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新人戦(決勝)


 翌日、決勝戦が行われた。


 ライトフライ級の試合になり、黒木がリングに上がった。


 第一ラウンドのゴングが鳴ると、黒木は軽快にフットワークを使って回りだした。


 そして、ロングレンジ(遠い間合い)から左ジャブを繰り出す。動きの固かった昨日と違って、踏み込みが大きい。放った左ジャブは、立て続けに相手の顔面へヒットした。


 顎の上がった相手に、黒木の右ストレートが襲いかかる。相手は辛うじてブロックした。ウェートのしっかり乗ったパンチは威力があり、相手は大きく後退した。


 黒木がワンツーストレートを放つ。やや遅く、軽目に打っていた。探るようなパンチだ。


 相手は右側に大きくダッキング(屈むような防御)をして避けた。


 少し動いた黒木が、右パンチを打つフェイントをかけると、相手は再び、右側へオーバーにダッキングをした。極度に右ストレートを警戒しているようだ。


 相手が攻撃しようとすると、黒木はフットワークを使って打ち合いを避けた。


 そして、充分に離れた間合いから黒木が左ジャブを伸ばすと、相手の顔面にヒットした。


 清水が言った。


「あのジャブは厄介だぞ。打つ度タイミングと角度を変えてくるから、避けにくいんだろうな」



 黒木は頻繁に位置を変える為、手数は多くないものの、出す左ジャブぎは殆んど当たった。


 試合は一方的になりつつあった。



 残り三十秒になった時、黒木が軽い右ストレートを突き出した。


 また右側へダッキングした相手に、黒木の左ショートアッパーが顔面に直撃した。


 相手の顔が右にねじれ、腰が大きく落ちる。


 レフリーのカウントが入った。


 カウントエイトで試合は続行になった。



 黒木は、ゆっくりと前に出て左ジャブを放つ。


 これも顔面にヒットして、相手は大きく仰け反った。


 黒木が追撃をしようとした時、レフリーはダウンを取り、カウントをエイトまで数えて試合終了を宣言した。


「ジャブでストップかよ? 止めんの早くねえか?」


 兵藤がボヤくと、石山が答えた。


「黒木のワンサイドだったからな。……ただ、あんなに足を使うスタイルで強打が打てるって事は、急造スタイルには見えないんだよな」



 フライ級の決勝は判定で終わり、バンタム級の試合になった。


 大崎は赤コーナー側である。永山高校の部員達は、応援する為、赤コーナーの後方に集まった。


 その近くで、青葉台高校の横山がウロウロと歩いていた。親友の大崎を応援したいようである。


 それに気付いた康平が声を掛けた。


「……一緒に応援しますか?」


「え? 僕、他の学校なんですけどいいんですか?」


 聞き返した横山に、石山が笑って突っ込んだ。


「おいおい、そいつは一年だぞ。遠慮しないで前に来いよ。大崎と友達なんだろ?」


 横山は「あ、有難うございます」と言って、石山の隣に立った。


 大崎の相手は、立花高校キャプテンの荒川である。


 彼は身長が百七十センチ台半ばで、バンタム級(五十六キロ以下)では長身のストレートパンチャーだ。大崎よりも十センチ程身長が高い。


 大崎と共にバンタム級の優勝候補で、前の二試合はRSC勝ちを収めている。



 リングアナウンスにそれぞれ名前を呼ばれた二人は、リング中央に歩みよってグローブを合わせた。


 バシンと音がした。


 グローブを合わせる時は、互いに左グローブを上向きにして、そこに右グローブをそっと上から被せる。二人は気合いが入り過ぎていたのか、共にグローブを叩き付けていた。



「ちょっと待ちなさい」


 コーナーへ戻ろうとする二人に、レフリーは苦笑しながらやり直しを命じた。


 ソフトにグローブを合わせ直した二人は、それぞれのコーナーへ戻り、ゴングを待った。


 横山が大声で言った。


「ワ、ワタッちゃん! リ、リ、リラックスな!」


 彼は緊張のあまり、声が裏返っていた。会場から失笑があった。


 大崎は苦笑しながら肩を二回上下させた。



 飯島が言った。


「横山、お前狙って言ったのか?」


「違いますよ。た、ただワタッちゃん(大崎渉)が、か、空回りしそうだから言ったんです」


 横山は、裏返った声のまま真顔で答えた。


「そ、そうか? ……ありがとな。お前の一言で、大崎も気負いが無くなったようだしな」



 第一ラウンド開始のゴングが鳴った。


 右構えの荒川が左ジャブを二発伸ばした。軽そうだが、スピードの乗ったパンチだ。


 大崎は頭を振りながら、左へサイドステップをしてこれを空振りさせた。昨日と一昨日の試合では、ダメージが無かったのもあって、動きは良さそうだ。



 開始から二十秒が経った。


 長身の荒川は、構えた姿勢からポンポンと長い左ジャブを繰り出した。やや裏拳気味に、グローブを放り投げるようにして打つジャブは、手打ちに近いが、スナップを効かせていてキレがありそうだ。


 リーチで劣っている大崎は、頭を位置を変えて距離を詰めたりしながら左ジャブを返した。


 二人はまだ左ジャブしか出していない。初の対戦、しかも強敵という事もあって、互いに警戒しているようである。



 クリーンヒットが無いまま、更に二十秒が過ぎると、荒川はフェイントを加え始めた。


 フェイントを混じえた荒川の左ジャブに、大崎は反応しきれず、ブロックで防いだ。


 そこに荒川の右ストレートが襲いかかる。


 大崎は、左へダッキングをしてかわそうとした。だが、速い右を完全に空振りさせる事が出来ず、荒川の右ストレートは大崎の右ガードに当たった。


 バシンという音が会場に響く。


 打ち下ろし気味に打った右ストレートは威力があり、大崎はパンチの衝撃で二歩程下がった。


 すかさず荒川が追撃をかける。


 早い連打に、一旦バランスの崩れた大崎は反撃出来ず、頭を大きく左右に振りながら後退した。


 クリーンヒットこそ無かったが、荒川の一方的な攻勢に、立花高校の部員達は大歓声を上げた。


 連打の間隙を突いて、大崎が左フックで反撃しようと踏み込んだ時、二人は密着してクリンチになった。


 レフリーにブレイクされる前、飯島が声を出した。


「大崎、そろそろ揺さぶりをかけろ!」


 大崎は飯島の意図を理解したらしく、小さく頷いた。



 両選手はレフリーにブレイクされて、一度大きく離された。


 荒川は、再びテンポよく左ジャブを繰り出す。


 大崎は、荒川の左ジャブに合わせて右パンチを打つフェイントをかけた。


 荒川は、小さく下がりながら左フックを振った。大崎の右クロスカウンターに対して、左フックで迎撃するつもりのようだ。


 ハーフタイム(一分)を過ぎると、両選手は右パンチも混じえ始めた。


 一度瞬間的な打ち合いになった。同じタイミングで放った両者のパンチが交差した。見ている側からすればスリリングな場面だ。


 ガッツのある大崎は、すぐにもう一度攻め込む。


 だが、気が強い荒川も踏み込んでいた為、両者は体が密着してクリンチになった。



「ラスト三十!」


 両校の部員達がそう叫んだ。


 荒川の左ジャブに合わせて打った、大崎の左ジャブがヒットした。体を右下に沈めながら、突き上げるように打ったパンチだ。相手のバランスが一瞬崩れた。


 大崎の追撃が早い。右ボディーストレートから、顔面へのワンツーストレートで追い打ちをかける。


 接近戦になった。回転の速い大崎の連打に、荒川は防戦一方だ。


 荒川は、ホールディング(相手の腕を抱える等の反則行為)でレフリーに注意されながらも、クリンチで辛くもピンチを脱した。



 試合が再開され、荒川が大きくフットワークを使ったところで、第一ラウンド終了のゴングが鳴った。


 四回深呼吸をし、うがいも終えた大崎に飯島が言った。


「いいか、このラウンドが勝負だぞ。アレをぶちかましてやれ」


 飯島が二回手拍子をした。大崎は飯島の方を向いて頷いた。



 第二ラウンドが始まる直前に清水が訊いた。


「先生、一ラウンドの最後はいい感じだったじゃないですか? アレは出さなくても大丈夫なんじゃないですか?」


「いい感じだったから出すのさ。あの後荒川は足を使っただろ? 次のラウンド、奴はアウトボクシングをしてくるから、早い内に勝負をかけるんだよ」


「……そうですね。大崎は、足を使う奴にはまだまだですからね」


 清水が言い終わる前に、第二ラウンドが始まった。


 荒川は大きくフットワークを使い始めた。充分に離れた位置から、スナップの効いた長い左ジャブを繰り出す。


 リーチに劣る大崎が距離を詰めると、荒川はスッとバックステップをして、再び大きく回り出した。


 飯島の予想通り、荒川は接近戦で無理に打ち合わず、アウトボクシングに徹するようである。


 荒川が下がり、大崎が追う展開になった。


 自分の間合いに近寄れない大崎は、手数が減っていった。



「大崎、追っ掛けちゃ駄目だ。先回りするんだ!」


 飯島が叫んだ直後に、横山が声を張り上げた。


「ワタッちゃん、フェイントと横の動きだよ!」


 その声に反応した大崎は、フェイントを加え、横に動き始めた。


 今にも飛び込みそうなフェイントに、荒川は一瞬足を止めて迎撃するような反応をした。そして、大崎の横への動きは、荒川のフットワークを先回りする格好になった。


 間合いが近くなり、大崎の手数が増えた。



 ハーフタイムも近くなった時、荒川がロープを背にした瞬間があった。


「大崎、今だぞ!」飯島の声が響く。


 大崎は荒川の左ジャブに合わせ、右パンチを被せた。右のクロスカウンターだ。


「ストーォップ!」


 レフリーはダウンを宣告した。カウントを数えられたのは大崎だった。


 彼は倒れてこそいないが、石につまずいた格好になり、両手をマットにつけていた。


 大崎はすぐに立ち上がった。右クロスカウンターは空振りし、左フックを引っ掛けられてのダウンだったが、単にバランスを崩しただけでダメージは無さそうだ。



「大丈夫だ大崎! まだいけるぞ」


 兵藤が叫んだ。立花高校は部員が多く、盛り上がる相手校の大歓声に、その声も掻き消されそうだ。


 飯島も声を張り上げた。


「ビビってんじゃねぇぞ。踏み込みが浅いんだよ」


 激励でなく、挑発のような言い方だ。そして、彼は二回手拍子をした。右クロスカウンターを再び狙えというサインだ。


 飯島にではなく、踏み込みの浅かった自分自身に腹を立てた大崎は、右足で強くマットを踏みつけた。ドシンと音がした。


 アマチュアボクシングはマナーに厳しい。レフリーは大崎に一言注意を与えた後、試合を再開させた。


「いけいけ荒川、いけいけ荒川、ゴーゴーレッツゴーあーらっかわ!」


 このラウンド、もう一度ダウンを奪えば優勝する荒川に、立花高校の部員達は大声援を送った。


 その声援に後押しされたのか、荒川は仕留めようと攻勢に出た。


 荒川は大崎の右クロスカウンターを警戒し、一度フェイントを入れて、左フックからコンビネーションブローを放った。


 荒川の右ボディーストレートがヒットした。


 距離が近くなった。大崎も打ち返す。彼は左右に位置をずらしながら、パンチを上下に散らした。回転の早い大崎の連打に、荒川は守勢になった。


 荒川は、距離を取ろうと大きくバックステップをした。


 大崎が突っ込む素振りを見せながらフェイントをすると、荒川が左ジャブで突き放しにかかる。


 大崎がそれに右パンチを被せた。荒川がスウェーバックしながら左フックを合わせる。


 大崎は、右足を前に出し、体を沈めながら荒川の左フックを空振りさせた。


 距離を大きく詰めた大崎は、サウスポースタイルになったまま左フックを思い切り叩き付けた。


 バスンと大きな音がリング上から響く。


 大崎のパンチは荒川の顔面にヒットせず、胸に当たっていた。


「アイツ、アレを外しやがった」清水が舌打ちをした。


「いや、まだいける」


 飯島はそう言うと、リング上に向かって叫んだ。


「大崎、逃すな!」


 荒川はパンチの衝撃でバランスを崩し、ロープまで後退していた。


 大崎は一気に距離を詰め、ロープ際で激しい打ち合いになった。


 荒川の右ストレートがヒットした。打たれた大崎の顔が、真横を向く程の強烈なパンチだったが、大崎はすぐに打ち返した。


 彼は右ボディーストレートから顔面への左フックを返した。


 空を切ったように見えた左フックだったが、荒川はドシンと尻からキャンバスに落ちていた。


 レフリーがカウントを数え始める。


 荒川は、ロープに掴まりながら必死に立ち上がったが、足はふらついていた。


 レフリーは無情にも「ボックスストップ」と言って、試合終了を宣言した。


 荒川は意外な程効いていた。立ったものの足がふらつき、セコンドの肩を借りて、やっと青コーナーにある椅子へ座る事が出来た。


 一分程前、盛り上がっていた立花高校のボクシング部員達は、静まり返った。



 有馬が飯島に訊いた。


「相手は、大崎先輩のどのパンチで効いたんですか?」


「左フックだよ」


「……空振りしたように見えたんですけど」


「顎をかすったのさ。顎をかすると、テコの原理で頭が揺れ易いんだよ」


 飯島は、他の一年生達にも言った。


「お前ら顎は打たれるなよ。足がいうことを効かなくなるんだからな」



 続けて飯島は横山に訊いた。


「横山、大崎とどっかで練習してたのか? ……お前の指示、的確だったからさ」


 気の弱い横山は、ビクッとしながら振り向いた。


「……えぇ、団地の駐車場で少し……」


「団地の駐車場?」


「僕とワタッちゃ……いや、大崎は同じ市営団地に住んでるんです」


「団地の駐車場ってお前……。そこでやったら目立つだろ?」


 石山が呆れ顔で言った。


「さすがに昼は出来なくて夜にやってました。電柱の灯りでもスパーは出来るんですよ。……!」


 横山は言い終わると、ハッとした顔になった。


「スパーってお前、アスファルトの上でやったのか?」


 飯島が声を押し殺して言った時、大崎が戻ってきた。



「横山、大崎、ちょっと来い」


 飯島は前後左右を見回し、更に声を潜める。


「お前ら、アスファルトの上でスパーは絶対やるなよ。後頭部から倒れたら、死亡事故にも成りかねないんだからな」


「……最初はマス(ボクシング)だったんですが、俺が熱くなって、スパーになっちゃったんです」


「ワタッちゃんは、僕にスパー相手がいないから、付き合ってくれたんです」


 大崎と横山は違う事を言っていた。お互いを庇っているようだ。


 飯島は溜め息をついた。


「この話は聞かなかった事にするから、もう外でスパーなんてやるなよ」


 ライト級の決勝戦。相沢の番である。


 試合開始前から、相沢は梅田から細かく指示を受けていた。



 ゴングと同時にストレートでラッシュをかけてくる相手に対し、相沢は、左右に位置を変えながらのコンビネーションで迎え打った。


 有馬が飯島に質問した。


「相沢先輩、この試合は珍しく一ラウンドから出てますよね?」


「相手の出てくる事が分かってたからな」



 相手のパンチは殆んど空を切り、逆に相沢のパンチが的確にヒットした。


 試合はワンサイドになった。


 第一ラウンドの後半、相沢は三度のスタンディングダウンを奪い、RSCレフリー・ストップ・コンテストで勝利者となった。



 再び有馬が質問した。


「先生、相沢先輩は本当に勘が悪いんですか? パンチを打ちながら、相手のパンチを避けてましたけど」


「相沢はコンビネーションの中に、ディフェンスも組み込んでいるんだよ」


 飯島が言い終わった時、裕也と対戦相手がリングに上がった。



 相手は一度思い切りジャンプをした。ドシンと音を立てて着地した彼は、左右のグローブで、自分の顔を一発ずつ軽く叩いた。かなり気合いが入っているようだ。


 身長が百七十センチ前後の、ガッチリとした体つきである。



 ライトウェルター級で戦っていた兵藤が言った。


「梅田先生、アイツ、インハイと国体予選じゃ出てなかったですよね?」


「去年の秋からボクシングを始めたらしいからな」


 安全上の理由から、高校ボクシングの規則上、ボクシングを始めてから一年間は、試合に出場することが出来ない。


 清水も話に加わった。


「アイツ、昨日の試合は一ラウンドで終わらせてたんですよね。パンチもあったし、面白い試合になりそうですよ」


 試合開始のゴングが鳴った。


 両者は互いの強打を警戒してか、やや遠い間合いを保ちながら、ゆっくりと左へ回り始めた。静かな立ち上がりである。


 二人は共に右構えだが、対称的なスタイルだ。


 祐也は背筋をピンと伸ばし、アップライト(高い姿勢)で構える。やや硬直気味の構えで、全身を小刻みに震わせるようにリズムを取っていた。


 対する相手は、スタンスが広めで重心を落としていた。柔らかくした膝でゆったりとしたリズムを取り、それに合わせて頭の位置が上下に動く。


 強打者同士の試合は、ゾクッとする緊張感がある。試合会場は誰も声を出さず、静かになっていた。


 裕也が左ジャブを二発放つ。ノーモーションの速いジャブだ。相手は大きなバックステップで、これを空振りさせた。


 パンチを打つ際に鼻から吐き出す裕也の息が、康平にも聞こえた。


 距離を取った相手だったが、柔らかい膝を使って一挙に距離を詰め、体ごと叩き付けるように右フックを振るった。


 バックステップをした裕也だったが、間に合わず、左グローブでガードをした。


 バスンとパンチの当たる音が会場に響き渡った。ブロックをした祐也の上半身が僅かにブレる。


 続く相手の左フックは、裕也のフットワークで空を切った。体全体で打つ左右のフックは迫力がある。



 清水が言った。


「飯島先生、アイツ、大振りの割にスピードありますね」


「奴は中学まで、器械体操をやってたらしいからな。たぶん、フィジカルとバネは相当あるぞ」



 裕也の左ジャブが相手のガードに当たった。


 その直後、裕也の右グローブが真っ直ぐに伸びる。昨日の試合で打っていた、矢のような右ストレートだ。


 これもガードに当たったが、相手はパンチの衝撃で大きく下がった。だが、彼はすぐに体勢を立て直し、距離を詰めようと前に出始めた。


 相手は身体能力だけでなく、闘志もありそうだ。


 長身の裕也が左ジャブを突きながら足を使い、相手はそれを追う展開になった。


 ハーフタイム(一分)を過ぎた頃、相手はステップをするような踏み込みから、右のロングフックで襲い掛かる。


 大きなバックステップでこれを空振りさせた裕也は、ロープを背にしていた。


 遠い間合いから、相手は左フックを振りながら跳び込んだ。


 祐也の右のテンプル(こめかみ)にヒットした。


 彼の腰が大きく落ちる。


 ロープ際にいた裕也は、ロープの二段目に座るような格好になった。すぐに構え直した彼に、レフリーのカウントが入る。



「頑張れ坂田!」


 青葉台高校の部員達が叫んだ。


 裕也は少し微笑むような顔で彼らを見た後、小さく頷いた。



 カウントをエイトまで数えたレフリーは、試合を再開させた。


 祐也はフットワークを使わず、相手を待っていた。


 清水が言った。


「アイツ、足にキテんのか?」


 相手は一度フェイントを入れた後、左右フックで攻め込んだ。


 裕也もその場で応戦する。昨日の試合で打っていた洗練されたストレートではなく、フック気味のパンチだ。


 共に荒々しいパンチでの打ち合いになった。二人は大振りだった為か、空振りを繰り返した。



 残り三十秒になった時、裕也の右パンチがカウンター気味にヒットした。


 右を打とうと体を左にひねっていた相手は、顔の向きだけが右にねじれ、糸の切れた操り人形のようにその場で崩れ落ちる。


 倒れかかる相手へ、裕也は下向きに左フック振るった。


 空振りになったが、彼は目を大きく見開き、マウスピースがむき出しになる程歯を食いしばっていた。必死の形相だ。


 レフリーは、祐也を抑え込むような格好でダウンを宣告した。


 微動だにしない相手を見て、レフリーはノーカウントで試合をストップさせた。


 康平と健太が知っている裕也は、気は強いものの、爽やかで温厚な性格の友達だった。


 鬼気迫るような顔の裕也を、二人は初めて見た。



「……優勝おめでとう」


 リングを降りた裕也に健太が声を掛けた。


「有難う。……たまたま右がカウンターで当たってくれたからさ。運が良かっただけだよ」


 裕也は自嘲しながら力なく笑った。


 近くにいる兵藤が言った。


「自分の試合内容に不満なんだろうが、まずは優勝出来たんだ。一月の地方大会まで、自分のボクシングに磨きをかけるんだな」


「有難うございます。もっと練習して頑張ります」


 兵藤と一度試合をした裕也は、彼に一目置いているらしく、嬉しそうに答えた。兵藤が訊いた。


「……そう言えば、スパー相手は松岡だけなんだろ? 大丈夫なのか?」


「実は松岡さん、両足の疲労骨折で、最近までスパーが出来なかったですよ。これからはスパーが出来るし、横山さんもマス(ボクシング)をしてくれるんで大丈夫です」


「両足の疲労骨折か……。だから試合中、追い足が悪かったんだな?」


「疲労骨折はオーバーワークのせいでしたが、松岡さんは練習の虫で尊敬しています。本来の松岡さんは、もっとスタミナがあるし、ボクシングだってあんなもんじゃないですよ」


 裕也は少し誇らしげに言った。心から松岡を尊敬しているようだ。



 着替えに行く裕也を見ながら、兵藤が言った。


「アレは恐ろしく強くなるぞ。パンチはあるし、ハートもある。何より、強くなるのに貪欲だ」


 康平と健太は、何も答えず黙っていた。


 兵藤が話を続けた。


「……お前らは坂田と試合をするかも知れないから、複雑な気持ちだと思うが、試合は喧嘩と違うんだ。まぁ、その……とに角頑張れ」


 清水が話に加わった。


「兵藤は堅すぎるんだよ。坂田と戦いたくなかったら、今からポテチいっぱい食って、階級を上げりゃ〜いいんだよ。ただ、練習もして動ける豚になるのが前提だけどな」


 ペチッと飯島が清水の頭を叩いた。


「変なアドバイスすんな。……ところで帰りはどうすんだ? 昨日と一緒で、二・三年生は俺の車に乗って行くのか?」


「俺達三年は、森谷と梅田先生の車に乗せて貰います。森谷には、それぞれアドバイスしたい事があるんですよ」


 石山が答えると、飯島は頷いた。


「じゃあ一年は、相沢と大崎と一緒に俺の車に乗って帰るぞ」



 閉会式が終わり、一年生達は飯島の車に乗った。


 運転しながら飯島が言った。


「明日は代休で部活も休みだが、一年生達は明後日から練習だ。二年生は三日休んだら練習再開だからな」


「え? 三日間しか休みが無いんですか? ……もう少し休めると思ったんですけど」


 大崎がボヤいた。


「贅沢言うな。三日でも多いんだよ。来年の一月には、ブロック大会があるんだからな。とに角、三日間でしっかり休養とって、練習再開だ」


 その後飯島と相沢と大崎は、地方大会に勝ち上がってくると予想される他の県の選手の話や、その大会までに取り組んでいく自分の課題等を話し合った。


 その間、一年生達は黙って話を聞いていた。



 飯島が一年生達に言った。

「お前ら静かだな。二年生の前だからって、遠慮しなくていいんだぞ」


「……いえ、そういう訳じゃないんですけど、今回の新人戦に出た選手は、来年の大会にも出てくるんですよね?」


 有馬がそう言うと、相沢は納得した顔になって頷いた。

「は〜ん、そういう事か」


「どうしたんだよ?」

 大崎が訊いた。


「俺達も一年の時はそうだったろ? 新人戦を見た後って、ブルーになったじゃねぇか。スパーを始めたばかりの自分が、あいつらとまともに戦えるのかってな」


 有馬が訊いた。

「先輩達もそうだったんですか?」


「言われてみるとそうだな。……まぁ、練習してればそんな事は忘れるから気にすんな」

 優勝した大崎に言われたからなのか、有馬は少し安心した顔になった。



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