狙われても打て!
次の週の月曜日。学校から帰った康平は、亜樹の携帯電話へ電話をした。
【私も君に電話しようと思ってたんだ】
【昼休みん時、話がありそうだったからな】
【実はそうなんだ。最近の康平って、昼休みになるとボクシング部のコとどっか行くでしょ?】
【ま、まぁな。……でも図書館では話せたんじねぇの?】
【そうなんだけど、……弥生ちゃんもいるからちょっと言いにくくてね】
康平はニヤッと笑った。
【亜樹は弥生に独占されちゃってからな。奴の苦情だったら承るよ】
【違うわよ! 弥生ちゃん口は悪いけど、根はさっぱりしてていいコじゃない。……それはそうと話を本題に戻すわね。康平の誕生日は十二月二十五日で、健太の誕生日は一月一日でしょ?】
【そうだね。……アイツの誕生日は元旦だから可哀想なんだよな】
【それもあってね。十二月二十五日は綾香も誕生日だから、その日に綾香の家で三人の誕生パーティーをしようかって綾香と相談してたんだ】
【……ずいぶん先の話だよな】
【だって康平と健太にも都合があるしね。……それに、こういうのって色々準備が必要じゃない?】
【準備?】
康平が訊くと亜樹はクスリと笑った。
【私の誕生日プレゼントの為に、誰かさん達が水筒持参で節約したでしょ?】
【あぁ、アレね】
【無理しないでって言ったんだけどなぁ。……でも本当は嬉しかったんだ】
【……亜樹は三人のプレゼントを用意するんだよね? それこそ大変なんじゃないか?】
【私だったら大丈夫だよ。ちょっとアテがあるしね】
【アテ?】
【……気にしないで。それより健太にも伝えて欲しいんだけど、いいかな?】
【健太にも訊いてみるよ。じゃあな】
康平はそう言って受話器を下ろした。
翌日、健太は学校を休んでいた。どうやら風邪のようである。
次の日の水曜日も健太は学校に来なかった。この日はスパーリングをする日だ。
放課後になると一年生達は緊張していた。
この日から先輩達は、カウンターを打ってもいい事になっていたからだ。
部室へ行く前、康平と有馬は体育館の水飲み場へ立ち寄った。
そして二人はバシャバシャと顔に水を掛ける。
練習が始まり、シャドーボクシングになると、白鳥は体勢を低くしつつ上向きのパンチをひたすら繰り出していた。
シャドーボクシングが終わり、有馬と大崎のスパーリングが始まった。
有馬はカウンターを警戒してか、左へゆっくりと回りながら様子を見る。
一方大崎は、膝で早いリズムを取りながら前に出ていった。
有馬の全身が小さくブレる。左膝を使ってフェイントを行ったようである。
有馬がもう一度同じフェイントを行った時、大崎が反応した。前足へシフトウェートして右肩が回り始めている。
フェイントに気付いた大崎は、出し始めた右パンチを途中で止めた。
リングの外では二人の先生がその様子を見ていた。飯島が口を開く。
「大崎の奴、有馬のフェイントに引っ掛かったようですね。あれじゃあ、右クロスを狙ってるのがバレバレなんだよな。……梅田先生は有馬にフェイントを教えたんですか?」
「いいえ、まだ教えてないんですよ。たぶん二・三年のスパーを見て真似をしたんでしょうな」
「有馬は器用そうですし、他にもフェイントを教えてやったらどうですか?」
「飯島先生、私は今の奴に何も教えないつもりなんですよ」
梅田がそう言った時、有馬が右ストレートから打ち出していた。
大崎が左へダッキングして、左ボディーブローを繰り出す。
有馬は、大きくバックステップしてこれを空振りさせた。
大崎はパンチを出さず、頭を小刻みに振りながら前に出始める。
有馬は時折フェイントを入れながら、再び左へ回り始めた。
共にパンチが少ないまま時間は過ぎていく。
「大崎、お前は右クロスの狙い過ぎで手が出ないんだよ。狙ってもいいが、自分からも手を出すんだ」
堪らず飯島が声を出した。
その声に反応したのか、大崎は左ジャブを顔面からボディーへ二発打ち、最後は右ストレートを顔面へ放つ。
有馬は右後方へ大きく移動してこの攻撃をかわした。
その後お互い散発的にパンチを出すものの、クリーンヒットは無く、静かな展開で一ラウンド目が終わった。
飯島が梅田に言った。
「大崎は右クロスを狙うと、極端な待ちの姿勢になってしまうんですよね」
「大崎に限らず、右クロスを習うと誰でも最初は手が出なくなりますよ」
「……それはあるんですけどね。新人戦まであと十日を切ってるんですけど、バレバレの右クロスが試合で通用するといいんですが……」
飯島は浮かない表情になっていた。
「……私も大崎に右クロスを教えたのは賛成ですよ。立花(高校)のバンタム級には荒川がいますからね」
「そうなんですよ。奴は長身のストレートパンチャー(ストレートが強力なボクサー)で足も使えるから、右クロスを打たせないと、ロングレンジ(離れた間合い)だと分が悪いんですよね」
「飯島先生、試したい事があるんですが……ちょっといいですか?」
梅田はそう言って話を続けた。
「……それだったら大崎に出来ると思いますよ」
飯島が大きく頷いた時、開始のブザーが鳴った。
「ストーップ! 大崎、こっちへ来い」
飯島が赤コーナーの所へ行き、大崎に指示を出す。
「……何とかやってみます」
そう答えた大崎は、リング中央へ行って有馬とグローブを合わせる。
「よーし、今から始めるぞ」
飯島はタイマーをリセットした。
有馬はユックリと左へ回りながら左ジャブを放つ。大崎の右クロスカウンターを警戒してか、踏み込みが浅く探るようなパンチだ。
大崎は、左下へ頭をずらしながら右オーバーハンドで飛び込んでいく。
有馬の踏み込みも浅かったせいか、大崎のパンチは届かず空を切った。
「いいぞ大崎。……ただ、相手が右を打ってもカウンターになるように、頭のずらしはもっと大きくだ」
頷く大崎に、飯島は更に付け加える。
「俺がいいと言うまで、ドンドン合わせろよ」
有馬はカウンターを狙われているのもあって、不用意に左ジャブは出さず、フェイントの頻度が多くなった。
大崎は、そのフェイントに対しても右のオーバーハンドを繰り出していく。
ラウンド開始から三十秒が経った時、飯島が大声で指示を出した。
「大崎、切り替えろ!」
すると大崎は、左斜め前へ踏み込みながら二発の左ジャブで距離を詰め、右アッパーをボディーに放つ。
有馬のやや右側から打ったアッパーは、彼のボディーの真ん中(ストマック=胃袋)に直撃した。
ボディーが効いたのか、有馬は背中を丸めて前屈みになった。
その体勢から左フックを強振する有馬だったが、大崎は低い姿勢で右側へ移動した為、そのパンチは彼の頭上を通り過ぎていく。
右へ泳いだ格好になった有馬の顔面へ、大崎の右から左、そして右のショートストレートが立て続けにヒットした。
有馬の顔が三度上向きになり、梅田はダウンを宣告した。
カウントをエイトまで数えた梅田は、スパーリングを続行させた。
飯島が訊いた。
「梅田先生、大崎にもっと手を抜かせますか?」
「いや大丈夫ですよ。……飯島先生、このスパーは私が大崎にも指示を出していいですか?」
「……いいですよ。先生には何か考えがあるんですよね?」
「ええ」
頷いた梅田は、リングに向かって声を張り上げた。
「有馬、左ジャブを出すんだよ」
有馬が左ジャブを放つと、梅田は再び怒鳴った。
「駄目だ。そんな縮み上がったジャブじゃ、大崎は止まらないんだよ」
その後も有馬は何発か左ジャブを繰り出すが、ミットで打っていた時のような威力はなく、手打ちのようなパンチになっていた。
「大崎、ガンガンいっていいぞ」
シカメッ面で梅田が指示を出すと、大崎はガードを上げて前に出始める。
有馬の左ジャブを難なくブロックした大崎は、強引に距離を詰める。
彼の前進を止めようと、有馬は右ストレートを放つ。
大崎は、それを左へダッキング(屈むような防御)でかわしながら左フックをボディーに返した。
だが大崎のパンチは大き過ぎたようで、彼の左腕は有馬の腰を抱えるような格好になった。
大崎の左腕が有馬の右の脇の下へ入り、クリンチで一旦中断しそうになったが、彼はそれを振りほどいてショートフックを打ち出す。
有馬も応戦した為、ショートレンジ(接近戦)での打ち合いになった。
回転の早いコンビネーションで攻める大崎に対し、長身でリーチのある有馬は長い手を持て余している。
パンチの数は圧倒的に大崎が多い。
ロープ際まで下がり、守勢に回った有馬に、大崎は顔面に向かって軽いショートストレートを四発打った。
正面から襲ってくるパンチに、有馬は両ガードを前にしてこれを防ぐ。
ベジッ!
がら空きになった有馬の右脇腹へ、大崎の鋭い左ボディーブローが突き刺さる。
有馬の体は右へくの字に曲がり、動きが完全に止まった。
「ストーォップ!」
梅田の声が狭い練習場に響き、カウントが入る。
有馬はカウントファイブでファイティングポーズをとったが、彼の表情は苦痛に歪んでいる。
カウントをエイトまで数えた梅田は、有馬に訊いた。
「有馬、続けられるな? 続けられるんだったら、効いたような顔をするんじゃねぇぞ」
無理矢理表情を戻した有馬は、小さく頷いた。
「続けるぞ」
梅田はそう言ってスパーリングを続行させた。だが、大崎はためらっていた。そして彼は梅田に質問した。
「有馬はこのラウンド二度目のダウンなんですが、奴は大丈夫なんですか?」
「今はスパーリングだからいいんだよ。……いいから続けろ」
梅田に言われた大崎は、リング中央に歩いていく。
梅田は有馬に言った。
「有馬、練習した強い左ジャブを出すんだよ」
有馬は大崎のカウンターを警戒してか、ミットで打っていた強い左ジャブを出そうとしない。
それを察した梅田は、大崎にも指示を出す。
「大崎、俺がいいと言うまで右クロスは打つなよ」
大崎は梅田をチラッと見て小さく頷いた。
「有馬、ミットで打っていた左ジャブだ。いいな」
梅田に言われた有馬は、頷きこそしなかったものの構えが変わった。
右グローブを顔の少し前に出し、逆に左の肩と肘を後ろに引いている為、ハスになっていた上半身はやや正面を向いている。
そして、前に出した右グローブを体に引き付ける反動で左ジャブを打ち出す。
上半身がやや正面を向いて構えていたのもあり、肩の回転がよく利いたパンチになっていた。
有馬の左ジャブは空振りしたものの、勢いよく伸びるパンチに、大崎は強引に前へ出る事はなくなった。
小さなダッキングで、頭の位置を変えながら左へ回り始める。
後輩の強いジャブを警戒しているようである。
有馬が左ジャブを放つ。
大崎が右のグローブでブロックしながら左ジャブを返すと、有馬の顔面にヒットした。
有馬が後ろに下がった為、大崎は二発の左ジャブを打ちながら距離を詰める。
大崎が二発目のジャブを放った時、同時に繰り出していた有馬の左ジャブが先に大崎の顔面へ直撃した。
肩の捻りが利いた有馬の左ジャブは威力があり、大崎の顔の向きが右へ大きく変わった。
カウンター気味にパンチが当たったのもあってか、大崎の動きが一瞬止まった。
有馬は自分のパンチが初めて当たったのにビックリしたようで、追撃せずにその様子を見ている。
「すぐに追撃なんだよ!」
梅田は怒鳴ったが、少し苦笑いになっていた。
大崎は体勢を立て直すと、フェイントをかけながら前に出ていく。
有馬は左ジャブを繰り出して、先輩の前進を止めにかかった。
バックステップで相手のパンチをかわした大崎は、踏み込んでワンツーストレートを打ち込んだ。
有馬の顔面にヒットしたが、遠めの距離から打った為か当たりは浅い。
後退した有馬に畳み掛けようとする大崎へ、有馬の左ジャブが襲いかかる。
辛うじてブロックで防いだ大崎は、右後方へ下がって大きく距離をとった。
「大崎、切り替えろ!」
梅田の指示が出た途端に、大崎の動きが変わった。
膝で早いリズムをとっていたのをピタリと止め、摺り足で前へと出始める。
「あれじゃあ、カウンター狙いがミエミエなんだよな」
飯島が額に手を当てながら言うと、梅田が苦笑しながら答えた。
「……まぁ、ラウンド中に戦法の切り替えが出来るんだったら、少しは使えるとは思うんですがね」
このラウンド、残り二十秒を切っていた。
大崎のカウンター狙いは有馬も分かったようで、フェイントを出して様子を伺う。
「有馬、左ジャブを出せ」
梅田は指示を出すが、有馬は一向にジャブを打たず、左へ回り始めた。
「ジャブを出すんだよ!」
梅田が怒鳴る。だが、有馬はフェイントを一度出したきりでラウンド終了のブザーが鳴った。
「有馬、もう一ラウンドだ」
梅田は静かにそう言うと、有馬が戻る青コーナー側へ歩いていく。
有馬も何か言いたそうである。
梅田が先に口を開いた。
「いいか有馬、強い左ジャブだ。分かったか?」
「……先生、先輩は右クロス(カウンター)を狙ってるんですよね? どうしてわざわざジャブを出すんですか?」
右クロスカウンターは、相手の左ジャブに合わせて打つ右のカウンターである。フック気味に打つ時が多く、相手の伸ばした左腕に、カウンターを打った者の右腕が交差することからそう呼ばれている。
有馬は反発するように質問をしたが、梅田は怒鳴らずに言った。
「お前が左ジャブを打たなかったらどうなったか言ってみろ?」
「……簡単に接近されてダウンを取られました」
「体重の割に背が高いお前は、接近戦だと分が悪い。だったら自分が何をするか分かるな?」
「……左ジャブで近付かせないようにする事は分かりました」
そう答えた有馬は、まだ納得していない顔をしている。
梅田はそれを察して有馬に言った。
「納得いかないんだったら今のうちにトコトン話せ」
「…………」
有馬はすぐに言おうとせずに黙っていた。上手く言えないのか、頭の中で整理しているようである。
ラウンド開始のブザーが鳴った。
「大崎、俺がいいと言うまで軽く動いてろ」
梅田はそう言うと、タイマーの所へ行ってそれをストップした。
しばらく黙っていた有馬がようやく口を開いた。
「先生、相手が右クロスを狙っても、左ジャブを出さなきゃいけない事は分かりました。……でも清水先輩のように、頭の位置を変えたりしながら打てば、右クロスを貰わないように出来るんじゃないですか?」
「お前はそれをやれるのか?」
「……やれるような気はします」
梅田は少し考えていたが、静かな口調で言った。
「だったらこのラウンドは、お前が好きなようにやってみろ」
スパーリングが再開された。
有馬が、左下へ頭を下げながら下から左ジャブを突き上げた。
今度は頭を右側へ少し倒しながら、上から下にジャブを打ち下ろす。
有馬がぎこちない動きで打ったからであろうか、大崎は難なくかわした。
梅田の隣で飯島が言った。
「有馬は清水の左ジャブを真似てるんでしょうね。梅田先生から見てどんな感じですか?」
「悪くはないと思います。少し修正は必要ですが、しばらくすれば奴は上手く打てるでしょうな。何気に有馬は身体能力が高いですからね。……ただ、今の奴には別の事を身に付けて欲しいんですよ」
「……身に付ける事はあれですか?」
「そうですね。……ただこれは、アウトボクサー(離れて戦うボクサー)だった飯島先生の方が私より上手く教えられそうなんですけどね」
梅田は、スパーリングを見ながら笑って言った。
「……いや、今の有馬は梅田先生じゃないと駄目ですよ。アウトボクサーは、私も含めて感覚的に戦う事が多いかも知れませんが、特に最初は梅田先生のような理論的な教えが必要ですからね」
リング上では、接近戦で有馬が大崎に打ち込まれていた。
梅田が言った。
「ストップだ有馬。今日のスパーはこれで終わりだ」
「まだ出来ます。頭の位置を変えながら打つ左ジャブがいい感じなんです」
有馬はガードを高く上げて構え直す。
「お前がよくても大崎の練習にならないんだよ。大崎は大事な試合前のスパーなんだからな」
「お前が右へ体を倒しながら打つ左ジャブは、今の打ち方だと腰を痛めるぞ」
梅田に続いて飯島がそう言うと、有馬は渋々リングから出ていった。
練習が終わり、有馬が帰ろうとした時、梅田と飯島は彼を呼んだ。
梅田が口を開く。
「お前が頭の位置を変えながら打っていた左ジャブは、俺がいいと言うまで打つんじゃねぇぞ」
「……大崎先輩の練習にならないからですか?」
「それもあるが、お前には身に付けて欲しいものがあるんだよ」
「それは何ですか?」
有馬は興味深げな顔をした。
「左ジャブにカウンターを合わせられた時の対処だ」
「右クロスですか?」
「右クロスとは限らん。リターンジャブや、飛び込んでくる左フックなど色々あるんだよ」
「……確か左ジャブは、カウンターを狙われ易いんですよね」
「誰から聞いたんだ?」
「夏休みの時に、内海さんと山本さんからです」
「あいつら、どこまで教えたんですかね」
飯島がそう言うと、二人の先生は顔を見合わせて苦笑した。
梅田が訊いた。
「お前はどこまで教わったんだ?」
「ジャブは狙わないで打てと教わりました」
「その先は聞いて無いんだな?」
もう一度訊かれた有馬は梅田から視線を逸らし、思い出しているような顔になった。
「……ジャブはポイントにならない事も聞きました」
「あいつら、そんな事まで言ったのか?」
飯島の声が大きくなると、有馬は慌てて付け加えた。
「で、でもジャブは大事だとも言ってたと思います」
「あいつらの言ってる通りなんだが、その先があるんだよ」
「元々あいつらに教えたのは俺達なんだからな」
梅田に続いて飯島が笑って言った。飯島は更に話を続けた。
「左ジャブはカウンターを狙われ易いんだが、ちゃんとした距離で相手をしっかりと見て打つんだったら、カウンターは防げるんだよ」
「そうなんですか?」
「お前のような長身の場合なんだがな」
有馬は体重が五十一キロだが、身長は百七十一センチもあった。
「しっかり相手を見るのは分かるんですが、ちゃんとした距離はどんな間合いなんですか?」
「長身のお前が一歩踏み込んで届く距離だよ。……この距離だったら相手のパンチも見えるからな」
有馬の質問に飯島が答えると、今度は梅田が言った。
「お前にはジャバーになって欲しいんだよ」
ジャバーを初めて聞いた有馬は不思議そうな顔になった。それに気付いて梅田は付け加えた。
「ジャバーを手っ取り早く言えば、ジャブで試合をコントロールできるボクサーの事だ」
梅田は更に話を続けた。
「お前がジャバーになる為には段階があるんだよ」
「……フェイントも駄目ですか?」
「当たり前だ! ……フェイントはもう少ししたら教えるつもりなんだが、今は肩の回転を意識した強い左ジャブを徹底しろ。相手を下がらせるような強いジャブだ。……だから今は余計な事をするんじゃねぇぞ」
梅田から怒られるように言われている有馬だったが、彼は何故か嬉しそうに聞いていた。
飯島がそれを見て笑った。
「お前、何嬉しそうにしてんだよ?」
「そ、そんな事ないです。……ただ、俺の事をちゃんと考えてくれてんだって思うと、嬉しくなっちゃったんですよ」
「なんだよ、結局嬉しいんじゃないか」
「あ、そうですね」
有馬は笑って頭を掻いた。
最後に梅田が訊いた。
「有馬、お前は今、何を身に付けるか分かるか?」
「肩の回転を生かした強い左ジャブを打つ事です」
「相手にカウンターを狙われてても徹底しろ。……ジャブが当たったらどうするんだ?」
「右左右のストレートで追撃します」
「相手が左ジャブにカウンターを打ってきたら?」
「確か今は右グローブで防ぐんですよね?」
「そうだ。今の段階ではな。分かったならトットと帰れ。……俺と飯島先生は、お前だけを相手をしている訳にはいかないんだからな」
そう言って梅田は視線を変えた。
その視線の先には、明日から中間テストが始まるにもかかわらず、まだ練習を続けている二年生達の姿があった。
新人戦に向けての練習も、追い込みの段階である。
「練習有難うございました」
有馬が大きな声で挨拶をして帰ると、二人の先生は、再び二年生達の指導に取り掛かっていった。