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戦意喪失

 月曜日、二人の大学生を交えての練習が始まった。


 色の白い山本(賢治)は、背は低いが鋭い目付きとガッシリした体型で、いかにも格闘技をしているイメージがある。


 ノースリーブのTシャツから出ている筋肉の隆起した太い腕を見ると、対戦相手を憂鬱な気分にさせそうだ。



 色が黒い内海(俊也)は、格闘技よりもサマースポーツが似合いそうな感じの人だ。


 山本より背が高くてスリムだが、肩甲骨あたりから肩にかけて盛り上がっている筋肉は、Tシャツ越しからでもよく分かる。



 シャドーボクシングからこの日の練習は始まった。



 二人のシャドーボクシングは、ゆっくりだがスムーズな動きだ。一つ一つの動作は、何度も実戦で使ってきたような感じがある。



 時折打つパンチは肩や腰のキレで打つようで、楽な感じで出しているのだがこれがまた速い。


 そしてその打つパンチが全くブレないので、パンチのパワーは全て拳に集中してるようだ。


 レベルが段違いに上の人間を見ると、ごく僅かの人を除き大抵はブルーになるものだ。


 一年生達は残念ながら大抵の人間であり、まして今日から練習の相手をしてもらう予定だから、より不安な気持ちでシャドーボクシングをしていた。



 四人の気持ちにはお構い無しに、ラウンドは進んでいく。


 四ラウンドのシャドーボクシングが終わると、梅田が口を開いた。


「有馬、ヘッドギアとカップ、そしてマッピを付けてお前からリングに上がれ!」



 山本は既にリングに上がっていて、肩を動かしながら中を歩いていた。



 有馬は急いで準備をしてリングに入ろうとしたが、その際にロープの二段目に足を引っ掛けて転びそうになった。



 緊張している有馬の心情を察して……、というより、笑う余裕のない一年生達は黙って見ていた。



 ラウンド開始のブザーが鳴った。お互いパンチがないまま二十秒が経つ。



 梅田の声が練習場に響く。


「どうした有馬、ビビってんじゃねぇぞ! パンチ出してみろ」



 堪らず有馬は左ジャブを打つ。


 しかし顎が上がり、反対の手はガードもせず下がりっぱなしだ。おまけに出したパンチは萎縮していて伸びていない。



 梅田が怒鳴った。


「テメェ、今まで何やってきたんだ! 空振りミットを思い出すんだよ」



 怒号が効いたのか、有馬は離れ過ぎて届かなかったが、ミットで打つ時と同じようなジャブを一発打った。



 すると、梅田が別人のように褒めた。


「よーぉしっ、有馬その感じだ。もう少し近くから、習ったパンチをもっと出せ」



 有馬は褒められて調子が出たようで、彼はこの一言をキッカケに多くのパンチを出していった。



 一ラウンド目が終わった。有馬の打ったパンチは全て空振りだった。梅田が言った。


「いいぞぉ! 次のラウンドは、山本が打ってくるかも知れんが、同じように打てよ」



 二ラウンド目のブザーが鳴った。


 有馬は開き直ったようで、山本を相手に空振りを繰り返す。



 時折ブロックの上からだが、山本にパンチを打たれ、固まってしまうシーンがあった。だが、有馬はすぐに持ち直してパンチを打っていた。



 山本はかなり手加減してるようだが、有馬は三ラウンドのスパーリングでリングを降りた。



 次は白鳥の番になった。その前に梅田が言った。


「山本と内海は、アマチュアの日本ランカーだ。お前らみたいな下手くそには贅沢な練習相手だが、お前らは遠慮しないでドンドン打っていけ。……但し、練習通りのパンチだぞ」


 梅田の話の後、すぐに白鳥がリングに入った。


 相手は有馬と同じで山本だ。山本も小柄だが、白鳥はもっと背が低く百六十センチ位の身長である。


 白鳥はガードは固いが踏み込みは悪く、相手に近付くまでパンチを出さなかった。


 彼は梅田の罵声を浴び続けていたが、近付いてからは勇敢にパンチを打っていた。




 次は健太の番になった。相手は内海に代わった。


 健太は意外にも開き直っているようで、内海に対して積極的にパンチを出す。


 サウスポーからの左ストレートは、特に思い切りがいい。


 ただ右足が外側に開く癖はまだ直っていない為か、よくバランスを崩していた。




 最後は康平がリングに上がった。相手は健太と同様に内海である。



 ラウンド開始早々、ブロックの上からだが内海の右ストレートを浴びた。


 康平は重いというより、シビれるような衝撃を感じていた。


 この一発で康平は萎縮してしまった。


 康平の体はガチガチに固くなった。


 内海は、手加減しているのであまりパンチは出さないが、いつでもパンチを打てる体勢で構えていた。



(相手が次に何を打ってくるか)


 そればかり考えている康平は全くパンチを出さない。



「パ・ン・チ・を・だ・す・ん・だ・よ」


 珍しく、飯島からも罵声が飛んだ。



 今の康平にとって、周りの声は遥か遠くの方から聞こえてくるような気がしていた。



 内海が軽い左ジャブを打つ。


 当てるつもりもなく、ただ距離を測る為に打ったのだが、その時康平は下を向いてしまった。



「ストーップ!」


 梅田が叫ぶ。そして、ありったけの声で怒鳴った。


「バッカヤロー! ボクシングは下を向いたら終しめぇなんだよ! 今度下向いたら承知しねぇぞ」


 その後再開したが、康平の一度怯えてしまった心をを立て直すのは容易ではなかった。


 康平は無理矢理パンチを三発程出したが、手と足がバラバラで力みまくっていた。


 そして、内海の軽い左ジャブで再び下を向いてしまった。



「やめだヤメ! 高田は戦意喪失で失格負けだ。内海、もうリングから出ていいぞ」



 梅田は康平を怒るわけでもなく、諦めたような感じで内海に話していた。




 その後はサンドバッグ打ちになった。康平以外の三人は、梅田と飯島からアドバイスを受けていた。



 康平はやりきれない思いをサンドバッグにぶつけ、インターバルの間も全力で打っていた。



 この日の練習が終わり、梅田が全員に言った。


「石山と兵藤の試合の為、明日から俺と飯島先生は部活に来ない。……だが学校から許可をもらって、部活はやっていいことになった。俺達が帰ってくるまで、内海と山本が特別コーチだ。練習時間は今日と同じだからな」


 一年生達、特に有馬と健太はガッカリした顔で聞いていた。


 康平自身は、悔しさで、もっと練習したい気持ちになっていた。



「高田、チョット来い」


 梅田は着替えようとする康平を呼び止めた。


「ボクシングはな、確かに怖いが怯えたら終わりなんだよ。リングじゃ誰も助けてくんねぇからな。……悔しかったら、ションベンちびってもいいからパンチを出すんだ! 分かったな?」



 康平は、大きな声ではなかったが心の底から返事をした。



 帰り道。一年生達は一緒に駅まで歩いていた。



「明日から休みだと思ってたんだけどな……」


 ボヤく健太に有馬がつっこむ。


「なんだよ、お前本気で期待してたんか? 俺は、内海さんと山本さんが見学に来た時から怪しいと思ってたぜ」



「よく言うぜ! さっきは俺と同じ位ガッカリしてたじゃねぇか」



「ウッセーよ! 俺だってホンのちょっとは期待してたんだよ」



「話は変わっけど、俺風呂場の鏡の前で、自分の体をマジマジ見ちゃうんだよなぁ。……あれ、もしかして俺だけ?」



 康平は落ち込んでいるのがバレないように、健太の話に加わった。


「俺もよく見るよ。肩や腕に筋肉ついてきたんだよな」



「そうそう。それに、腹筋もクッキリ割れてきたしよ。……白鳥、オメェもゼッテェ見てるよな」



「お、俺は……」


 有馬に訊かれた白鳥は、恥ずかしそうな顔になった。


「みんな、自分の体を見てんだからさ、恥ずかしがらずに正直に言っていいんだぜ」


 健太が白鳥に言った。



「け、結構見てるかも……」


「ハハハ! 白鳥の顔が真っ赤だぜ。男に対して恥ずかしがってっと、誤解されっぞ」



 有馬に続いて康平も言った。


「実際、白鳥の体つきが一番変わったよ。前はプヨプヨだったけど、今は少しゴツいもんな」



「男の同性愛者ってゴツいのが多いから……。白鳥も気をつけろよ」


 健太に白鳥が言い返す。


「そ、そんなんじゃねぇよ」



 この日は妙に白鳥がいじられていた。




 家に着いた康平は、夕飯を食べて風呂に入った後、鏡の前で上半身裸のままになる。


 前から見ると腹筋が割れて……というより、六つのコブが出来ていた。そして肩の部分が意外と大きい。


 康平が体の向きを変えて横から見ると、体の割に腕が太く見えている。


 康平は体の向きを変えながら、何度も自分の体を見ていた。



「兄貴、頼むからサッサと部屋に戻ってくんない。こっちが恥ずかしいからさぁ」



 妹の真緒が呆れた顔をして立っていた。真緒は康平の二つ年下の中学二年生である。


「ウ、ウルセーよ!」


 康平は、風呂場の鍵を掛けていなかった事を後悔しながら、上着を持って急いで二階の部屋へ戻っていった。



 一人になった康平は、練習の時を思い出して暗い気持ちになる。


 ゲームをして気分転換しようとしたが、やり慣れている物ばかりだったせいか、セットしただけで始めるまでには至らなかった。



 明日の午前中は、勉強する気分になれそうにないので亜樹の携帯に電話した。


【もしもし、……あっ、康平ね。チョット待って! 家の電話、今誰も使っていないみたいだから、家に直接かけて頂戴】


 康平は、亜樹の家に電話を掛け直した。


【私も康平に用があったんだ。話長くなりそうだから、家に掛け直してもらったのよ。ゴメンね。でも普通の電話から携帯に掛けると、料金がかかるからね】



 亜樹は、お高い外見と矛盾してしっかりしている……というより、妙にオバサン臭い所があった。


 康平は、口には出さないが内心可笑しくなっていた。



【俺の用件は短いから、先でいいかな? 明日用事があって、図書館には行けそうにないんだよ。出来の悪い生徒がいなくて、ホッとすると思うけど】


【そんな事ないよ。ケチつける生徒がいないと、結構寂しくなるんだよね】



 口では敵わない事を悟った康平は、意図的に話題を変えた。


【……ところで亜樹の用件て何?】


【そうそう、日曜日ってボクシング部は休みだよね?】


【……そうだけど】


【綾香が映画のチケットを四枚、兄貴からもらったらしくてさ。日曜日に康平と健太君を誘ってみようって、綾香が言い出したのよね。……でも、綾香って結構内気なんだ】


【へぇー】


 康平は他人事のように聞いていた。



【ニッブいわねぇ! 私から康平経由で健太君を誘うのよ】


【あぁ、じゃあ後から健太に電話してみるよ。……それと俺の事は訊かないのか?】


【あ、すっかり忘れてたけど行くんでしょ?】


【ま、まぁな。……そういえば夏休み前に、内海と駅まで帰る時があってさ……】


【ん、随分前の話ねぇ……! あぁ、綾香から聞いてるわよ。何で今話そうとしたの?】


【あ、いや……何となくだよ】


【ぷっ、君って、秘密を持てないタイプなんだね。ホント詐欺には気を付けてね】



 軽い罵り合いをした後、最後に亜樹が言った。


【康平は少し落ち込んでいるようだけど、先は長いんだから気にしないで頑張んなよ】



 亜樹の勘の鋭さに改めて舌を巻く康平だった。

 康平は亜樹との電話の後、健太に電話をしたが彼はすぐに了解した。




 次の日の朝、康平はいつも通りに朝四時に起きる。


 どちらかというとオットリしている康平だが、昨日のスパーリングで、自分だけが最後まで出来なかった事が悔しかったようだ。


 普段なら約五キロのジョギングなのだが、この日は七キロまで距離を延ばしていた。



 午後三時から部活だが、まだタップリ時間があるのでどうしようかと康平は迷う。


 康平は夏休みになってから、部活と図書館での勉強が主な日課になってしまっていた。何もやる事が思い付かず、結局いつもの図書館へ行く事にした。



 玄関で康平が靴を履こうとした時、お風呂場の洗濯機から母親が走ってきた。


「康平、チョット待ちなさい。今日は用事があって、図書館には行かないんじゃないの?」


「え、何で知ってんのさ?」


「それは置いといて、これから図書館へ行くんだったら今オニギリ作ってあげるからね」


 母親が台所に走っていった。


 ボクシング部に入った頃はあまり賛成していなかったが、休みの日に図書館へ勉強をしに行く康平を見て、最近は何気に協力的になっていた。



「昨日の電話は女の子でしょ? 一緒に勉強してるようね。何なら家に遊びに連れて来なさいよ」



 康平は慌てて言い返す。


「そ、そんなんじゃないよ」



「家の電話、居間の傍だから結構筒抜けなのよね。……会話を聞かれたくなかったら、次のテストの成績を二十番以上あげなさい。そしたら携帯買ってあげるから」


「ホントだな? 必ず買ってよね!」


「お父さんにも言っておくからね。但し成績が上がったらの話よ」


 携帯電話は、亜樹の他にクラスメートも持っていた。今の康平にとって、それは人気ゲームよりも欲しいアイテムだった。



 急に勉強意欲が湧いた康平は、急いで図書館へ向かった。



 康平が図書館に着くと、亜樹と綾香が二人で勉強していた。



「あれ、康平は用事があったんじゃないの?」


「いや、……きゅ、急に用事がなくなったんだよ」


 亜樹に訊かれて、康平は歯切れの悪い口調で答えた。



「ふーん……ま、そういう事にしてあげるか。今日は安心して。綾香もいるし、スパルタ式じゃないから」


「それは残念だな。今日は、勉強しようと燃えてきたのによ」



 綾香が小さく笑って言った。


「私、話に参加していいの?」



「あ、当たり前でしょ」


「そ、そうだよ。全然大丈夫だよ」


 亜樹と康平は同時に言った。



「ハイハイ! 分かったわよ。ところで映画の件は二人とも行けるの?」


「それは大丈夫さ。健太は二つ返事でオッケーだったよ」


「よかった。兄貴から貰った映画の券が、なぜか四枚もあったのよね! ……この前、四人で図書館にいた時のメンバーで行きたかったんだ」


 嬉しそうに話す綾香へ康平が訊いた。


「内海の兄さんってどんな人?」


「……兄貴は康平君達と最近会ってるよ」


「ゲッ! やっぱそうだったんだ。同じ名字だから、もしやって思ったんだよ」


「ボクシングの事は分からないけど、兄貴の普段の生活は結構デタラメだよ。この映画のチケットだって、合コンでベロンベロンに酔っ払って、何も覚えていないのにポケットに入ってるからって、私にあげるって言うんだから」


「……す、凄いね。でもボクシングは本当の意味で凄かったよ。練習中は真面目だったしね」


「確かにそれはあるかも。試合の一ヶ月前からは、必ず夜の十時半までに寝るもんね」



 二人の会話を聞いていた亜樹が口を挟む。


「ハイハイ! 此処はどこで何をする所かな?」



「ゴメンね。亜樹さん抜きで会話しちゃって」


 綾香に続いて康平が言った。


「亜樹さんのご機嫌が、これ以上悪化しないうちに勉強しようぜ」



「チョットそれどういう意味よ」



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