きちんと持ち帰りましょう
わたしは甲板清掃員(臨時)だ。
なぜ(臨時)なのかというと、わたしはイレギュラーであり、想定外の事象から発生した、本来はこの艦のクルーではない人間だからだ。
自分の身に何が起きたのか、いまだによくわかっていない。
知るかそんな専門用語! と叫びたくなった小難しい説明を自分なりに噛み砕いて解釈すると、わたしはサイクロン掃除機の餌食になったゴミよろしく、どこかの世界からきゅーっと吸い取られて、ぽんっとこの世界に『捨てられた』らしい。
なんのこっちゃさっぱりわからない。
『捨てる』と表現されるだけあって、こっちの世界にぽんぽんとあらわれる『ゴミ』は、こっちの住人が「いらねーよ来んなよボケナス!」と怒鳴りたくなるくらい厄介なものばかりなんだそうだ。
そんなゴミが投げ入れられてくる『ゴミの投入口』を海のど真ん中の空域につくられてしまって、ここの世界の住人は仕方なく、ゴミ処分のためにこの艦───航空母艦をぷかりぷかりと三百六十度水平線しかない所に浮かべている。
そうしてわたしは、そんなゴミ処分作業中にぽんとあらわれた、イレギュラーだったのだ。
にしても、あれは今思い出しても腹が立つ!
コンビニでおやつのプリンを買って帰る途中だった、その日。何の前触れもなく、唐突に。
真っ白な嵐にもみくちゃにされて、気が付いたら上も下も真っ青な、空と海しかないところに、わたしは放りだされた。
全身に叩きつけるような大気を受けて振りまわされ、視界がぐるぐる回る。
空では切れぎれの白い雲が、海では千々に揺らめく波が、太陽をうつしてきらめいて、目に焼きつくようだった。
青と光のハレーション。
眩暈を起こすような奔流の中で、黒く長い影が視界の端を掠めていく。
皮膚の下をくすぐるような囁きめいた高音と、内臓を揺さぶるような轟々とした低音を、同時にその身から迸らせながら。
悲鳴なんかでるはずもなかった。呼吸すらままならない。
影はそのかたちをくねらせ、泳ぐように宙をかく。まるで大海に群れる魚のように、それらはかたまりをつくって渦巻いていた。
その真っ只中にわたしは落ちていって───たぶん、激突したんじゃなくて、うねるそいつらの身体の表面が、滑り台のようになったんだろう。でなければまずここで死んでいたと思う。
けれども体感的には何かにぶつかったと、そう感じた。全身に響いた衝撃に一瞬意識がとんで、あっと思った時にはごろごろ転がる身体が再びぽんと宙に投げ出されて。
死にもの狂いでしがみつけばよかった、これは死ぬ。
刹那にそんなことを考えながら見上げたその影は、たくさんの節が連なってうねうねと波打ち、生理的な嫌悪をもたらす胴体と、まるで真逆に美しさを感じる、虹色に輝く八枚の翅をもっていた。
簡単に言うなら、なんか虫っぽい。一般家庭の家よりでかいけど。
つまり、細長い影───ムカデに翅をくっつけたようなでかい蟲が群をなして、空を占拠していたのだった。
優雅ささえ感じる、流れるような動きで翅がゆらめくのが見える。 …ゆっくりと。
ああ、これが、走馬灯ってやつの前兆なんだろうか───そう、思ったんだけれど。
べごん。
「っう……っ!」
鉄板を叩くような音と同時に、身体が硬いものに叩きつけられた。
途端に、コマ送りのようだった時間の流れが、再生ボタンを押したみたいになめらかに動きだす。
「なにこのゴミ、もしかして燃やせないヤツ? 分別しなきゃダメ?」
息、息が。
「燃やせないな、たぶん」
背中強打した、吸い込めない!
「ばっちーなー! ランスこれ取ってよ、ゴミなんか背負ってらんない!」
呼吸に悶えてはくはくと金魚のように口を開閉するわたしを尻目に、ひどく暢気なくせに不穏な気配をまとった会話が交わされている。
幼さの残る小生意気な少年の声と、落ち着いた、けれどこちらも若さを感じさせる、溌剌とした張りのある青年の声。
だれ、ゴミってなんのこと、くるしい、ここどこ、もう落ちてないの、くるしい───!
もがくわたしに今度は横薙ぎの空気が叩きつけられ、耳元ではごうごうと風を切り裂く音が鳴り続けているというのに、聞こえてくるふたつの声は妙によく聞こえた。
後から知ったことだけれど、この時は指向性スピーカーだとか、ノイズうんちゃらかんちゃら───長ったらしい名前はもう覚えてない、とにかくわたしにむけてよく聞こえるように、なにやらハイテクな、ハイどころか通り過ぎてオーバーだとかいう技術も使われていたらしい。
まあそうだよね、出来うる限りの低速飛行をしていたみたいだけど、戦闘機の翼の上にいたのだ。普通は耳が使えるどころじゃなくて吹っ飛んでてもおかしくない状況で、そこは『彼』だからこそわたしは無事でいられたわけなんだけれど。
「はい、パス!」
扱いは、とことん乱雑だった。
それまでわたしが横たわっていたところが急に斜めに傾いて、ぐるんごろごろごろと下方へ転がり落ちる、前に、ピンボールゲームの玉よろしく、ぽーんとはねあげられる。
「よせ、やめろ」
拒絶の言葉が発せられたほうへ、わたしの身体は空中を滑ってなすすべなく向かっていった。わけがわからないまま目に映った、ずうっと下の波のきらめきと海の青が綺麗で、美しくて、その色の鮮やかさにぞっとする。
水だから大丈夫? いいや、この高さから落ちたなら、死ぬ。
無駄だとわかっていても、その凄絶な光景から遠ざかろうと、わたしは無様に手足をばたつかせた。
恐怖でぎゅっと目を閉じながら。
「暴れるな、落ちるぞ!」
そう、落ちる、落ちちゃうから…え?
はっと両目を見開いた。上下がわかる、ぐるぐるまわる空中じゃなくて、重力の引っぱる方向がちゃんと───
───上下にわかれた青と青、そらのあお、うみのあお、それらを見渡し見下ろす、その高さ。
顎のあたりまでのわたしの髪をめちゃくちゃにかき混ぜていく風が、この光景を、写真でもなく、ガラス越しでもなく、なんの隔てもなく、そこにあるのだと肌に直接感じさせる。
「ひ、いぃぁ──────!!」
ものすごーく情けない悲鳴が喉の奥から絞り出た。
うん、絞り出た。
後から思い出して、甲高くて息も絶え絶えな、今にも死にそうなニワトリみたいな声だったと自分でも思うくらいの、情けない悲鳴。
馬鹿みたいな話だけど、この時に考えたことは『やっと出た』だった。やっと悲鳴が出た。
出たと同時にものすごく怖いんだと思い知って、がたがた震えだした全身が、しがみつきたくて仕方がない身体の下の唯一縋れるものから不安定に離れていこうとする。
いやだ、どうしてこんなに滑稽なくらい震えるんだろう、がたがたしすぎて軽く跳ねてる、すっごい間抜け。
そんな風に考える客観的な自分は頭のすみっこのほうにしかいなくて、実際のわたしはあらん限りの精一杯の全部で悲鳴をあげ続けた。
「うるさいなあ、黙れよ」
さっきも耳にした少年の声がうざったそうに言い放つ。わたしの間抜けたリピートはそれに叩き切られて、馬鹿みたいに口を開いたまま停止した。
辛辣な言葉を吐いた影が、空を右から左へ滑っていく。
ひこ、うき、ミサイルとか撃ったりする、軍用のやつ。ライトグレイに塗られた翼を傾けて、円を描くように飛んでいるみたいだった───わたしを中心の軸に据えて。
右から左、右から左、二度ほどそれを呆然と見つめてから、その戦闘機の姿をわたしの視線から遮る大きな物体が背後にあることに気が付いた。
まわりは海と空ばっかりの空中に、いったい何があるというんだろう。
がくがくとふるえて思うように動かない頭をどうにかこうにかねじって見上げたそれは、逆光で黒く陰っていて、わかったのはあちこち尖って角ばったシルエットだけだった。
なんとなく思うのは、真ん中が盛り上がっていて、両端が尖っていて、人の頭から肩にかけての胸像みたいだって、そういうことだ。
それが後ろに背負っている太陽が、人間でいうなら首の辺りからわずかにはみ出して、真っ直ぐ伸びる光がわたしの目に突き刺さる。まぶしい───
反射的にてのひらでひさしをつくろうと腕を持ち上げ、そうしてわたしは自分で自分の間抜けっぷりに驚いた。
ばかっ、座り込んで両手を着いてても転げ落ちそうだったのに───!
がたがた震えて重心がぶっれぶれだった身体は、強く吹きつける風に押され、上げた腕の動きのままに少し反った背中のほうへ、簡単に傾いていく。
ぐらり。失った平衡を戻せるだけの判断力とか、反射神経とか、そういうのはなかった。
この時、遥か下の海へ落っこちずにすんだのは、ひとえに『彼』の気遣いのおかげだったわけなんだけれども。
「っなに」
がくんと揺さぶられるのと同時に、自分の足元がひどく重たい金属の軋みを響かせて動き出し、黒いものがぎしぎしと音を鳴らしながら何本も立ち上がってまわりを囲っていくさまに、ぎょっとした。
「なんなの、いや、 」
さっきまで周囲が広すぎることに感じていた恐怖が、今度は狭まっていく空間にとってかわる。わたしは手足を縮め、必死に小さくなって、悲鳴をあげた。
押し潰されたら死ぬ。
「いやああああ!」
「あーあ、余計うるさくなったじゃん。なにやってんだよ」
「こんな脆いもの、どうしろというんだ!」
呆れたような少年の声に、うろたえた様子の青年の声がかえされる。穏やかな低音にそぐわない動揺っぷりが少し可笑しくて、それがわたしをちょっぴり冷静にさせた。
「しーらない。ほら見ろあんまりそいつがうるさいから、やつらがよってきたじゃないか」
やつら?
空と海と、少年の声の戦闘機と、そのほかにあるものといえば───
わたしは必然的に上を見上げ、まわりを囲う黒いものの間からのぞく天上に、こちらへ向かって舞い降りてくる無数の巨大な蟲の影を見た。
「ぎゃ───!!」
「げークロガネのおっさんマジモード。イチ抜ーけた───」
少年の声がドップラー効果で低く変化しながら遠ざかっていく。
「待て『これ』はどう…」
これ、『これ』ってもしかしてわたしのことか、そう考えが及ぶのと重なるように、どっと真下から爆ぜる水音が青年の声にも重なった。
どどど、とそれは切れ間なく続いて、呆然とするわたしの視界に、周囲を反時計回りにぐるっと、上空を目指して昇る柱のような白い───なにあれミサイルにしか見えないんだけど、うんミサイルが、いくつも軌跡を残していく。
螺旋を描く白煙の柱の中へ入ってしまったようだった。
ただただ見上げるその先で、蟲の群れに突っ込んだミサイルが爆発する。爆風が広がってわたしの髪をなぶり、少し遅れて四散した、得体の知れない何かの破片が真上からたくさん降り注いでくる様子も、わたしはただただ見上げた。
もう理解の範疇を超えている。何が起きているのかわからない。
なぜか空を落っこちて。見たこともない、ありえないデッカイ蟲がいて。空飛んでて。戦闘機も、空飛んでて。今度は海からミサイルで。それで、ええと?
頭を庇うことも忘れてフリーズしたわたしを、『胸像』が自分の胸元に引き寄せた。
…ああ、この動く『黒いの』は、指なんだ。わたし、おっきな黒い手のひらの上にいたんだ───
うそみたいな大きさの手の持ち主が、その身体を使ってわたしを覆い、庇うのを、やっぱりただただ、見上げていた。
「うっわあランス、ゴミまみれー」
戦闘機の轟音を伴った少年の声が舞い戻ってきて、ばっちー、と揶揄をした。
ゆっくりとその身を起こす『胸像』の肩のあたりから、ゴミとやらがずるずるといくつも滑り落ちていく。汚れた筋を残しつつ。
蟲の、破片だ。大きいものだとわたしの身長を余裕で超えるサイズの、生き物の、破片。
直撃したら、やっぱり死んでいただろう。
それから庇ってくれた恩人───人といえるのかわからないけれど、その人に対してばっちいとは、ちょっと聞き捨てならない。
黙っていられずに衝動的に動かした手足は全然思うように動いてくれなくて、気持ちとは裏腹の、よたよたと情けないへっぴり腰で、わたしは大きな黒い指に手をかけた。触れたそこから伝わるのは、硬くて冷たい、金属の感触。わたしの胴体くらいありそうな太さの指の向こうへ、首を伸ばす。
風に煽られた髪が視界を遮って邪魔くさい。こめかみのあたりでそれをおさえ、最初に目に入ったのは、きらめく光の反射だった。
ライトグレイの戦闘機、その傾けられた翼が太陽光を受けて輝いている。最初に見たのと同じラインをきっちりなぞり、円を描いて飛行する姿に、端麗な美しさを感じてうっかり見惚れてしまったんだけれど。
「すっごい阿呆面。本当にただの燃えないゴミみたいだなあ」
それが発する声は、やっぱり辛辣で、ものすごく小生意気で、人を馬鹿にしていた。
「───ご、ごみ…さっきから、ゴミって、もしかして、わたしのこと?」
唖然としてぽろりと洩れたわたしの声は、蚊の鳴くように小さく掠れていたのに、戦闘機には聞こえていたらしい。
「鈍くさくってお話にならないね。今頃訊くの?」
自分はひどい騒音を撒き散らしているくせに聞き取るなんて、どんだけ地獄耳なんだろう。
「エイル、もうよせ。何もわかっていないようだ」
こころなしかげっそりした感じの青年の声が『胸像』の頭部あたりから響く。
この時は知らなかったけれど、彼らはわざわざ外部スピーカーを使って会話をする必要などない。人間の可聴音域外の、なおかつ彼らのみが使う言語があるんだから。
それなのにわたしに聞こえるようにしてみせたのは、『ゴミの投入口』から現れた正体不明の生物───わたし、が耳にした会話でどんな反応を示すか見極めて、どう扱うかを判断するためだったらしい。
つまるところ、この会話はわざとで、わたしはずっと観察されていたのだ。
その結果、あの小生意気な少年声の戦闘機が出した答えが『燃えないゴミ』呼ばわり。燃やせるってことは攻撃対象であるってことと同義らしいから、そっちに分類されるよりはマシっちゃマシなんだけれど。
だからって燃えないゴミとか、意地悪いよね、こいつ!
燃えないゴミなんかじゃないと訴えたかったんだけれど、できなかった。
身体に力が入らなくて、結局はへなへなと鋼鉄の手のひらの上に倒れこんでしまったから。
それまで極限の興奮状態にあったわたしは、自分が低酸素症と全身の打撲でまともに動けるような状態じゃないことにまったく気が付いていなくて、がたがたとふるえているのも恐怖だけではなく、寒さからくるものだってことにも、気が付いていなかった。
擦り傷切り傷捻挫脱臼。どこの骨も折れてなかったのは、とんでもなくラッキーだったのだ。
どうして思うように動けないのかわからずに、もごもごと芋虫みたいにうごめくわたしを、『胸像』はゆっくりゆっくり、両手のひらのなかに閉じ込めた。
……握りつぶすつもりなら、蟲の破片から庇ったりしないだろう。
そう考えると、ふきさらしだった状態より、空も海も見えない、隙間から少しの光と風が入り込むくらいの仄暗い空間の方が、変に安堵する。
なぜだか異様に眠くなってまぶたを閉じたところで、あの少年の声が聞こえた。
「そのゴミ持って帰るの? 捨ててっちゃえばいいのに」
…ムカつく。
そうしてわたしは、大きな胸像───ランスに保護されて、この艦に連れてこられた。
それからさらに紆余曲折があって、最初のゴミ呼ばわりからアンノウンだの厄介者だのチビだのとおかしな呼び方ばっかりされていろいろ苦労したんだけど。
今のわたしは甲板清掃員なのだ。
もう燃えないゴミ呼ばわりなんて、ゆるさないんだから。
「また『お仲間』集め? チビはチリがそんなに好きなの」
「これは仕事! なにさエイルだっていっちばんチビなくせにっ!」
「なんだとー?!」
「いっちばん年下のくせにっ!!」
「お前より遥かに年上だよっ」
「黒金のおじさまにいいつけてやるー!」
「できるもんか、そんな手段ないくせに!」
「ランスー!!! おじさまにね、伝言を」
「それ卑怯だぞチビ!」
「チービーじゃーなーいー!」
───(臨時)がついてるから、あんまり胸張って言えないのが、目下の悩みである。
清掃員と小さい戦闘機の毎度の馬鹿馬鹿しいやりとりは『黒金のおじさま』に実は筒抜けだったりします。