清掃員のお仕事
わたしは甲板清掃員(臨時)だ。
甲板を磨くのが役目だ。でもたまに、他のものも磨いたりする。『龍』と呼ばれる彼らとかを。
潮のにおいを運ぶ風が、わたしの髪を揺らしていく。
今日も気持ちいい快晴。暑すぎず寒さとは無縁。
ちょっと動けばすぐに汗がふきだしてびっしょりになっちゃうのが難点だけど、強めの風が常に吹きつけてくるから乾くのもすぐだ。気候だけはじつにいい。
「おいチビ退け」
突然横からすぱんと頭を叩かれた。作業着の背中がわたしを追い越して駆けていく。
また殴られたよ、もー。
はたかれた箇所に手のひらをあてつつ、とりあえずマイ仕事道具を抱えて端っこに移動した。こういう時はよくわからなくても避けておくに限る。
出自を怪しまれているわたしには、みんなが装備している無線のついたヘッドセットは与えられていない。だから管制から何かの指示があっても、わたしはさっぱりわからなかったりする。代替措置としてブザーを鳴らしてくれているんだけど、ぶっちゃけ近くで飛行機のエンジンがかかってると聞こえないんだ。周囲の人もそれはわかってるから、こうして教えてくれる。でも毎度叩くのはなんだか納得いかない。
殴らなくてもいいじゃん、言葉通じるのに!
むすっと膨れながらせわしなく働く人の流れを眺め、それから空を眺めた。
誰か帰ってくるのかな。甲板には飛行機の急減速を補助する金属ワイヤーが準備されてるから、ランスでもエイルでもないのは確かだ。
この艦にはいろんな国の人が乗っていて、その中には日本語がわかる人も、日本人もいる。
その人たちとお喋りするうちに、ランスたち『龍』には固有の渾名が付けられていることを知った。
蒼い装甲のランスは蒼戟の天龍って呼ばれているらしい。小回りがきいて翼が奇麗なエイルは、迅翼の翔龍。黒金のおじさまは鋼龍だとか。
それから、戦闘機の形態を持つ龍がもうひとり───カリスは戦剋の闘龍とか呼ばれてる。
わたしは結構な時間を甲板で過ごしていたはずなのに、彼の存在に気付くまでずいぶん時間がかかった。彼は格納庫に行くまで形態を変えないことが多かったから。
ランスやエイルと違って、カリスだけはワイヤーを使って着艦する。自力で帰艦できないわけじゃないんだけど、頼むからワイヤーを使ってくれ、とクルーのほうからお願いしたらしい。
その理由は、彼の形態変化後の姿にある。
甲板に近付く戦闘機の影は、ちょっと特徴的な翼の形をしていた。くるりとひっくり返して逆さにくっつけたような、前に伸びた不思議な翼。
以前その形を真似して両手をV字にばんざーいってやったら、カリスにすごーく冷めた雰囲気で見下された気がしたので、もう二度とやらない。機体を染める、漆黒と見紛うような濃緑色のイメージそのままに、口が重くて性格も重苦しくて陰鬱なヤツだと思う、あいつは。フンだ。
甲板へ滑り降りてきたカリスは人間のパイロットがやるのと同じように、後部から下げたフックに金属のワイヤーを引っ掛けて着艦する。限られた長さの短い滑走路を、ワイヤーの制動を受けて停止。そろそろと後退してぴんと張ったワイヤーを弛めたところで、彼は黒緑の輪郭を変えた。
ミサイルや機関砲をごってり抱えた彼の機体は、翼が胴体部分に吸い込まれるように折りたたまれ、銃器の類は上部に移動して、砲身がたいへんよく見えるようになる。胴体からは叩きつけるような震動を響かせて脚が生えた。
一対、二対、三対。
六本の脚が甲板を踏み鳴らし、立ち上がる。
多脚戦車、と誰かが言っていたっけ。彼はランスやエイルのように関節の多い生き物の形を模倣していないので、形態変化を利用して着艦しようとすると、六本の脚の先だけでブレーキをかけることになる。あの巨体でそんなことをされたら、飛行甲板が傷んでしまう。
そういうわけで、頼むからワイヤーを使ってくれとお願いした次第、らしかった。
彼の一歩ごとに震動が甲板を揺さぶる。
カリスと、それからランスは戦闘機のなかでも大型で、その機体は───わあああむちゃくちゃ汚くなってるうううう!
近付いてきた彼の装甲のあちこちに、滓によるものだろう汚れがべっとり張り付いているのが見えた。
また体当たりしたなアイツー!
「カリスのばかっ、なんなのそれ───!」
わたしの声に重たい歩みが止まり、ぎゅいんと音をたてて彼の『眼』がこちらを向く。ぶっとい砲身ごと。
「こっちみんな!」
撃たれないってわかっていても銃口は恐い。デッキブラシを無駄に振り回して抗議するわたしに、またぎゅいんと上部の砲塔部分が回って正面を向き直る。ついでに止まっていた金属の脚も動き出して、恐ろしいことに彼の機体からぼとぼとと『滓』のかけらが甲板に落ちた。
ぎゃああああせっかく磨いた甲板が───!
「ちょ、待って、待ってえ! あんたここからリフトまで歩くつもり?!」
どんだけ汚すつもりなんだ!
後片付けのことを考えて戦慄するわたしを、カリスはしれっとシカトしてどすどす歩き続け、そのたびに甲板が汚されていく。ぎゃー!
「無視すんな!」
目の前を通り過ぎようとする戦車の前へ走り出て、デッキブラシを振り上げる。
「それ取ってからにしてよ!」
わたしの訴えはカリスにひょいと一跨ぎされた。一蹴ですらないスルーっぷり。このやろう。
「止まってってばーっ」
すぐ近くで甲板を踏む震動によろけつつ、頭上を通り過ぎようとする彼の脚の一本に飛びついた。
実力行使に出たわたしに、カリスの歩みが止まる。硬い装甲をブラシの柄でかんかん叩いて苛立ちをぶつけた。
「もーもーもー! わたしの仕事が増えるでしょ! 端っこ寄って! はやく!」
人間でいうなら足の甲部分にわたしが乗って大きな脚にしがみつくと、彼は渋々といった様子で向きを変える。動くまでのちょっとした間とか、脚を持ち上げる角度とかがものすごーくやる気無さそうなのがよくわかった。
ついでにやっぱりやる気が無さそうな、ばりばりの電子音で、エイルみたいに感情溢れる表現を省いた、抑揚のない機械的なロボ声が響く。
「お前達は要求が多すぎる」
「あんたが気配り足りないのっ」
さらにかんかん脚を叩いて主張した。
……大事なとこではちゃんと気を遣ってくれてるの、知ってるけど。
わたしを振り落とさないように、わたしが乗っかってる足だけ上下に動く幅が小さいとか、動く早さがさりげなくゆっくりだとか、そういうところ。
でも人命に関わらないようなとこだととことん無頓着。音声だってもっと人間に近い喋り方ができるくせに、なおざりでテキトーすぎる。円滑にコミュニケーションしようとか、ちっとも考えてない。
それがカリスという『龍』だった。
甲板で働く他の人たちの邪魔にならない端っこまで来たところで、わたしはカリスの足からぽんと飛び降りる。
あいもかわらず渋々面倒臭そうに、彼は六本の脚を折り畳み、高い位置にあった胴体部分を下げて接地した。
おかげで今まで見えなかった部分もよーく見える。見なくて済むならそうしたかった、ヒドイ汚れっぷり。
ほとんどは風で吹き飛んだみたいだけど、全体的に装甲にべっとり、銃器のくぼみなんかはとんでもないことになっている。
「コレ砲身に詰まっちゃってるけどどうするの」
「どうもしない」
……そうだね試験運用中の後付け兵器だもんね。龍にとって地球の兵器は玩具みたいなものだから、壊れても気にしない、と。
そのへんが気配り足りないっていうのに。整備と開発の人達の悲鳴が聞こえそうだ。
以前になぜ彼ら『龍』が地球へ来たのか、尋ねたことがある。
でも、いろいろ説明された内容は、聞いたこともない長いカタカナ名と専門用語と突飛なくらいのスケールのでかい話でわたしはさっぱり理解できなかった。
なんとかわかったのは、ランス達は宇宙規模でいう三軒隣からきたことと、そのランス達の家に穴が開けられて害虫が大量発生中ってことと、この地球にも同じ虫が湧いてきたからその駆除にランス達は出張してきたんだってこと、だ。
地球に住む生命体に任せていると、あの害虫は容易く宇宙外に出て、ランス達の家に挟み撃ちの形でやってくるかもしれないから───そういう事情で、彼らは人類に力を貸しに来たらしい。
地球の人間は手っ取り早く技術提供をお願いしたらしいんだけど、龍はその要求をガンとして突っぱねた。地球の政治、経済、ひいては地球全体に悪影響を与える恐れ、それを理由に。
代わりに、対滓用の兵器の研究と開発に協力はする、という取り決めがあって、彼らはこうやって試作品の運用テストとかデータ収集とかをやっている。
───あんまり、真面目に取り組んでるとは言いがたいかなあ。この有様だと。
びょんと飛びついた多脚戦車の胴体部分。登りきれなくて足をじたばたさせてたら、急にカリスが機体を斜めに傾けて、乗り上げる形になったわたしは勢いあまって彼の上を転がるハメになった。
砲塔にひっかかっておでこがごちーんってなったぞ痛ったいなーもう! 一言いってくれればいいのに!
じんじんする額を一撫でして、デッキブラシを持ち直す。
「とりあえずさくっと汚れを落としておくから、後でまたこっちにきてね。ちゃんと水で洗わなきゃ」
「お前は特に要求が多い」
「誰のせいだと思ってるのっ」
これだけ汚してきておいて、どの口が言うか!
キーっとなりつつおおまかな汚れの塊を叩き落とす。デッキブラシをがしがし擦りつけるわたしはあっという間に汗だくだ。
戦剋の闘龍って、誰がつけた渾名なんだか知らないけど、とりあえず戦うことしか頭にないっていうのがよーくわかるネーミングだと思う。
もうちょっと他のことも考えてほしい。こうも度々汚れて帰ってこられると、仕事が増える。
わたしは甲板清掃員(臨時)であって、あんたたちを磨くのは必要にせまられてってだけなんだからー!
軍でつけられる名前は中二病レベルくらいでちょうどいいと思っています(´∀`*)