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怖い二人の大学生

 午後二時半、康平は少し早めに練習場へ向かった。


 昨日、一人だけ戦意喪失という理由で止められた事が悔しいようだ。



 康平が練習場へ着くと、三人の二年生達は最後の柔軟体操をしていたが、いつもよりバテていた。



 練習場で汗を掻きながら準備体操を始めた康平に、内海が話し掛けた。


「お前、高田だったよな? 随分ハエーな。……一人だけスパーを止められたのが悔しいのか?」


「悔しいというか恥ずかしいです」


「最初はよくある事さ。……大体さぁ、初めてのスパーで普通に殴り合える奴なんてのは、今までロクな事してこなかった人間が多いんだよ。……コイツみたいにな」


 山本が、内海をチラっと見てから言った。



「ウルセーぞ賢治。……男は見栄を張る生き物だからな。恥ずかしい気持ちがあれば強くなれっからよ」



 二人の大学生は気さくに康平へ話し掛けていた。



 二時五十分頃、白鳥が練習場に入ったが健太と有馬はまだ来ていない。



 三時五分過ぎ、ようやく有馬と健太が練習場に入った。



「練習、お願いします」


 大声で挨拶した二人に内海が歩み寄る。


「お前ら、遅くなった理由でもあるのか?」



「いいえ……特にないです」


「僕も……ないです」


 有馬に続いて健太も答えた。


 その瞬間、内海のビンタが飛んだ。


「バカヤロー! ダラけた気持ちで練習に来るんじゃねぇぞ!」


「す、すいませんでした」


 健太と有馬は口を揃えて頭を下げた。


 内海が諭すように言った。


「いいか、……試合の前になるとなぁ、手を抜いた練習をみんな思い出してくる。そして後悔しながら相手が怖くなるんだよ」



 山本も話に加わった。


「梅ッチがいようがいまいが、自分の練習は関係ねぇんだぞ」



「お前ら、反省したならトットと着替えろや」


 内海に言われて、有馬と健太は慌てて更衣室に駆け込んだ。



 一年生全員は準備体操が終わり、練習を始めようとした時、山本が口を開いた。


「お前ら昨日の練習で、何をアドバイスされたか覚えてっか? 一人ずつ言ってみぃ」


 最初に健太が答えた。


「左ストレートを打ったらすぐに右フックを返す事です」



 内海が訊いた。


「その為に何を意識するんだ?」


「左ストレートを打った時、右足が外向きにならないように意識します」



「次!」山本が白鳥を見て言った。


 白鳥が答える。


「もっと離れた距離からパンチを出す事です。今回は、二発の左ジャブを打って距離を詰めるように教わりました」



「次!」


 有馬が答えた。


「左ジャブをもっと出すようにアドバイスを受けました。その時肩をもっと入れる事と、……狙わないで打て……と教わりました」


「お前、有馬だっけ? まだ理解しきれていないようだな。練習が終わった後に説明するよ。……とにかく今は、肩を入れたジャブをを意識しろ」



 内海が康平に近付いた。


「高田は何もアドバイスを受けてねぇよな。心配すんな、俺が梅ッチから聞いてるからよ」



 こうして一年生達は、いつも以上に緊張する練習が始まった。


 内海が言った。


「お前は、今から覗き見ガードをしろ」


「の、覗き見……ですか?」


 康平に訊かれて、内海が笑いながら説明する。


「あまりいい呼び方じゃねぇが、結構ポピュラーな構えだ。要は左右のガードの間から相手を覗き見る感じだ」


 康平は、内海の話を聞いて自分なりに構えてみる。



「そりゃガードを上げ過ぎだ。強いパンチが打てなくなるぞ。両拳は頬骨位の高さでいいんだよ。脇を締めて、両肘が一番下のアバラに軽く触れている感覚だぞ」


 康平が言われる通りに修正すると、内海は言葉で説明しきれない所を自身の手で直す。


 やや八の字に広がっていた康平のガードが垂直になった。



 再び内海が言った。


「まぁこんな感じだ。この形を崩さないで、三ラウンド構えだけを続けてろ」


「は……はい!」


 山本が、康平以外の三人に指示を出す。


「お前ら他人の事を見ている余裕はねぇぞ。三人共、まず鏡を見ながらのシャドーを三ラウンドだ。フォームのチェックは、この三ラウンド中に徹底してやれ」


「はい!」



 一ラウンド目が終わり、内海が健太に話し掛けた。


「片桐、オメェの下の名前は健太だったな?」


「はいそうです」


「健太、右足だけ内側に向いてもダメなんだよ。右膝を少し左側に入れろ。そして、その角度を変えないで左ストレートを打ってみろ」



 健太はぎこちない感じで左ストレートを打つ。


 それを見て内海が言った。


「ストレートを打つ時は、ギブスでもしたように前足をグッと固めるんだよ。前足がグラグラしてっとパンチがブレるぞ」


 健太が繰り返し左ストレートを放つ。


 十発程左ストレートを打った時、健太は何か気付いたようで内海を見ていた。


「何か感じたか?」


 内海に訊かれて健太は答えた。


「はい! 左ストレートを打った時に体が流れないのと、返しの右フックが打ち易い感じがしました」


 内海が笑って言った。


「お前、調子もよさそうだがノミコミいいな。残りの二ラウンドで体に憶えさせろ」



 山本も有馬と白鳥に意識するポイントを教えていた。




 鏡の前でのシャドーボクシングも三ラウンド目が終わり、山本が次の練習内容を話す。


「高田以外の三人はリングに上がってシャドー十ラウンドだ。いいか、鏡や俺達は一切見るなよ。……フォームについては、言われたポイントだけ気を付ければいいから、今まで習った事を反復しろ。もう一度言うが周りは一切見んなよ」



 ラウンド開始のブザーが鳴り、康平以外の三人は、リングの中でシャドーボクシングを始めた。


 山本は、リングに張ってあるロープの最上段に両肘と顎を乗せて三人を見ていた。



 今まで、鏡でフォームを見ながらのシャドーボクシングが多かった為か、三人は集中しきれていないようだ。


 山本が言った。


「お前らぎこちねぇなぁ。……パンチが当たりそうな所に、目の焦点を合わせてみろ。そしたら集中出来っかもよ」


 三人は、さっきより少し集中しているようである。



 ペチッ。


 内海が康平の後頭部を軽く平手で叩く。


「見物してる余裕はねぇぞ」


「す、すいません!」


「オメェは康平だったな。次のラウンドから鏡を見ながらシャドーだ。フォームだけを意識してシャドーをしろ」



 ブザーが鳴り、康平は鏡を見ながら構える。


 内海は康平の隣で見本を見せながら言った。


「構えた時は二つの点を意識するんだ。一つは正面から鏡で自分を見た時、両腕が胴体と同じラインにあるようにしろ。もう一つは下っ腹に少し力を入れろ。……下っ腹の少し左側だな」


 内海は話を続けた。


「パンチは、打ち出す時に自分の腕をアバラで押し出すのを意識するんだよ」


 そして自らパンチをゆっくり打って再び見本を見せる。


 康平は言われた通りにやったつもりだったが、内海のイメージと違うようだ。


「康平……ちょっと肩の感じが違うぞ。肩はなぁ……あぁ面倒臭え!」


 言葉に窮した内海は、手を使って強制的に康平の肩を修正する。彼は康平の肩関節を前に入れた状態にしたかったのだ。


「感覚を言葉にすんのは難しいんだよ。俺を困らせたくなかったら、今のフォームを崩すなよ。それと康平はパンチを打つ時、顎が上がり気味だからそれも直せ」


「ハイ!」


 返事をした康平は慎重にパンチを打つ。構えを変えてパンチを打つと違う筋肉を使うようで、康平は力みまくっていた。



「ハハハ! 養成ギブスでもしてるような力みっぷりだな。フォームを変えた時はそんなもんだ。……俺ぁ、梅ッチと違って優しいからよ。リラックスは注文しねぇから、とにかくフォームを意識して十ラウンドのシャドーを続けろや」


 内海は、自分が梅田と違う事をアピールした。



(いや、同じ位恐いんですけど……)


 そう思いながらも康平は返事をした。


「ハイ!」



 山本と内海は、練習場の真ん中に椅子を置き、座りながら四人の練習を見ていた。


 山本が口を開く。


「健太とタケ(有馬)は、左右の動きをもっと使ってみろ。打った後すぐに動けよ」



 内海は康平だけを見ているのが退屈なようで、白鳥にアドバイスをした。


「翔! オメェはパンチを打つ時、踏み込みをもっと大きくしろ」


 内海達は、一年生達を名字ではなく名前で呼んだ。


 白鳥は、彼なりに大きく踏み込む。


「まだ踏み込みが足んねぇぞ。オーバーな位大きく踏み込め」


 内海がそう言うと、山本もアドバイスを加えた。


「そうそう、実戦になるとどうしても体が萎縮すっからよ。シャドーの足の動きは大きくしろや。健太とタケもだぞ!」



 内海と山本は談笑しながら、時折四人のチェックをした。


 山本が健太に言った。


「健太! 左のガードの位置は口の前に置け。右構えと戦う場合だったらガードはその位置だ。……それと、今は左ストレートを打ったら全部右フックまで返せ。前足の悪い癖を直してぇからよ」


 内海の視線が康平に向けられた。


「康平、ちょっと腰の位置がおかしくなってきたぞ。左の腹筋をもう少し前に押し付けろ」



 山本は、二発の左ジャブを繰り返す白鳥に言った。


「ん? 翔は手と足のタイミングがズレてっぞ。踏み込んだ時、前足を着地させるタイミングでパンチを伸ばせ。すっと二発打てっからよ。パンチは足に合わせて打つんだぞ。……タケもズレてるみてぇだから、二人共前足の着地のタイミングを意識しろ」



 シャドーボクシングは、仮想の相手をイメージしながら、ひたすら一人で動くトレーニングだ。


 実戦経験のない一年生達は、相手を仮想出来る筈もなく、シャドーボクシングというよりもボクシングダンスと言った方がよさそうである。


 何かを打つわけでもなくずっと一人で動くのだから、長いラウンドを続けるには忍耐力が必要だ。


 ようやく、十ラウンド……否、最初から数えれば十三ラウンドのボクシングダンスを終えた一年生達は、次の練習の指示を仰ぐ。


 山本が康平以外の三人に言った。


「オメェら三人は最後いい感じだったから、他のトレーニングはしない方がよさそうだな。もう少しこの感じを体に覚えさせてぇから、もう三ラウンドシャドーをやって終わりだ」



 内海も、軽い口調で康平に指示を出す。


「オメェも三人に付き合って、もう三ラウンド鏡の前でシャドーだ」



 こうして一年生達は、ずーっとボクシングダンスだった練習を、更にボクシングダンスで締めくくる事になった。


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