。

「よう、なっちゃん。今日は龍の垢落としか」

 声をかけてきたのは赤城さん。恰幅のいい、五十代のベテランさんだ。わたしと同い歳くらいの娘がいるんだって。


「おはようございまーす。そうなの、昨日の雨は風も強かったから、潮でべたつくってエイルが文句言ってて」


 洗剤のボトルが入った重いバケツをちょっと持ち上げると、無言でそれを覗き込む人がいた。

 赤城さんと同い年くらいの、でもなぜか白髪が多めの加賀さん。無口だけど柔和な雰囲気の人だ。ただ、お仕事中はきりっと厳しい顔してたから、最初は近寄り難かったけど。


 年長のふたりの後ろでにこにこしている小柄な人は千代田さん。

 千代田さんとは、清掃中の鼻歌がきっかけで喋るようになった。わたしがここに来る前に流行ってた曲が、三十代半ばの千代田さんにとっては学生時代の懐かしき思い出の歌らしい。

 わたしの時間と空間のズレが会話のきっかけになったっていうのは、微妙な気持ちというか、不幸中の幸いというか。


「翔龍はずいぶんやんちゃみたいだから、海面近くを飛行したのかな。大変だね」

 蒼戟の天龍とか迅翼の翔龍とか、ランスたちに渾名をつけたのは、このおっちゃんたちだったのだ。

「もーほんと、ワガママなんですよアイツ! 千代田さん、手伝ってくれませんか」

 手にしたデッキブラシを差し出してみせると、彼はにっこり笑いながらも手のひらを左右に振った。

「いやあすごく魅力的だけど止めとくよ。僕じゃご機嫌を損ねるだろうし」

 ……それは、隙あらばスパナ握るのをよせばいいと思うんだけどなあ。

 とりあえず笑いをつくって返しつつ、ブラシは引っ込める。


「そういえば、アイツどこにいるか知りませんか」

 格納庫にいるはずだと思ってたのに、肝心のエイルがなぜか見当たらない。

 おっちゃんたちもおや、という顔をして、きょろりと視線を周囲に投げた。


 エイルとランスとカリス、三機の龍は、人間の勤務サイクルにあわせて交代で移動していることが多い。

 空から滓の監視、甲板での待機、格納庫で休息…というか人間とブリーフィング。だから大体格納庫に一機は龍がいるはずなんだけど。


 いないなあ。

 あたりを見回してたら、ふっと照明が翳った気がした。陽光を取り込んでいた搬入口に、大きな影。

 あっと思うまもなく、そこからエンジン音と一緒に金属の翼が羽ばたく独特な音が舞い込んでくる。

 重厚でありながら涼やかに、しゃんと鳴ってよく響く、銀の翼。

「エイル! アンタ居ないと思ったらそんなトコからー!」


 ちょっとしたトンネルくらいにおっきい搬入口は、甲板の端に設置されたリフトと繋がっている。上下に動くそれを使って飛行機やら何やらを甲板から格納庫へ移動するのだ。とっても合理的で便利。

 でもだからって、いくらなんでも搬入口から戦闘機が直接着艦するなんて、誰も想定してない。翼の一打ちごとに生まれる強い風のせいでなんかもうめちゃくちゃだ。

「エンジン停めなよばかーっ!」

 ここは甲板と違って屋根も壁もある。逃げ場のない空間で生まれた風はあっちこっちで吹き荒れた。

 エンジンの轟音に混じって、いろんなものが落ちたり倒れたりする音が聞こえる。

 待機中のはたらくくるまのみなさんががたがたと揺さぶられ、積んであったフォークリフト運搬用のパレットががらがらと崩れ、風に煽られて足元をころころ転がっていくスプレー缶に、跳ねるロードコーン、ページをばらばらめくられながら床を滑るエロ本。こんなもん格納庫に隠してた阿呆は誰だー!

 ドン引いたタイミングに黄色い染み付きタオルがきりもみしながら傍をかすめて飛んでいった。もー、何に使ったんだか知らないけど汚い!

 遠くのほうでこの暴風の被害を受けたっぽい悪態が聞こえる。英語がわからなくても、シット! とかファ●ク! とかはさすがにわかる。こりゃ大変だ。


「こらあエイルー!」

 めいっぱい怒鳴ったわたしの声に、機械の獣はようやく翼を折りたたむ。

「なんだよチビはうるさいな……げー!」

 エイルはこちらを見るなり、重い足音を響かせながら嫌そうに後退りした。尻尾がぶるっと振られ、背後でとばっちりを受けた牽引車がめしょっと音を立てる。あーあ、へこんでないといいけど。

 おそらくの原因を振り返って見てみれば、整備班のおっちゃんたちが静かにじっとりした熱い視線をエイルに向けていた。

 やっぱり。


 エイルの背中で、姿勢制御のために開いていた柔軟な関節部分の装甲が、がしょがしょっと音をたてて閉じる。猫ならこういうときに毛を逆立てて膨らむけど、反応が逆でちょっと面白い。

 それから、格納庫の床がまるで熱せられた鉄板かなにかみたいに、少しでも接地時間を減らしたい様子で足踏みをする。大きな機械の獣がどすどすと艦を揺する震動が足裏に伝わってきた。

 同じ床に触れているのもイヤなくらい、ここに居たくないらしい。

 結局は踵をかえして搬入口からしぱーんと華麗に身を躍らせ、金属の羽を鳴らしながら飛び去っていった。


 ……逃げたな。



 整備班のおっちゃんたちはというと、そのエイルの動きにいちいち感心して、興奮に目をきらきらさせている。


「みなさんほんとに龍が好きなんですね……」

「そりゃお前、ロボットだぞ。巨大ロボットだぞ。変形するんだぞ?!」

 赤城さんは拳を握り締め、なにやら興奮に打ち震えている。整備士たちのものすごく勢い込んだ熱弁が始まった。マニアックすぎて何を言っているのかまったく理解できない。

「僕は変形とか合体って邪道だと思ってたんですけどね。完璧なのを見せられちゃうとなあ……」

 いったい何の道の邪道なのか。あとランスたちは合体しません。

「男のロマンの体現だ」

 加賀さんが重々しく呟いて、うむ、と頷いた。


 ごめん、そりゃわたしにはわかんないわ。


「ああ、一度でいいから中を見せてくれないかなあ……」

 焦がれるような瞳でエイルが出て行った搬入口を見つめつつ、千代田さんは小さく息を吐いた。

「───コックピットに乗りたい、じゃなくて?」

 巨大ロボットに憧れるのって、そういうパイロットになりたいからだと思ってた。

 わたしの問いかけに、千代田さんは気の抜けたような笑いをかえす。


 視界の端っこで警告灯がちかちかと瞬いて、ブザーが鳴った。リフトが下降してきている。

 開いた隙間から蒼が見えて、誰がのっているのかはすぐにわかった。

 赤城さんはそれを見上げ、周囲に笑いじわの刻まれた目をまぶしそうに細める。

「俺たちゃそういう器じゃねえから、いいんだ。それよりも今はあの中を見てみたいんだよ」

 そう言いながら彼は自分の腰に手をやった。そこにあるのは、ベルトに下げた工具バッグに差し込まれているスパナ。


 滑らかに降りてきたリフトの上に立つ機械の巨人───ランスは、こちらを視覚で確認してぎしりと機体を軋ませた。

 うっとりとした呟きに、わたしもちょっと引く。彼ら整備士が言う『中を見たい』ってつまり、バラしてどんなつくりなのか調べてみたい、ってことなわけで、そんなことをいい年のおっちゃんに惚れぼれと陶酔した表情で見つめながら言われるのってどんな気分なのだろう。

 わたしは知りたくない。ごめんこうむる。


 リフトが下りきって停止してるのに、ランスの動きがいつもよりワンテンポ遅かった。格納庫へ踏み出すのを躊躇ったようにみえる。

 移動する彼の進路が微妙に湾曲しているのは、整備班のおっちゃんたちを避けているから、かなあ。

 もともと格納庫の高さがぎりぎりで、背の高ーいランスは屈まなくちゃいけないんだけど、今はそれに加えてなんだか抜き足差し足、忍び足っぽい。

 たぶん刺激したくないんだろう。でもそれって意味あるのかなあ。整備班の視線はしっかりランスに釘付けになってるのに。


 ものすごく涙ぐましい努力に見えて、笑いをこらえるのが大変だった。


 隅まで辿り着いたランスは片手を床につくと、そそくさと形を変える。

 一瞬すぎて、まばたきしてたら見逃す早さ。たぶん見られてるのがイヤで急いで変形したんだろうけど、おっちゃんたちは大喜びだ。

「早いですねー」

「もう少しじっくり見てみたくもあるが……」

 組み替えの仕組みについて、にこにこしながらああだこうだと談義している。

 ランスは人型から戦闘機へと変わったあと、むっつり黙って動かない。


 ……ただの戦闘機のフリしてるのかな、アレ。

 健気すぎてちょっぴり可哀想にもなってきた。

「わたし、今日はランスを磨くことにします。エイルはどっか飛んでっちゃったし」

 よっこいしょとバケツを持ち上げると、盛り上がっていたおっちゃんたちははっとしてぴたりと口を閉じた。

「おう、そうかい。俺らも仕事に戻らんとなあ」

 動かなくなった蒼い戦闘機をちょっと残念そうに眺める彼らに手を振って、わたしは格納庫の隅、戦闘機のほうへ向かった。




 わたしは、ひとつの事実を知っている。


 龍のすぐ近くで、というかしょっちゅう上にのって洗っていて、この目で見ているから。

 ランスたちは、地球にあって不自然ではない戦闘機の形を模倣しているけれど、中身はその限りじゃない。つまり、外側からボルトやネジに見えるものがあっても、それは見かけだけなのだ。スパナやドライバーで分解なんか最初から不可能。


 そんなこと、当の本人である龍がいちばんよく知っているはずなのに、あの怯えっぷり。

 思わず笑ってしまった。注射が怖くてお医者さんを嫌うこどもみたい。


 でも、龍の硬い装甲に注射の針は刺さらない。銃どころか砲弾もミサイルも効きやしないのに、スパナ一本もった人間なんて丸腰同然。一ミリの傷だって付けられないんだから、脅威に感じる要素なんか、ひとつもない。


 彼らが持つ力を使えば、人間なんてどうとでもできる。一瞬で消し炭にしちゃえるし、踏み潰すのも簡単だ。

 けれどそうせずに、逃げるだけ。



 何もできないはずの整備のおっちゃんを怖がる優しさを、ほかの人にも知ってもらえたらいいんだけどなあ。


 とりあえずは、格納庫の隅っこで息を潜めてる戦闘機のことを、ぴっかぴかに磨いてあげるとしますか!

 毎日のねぎらいをたっぷりこめてね!




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