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新人戦(二日目)


 次の日、朝九時から点呼が始まった。


 この日は準決勝で、いきなり決勝のピン級(旧モスキート級=四十六キロ以下)を除き、全ての階級が二試合ずつあった。



 検診が終わると、試合開始までは二時間程時間があった。選手達はその間に軽く食事を摂った。


 ウォーミングアップが始まるまで、選手達は休んだ。


 永山高校の隣では、裕也のいる青葉台高校の生徒達が座っていた。


 康平と健太が裕也を見付けると、向こうも二人に気付いたようで、裕也は笑顔で右手を小さく挙げた。


 二人は裕也の所へ歩いて行き、康平が話し掛けた。


「今日から試合なんだよな? 頑張れよ」


「アリガトな。練習したことが出せるように頑張るよ」


 健太がニヤリとして言った。


「先輩達が言ってたぜ。練習試合で倒しまくったらしいじゃん」


「練習試合はあくまで練習試合だからな。本番とは違うよ」


 裕也はそう言って、表情を引き締めていた。


 この日も軽量級からの試合である。


 最初に試合をするライトフライ級(四十九キロ以下)の選手達は、他の選手達よりも早く立ち上がって、ウォーミングアップを始めた。


 第二試合に出場する黒木琢磨も軽く動き始めた。


 彼は、インターハイ予選と国体予選を優勝し、県では負け知らずだ。そして、インターハイの全国大会は三回戦で敗れたが、国体の全国大会では三位になっていた。


 シャドーボクシングをする黒木を、有馬と白鳥はジッと見ていた。


 石山が話し掛けた。


「お前ら体重は何キロだ?」


 有馬と白鳥は、二人共五十一キロと答えた。



「……だとすると、来年二人の内どっちかが横山で、もう一方が黒木とやるんだろうな」


「……そうですね」


 そう答えた有馬が石山に言った。


「黒木のスタイルが変わりましたね。国体の時からですか?」


「国体の時は前のスタイルだったぞ」


 インターハイ県予選と国体県予選の時の黒木は、オーソドックススタイル(右構え)だが、ガードは低く、ヘソの高さで構えていた。


 だが、今日のシャドーボクシングを見ると、右ガードは顎の横にピタリと付け、前にある左ガードは、左のコメカミを守るように高く上げている。


 シャドーボクシングには、ディフェンスの動作も混じっていたが、以前のように上半身の動きで避けるのではなく、フットワークとブロッキングで防ぐスタイルのようだ。


 相沢が話に加わった。


「あれは、リカルド・ロペスのスタイルだよ」



 有馬が訊いた。


「そのボクサーって有名なんですか?」


「有名も何も、アマでもプロでも無敗だった伝説のチャンピオンさ」



 石山が言った。


「確かにそっくりだな。……そう言えば、黒木が国体で負けた時に、親父さんにスタイルの事をこんこんと言われてたんだよな」


「国体から約一ヶ月でスタイル改造ですか? ……それにしては、フォームが馴染んでいる感じですよね?」


 相沢はそう言って首を傾げた。


 そのうちに、青葉台高校の選手達もウォーミングアップを始めた。


 裕也のシャドーボクシングを見て、清水が言った。


「兵藤、アイツが坂田だろ?」


「あぁ、そうだよ」


「お前にはブルファィター(猛牛のように突進していくボクサー)だって聞いてたんだが、随分印象が違うな」


「……そうだな」


「シャドーじゃストレートしか打ってねぇし、どう見たってボクサータイプ(離れて戦うタイプのボクサー)じゃん」


「お前は試合を見ていなかったからな。実際に戦うと全然下がらねぇし、距離が近付けば躊躇なく右を強振してきたんだよ」


「……まぁ、お前は実際に戦ったんだからな。それにしても、窮屈そうなフォームだな」


「アイツ、国体予選の時は出場しなかったんだよ。会場でその事を訊いたら、フォームを固めるからって言ってたっけな」


 兵藤が言い終わると、二人はさりげなく裕也の動きを観察していた。


 康平と健太も、裕也が気になった。


 右構えの裕也は、両肘を絞り、ガードを鼻の高さまで上げている。


 両足は極端な程内股になり、背筋をピンと伸ばす。裕也が元々長身なのもあってか高い姿勢になっていた。


 清水が言ったように、窮屈そうなフォームである。


 彼はパンチを繰り出すが、打っているのではなく、ただ腕を伸ばしているような感じでスッと突き出していた。



 清水が言った。


「なぁ兵藤、お前と戦った時はアイツ、右を強振してきたんだよな? ……あれじゃあ、強いパンチは打てない気がすんだけどな」


「……そうだな」


 そう答えた兵藤は、しばらく考えた後に口を開いた。


「……シャドーは綺麗でも、実戦になるとビビって滅茶苦茶になる奴は結構いるんだが、稀に逆な奴っているだろ?」


「坂田もそういうタイプだってか?」


「……試合を見ねぇと分かんねぇけどな。ただ坂田は、練習試合でも倒しまくってるって聞いたから、そう思っただけだよ」



 一時間程して試合が始まり、ライトフライ級の第二試合になった。


 第一試合の選手と入れ替わって、黒木がリングに入った。


 開始のゴングが鳴るまでの間、黒木は構えたまま、ずっと膝でリズムを取っていた。



 飯島が言った。


「アイツ、試合直前もリカルド・ロペスになりきってんじゃないか?」


「そうみたいですね」


 石山が答えた時に開始のゴングが鳴った。


 黒木は前に出ようとせず、ガードを上げ、細かいステップで左右に動きながら様子を見ていた。


 相手の方は、インターハイと国体の県予選で黒木と対戦している。二度ともRSC敗けを喫していることもあってか、前に出ていなかった。


 共にパンチらしいパンチを出さずに二十秒程経過した。その時レフリーが、両拳をぶつけるようなポーズをしながら二人に注意をした。



 有馬が質問をした。


「飯島先生、あれは何の注意ですか?」


「二人共もっとパンチを出せっていう注意さ。アマチュアの試合は短いから、積極的にパンチを出さなきゃならないんだよ」


 飯島はそう言うと、怪訝な顔になった。


 清水が訊いた。


「先生、どうしたんですか?」


「黒木はビビってないか?」


「……言われてみるとそうですね」


 清水が頷くと、石山も話に加わった。


「アイツ、国体の時は二回倒されてんですよ」


「新聞で結果を見たんだが、負けた試合は判定だったんじゃないか?」


「確かにそうなんですけど、試合終了間際で派手に倒されたんですよ。辛うじて立ったんで、RSC負けは免れたんですけどね」


「……お前、二回倒されたって言ってたよな? もう一回倒されたのも負けた試合でか?」


「いや、違いますね。初戦は判定で勝ったんですが、その試合でです。……相手はそんなに、パンチがあるようには見えなかったんですけどね」



 清水が言った。


「もしかしてアイツ、グラス・ジョーなんじゃないですか?」


「清水先輩、グラス・ジョーって何ですか?」


「ガラスみたいに脆い顎って事さ。顎の噛み合わせが悪い奴とかは、ココに軽いパンチでも当たると、簡単に倒れちまうんだよ」


 康平が訊くと、清水は自分の顎を、横から平手でペチペチ叩いて説明した。


 飯島が言った。


「高田、今の話は忘れろ」


「え?」


「黒木がグラス・ジョーかも知れないって事を忘れるんだ。……清水も、他の奴には言うんじゃないぞ」


「どうしてですか?」


「かも知れないっていう希望的な予想は、ろくな事にならないからな。お前だって、去年の新人戦で痛い目にあっただろ?」


「……そうですね。相手のボディーが弱い筈だと思い込んで、ボディー攻撃にいったら、相手の距離で戦って判定負けになりましたからね」


「ボディーを狙うと距離が近くなるからな」


「相手は前の二つの大会で、ボディー攻撃を食らってストップされてたから、俺もかっこよくボディーで仕留めてやろうと思っちゃったんですよね」


 清水は頭を掻いた。



「とかく人間は自分に甘いからさ。自分にいい情報は、都合よく『かも』から『筈』になり易いんだよ。……まぁ、俺も含めてだけどな」


 飯島が話し終わった時、第一ラウンドの終了ゴングが鳴った。


 両者は共に有効打が無かったようである。


 青コーナー側の椅子に黒木が座った。


 黒木に深呼吸をさせたセコンドは、自分の左胸に手を当てて、しきりに言い聞かせていた。セコンドは、黒木の父親のようである。


 声が大きかった事もあって、セコンドの言っている事が康平達にも聞こえた。


「お前はこのスタイルで戦えるんだから、後は気持ちだけなんだよ」



 飯島が言った。


「石山、黒木が負けた試合で倒された時は、どんな感じだったんだ?」


「かなり効いてましたね。立った時も足がふらついていて、RSC負けになってもおかしくない状況でした。……でもそれで終わると、RSCHになって、この大会には出られなくなったんですよね」



 健太が質問した。


「RSCHのHは、どういう意味なんですか?」


「ヘッド、要は頭って事さ。頭部にパンチを貰って倒されてRSC負けだったら、Hが付いて、四十日間は試合に出れなくなるんだよ。……ダメージのある競技だからな」


 石山が言い終わると、飯島が再び口を開いた。


「激しく倒された後の最初の試合は、誰でも怖いんだよな」


 黒木は軽快なフットワークを使っているが、前のラウンドと同様に踏み込みが浅く、ポイントとなるようなクリーンヒットは出ていない。


 相手は、黒木が出て来ない事を感じ取ったようである。前へ出て積極的に打ち始めた。


 迎え打とうとした黒木の右ストレートと、相手の右ストレートが相打ちになった。


 両者は共に一瞬たじろいだ。ガードを固めて後退する黒木に対して、相手はバランスを崩しながらも、すぐに攻撃へ移った。


 守勢にまわった黒木は堅いブロッキングで凌いでいたが、相手はガードの上から、お構い無しにラッシュをしている。


 ガードの隙間から、相手の右ストレートが黒木の顔面にヒットした。


 黒木が防戦一方になっていたのもあり、レフリーがダウンを宣告した。



 清水が言った。


「こりゃ番狂わせがあるかもな」



 カウントを数えられている黒木は、ガードを上げながらチラッと青コーナーを見た。ダメージは無いようだが、少し弱気な表情である。



 カウントエイトまで数えたレフリーが試合を続行させた時、突然青コーナー側後方の応援席から声が響いた。


「琢磨さん、俺、こんな試合を見に来たんじゃないんスからね!」


 黒木は、その方向を向いて一度頷いた。そして、自分の頭を軽く四発叩く。自らに気合いを入れているようである。


 前進する相手に対して、黒木が左へ回りながら、距離を取って左ジャブを放つ。遠い間合いから大きく踏み込んでいた。


 これはガードに当たったが、相手の前進が止まった。


 黒木は右後方へスッと動いた後に、再び左ジャブを打った。踏み込みが大きく、しかも鋭い。


 右の頬にパンチを貰った相手はたじろぎ、大きく後退した。


 黒木がワンツーストレートから左アッパーで追撃すると、相手はすぐにガードを上げて直撃を防いだ。



 石山が言った。


「兵藤、黒木の打ち方が変わったんじゃないか?」


「打ち抜くパンチってやつだな。国体ん時は、もっと軽く打ってたよな」



 以前の黒木は、ガードを下ろしてリラックスしたフォームから、スナップを効かせた鞭のようなパンチを打っていた。


 だがこの試合では、ウェートの乗ったパンチで打ち抜いていた。若干スピードは落ちたが、その分威力がありそうだ。



 相手は警戒したのかガードが極端に高くなり、距離を取って左へ回り始めた。


 黒木は前進をするが、畳み掛ける様子はない。


 だが、時折フェイントを入れながら、一歩踏み込めばパンチが届く距離を維持したまま、相手をロープ際に追い込んだ。


 黒木は顔面へ左ジャブを打つフェイントを入れた後、すぐにボディーへ左ジャブを突いた。ガードが高くなっている相手の鳩尾みぞおち辺りに突き刺さった。


 相手は、すぐに数発のパンチを放ちながら前進するものの、黒木は無理に打ち合わず、フットワークでこれをかわした。


 黒木は充分に距離を取った後、大きく踏み込み、ワンツーストレートから左ショートアッパーを垂直に突き上げた。


 クリーンヒットはしなかったが、打ち終わった黒木はすぐに位置を変えた為、相手はパンチを出しそびれた。



 黒木は常に位置を変え、ワンツーストレートからの左アッパーを繰り返した。


 時折、ボディーへ左ジャブがヒットした。打ち抜くように打っているので、ストレートのように威力がある。


 ラウンド終了間際、黒木の左ジャブが顔面へクリーンヒットした。体を沈め、ボディーを打つような体勢から突き上げたこのパンチに、相手は不意を突かれたようだ。


 顔が上向きになった相手へ、黒木は間髪入れずにワンツーストレートを叩き込む。


 相手は両ガードを前に出して防いだ。そして、次に襲ってくる左アッパーを予想してか、ガードを締めたままでいた。


 黒木の外側から巻き込むように放った左フックが、相手の側頭部辺りにヒットした。


 相手はロープ際で崩れ落ちた。


 すぐに立とうとした相手だったが、バランスを崩して仰向けになった。


 カウントはファイブまで進み、相手はもう一度立とうと片膝を付いたものの、立ち上がる時にバランスを崩して再び横になった。


 これを見たレフリーは、カウントの途中で試合をストップさせた。


 相手は意識がしっかりとしているものの、自分で立ち上がる事が出来ず、セコンドの助けを借りて、ようやくリングから降りる事が出来た。


 会場がザワザワとどよめく。



 飯島が言った。


「アレは耳の裏側に当たったんだろうな」


 康平が訊いた。


「梅田先生も言ってたんですが、耳の裏側ってどうして効くんですか?」


「耳の裏側には三半規管があるからさ。ココにピンポイントでパンチを貰うと、平衡感覚がおかしくなってしまうんだよ」


 飯島が続けて話す。


「アマチュアじゃヘッドギアもあるし、滅多にないダウンなんだがな。……それも、軽量級でこんな倒し方をするって事は、黒木はかなりパンチがあるんだろうな」


 有馬と白鳥は、レフリーから手を上げられている黒木をジッと見ていた。



 リングから降りた黒木は、応援席から飛び出してきた人物とハイタッチをした。その人物は中学のジャージを着ている。



「あれが沼津だよ。一回だけサンドバッグ打ちを見たんだが、恐ろしくパンチがあるぞ。バックが縦揺れする程だったからな」


 石山に言われて康平と健太は沼津を見た。身長が低く百六十センチ位だが、肩幅が広く首が太い。中学生離れしたビルドアップされた体は、ジャージ越しでも容易に想像が出来た。



 フライ級の第一試合が終了し、第二試合になると、横山が青コーナー側からリングに上がった。


 昨日と違い、横山の表情に硬さはない。


 試合が開始されると、長身の横山は、両拳を前に出す独特の構えから、丹念に左ジャブを突いた。


 背の低い相手は接近戦に持ち込もうとするが、横山の出す左ジャブが出鼻にヒットし、容易に近付けないでいた。


 横山は時折右パンチを放つが、全て空を切った。やや振りが大きくパンチも流れ気味である。


 石山が清水に言った。


「横山はいつもと違うんだよな」


「そうか?」


「この試合は、細かいフットワークと上体の動きが無いんだよ」


「……アイツ、倒す気満々なんじゃねぇのか? やけに右が大振りだしな」


「確かにな。……そう言えば横山は、昨日初めてのストップ勝ちだったんだよな」



 石山がそう言うと、清水はニヤリと笑った。


「それだったら、また倒してやろうと色気が出ちまうかもな」



「近付かなかったら勝ち目はねぇぞ」


 仲間にハッパを掛けられた相手は、横山の大振りの右をかわし、体を預けるようにしてロープ際へと押し込んだ。


 そして相手は、ここぞとばかりにショートパンチを打ち始めた。


 横山のガードが高くなった。ガードはやや広くして外側からのパンチを防ぎ、内側からのパンチは上体の動きでかわした。彼は冷静に見ているようである。


 相手が右を強振した時、横山は体を沈めながら左へスルリと抜けていた。


「上手いなぁ」と清水が言った。


 体を入れ替えた横山は、左右のストレートを連打して相手を防戦一方にさせた。


 強いパンチではなかったが、ガードの隙間から相手に二発ヒットし、レフリーはダウンを宣告した。


 カウントエイトまで数えたレフリーが試合を続行させた時、ラウンド終了のゴングが鳴った。



「高校ボクシングはストップが早いんだから、無理に倒さなくてもアレでいいんだよ」


 石山がそう言うと、清水は小さく笑った。


「倒し屋だったお前がそんな事言うなんてな。……ところで石山は、何で横山を応援してんだ?」


「横山は俺に負ける度に挨拶しに来るんだよ。オドオドしながら『全国頑張って下さい』ってな」


「冷血な石山も人の子だった訳だ」


「冷血? どういう意味だよ?」


 石山が怪訝な顔をすると、清水は再び小さく笑って言った。


「国体予選の決勝じゃ、一度ダウンして効いている横山に、鬼のような左フックで仕留めてたじゃねぇか。しばらく立てなかった横山を見て思ったよ。石山は血も涙もねぇ男だってな」


「あれは試合なんだから仕方ないだろ? 横山は、最後まで右のカウンターを狙ってたしな。一ラウンドで終わったが、こっちも気が抜けなかったんだよ」


「右のカウンターねぇ。……見かけによらず、アイツしぶといんだな」


 清水がそう言うと、今度は石山が小さく笑った。


「そうさ、アイツは見かけと違ってハートがあるんだよ」



 第二ラウンドが始まると、相手の方に変化があった。


 前のラウンドの時よりも手数は少なくなったが、その分頭の位置を忙しく変えるようになった。そして、グイグイと前に出始めた。


 対する横山は、前のラウンドと同様に左ジャブを繰り出し、相手の前進を止めにかかった。


 頭の位置を変える相手に、最初の数発こそ空振りしていたが、しばらくすると、横山の左ジャブが相手の顔面を捉え始めた。


 横山の伸ばし気味に構えている左グローブは、その時点で目標に近く、相手にとっては避けにくそうである。



 顎をグッと引いた相手は、左ジャブを貰いながらも、左右のフックを振るって強引に前へと出た。


 相手を止めようと横山が右パンチを打った時、相手も同時に右フックを振っていた。


 どちらも空振りに終わったが、相手はバランスを崩しながらも無理矢理左フックを返す。


 大振りの右パンチで、体が流れていた横山の顔面にヒットした。


 強いパンチではなかったが、横山はバランスを崩し、ロープ際まで大きく後退した。


 相手が走るように距離を詰める。横山はすぐにガードを固めた。


 相手がボディーへ左フックを放つと、横山は右腕でブロックした。


 横山が左へ動こうとした時、相手は大振りの右フックをボディーに打った。


 ブロックはしたものの、横へ動けなくなった横山に、相手は左ボディーフックを放った。徹底してボディー攻撃をするようである。


 このパンチを打った直後、相手の顔面が上向きになった。



「ナーイスアッパー!」


 青コーナー側後方から、裕也達の声が響いた。


 横山は、右腕で左ボディーフックをブロックし、右アッパーを返していた。


 相手は一瞬下がったが、すぐに近付き、右ボディーフックを放った。


 今度は横山がブロックした腕で、左アッパーを返した。軽いパンチだったがタイミングよくヒットし、相手の顔の向きが小さくねじれた。


 動きの止まった相手に、横山がショートのワンツーストレートで追撃すると、相手は大きく後退した。


 横山が更に左ジャブから大振りの右パンチを放った時、相手は苦し紛れに右フックを振っていた。


 相手のパンチがカウンター気味に横山の顎へヒットした。


 青葉台高校の応援席から「あっ」という声が出た。


 バタンと激しい音を立てて横山は仰向けに倒れた。


 横山はロープを掴みながら立ち上がり、ファイティングポーズをとった。


 しかし、足元がふらついている横山を見て、レフリーはカウントの途中で「ボックスストップ」と言って試合終了を宣言した。



 盛り上がる赤コーナー側にある折り畳み式の椅子には、次の試合に出場する大崎が座っていた。


 彼が立ち上がった時、飯島が声を掛けた。


「大崎、昨日の練習通りにやるんだ。……倒す必要は無いんだからな」


 大崎は「はい」と小さな声で返事をすると、リングへの階段を静かに登っていった。


 友達が目の前で倒されてショックなのだろうと思い、清水が言った。


「石山、大崎は大丈夫なのか?」


「こういう時こそ、大崎はいいボクシングをするんだよ」


 そう答える石山だったが、内心は心配だったのか、リング上にいる大崎に声を掛けた。


「大崎、力むなよ」


 大崎は口を一文字に閉じたまま頷き、軽いステップを踏みながら、両手を一度ダランと落として肩を二回上下させた。



 試合が始まった。


 大崎はいつものような膝でのリズムは取らず、スリ足で少しずつ前に出た。時折小さなダッキングを加えて頭の位置を変えている。


 この日の対戦相手も、長身のオーソドックススタイル(右構え)である。相手は一定の間合いを取ろうと、大きなステップを使って回り始めた。


 相手が赤コーナー近くで動いていた時、大崎が右パンチを打つフェイントをすると、相手は左ガードを高く上げながらバックステップをした。


 相手がロープにぶつかった。


 その瞬間、大崎はスーっと距離を詰め、まとめてパンチを打ち出した。練習で打っているようなスピードの乗ったパンチだ。


 一発一発は強くないが、回転の速い連打でパンチを上下に散らした。


 相手は防戦一方になった。背中を丸め、打たれる面を小さくしながらガードをしている。


 大崎が打ち終わったところを狙って、相手は左フックで反撃した。


 それを右に位置をずらしながら潜り抜けた大崎は、左フックをボディーから顔面にダブルで放った。


 二発共綺麗にヒットし、相手の腰が小さく落ちる。


 レフリーがダウンを取った。


 カウントエイトで試合が続行されると、大崎はゆっくりと前に出た。


 相手はフットワークを使って回り始めるが、左ジャブは殆んど出ていない。


 大崎が右パンチのフェイントを使うと、相手は反応してガードを高く上げた。


 大崎の右クロスカウンターに対して、相手が過剰な程警戒しているのが一年生達にも分かった。


 飯島が一年生達に言った。


「大崎は前の試合、右クロスで派手に倒してるからな」



 左ジャブの出ない相手は、簡単にロープへ詰められた。


 大崎はラッシュを始めた。


 相手が苦し紛れに右パンチで反撃をした時、大崎は右のグローブでブロックしながら、前に突き出すような左フックを返した。


 相手の顔面にクリーンヒットし、顔が上向きになった。


 レフリーはカウントを始めた。このラウンド二度目のダウンだ。


 試合再開すると、大崎は右パンチのフェイントを交えながら相手をロープ際へ追い詰め、連打でダウンを決めて、一ラウンドRSC勝ちとなった。



 有馬が言った。


「先生、大崎先輩はカウンターも取れるんですね」


「まぁな。スパー相手に極悪な左を打つ奴がいたからさ。大崎は色々やってきたんだよ」


 極悪な左パンチの持ち主である石山も話に加わった。


「大崎はバランスの取れたいいボクサーですよ。時には、アウトボクシングも出来ますからね」


 石山は、ずっとスパーリングパートナーとして務めてきた後輩を、高く評価しているようである。


 試合が終わった選手は大会本部へ行き、ドクターチェックと、試合結果を選手手帳へ記録して貰う。


 それを終えた大崎は、体が冷えないように急いでジャージに着替えた。


 その近くでは、横山がタオルを被って座っていた。


 チラッと横山を見た大崎は、「大丈夫か?」と声を掛けた。


 横山は頷き、「……俺の分も決勝頑張ってな」と言って、小さく右手を上げた。



 その様子を見ていた清水が呟いた。


「倒された選手にかける言葉は、あまりねぇんだよな」



 バンタム級の第二試合が終わり、ライト級の試合になった。


 第一試合に出場する相沢がリングに上がった。

 試合が始まった。


 相手は、前の大会で相沢に倒されているせいか、警戒しているようだ。


 相沢は普段、両グローブを口にピタリと付ける独特のフォームから、多彩なコンビネーションブローで攻め立てる。


 だが、相沢も積極的に打っていく様子はなく、静かな立ち上がりである。


 フェイントを多用し、パンチを出すものの、二発程度で終わっている。


 ただ、パンチを打ち終わった後は、忙しく左右に動いていた。


 有馬が質問した。

「相沢先輩は、前の大会でも一ラウンド目はコンビネーションを打たないですよね。どうしてですか?」


「相沢は、梅田先生の指示を忠実に実行しているんだよ」


 飯島がそう答えると、有馬は続けて質問をした。


「それはどんな指示なんですか?」


「相手のパンチを貰わないようにして、自分のパンチを出せさ」


 有馬は怪訝な顔をして言った。

「……それって、みんなやってる事なんじゃないですか?」


「パンチは出すだけでいいんだよ。当てろとは言ってないだろ?」


「そうですね」


 有馬と康平は頷いた。



 ラウンド終了のゴングが鳴った。第一ラウンドは、お互いにポイントになるようなパンチは当たらずに終わった。


 赤コーナー側で梅田が指示を出していた。



 今度は康平が質問した。


「今はどんな指示を出してるんですか?」


「次のラウンドに出すコンビネーションを、三つ程言ってるんだろうな」


「……それだけなんですか?」


 有馬は首を傾げた。すると、飯島は笑いながら言った。


「それだけさ。……ただなぁ、コレが面白いようによく当たるんだよ」


 第二ラウンドが始まった。


 飯島が言った。


「お前らも試合を見てろよ」



 相沢は膝でリズムを取り、ワンツーストレートから左フックを放った。


 相手が小さく下がってこれを空振りさせた時、相沢は、飛び込みながらもう一度左フックを打った。


 相手の顔面にヒットして顔が上向きになった。


 バランスを崩した相手に、レフリーがカウントを数え始める。


 ラウンド開始早々のダウンに、康平達は歓声を上げた。



 飯島が康平と健太に言った。


「飛び込みながらの左フックは、相沢の得意パンチの一つだからな。スパーの時は気を付けろよ」


 試合が再開されると、相沢は同じパターンで攻め込んだ。


 最後に放った飛び込みながら打つ左フックも、相手にガッチリとガードされた。


 相沢は、二発の左ジャブを打って距離を詰める。


 有馬が訊いた。

「先生、先輩は今、二つ目のコンビネーションを打ちましたよね?」


「いや、今のは入らないぞ。三つのコンビネーションと言っても、そればっかり打っていたら危険だからな。左ジャブや単発の右ストレートは、狙っているコンビネーションをカモフラージュしてるんだよ」


 飯島は、そう答えながらストップウォッチを見た。そして、リングに向かって叫んだ。

「ハーフタイム!」


 その声を聞いた相沢は、左フックで飛び込んだ後に、体を沈めながら右アッパーをボディーに叩き付けた。


 飛び込みながらの左フックは警戒されているようで、相手のスウェーバック(のけぞるような防御)でかわされたが、右アッパーはまともにボディーへヒットした。


「相沢、ナイスボディーだ!」

 三年生達が声を張り上げる。


 相手はボディーが効いたのか、背中が丸くなり、動きが鈍くなった。


 相沢に畳み掛ける様子はなく、体を沈めながらスッと下がり、左へ回って二発の左ジャブを突いた。


 健太が訊いた。

「今チャンスなんですけど、先輩は攻めないんですか?」


「相沢はなぁ、三つのコンビネーションで頭が一杯なんだよ。……奴は運動オンチだからな」

 飯島は苦笑して答えた。


 相沢が左フックで飛び込み、再び右アッパーをボディーへ放つ。


 相手はバックステップで左フックをかわし、右アッパーはガードを下げて防いだ。



 ストップウォッチを見た飯島が大きな声を出した。


「ラスト三十!」


 その直後、相沢は左フックで飛び込んだ。


 それが空振りに終わった後に、相沢は体を沈めながら右フックを顔面に放った。


 右ボディーアッパーを警戒して、ガードの下がっていた相手の顔面にクリーンヒットした。


 相手は倒れなかったものの、足をふらつかせながら後退した。明らかに効いている。


 レフリーはカウントエイトまで数えると試合を止めた。相沢の二ラウンドRSC勝ちとなった。



 次はライト級の第二試合である。


 相沢は試合を見る為、急いでジャージに着替えた。

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