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荒療治


 次の週の月曜日、部活で練習場にいる一年生達に梅田が言った。


「今日のスパーリングは、片桐と白鳥の二人だけだ。高田と有馬は、先週言われた癖を直す事に集中しろ」



 シャドーボクシングが終わり、大崎と白鳥がリングの中へ入る。



 開始のブザーが鳴ると、康平は軽くシャドーボクシングをしながらスパーリングを見ていたが、白鳥と体重が近い有馬は、動くのを止めてリングの中の様子をジッと見ていた。



「白鳥君は、頭が動かないから大崎が打ち易いんだよなぁ」


 最近白鳥を指導している飯島は、わざと白鳥へ聞こえるように独り言を言った。



 その声のおかげか、ガードこそ堅いが、棒立ちに近い白鳥の膝がグッと曲がった。


 そして、小さく左へダッキングしながら一歩前へと出る。



「いいぞぉ白鳥! やれば出来るじゃないか」


 のんびりした口調ながら、飯島の声が練習場に響く。


 ダッキングしながら前に進む白鳥だったが、一向にパンチが出ない。


 彼は、頭の位置を変えながらパンチを打つのにまだ慣れていないようである。


 だが、飯島はその事を言わずに黙って見ていた。



 二人の距離が近くなると、大崎はパンチを出し始める。白鳥も、それにつられたように応戦した。


 前へ出る白鳥と、元来好戦的な大崎とはスパーリングで打ち合いになる時が多い。


 飯島は、最初のスパーリングこそ打ち合いを残り三十秒に限定していたが、次のスパーリングからは自然に打ち合う二人を見て、最初から打ち合う事を許可するようになっていた。



 ただ、打ち合ってはいるが、相手の体に当たっているのは殆んど大崎のパンチである。ヒットするのはボディーブローが多い。


 離れている時は、飯島のアドバイスを意識して膝を曲げる白鳥だったが、打ち合いになると余裕が無くなるようで、膝が伸びて上半身も立ち気味になっていた。


「白鳥、接近したら低い姿勢にならないと打たれるぞ」


 飯島はアドバイスをするが、白鳥は高い姿勢のままで右ストレートを放つ。


 大崎は、左へダッキングして左ボディーブローを打とうとした。白鳥は前に出なからパンチを打った為、先に体がぶつかってクリンチになった。


 クリンチとは、お互いの体が密着し過ぎてパンチが打てない状態になる事である。抱き合うような形になる時が多い。



「ブレイク。ちょっと待て!」


 梅田の一言で両者が離れ、スパーリングは一時中断した。



「大崎、接近戦はお前の土俵なんだから、簡単にクリンチするんじゃねぇぞ」


 梅田の声に反応して大崎がゆっくり頷いた。



「白鳥はボディーを貰い過ぎだぞ。接近したら構えを低くして、打たれる面を小さくするんだ。近距離だとパンチを避けきれないんだからな」


 腰を落として構えるポーズをしながら話す飯島へ、白鳥は小さく二度頷く。


 白鳥が自分の左膝を見ながら構え直す。



 スパーリングが再開された。


 最初の方こそ膝を曲げて戦う白鳥だったが、しばらくすると膝が伸び気味になっていった。



 一ラウンド目終了のブザーが鳴った。



「大崎、接近戦になっても位置を変えろ。さんざんミットで練習しただろ? それと、ボディーへ打つ割合をもっと増やせ」


 赤コーナー側で立ったまま休んでいる大崎へ、飯島が言った。



「白鳥のボディーに結構入ってるんですが、奴は大丈夫なんですか?」


 大崎は、青コーナーで立っている白鳥をチラッと見た。



「ボディーだったら倒しても構わないからな。それと、今週から石山もスパーしに来るから、接近戦で位置を変える事を今のうちに徹底するんだ」



 飯島から石山の話を聞いた大崎は、姿勢を低くして構え、位置を変える動作を繰り返した。


 そして、飯島は白鳥に忠告した。


「白鳥、ボディーへパンチを食らうのはお前が悪いんだぞ。ボクシングは隙があれば徹底して狙われるんだからな」


「……は、はい」


 一ラウンド目でボディーブローを七発貰った白鳥は、我慢しているのか表情こそ変わらないが、返事をした声は小さくなっていた。




 二ラウンド目が始まると、すぐに接近戦での打ち合いになった。


 大崎が、右、左、右とショートストレートを軽く顔面へ打つ。


 堅いガードで凌いだ白鳥が顔面へ左フックを強振したが、大崎は右へ位置を変えながらこれを潜って避ける。


 そして、白鳥の左側にいる位置から左ボディーブローを放った。


 ベジッと鈍い音を立てて、白鳥の正面からボディーの真ん中へヒットした。


 白鳥が、足をよろめかせながらも右パンチを返す。高い姿勢から打つ為か、上から振り下ろすようなパンチになっていた。


 大崎は、これを左へ移動しながらかいくぐり、右のフックを白鳥のボディーへとめり込ませる。


 ボディーの真ん中へ、立て続けにパンチを貰った白鳥の前進が完全に止まった。



 いつスパーリングを中断させようか様子を見ている梅田へ、飯島が言った。


「梅田先生、スパーは私が止めますんで任せて貰っていいですか?」



 大崎と白鳥は、飯島が指導している事もあって、梅田は無言で頷いた。



 接近戦で頻繁に位置を変える大崎に、腰高の白鳥はパンチを打つ体勢を作れず、防戦一方になっていった。


 ただ白鳥の堅いガードと、大崎が顔面へのパンチを軽く打っているのもあり、ダウンするまでには至っていない。



 大崎が顔面へショートストレートのワンツーを打ってから、ワンテンポ遅らせて放った左のボディーブローが白鳥の右脇腹に直撃した。


 リバー(肝臓)にパンチを貰った白鳥は前屈みになり、右膝をマットに付けた。


「ストーップ! ワン、ツー、スリー……」


 飯島がカウントを数え始める。


 彼がカウントを七まで数えた時、白鳥が立ち上がってファイティングポーズをとった。彼は元々赤い顔をしているが、ボディーブローをかなり貰って効いているせいか、顔が真っ赤になっていた。



「白鳥、続けられるか?」


 飯島に訊かれた白鳥は、ファイティングポーズをとったまま小さく頷く。



「……続けるぞ」


 残り二十秒を表示しているタイマーを見て、飯島はそう言った。



 スパーリングが再開されると、動きの鈍くなった白鳥に大崎がスッと近寄った。


 大崎が左フックを顔面へ触るように軽く打ち、同じ手で鋭くボディーブローを放つ。


 再び白鳥の右脇腹にヒットすると、彼の膝がガクンと曲がって腰が大きく落ちる。


 大崎は白鳥がダウンすると思い、小さくバックステップをした。


 白鳥は踏ん張り、屈んだ姿勢から前へ伸び上がりながら左フックを打った。だが僅かに届かず空を切り、バランスを崩した彼は両グローブをマットに付けていた。



「ストーップ! スリップダウンだ。白鳥、立てるか?」


「は、はい」


 飯島に訊かれた白鳥は、苦しそうな声ながら即座に答えた。


 スリップダウンは、相手のパンチを原因としないで倒れた時に宣告される。試合の時は、倒れた者が立ち上がれば、自分のシャツでグローブを拭いてすぐに続行となる。



 すぐに立とうとする白鳥を横目に、飯島が大崎に言った。


「大崎、途中で気を抜くんじゃないぞ! 今の白鳥の左フックは食らったら危なかったからな」



 話が終わった時に終了のブザーが鳴った。


「気を付けます。……たまにありますが、白鳥は結構怖いタイミングで打ってきますね」


 構えを解いて両腕を下ろした大崎が答えると、飯島の視線は構えたままの格好でいる白鳥へ向けられた。



「白鳥はまだスパーできるか?」


「は、はい」



 飯島は、躊躇なく答える白鳥を見て再び口を開く。


「よーし、もう一ラウンド……と言いたいところだが、今日はもう終わりだ。お前はボディーを打たれ過ぎたからな。何でそうなったか分かるか?」


「……接近しても姿勢が高い事です」


「そうだ。自分でも分かるんだったら、スパー以外でも意識して練習するんだ。背の低いお前が、折角接近しても、そこで打ち負けるんだったらどうしようもないからな」


「……はい」


 表情こそ変わらなかったが、返事をした白鳥の声は小さくなっていた。



 入れ替わりに健太と森谷がリングへ入った。


 健太は康平と同様に、森谷よりも十キロ近く体重が軽い。


 ボクシングは体重別の階級に別れているが、十キロも差がある場合はパンチの威力もかなり変わってくる。


 康平と健太は先輩と体重差があるうえ、実戦経験も無い。その為、森谷は手加減してスパーリングをするように梅田から言われている。



 特に踏み込みがいい健太に対してであるが、最初に手合わせをした時、森谷は手加減をするのに手こずった。


 サウスポースタイルの健太が放つ思い切りがいい左ボディーブローは、度々森谷を脅かしていた。



 だが、器用で避け勘のいい森谷は、このパンチを簡単に防ぐようになった。


 彼は、健太が左ボディーブローを打つ時の体勢が分かったようで、打ったパンチを避けるのではなく、打つ前にスッと位置をずらしてパンチを打たせないようにしていた。


 開始のブザーが鳴ると、オーソドックススタイル(右構え)の森谷は、離れた距離から二種類の左ジャブを突く。


 右グローブを前にして構える健太に対して、外側から被せるように打つジャブと、内側から突き上げるジャブの事である。



 二週間前のスパーリングの時、手加減する事に慣れていない森谷は、パンチが当たる時も握らないで打っていた。


 慣れてきた彼は、先週の金曜日から手加減しながらも握って左ジャブを打つようになった。


 パンチが当たる時に握って打つようになれば、当然威力が増してくる。



 身長が百七十八センチの森谷に対して百七十センチの健太は、自分のパンチが届かない距離から近付く事が出来ず、左ジャブを当てられていく。



 大きく左後方へ下がった健太が構えを変えた。


 今まで前に出していた右前腕を顔の右側へピタリと付け、ガッチリとガードをしている。


 これを見た飯島が、梅田へ話し掛ける。


「梅田先生、この片桐の構えは先生が教えたんですか?」


「いいえ、教えていませんが、奴なりに考えたんでしょうな」


 梅田はニヤリとして答える。



 リングの中で、森谷が外側から山なりの左ジャブを二発放つが、全て健太の右ガードに当たった。


 森谷が突き上げる内側からの左ジャブは、オーバーな動きながら、健太は頭の位置を変えて避ける。



「片桐なりに考えてますね。外側からのジャブは右ガードで防いでいるから、内側からのジャブを避ける事だけに集中すればいいわけですからね。……でも、上手くいきますかね?」


「上手くいかないでしょうな。……まぁ、何もしないで打たれ続けるよりはいいですからね」


 そう答えた梅田がリングを見ると、森谷の方に変化があった。



 森谷は緩急を付けた左ジャブを放ち始める。オーソドックススタイルの康平へ打っていたような、真っ直ぐな左ジャブである。


 今までの健太は右グローブを前に出して構えていた。それによって、森谷の左ジャブの軌道を遮っていたのだが、健太が右グローブを顔に付けた事で、森谷が左ジャブを打ち易くなったのだ。


 離れた距離から左ジャブを突く森谷に、健太はパンチを出さずにスーッと前へ出た。


 その時、森谷の右ストレートが健太を襲った。


 これは健太の左ガードに当たった。一瞬前進の止まった健太だったが、彼は再びガードを上げながら前に出始めた。



 森谷は位置を変えながら左ジャブや右ストレートを放つが、ガードの上を手加減したパンチが当たっているのもあってか、健太は前進は止まらない。



 健太は前に出るものの、スパーリングが始まってからまだ一発もパンチを放っていない。



 位置取りを誤った森谷がロープを背にした時、健太は大きく踏み出す。


 近付いた彼が重心を落とした瞬間、森谷は右へ蟹歩きをして大きく距離を取った。



 健太と体重が近く、森谷とスパーリングをしている康平は、その様子をジッと見ていた。


 健太がこのスパーリングで、左ボディーブローのみを狙っているのが康平にも分かった。


 康平が先生達のいる方へ視線を向けると、飯島は曇った表情になっていた。



「片桐、離れた所からもパンチを出さないと練習にならないぞ!」


 飯島のアドバイスに健太は頷きもせず、パンチを出さずに前進していく。



「お前、それは反則……!」


「飯島先生、ちょっと様子を見ませんか?」



 飯島が注意しようとするのを梅田が止めた。


 アマチュアボクシングの試合では、積極的にパンチを出さなければならない。消極的な選手はレフリーに注意され、繰り返せば減点になり、最後は失格負けになる。


 飯島はその事を指摘しようとしたのだ。



 無理矢理近付いた健太が、左ボディーブローを放とうと腰を落とした時、森谷は左フックを軽く打ちながら急に左へ位置を変えた。


 体勢の整っていない健太へ右ストレートを打とうとした森谷だったが、手加減しなければならない事もあって、パンチを途中で止めた。



 ここでラウンド終了のブザーが鳴った。


 森谷は赤コーナー側で、健太は青コーナー側に立ったまま休憩をしている。


 梅田が青コーナー側へ歩き、健太へ話し掛ける。



「……片桐、お前は考えがあってそういう戦い方をしているんだな?」



 健太が頷くと、梅田は再び口を開いた。


「このスパーリングは、お前の好きなようにやってみろ。……だが、今の戦い方だと失格負けになるのを覚えておけ! それと、森谷にはカウンターを打たせるからな」


「はい」


 健太は真剣な表情で返事をした。



 青コーナー側から戻った梅田は、森谷へカウンターを打っていいと許可を出す。


「え、いいんですか?」森谷は、意外そうな顔で聞き直した。


「そうだ! 但し六分目……いや、八分目で打つんだぞ」


「……分かりました」


 森谷が返事をした時、開始のブザーが鳴った。


 健太が一ラウンド目のように、ガードを上げて前へと出る。



 それを見た飯島が梅田に訊いた。


「梅田先生は、片桐が左ボディー打ちばかり狙ってるのは分かってるんですよね?」



 梅田は、リングの中でスパーリングをする二人を見ながら答える。


「先週のスパーの時、左ボディー打ち以外のパンチは全部森谷からかわされていましたから、奴はこのパンチにすがってるんでしょうな」


「その左ボディー打ちも、ブロックの上だったんですけどね」


「片桐は今、左ボディーブローだけを狙うバランスになっていて、後ろ足に重心が片寄ってしまってるんです。……たぶん無意識だと思うんですがね」


「それで森谷にカウンターを打たせて荒療治ってわけですか?」


「……ボクシングは、痛い思いをしないと分からない事ってありますからね」


 梅田はそう言って、苦虫を噛んだような顔をしながらリングの中を見ていた。


 リングの中では、森谷がロープを背にしている。


 一ラウンド目の時、森谷はこの位置になると、早い足捌きですぐにリング中央へ戻っていた。


 だが、今はロープ際で健太を待ち構えている。



 左ボディーブローを打つ為に踏み込もうとした健太だったが、森谷が何か狙っているのを気付いたようで一旦躊躇した。


 だが、左ボディーブローだけを狙って他のパンチを一切打たなかった健太は、右足を大きく前に出して踏み込んだ。



 サウスポーの健太は、右半身を前にしてはすに構えている。利き手の左グローブは、体の捻りを効かせて強いパンチが打てるように後ろ側にある。



 今時点で彼が習った左パンチは二種類あった。


 一つは左ストレートで、もう一つはアッパーとストレートを合わせたような左ボディーブローである。


 この二種類のパンチは、大きく打ち方が異なっていた。


 特に違っているのは右膝の使い方である。


 左ストレートは、右膝を内側へ少し曲げた状態で固定させ、左足から腰、そして肩を捻ってパンチを打つ。そのおかげでパンチがブレず、打った後も綺麗に戻り易くなる。


 一方の左ボディーブローは、右膝を柔らかくしてパンチを放つ。そして、打ちながら上半身を前方へ移動させる。


 主に体の捻りを使ってパンチを放つ左ストレートに対して、左ボディーブローは前に行く力でパンチの威力を出す。



 左ボディーブローを放とうとした健太が、上半身を前へ移動させている時、彼の顔面が急に上向きになった。


 森谷の放った左ショートフックのカウンターが、健太の顔面にヒットしたのだ。


 フックは横殴りのパンチであるが、この時森谷の放った左フックは、近距離で打った為、前へ突き出すようなパンチになっていた。



 ストンと腰からマットに落ちた健太に、カウントが数えられる。


 尻餅を突いた健太は、テンカウントになっても座ったままだった。


 梅田がカウントを数え終わった後に、健太がゆっくりと立ち上がる。



 その様子を見ていた梅田が健太に言った。


「……片桐、ヘッドギアとグローブを外して、そこの長椅子で横になってろ」


「……はい」



 返事をした健太に、飯島も話し掛ける。


「テンカウントで立てなかったんだから、長椅子まで手を貸すぞ」


「あっ、先生大丈夫です」



 そう言って健太はリングから出ると、スパーリングで使った保護具を、自分のタオルで綺麗に拭いて長椅子で横になった。



 飯島が森谷に小声で話す。


「お前のカウンターは、片桐の顎に当たったのか?」


「いいえ、額に当たったんですぐに立てると思ったですが……」


「……そうだよな」


 飯島は、長椅子で仰向けになっている健太を見て小さく溜め息をついた。


 突然、梅田が森谷に言った。


「お前、試合だったら今のカウンターじゃダウンも取れねぇぞ。狙うのは、デコじゃなくて顎なんだよ! あんなミエミエの左ボディー打ちに合わせられなかったら、試合じゃ使えねぇからな」


 彼の声は大きく、全員に聞こえていた。


 康平は長椅子の方をチラッと見る。横になっている健太は、左手の甲を両目の上に置いて黙っていた。




 練習が進み、三人の一年生達は補強のトレーニングに移った。長椅子に座って休んでいる健太へ飯島が言った。


「片桐は今日倒されたからな。家まで俺の車に乗せて行ってもいいぞ」


「……帰りは康平と一緒なんで大丈夫です」


「そうか。帰ったら早く寝るんだぞ」



 飯島が言い終わると、今度は梅田が口を開いた。


「練習の途中だが、一年生は全員ここに集まれ」


 康平と有馬はすぐに梅田の所へ集まる。健太も立ち上がってそこに歩いていく。



 飯島が梅田に言った。


「白鳥は十分程前に第二体育館へ行きましたよ。何だったら呼んできましょうか?」



 その時康平は不思議に思った。


 康平と白鳥は下半身強化の為、一週間の中で火・木・土の三日間は、第二体育館でケンケンと空気椅子をする事になっていた。今日は月曜日なので、それを取り組む日ではない。


 また、康平もそうだが、白鳥はそれ以上にシャイである。女子バスケ部だけが練習している第二体育館へ行く時、今までだったら白鳥は必ず康平を誘っていた。


 だが彼は、今回一人だけで第二体育館へ行ったのだ。



 康平は、今日の白鳥のスパーリングを思い出して納得した。


 白鳥は接近戦で、腰高の為に散々ボディーへパンチを貰った。少しでも下半身を強化して、腰高の癖を直そうとする彼の気持ちが分かったからだ。


「飯島先生、白鳥が来るまで待ちましょう。……お前らはそれまで補強を続けてろ」


 梅田に言われ、康平と有馬は補強のトレーニングを再開した。


 ずっと休んでいた健太は、長椅子へ戻らずに、鏡の前でゆっくりとシャドーボクシングを始めた。



 康平と白鳥がケンケンと空気椅子をしに第二体育館へ行った時は、いつも十分程で戻って来るのだが、この日白鳥は中々戻って来ない。白鳥が出て行ってから二十分近く経っていた。



「白鳥は遅いなぁ。……ちょっと呼んできますね」


 飯島がそう言った時、白鳥が練習場に戻ってきた。



 表情こそ出さないが、辛そうに歩く白鳥を見て飯島が言った。


「……これから一年生達に、梅田先生から話があるからな」



 集まった一年生達に、梅田が口を開いた。


「今週の金曜日はお前らのスパー(リング)を予定していたが、それは中止になった。次のスパーは来週の水曜日だ」


「先生、先輩達は来月に新人戦ですよね? 自分達が相手をしなくて大丈夫なんですか?」



 質問をした有馬に梅田が答える。


「今週から試合まで、三年生達が練習相手に来てくれる事になった。二年生達も、全力でスパーをしないと試合に臨めないならな。……それとだ、今日から森谷にカウンターを打たせたが、来週からは大崎にも打たせるからそのつもりでいろ」



 一年生達は全員返事をしたが、健太がカウンターで倒されるシーンを見ていたせいか、康平と有馬、そして白鳥は緊張した面持ちになった。


 健太は返事をした後、ずっと視線を下に向けていた。


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