思わぬ癖
次の週の金曜日。この日もスパーリングが行われる日である。
有馬と大崎がリングの中に入る。
開始のブザーが鳴った。
「左だぞ、左」
リングの外から梅田がアドバイスをしている。
有馬は小さく頷き、左へゆっくりと回りながら左ジャブを放つ。
数回のスパーリングで慣れてきたのか、放たれた左ジャブはミット打ちで打っていたものに近い。
有馬は左肩と左肘をグッと引き、右グローブを顔の少し前に出して構えている。
上半身はやや正面を向いているが、見方を変えると左ジャブを打つ前の溜めになっていた。
左ジャブを放つ時、有馬は右グローブを引く反動で繰り出す。そして、やや正面を向いている上半身は大きく右へ捻られ、肩の回転が効いた力強い左ジャブとなって大崎の顔面へ向かっていく。
最初のスパーリングでは難なくかわしていた大崎だったが、構えの時点から溜めが効いている有馬の左ジャブはノーモーションだった。避ける余裕がなく、右グローブでブロックをした。
バァン!
狭い練習場にグローブ同士のぶつかる音が響く。
アマチュア用のボクシンググローブはプロ用と違い、重さは同じでも柔らかくて大きい。その為、グローブ同士がぶつかると派手な音が出易い。
スパーリングは実戦練習だが、安全を考慮して、試合用よりも重いグローブを使用している。
減量なしでバンタム級(五十六キロ以下)の大崎とフライ級(五十二キロ以下)の有馬は軽量級なので、試合用より二オンス重い十二オンスのグローブを使う。ちなみに康平や健太、そして森谷は十四オンスと更に重いグローブでスパーリングをする。
パンチの威力に対して大きな音の出易いアマチュアグローブだが、有馬の左ジャブは音に比例した威力があったようである。
今までと違い、大崎は膝で小さくリズムを取り始めた。大崎の体が一定の早いリズムで上下にぶれる。
そしてフットワークを使い出す。有馬の左ジャブを警戒している様子だ。
フットワークを使うと言っても、大崎は大きく動くような足捌きではない。有馬パンチが届くか届かないかで、忙しく前後に出入りを繰り返した。
大崎がスッと前へと出た時、迎え撃とうとした有馬が左ジャブを出すと、大崎は小さなバックステップでかわした。
その直後に大崎は、左斜め前へ踏み込みながら二発の左ジャブを放つ。二発目のジャブが有馬の顔面へヒットした。
今までならココで後ろへ下がる有馬は、勇敢な白鳥のスパーリングに刺激を受けたのであろうか、怯まずに力強い左ジャブを打ち返す。
追撃しないルールでスパーリングを行っている大崎は、大きく距離をとってそのパンチをかわした。
一度は離れた二人だったが、距離が近くなると、大崎の前後の動きは再び忙しくなった。
有馬は、前へと出ながら左ジャブを放つ。
一発目は頭を左下へずらして前に避けた大崎へ、有馬がもう一発踏み込んで左ジャブを打とうとした。近い距離から有馬が踏み込んだ為、パンチが伸びる前に体が密着して膠着状態になった。
「ブレイク!」
梅田の声で二人は二メートル程離れ、スパーリングが再開された。
今度は大崎が左ジャブを三発放ちながら距離を詰め、右ボディーストレートから顔面への左フックとコンビネーションを放つ。
有馬が肘のブロックで右ボディーストレートを防ぎ、左フックは体を沈めながら右へ動いて空振りさせた。
ワンテンポおいて、有馬が目隠しワンツーストレートで反撃した時、大崎がバックステップでそれを空振りさせ、すぐに踏み込んでワンツーストレートを打った。
有馬の顔が二度上向きになる。
「ストーォップ!」
梅田の声が練習場に響き、カウントが数えられた。
「有馬、続けられるか?」
梅田に訊かれた有馬は、ガードを上げて二度頷いた。
スパーリングは再開されたが、梅田は何か考えている表情になっていた。
一ラウンド目が終わり、梅田は隣にいる飯島へ話し掛けた。
「有馬は、私がいない時も打ち終わりにパンチを貰ってたんですか?」
梅田は先週の後半、国体で県の副監督として同行していた為、部活には出ていなかった。
「そうですね。よく貰ってました。……勘が悪いわけではないんですがね」
飯島が答えると梅田は頷いた。最近有馬のミット打ちは梅田が受けているが、ミットに対する有馬の反応は早い。
相手にパンチを打たせて返し技をする形式練習も、有馬は確実に相手のパンチを見ながら防いでいた。
今日のスパーリングでも、大崎の左フックを練習通りの避け方で空振りさせている。
二ラウンド目開始のブザーが鳴った。
スパーリングが始まると、梅田は歩きながらその様子を見始めた。
有馬と大崎は位置を変えながら攻防しているが、その度に、リングの外で梅田は大崎の背後に場所をずらした。
大崎と対峙している有馬は、梅田をチラッと見た。
梅田は、大崎のやや斜め後ろに立つように位置を変えているので、有馬の視界に入っていたのだ。
「俺を見るんじゃねーぞ。スパーに集中しろ」
梅田から叱責された有馬は、小さく頷いて大崎へ視線を戻す。
有馬が左ジャブを放つ。肩の回転を生かした力強いジャブだ。
その時大崎は、頭を右下へ沈めながら上向きに左ジャブを伸ばす。
その左グローブは、有馬の右ガードの内側から彼の顔面へ直撃した。
大崎は、すぐに三発のパンチで追撃する。右ストレートをボディーへ打ち、ワンツーストレートを顔面へと放った。テンポよくスムーズに打っているので、セットで打つコンビネーションのようである。
有馬は最初の右ボディーストレートこそ貰ったものの、顔面へのワンツーストレートは、ガード上げながら上半身を後ろに仰け反らせてこれを防いだ。ただ、前にある左足が一瞬上がる程後ろ足へ体重を載せていた為、バランスは崩していた。
「大崎! テメェは追撃しないルールだろ!」
梅田に怒鳴られた大崎は、『しまった』と言いたげな表情で大きく後ろへ下がる。
「今の大崎の技は、夏休みに内海達から習ってたんでしたね」
梅田に歩み寄って飯島が言った。
「追撃もセットで練習してたようですし、咄嗟に出たんでしょうな」
怒鳴ったばかりの梅田だったが、この時は少し笑っていた。飯島も口許がほころんだ。
「追撃の早さは大崎の長所なんですがね。……でも、有馬はよく今の追撃をかわしましたね」
「飯島先生、有馬は相手のパンチはよく見えてるようですが、清水と同じ癖があるみたいですね」
清水とは、今年のインターハイ予選で準優勝に終わった三年の清水の事である。
「本当ですか?」
飯島はそう言って、梅田と同じ位置で有馬がパンチを打つ様子を凝視した。
「有馬、パンチの数が減ったぞ」
梅田にハッパを掛けられた有馬は、すぐに左ジャブを繰り出す。
飯島は、腰をかがめて有馬の顔を見ていた。そして、彼は梅田に言った。
「そうですね。清水より重症じゃないですが、有馬はパンチを打つ時目をつぶってますね」
「清水の奴は、目をつぶったまま五発も打ちましたからね」
梅田が苦笑した時、有馬の顔面に大崎のワンツーストレートがヒットした。
有馬のパンチをバックステップでかわし、すぐに踏み込んで打ったワンツーである。当たりが浅かったのもあり、梅田は何も言わずにスパーリングを続行させた。
「今のバックステップしてからの攻撃は、有馬だったら避けれる筈なんですよ。自分が打った後、ワンテンポ遅れて攻撃がきますからね」
梅田の話に飯島は頷いて言った。
「パンチを打つ時に目をつぶるから、反応が遅れちゃうんですね」
「その癖は高田もですよ」
二人の先生が後ろを振り向くと、そこには森谷が立っていた。彼は、次のラウンドから康平とスパーリングなので、保護具を身に付けていた。
飯島が言った。
「そう言えば、高田も打ち終わりにお前のパンチを貰ってたな」
「えぇ、高田はストレートに関してですが、目をつぶって打ってますね。……今日はフック系もどうか俺も見てみます」
「それじゃあ、近付かなければならないんだが大丈夫か? 高田は何気にパンチがあるぞ」
「大丈夫ですよ! 俺は高田より十キロ近く重いですからね」
ラウンド終了のブザーを聞いた森谷は、そう言ってリングへ入っていった。康平も続いて入る。
森谷はウェルター級(六十九キロ以下)の選手で、身長は百七十八センチと、その階級にしては高い方だ。減量無しでは七十一キロあり、身長が百七十二センチで体重が六十二キロの康平より一回り大きい。
スパーリングが始まった。
森谷は右グローブを右のコメカミへピタリと付け、左グローブは胸の高さで少し前にして構える。そして、その左グローブはゆっくりと動く。
今までのスパーリングでは、先輩の緩急を付けた左ジャブのせいで、康平は近寄る事が出来ずにストレート系のみの攻撃になっていた。
フックはストレートと違って腕を曲げて打つ為、離れた距離からは打ちにくい。
森谷は、ジャブを出さずに待ち構えている。
康平が二発の左ジャブで距離を詰める。
二発目を打った康平の顔面に、左へサイドステップしながら打った森谷の左ジャブがヒットした。
「確かに高田は打つ時、目をつぶってますね」
梅田と一緒に康平の顔を見ている飯島が言った。
頷く梅田だったが、サングラスを掛け直しながら森谷を見ていた。
左ジャブを当てた森谷は、自分からロープ際へと下がり始めている。
下がる方向は、二人の先生がいる方のロープ際である。
梅田と飯島は、お互いの顔を見ながら苦笑した。森谷が康平にパンチを打たせ、自分達に目をつぶる癖を見させようとしているのが分かったからだ。
ただ、二人は別の意図も理解していた。
梅田が口を開く。
「森谷のヤツは、自分の為の練習もするつもりなんでしょうな」
「アイツは接近戦が苦手ですからね」
森谷はインターハイ予選と国体予選で、接近戦を得意とする同じ相手から続けて敗北している。
彼は中間距離でのカウンターを得意としていたが、強引にロープへ詰められ、接近戦で持ち味を出せないまま判定負けを喫したのだ。
その相手は、青葉台高校の三年生なので再び対戦する事はない。但し、近々行われる新人戦でも、同じ戦い方をする選手が出てくる可能性は高い。
一方、距離が近くなり、打ち易い位置に森谷がいるにも拘わらず、向かい合っている康平は戸惑っていた。
森谷の構えが、離れていた時と変わっていたからだ。
下げ気味だった左ガードは、右グローブと同じく、コメカミの高さまで上がっている。そして、両ガードは顔の少し前だ。また、高い姿勢で構えるアップライトスタイルだったのが、膝を柔らかくしているのもあって、やや低い姿勢になっていた。
「高田、遠慮しなくていいんだぞ! どんどん打っていいんだからな」
飯島に言われた康平は、目隠しワンツーストレートから左のボディーブローを打つと決めてパンチを繰り出す。
目隠しワンツーストレートは、森谷が左へ少し位置を変えながらくぐるように避けた為、空振りに終わった。
最初から左ボディーブローまで打つと決めていた康平は、そのままこのパンチを放つ。
位置を変えた森谷は康平のやや右側にいた。その為スイングする距離が増えたのもあり、康平が打つ左ボディーブローには充分な加速がついて体重が乗っていた。
バチンと大きな音が練習場に響く。
康平のパンチは森谷のボディーに当たらず、右腕にガードされていた。
ブロックの上からではあるが、数度のスパーリングで、康平のパンチが初めて森谷に当たったのだ。
接近戦で康平に打たせるつもりの森谷だったが、パンチの威力に驚いたようで、すり足で左後方へスッと下がる。
リングの外で見ている二人の先生は、ミットで康平のパンチを受けていたのもあって驚いた様子はない。
右アッパーや右フックをまだ習っていない康平は、踏み込んで顔面へ左フックを放つ。
森谷はスウェーバック(仰け反るようなディフェンス)でこれを空振りさせたが、康平のパンチを警戒してオーバーに避けたせいかバランスを崩していた。
更に左後方へ位置をずらしてリング中央に戻った森谷は、今までのように構えをアップライトにして左ガードを少し下げる。
そして、緩急をつけた左ジャブで康平を近付かせないようにしてアウトボックス(離れて戦うボクシング)を始めた。
森谷は、大崎のように膝で早いリズムは取らない。いつでも得意のカウンターが打てるように、膝を柔らかくしている。
フットワークも使うがピョンピョン跳ねるような派手さはなく、必要に応じてすり足で動く。
森谷はこのラウンド、ロングレンジ(遠い間合い)で左ジャブか軽い右ストレートを放ち、すり足だが頻繁に位置を変えるようになった。
その為康平は左フックを打つ間合いに近寄れず、ストレート系のみのパンチを出していた。
二ラウンド目も同じ展開が続いている。
その様子を見ていた飯島は梅田に話し掛ける。
「森谷の奴は高田のパンチに驚いたんでしょうね。ロープを背負わなくなりましたから」
「アレが使えればまだ接近戦でもやれるんですが、カウンターは禁止させてますからね」
「カウンターのアレって、左で打つアレですよね」
「そうですね。対インファイター(接近戦を主戦場にするボクサー)用に練習してきたアレです。……国体予選までには間に合わせたかったんですがね」
頷きながら梅田は答えたが、七月の国体予選に間に合わなかったのが悔しかったのか、最後は口がヘの字になった。
ラウンド終了のブザーが鳴った。
一ラウンド分の休憩をとる事になり、梅田は森谷へ、飯島は大崎にアドバイスをしていた。
梅田が言った。
「森谷、緩急をつけたジャブはいい感じだが、タイミングをずらすジャブがまだ出ていないぞ」
「清水先輩が打ってたヤツですよね? シャドーでようやく打てるかってトコなんですけど、何かコツがあるんですかね?」
「練習の最後に教えるが、来週は清水が練習に来るぞ。就職が決まったらしいからな。その時にトコトン教えて貰え」
「それは助かります。先輩はジャブの名手でしたからね。……ところで高田は、フックを打つ時も目をつぶってましたね」
康平は二ラウンドのスパーリングで、左の顔面へのフックと左ボディーブローを一発ずつしか打っていなかったが、目がいい森谷には見えていたようである。
「……たまにこういう癖のある奴はいるんだが、一年生四人の内に二人もいるとはな」
梅田は苦虫を噛んだような表情になった。
「……それとすいませんでした。もっと接近戦をして高田にフック系のパンチを打たせようとしたんですが、アイツのパンチは半端じゃないですね」
森谷の話を聞いた梅田は、チラッと康平の方を見る。
康平は、スパーリングで使った保護具に付いた汗をタオルで拭いていた。彼には今の会話が聞こえていない様子だ。
梅田は森谷の方へ顔を戻して言った。
「今の話は高田に言うんじゃねぇぞ。……それより、新人戦に向けて何をマスターするか分かってるな?」
「えぇ、左ジャブで近付かせないようにして、相手が強引に入ってきたら左ショートのカウンターですよね?」
梅田は頷き、再び質問をした。
「左ショートのカウンターはマス(ボクシング)だけで大丈夫か?」
「……大崎と相沢からインファイターになって貰ってマスをしてますが、それだけだと試合で使う自信はないですね」
梅田が頷きながら言った。
「スパーで試すのが一番いいんだがなぁ。……相沢はインファイターじゃないし、大崎とは体重が違い過ぎるからな。今はマスで我慢しろ」
「分かりました」
返事をした森谷は、体が冷えないように軽くシャドーボクシングを始めた。
全ての練習は終わったが、健太と白鳥のスパーリングを見た二人の先生は顔を曇らせていた。
着替えて帰ろうとした康平と有馬は、梅田に呼ばれた。
「単刀直入に言うが、お前らはパンチを打つ時目をつぶってるぞ」
梅田に言われた康平と有馬は、面喰らった顔をしていた。
二人は顔を見合わせた後、有馬が口を開く。
「本当ですか? 全然気付かなかったです」
「無意識に目をつぶっているんだろうからな」
「でも、ミット打ちでは目をつぶってませんよね?」
康平も珍しく食い下がる。パンチを習い始めた頃、先生から言われ、彼も目をつぶらないように意識してきたのもあったのであろう。
「ミットの時はな。……だがスパーの時だと目をつぶってるんだよ。だからお前らは打ち終わりにパンチを食らう時が多いんだ」
森谷には苦虫を噛んだような顔で話した梅田だったが、二人の前では淡々と話す。
「それはビビってるって事ですか?」
今度は有馬が言った。怖がっているのを認めたくないのか、反発するような口調だ。
「それは分からん。力を入れる時でも目をつぶる奴はいるからな。……ただ、ボクシングだと致命的だ。自分がパンチを打った時に目をつぶれば、無防備のままカウンターを食らう可能性が増えてしまうからな」
「森谷先輩には打たせないように言ってましたけど、カウンターってそんなに効くんですか?」
梅田の話に有馬が質問した。
「カウンターの衝撃を言葉にするのは難しいんだがな」
梅田はそう言って少し考えていた。
「今から有り得ない喩え話をするが、目を閉じて想像してみろ」
目を閉じる二人を見た梅田は話を続けた。
「お前らは、何も見えない真っ暗な道を無防備で歩いている。それも早足でだ。そしたら突然柱に顔をぶつけてしまった感じだ」
「……メチャメチャ痛そうッスね」
目を開けた有馬が言うと、康平も顔をしかめて頷いた。
「ボクシングはグローブを付けるから柱にぶつかる痛みはないんだが、衝撃はそんな感じだと思っていいぞ」
「DVDで見てますけど、やっぱカウンターって凄いんですね」
有馬の声が大きくなった。彼は、今もカウンターに興味があるようである。それを察して梅田が言った。
「有馬、カウンターはまだ早い。今は先手で打つ事を身に付けろ」
「……はい、分かりました」
夏休みの時も、内海と山本から同じ事を言われていた有馬は、小さな声で返事をした。
「それより今は、目をつぶる癖を直すのが先決だろうが」
「……でも先生、こういう癖って直るんですか?」
康平に言われて梅田が答える。
「お前らは無意識に目をつぶっているからな。……いつ直るかは分からんが、取り組む方法はあるぞ」
真剣な顔で聞いている二人に、梅田は話を続けた。
「洗面器に水を入れて、バシャバシャ顔に掛けろ。その時、マバタキしないようにするんだ」
梅田が話すと、康平と有馬は拍子抜けしたような顔になった。そして有馬が言った。
「え、そんなんで直るんですか?」
「いつ直るかは分からんし、直る事も断言は出来ん」
「他にいい方法はないんですか?」
「あったら今教えてるんだよ!」
しつこく訊く有馬に梅田の声が大きくなった。どうやら機嫌が悪くなったようである。
有馬もそれに気付いて沈黙した。
「水でバシャバシャ掛ける時は祈るんだよ。スパーで目をつぶらないようにってな。……それとシャドーやサンドバッグ打ちでも、パンチを打つ時に目を閉じないように意識しろ」
梅田の話に康平と有馬は落胆したようで、下を向きながら聞いていた。
梅田は構わず話を続けた。
「さっきも言ったが、パンチを打つ時に目をつぶるのは致命的なんだよ。これから技を覚えて動きが良くなってもだ。ちゃんと練習している相手には、勝てる試合も勝てなくなる」
「分かりました」
「それになぁ……」
「それに何ですか?」
話を続けようとした梅田だったが、途中で止めた。有馬に訊かれて梅田は時計を見る。
「……お前ら電車の時間があるだろうから帰っていいぞ」
二人が練習場を出た後、飯島が梅田に近付いていった。
「梅田先生、なぜ話を中断したんですか?」
「あの二人に早く癖を直させたいと思ってるんですがね。……話だけだと伝わらないような感じだったんですよ」
「確かにそうですね。清水の奴は、『学校でも出来る場所はありますか?』ってすぐに訊いてきましたからね」
「やっぱりスパーで食らわないとダメなんですかね」
梅田はそう言って、苦虫を咬んだような顔になった。
「梅田先生、大崎は減量すればフライ級(五十二キロ以下)なんですが、新人戦は本人の希望でバンタム級(五十六キロ以下)で出ますよね。……有馬には酷ですが、大崎に右クロスをスパーで打たせたいんですよ」
「……バンタム級は、百七十センチ以上の選手が四人出てきますからね」
「大崎には有馬の顔ではなく、肩を狙って打たせます。……まぁアイツの場合は狙う余裕がないとは思うんですがね」
「夏休みが終わってから飯島先生と練習してたんですよね。二次的な効果を狙ってのものですか?」
「梅田先生にも分かってましたか。今の段階で右クロスを出すのはアノ効果を狙ったものです。倒す武器にさせるのは、しばらく後になりそうですがね」
「右クロスが有馬の顔面に当たっても仕方ないですよ。有馬は、いずれこのパンチを狙われるスタイルですからね」
梅田はしばらく考えていたが、再び口を開いた。
「……飯島先生には伝えておきますが、森谷にカウンターを高田へ打たせようと考えてます」
最近康平を指導している飯島は、顎に手をあてた。
「……森谷には、高田のガードを狙わせるんですか?」
「そうですね。目のいい森谷には出来ると思いますんで」
「高田の奴は、練習の終わりに時間をかけてフォームチェックをしてますからね。目はつぶってましたけど、スパーでもフォーム自体は綺麗でしたから大丈夫だと思います」
「……片桐には打たせないようにします。あの左ボディーを打つ時にカウンターを貰うと、かなりダメージになりますからね」
「片桐のボディーブローの打ち方だと、そうなっちゃいますね。ところで来週なんですが……」
この日、二人の先生は夜遅くまで話し合っていた。