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不思議な関係

 十二月になった。


 金曜日の練習が終わった時、梅田が言った。

「一年生は、来週の火曜日から一年生同士でスパーをするからな」



 康平と健太は一緒に帰った。電車に乗った時、健太が口を開く。


「……いよいよ来週だな。お前はパンチがあるから怖いよ」


「そんな事、言われた事無いよ」


「相沢先輩と森谷先輩が言ってたぜ。それに、サンドバッグを打った時の音がヤバいんだよな」


 康平には自覚が無かった。サンドバッグ打ちも、自分で打った時と他人が打ったのを見るのでは、感覚が違うからだ。


「と、とに角明日もスパーだし、お互い青タン作んないようにしないとな。健太も図書館へ行くんだろ?」


「もうすぐ期末だしな。弥生も明日は亜樹もバイトだから、図書館には来ないと思うし」



 家に着いた康平は、食事と入浴を済ませ、自分の部屋に戻った。


 二週間程前、康平はスマートフォンを買って貰っていた。彼のそれに着信音が鳴った。亜樹からだった。


【康平、今大丈夫?】


【まぁね、今は部屋にいるから大丈夫だよ】


【……明日お願いがあるんだけど、夜の七時半頃、お店に来てくれないかな? そしてバイトが終わったら家まで送って欲しいのよ】


【明日はバイトだよね。……行けると思うけど、どうして?】


【……実はね、元カレがここ二週間、私の帰る時間までずっと店にいるのよね】


【……向こうは、また付き合いたいと思ってんのかな?】


【……たぶんね。バイトが終わって一緒に帰れば、彼氏がいると思って諦めると思うから、……お願い出来るかな?】


【嫌だったら、ハッキリ断ってやれば。亜樹は気が強いんだしさ】


【……苦手なタイプなのよ。私にも、ハッキリ言える人と、言えない人っているのよね。あの人自分のダメなところは素直に認めるし、暖簾に腕押しっていうか、とに角ハッキリ言いにくいのよ】


 康平は、亜樹が本気で困っていると思った。いつも力になってくれた彼女の為に、何かしてあげたい気持ちがあった。


 同時に、亜樹がその人と付き合うのを想像したくない気持ちも湧き上がった。


【明日はそっちに行って、頑張ってみるよ。いつも助けて貰ってるからね】


【……無理言ってゴメンね。でも、本当に有難う】


 ホッとしている亜樹を、電話越しからも感じ取った康平は、あまり深く考えずに眠りについた。

 

 

 翌日、練習を終えた康平と健太は、左目の周りが青くなっていた。スパーリングで、相沢の右ストレートを貰ったようである。


 図書館行きをためらう健太に、康平が言った。

「今日は綾香しか来てないし、彼女は笑わないから大丈夫だよ」


「……それはいいけど……まぁ、そろそろ勉強しないとヤバいからな」



 図書館のロビーで弁当を食べた二人は、中へ入った。彼らは固まっていた。弥生が綾香と椅子に座っていたからだ。


 二人は弥生と目が合った。


「ギャハハハ! マジうけるんですけど。ギャハハハ」


 今まで静かだった図書館に、弥生の笑い声が響き渡る。中にいる全員の視線が弥生に集まった。


 だが、弥生は全く気にしていないようだ。

「スパーでやられたんでしょ? 青タンいいよね。二人には弥生印の青タンも付けてあげたいな」


 健太が言い返す。

「うっさいな。亜樹がいないのに、何で弥生がいるんだよ?」


「私の勝手でしょ! 健ちゃんこそ私を避けてるんだよね」


 一度弥生を見て、こっそり帰った事のある健太はギクリとした。


「さ、避けてた訳じゃね〜よ。あん時は、たまたま用事を思い出したんだよ」


 二人の声が大きくなり、図書館司書の中年女性が、一段と大きな咳払いをした。


 声を押し殺して綾香が言った。

「二人とも、お願いだから声を小さく……ね」




 四人は椅子に座り、勉強を始めた。今回弥生は、今までの復習をするようで、綾香への質問攻めは無かった。


 一度休憩を挟んで、閉館の五時まで勉強した四人は、図書館の入り口まで出ていた。


「……俺さぁ、用事があるから健太と弥生は先に帰っていいよ」


 康平からそう言われた弥生は、首を傾げた。

「康平ちゃんは、こんな所で用事あるの?」


「……今日は大事な用なんだ」


 弥生が亜樹のアルバイト先に行くと、滅茶苦茶になると思った康平は緊張していた。


「……ふ〜ん。何だかよく分からないけど、頑張ってね」

 意外にも弥生は素直だった。


 健太が口を開いた。

「俺も康平も髪伸びたよな。今日はスパーリングでヘッドギア付けてたから、ボサボサ頭になってるし……」


「ブッ、青タンにボサボサ頭って、超ダサだね」弥生が笑いを堪えていた。


「……だから俺と康平で安いジェルでも買って髪だけでも直そうと考えたんだよ」


 康平も健太の提案に乗ろうとした。今日は亜樹の彼氏役になるかも知れないからだ。


「駄目だよ! 健ちゃんはとも角、康平ちゃんはそのままでいなよ」


「何でだよ」


 康平が訊くと、弥生は真顔で答えた。


「大事な用なんだよね。特に康平ちゃんは、こんな時、いつもと変わった事しないで、ありのままがいいと思う。信じないんだったら、それで構わないけどね」

 妙に説得力があった。


「分かった。理解はしていないけど、弥生の言ってる事は正しい気がするよ」


「よろしい! その素直さは無くしちゃダメだからね」

「偉そうだな弥生は」

 腕を組む弥生に、康平は笑いながら言い返した。


 綾香が、三人に言った。

「暗くなったし、もう帰ろうか?」


 弥生と健太が駅に歩き始めたのを見て、綾香が康平に近付いた。

「亜樹から事情は聞いてるから、頑張ってね」



 一人になった康平に、亜樹から電話があった。

【外は寒いでしょ。ゴメンね。マスターにお願いしたから店に入って温まってて】



 夕方五時半に店へ入った康平は、亜樹と一緒にマスターの島田へお礼を言った。


「いいよいいよ。……それより亜樹ちゃんは六時まで休憩でしょ? もっと休んでいなよ」


「康平をお店に入れて貰ってるんで、そんな事出来ないです」


「亜樹ちゃんはきっと世話女房タイプだね、ククッ」

 

 笑いを堪える島田に、亜樹は顔を赤くしながら言い返した。


「康平とは友達です! 今日だけは彼氏役になって貰うんですけど」

 

 島田は事情を知っているようである。その島田が言った。

「高田君、……彼氏役だったら髪は少し整えた方がいいんじゃないかな」


「……僕もそう思ったんですが、さっき女の子の後輩に、ありのままでいいと言われて、妙に納得しちゃったんです」


「弥生ちゃんね。その位のボサボサだったら私は気にしないよ。彼氏は見せ物じゃないからね。……ただ、今日も素敵な左目だね。笑ってはいけないんだけど……」

 亜樹がクスクスと笑った。


「高田君、彼女の許しがあったし、今日はボサボサ頭でいなよ」


 からかう島田に、亜樹は「今日だけの彼女ですから」と訂正した。



 店の奥にある小さなテーブルの所で、康平はホットカルピスを飲んでいた。


 しばらく亜樹と島田は忙しそうにしていたが、七時過ぎに数組の客が同時に店を出たので、落ち着ける時間が出来た。


 三人がカウンターに集まった。


 島田が亜樹に確認した。

「亜樹ちゃんが帰る時に高田君を誘う。その後で、俺が元カレだった河合君に、亜樹ちゃんは高田君と付き合ってる事を教える……でいいんだよね」


「はい、それで大丈夫だと思います。……康平もそれだったら出来るでしょ?」


「……まぁ、それだったら出来るかも……」


「康平は私に誘われてお店を出るだけなんだから、不安そうに言わないでよ」


「……ご、ごめん」


 島田が上を見上げた。

「旦那を尻に敷く世話女房か……」


「マスター、私に何か言いたいんですか?」


「いや、少しだけ未来が見えただけだから気にしないで……ゴホン! でも、予定通りいかない時はどうすんの? 高田君が彼氏役を演じるとか」


「「それは絶対無理です」」

 亜樹と康平の声が見事にハモった。


「ハハハ、息ピッタリだね〜。……でも、どうすんのさ?」


「上手くいくかは分からないですけど……正直に思っている事を伝えます」


「康平は不器用なんだから、それでいいと思う」


「……そうか……そうだね」


 島田が訊いた。

「二人は昔からの知り合いなのかな?」


「私と康平が知り合ったのは、高校生になってからですよ」


「……そうなんだ。……何だか俺も上手くいけそうな気がしてきたよ」


「私達、マスターを頼りにしているんですから、しっかりして下さいね」

 亜樹はそう言って小さく笑った。




 七時半を過ぎた時、元カレの河合が店に入った。彼は島田にカプチーノを頼み、カウンターで談笑していた。

 康平は服に詳しく無かったが、オシャレな着こなしと、整った顔、ウェーブのかかったヘアスタイルを見て、格好良い人だと思った。


 八時を過ぎ、上着を着た亜樹が康平を呼ぼうとした時、河合が亜樹に話し掛けた。


「亜樹はこれから帰るんだよね。……大事な話があるんだけど、いいかな?」


「今日は彼と一緒に帰るんですけど……、次じゃダメですか?」

 

 河合に見えない角度で亜樹に手招きされた康平が、彼女の隣に立った。


 河合は、康平を見て優しく微笑んだ。康平は少しホッとした。


「君とは此処で一度会ってるよね。俺は亜樹の一つ上で、河合っていうけど、君の名前を教えて貰えるかな?」


「僕は、た、高田といいます」


「ハハ、そんなに緊張しなくていいよ。……ところで高田君は亜樹と付き合っているのかな?」


「……いいえ、大事な友達です」


 島田が額に手を当てた。ここで嘘でも付き合っていると言えば、上手くいったのにと彼は思った。


「ということは、俺が亜樹に告白して付き合ってもいいって事だよね」


「嫌です。亜樹が他の男の人と付き合うのは想像したくないです」


 驚いた亜樹が康平をジッと見ていた。



「……う〜ん、よく分からないな〜。君も亜樹が好きで、友達から進展したいって事でいいのかな?」 


「たぶん大好きだと思います。ぼ、僕は、女の子と付き合った事は無いので、友達の付き合い方しか分からないし、進展とかも分からないです。でも、いつも助けてくれる亜樹が困っていたら、助けたいとは思ってます」


 予想の斜め上の返答をしてくる康平に、河合は困惑していた。ただ、はぐらかしている訳ではなく、真面目に答える康平に怒りの感情は不思議と湧かなかった。


「……君は髪もボサボサだし、亜樹と釣り合うようになれば、気持ちも変わるのかもね。周りの目を気にするのは大事だよ」


「河合さんは、私の変な噂が流れた時、周りの目を気にしてたから、すぐに私と別れたんですね」

 亜樹が強い口調で割り込んだ。


「あの時は……そう……俺も弱かったから」


「その事はどうでもいいんです。ただ、私と釣り合うってどういう意味ですか? 河合さんは人をランク付けでもしているんですか?」


「あ、亜樹は美人だし……」河合はタジタジになっていた。


「その事もどうでもいいんです。ただ、私の大切な人を貶すような事は二度と言わないで下さい」


「……亜樹は、高田君の事が好きなのかな?」


「大好きですよ! 関係は大切な友人です。……河合さん、大事な話はもう終わりって事でいいですよね。康平行くわよ。私の家まで送ってくれる約束でしょ?」



 ガックリと肩を落とす河合に、島田が声を掛けた。

「河合君、カプチーノ飲む? 俺からの奢りだよ」


「有難うございます。……あの二人の異常な関係は何なんですかね?」


「俺から言わせれば、夫婦以上恋人未満だね、……いや、恋人以上の友達かな」


「よく、分かんないですけど、俺が入り込めない物凄い関係なのは分かりました。……カプチーノは苦くお願いします」


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