ハーフのような女の子
図書館に着いた康平と健太は、四人で勉強出来そうな席を探していた。
すると、背の高い女の子が近付いてきた。
「康平こっちだよ。いい場所とってるから安心して」
山口亜樹である。今日はこの前と違って学校の制服でいた。
二人が亜樹についていくと、奥の方に四人の座れる席があった。
長方形の机に四つの椅子があり、康平と健太が並んで座り、康平の正面に亜樹が座った。
「初めまして……かな?」
人見知りはせず誰とでも気軽に話せる健太なのだが、この時は慎重に話し掛ける。
「……確か、うちの教室に二人で来てたよね」
亜樹も健太と同様に、少し警戒しているようである。
「じゃあやっぱり、あの時康平の前の席にいた人だ」
「そうそう、あたしは山口亜樹。これから呼ぶ時は亜樹でいいよ」
「俺は片桐健太。俺の事も健太でいいからさ」
「康平、何ニヤけてんのよ?」
「そうだぜ、俺達何も変な事は言ってねぇぞ」
亜樹と健太から責められた康平は、二人の様子を見て可笑しくなっていた。
会う前からお互いを苦手だと言っていた二人が、共に初めて知ったように話していたからだ。
「あ、いや、何でもないよ」
その事は言えずに言葉を濁した康平へ健太が言った。
「気持ち悪い奴だなぁ。……そう言えば、康平が世話になってる人がいるって聞いてたけど、亜樹さんなの?」
「そう本人から聞いてるんだったら、康平にも自覚があるってことね」
二人の最初の会話が上手くいったようで、ただ一点を除いて康平は安心した。
「オイオイお前ら、俺をダシにして場を和ますなよ!」
「康平、……ここは図書館なのよ。静かにして!」
「そうそう、俺達は勉強しに来たんだぜ」
二人から反撃を受けた康平は、降参するような顔をした。
「お前らヤケに連係とれてんな。……ところでもう一人のコは?」
「ゴメンね。まだ彼女は部活で来れないみたいだから、三人で始めよっか」
亜樹の一声で勉強が始まった。
康平が苦手な数学の教科書を出した時、亜樹が彼に言った。
「康平、今は別の教科をやった方がいいと思うよ」
「何で?」
「数学苦手なんでしょ! 最初にそれやっちゃうと、またマンガに逃避するよ。……たぶんだけど」
亜樹がカラカっている様子でもなく、神妙な顔で話していたので康平は不思議と納得した。彼は、素直に好きな科目の生物から始める。
一時間程勉強した時、再び亜樹が康平に話し掛けた。
「好きな科目なだけあって、勉強はかどってるね」
「え、何で知ってんのさ?」
「君、生物の授業を受けている時間だけは眠っていなかったからね」
亜樹はクスっと笑った。
「ゴメン。ちょっとトイレ行ってくる」
健太は大して尿意もないのに席を外し、トイレに向かった。
そしてズボンも脱がずに洋式トイレに座り、想いにフケっていた。
康平と幼稚園から友達だった健太から見て、亜樹は康平だけに初めて出来た本当の女友達である。
中学時代は鳴海那奈とも親しかったが、彼女と付き合った坂田裕也を通してである。
健太は頭で祝福はしているが、気持ちは切なくなっていた。しばらく座っていたが、よく顔を洗ってトイレを出る。
なにくわぬ表情をしながら席に戻った健太だったが、向かいの席には知った顔の女の子がいた。
健太が今気になっている女の子、内海綾香が座っていたのだ。
健太が小さく右手を上げる。
「……よ、よう」
「遅れてごめんね。部活が長引いちゃってさ。……健太君も一緒だったんだ」
「知りあいなの?」亜樹が綾香に訊いた。
「同じクラスなんだ」
健太は動揺しているのか黙っていた。
「あれ、私の人違いだっけ?」
笑いながら話す綾香に、健太は慌てて答える。
「い、いや……そんな事ないよ。同じクラスだよ」
康平は健太がトイレに行っている間、亜樹から綾香を紹介されている。
彼女の名前を聞いた時、健太が気になっているコだとすぐに気付いたが、彼は素知らぬ顔を演じていた。
綾香は茶色が目立つクリッとした瞳で、ワイシャツと変わらない位肌の色が白い。ハーフだと言われれば、納得してしまいそうな感じである。
ヘアスタイルはショートボブだ。
亜樹が綾香に言った。
「綾香には悪いけど、私達一時間近く勉強したからロビーで休憩したいんだけど、……いいかな?」
「私も賛成だよ! 部活終わって御飯食べた後だから、少し休みたい気分なんだ」
「俺達も勉強の休憩だったら大賛成だよ。なぁ健太!」
「……あぁ、そうだな」
「健太君はともかく、君は頑張っててもいいよ」
「相変わらず口が悪いな。まぁ言うと思ってたからショックは無いけどさ」
ロビーへ向かいながら亜樹に言い返した康平だったが、健太の欠点が出ている事に気付いていた。
健太は、大事な話をする時や好きなコが近くにいる時は動揺してしまい、極端に口数が減る。
根っからの明るさで周りを和ませる健太の良さが、全部封印されてしまう。今もその泥沼に堕ちそうな感じである。
健太自身も、自分を歯痒く感じているのは康平にもよく分かった。
ロビーに着いて四人がソファーに腰掛けた時、綾香が言った。
「健太君と康平君は、部活が休みだったのかな?」
「え、何で?」康平が訊く。
「だって今日、第二体育館に来なかったよね」
「綾香はバスケ部なんだ」綾香に続いて亜樹が言った。
「第二体育館で練習してる時、気が付かなかった?」
「先生が恐くて、そんな余裕なんてないよねぇ」
亜樹に康平が言い返した。
「あのう勝手にフォローしないでくれる? 否定はしないけど……」
健太は会話に参加しないで黙っていた。
綾香が話題を変えた。
「こんな事言っちゃっていいのかな? うちの部に、四人の内で誰が一番頭を叩かれたか数えてる人がいるのよ」
「え、マジで? 趣味悪いよな」
「アハハ、でしょ! それで一番叩かれているのはホラ誰だっけ、テストで一番だったコ」
「……白鳥だよ」ようやく健太が口を開いた。
「そう、その白鳥君ね。彼はあまり器用じゃなさそうで、気の毒な位叩かれてたのよね」
「でも、あいつなりに頑張ってるよ」
「そうそう、白鳥は愚痴も言わないしな」
「二人共、カバっている余裕あんのかなぁ? ……この中に二位の人がいるんだけど」
「たぶん俺だな。白鳥と同じ位不器用だからな」
康平が言うと綾香は否定した。
「実は健太君なのよね。……でも白鳥君とは叩かれる場面が違うみたい」
「指摘される欠点が違うって事?」康平が訊いた。
「そうじゃなくてぇ、その、何て言うのかなぁ、質問するタイミングが悪くて叩かれてんのよねぇ。でも本人が納得できなくて、叩かれながらも質問すると、その内容でまた叩かれてる感じだったよ。……上手く言えないわね」
「てめえ、今そんな事聞いてる場合じゃねぇだろ! ……ってな感じで怒られてんのかな?」
「そうそう、そんな感じ」康平の話に綾香が頷いた。
「お前納得できないと、前に進めない所があっからね」
「自分じゃ分かんねぇけどな」
「でも、健太君をとっても気に入ってる先輩がいるのよね。いくら叩かれても、腐らないで真面目な顔で質問してる所が面白いって」
「マジで! 健太やるジャン」
康平は、健太が複雑な気持ちだろうと思いながら言った。
「残念でした。その先輩は彼氏がいるって言ってた。あと白鳥君は、部を辞めるんじゃないかって。私から見ても暗い感じだしね」
「でもあいつ、前からヤル気はあるよな。練習も早く出てるしさ」
「そうそう、それに健太の冗談で微妙に笑うんだぜ」
「へぇ、それって見てみたいかも」
「私抜きで盛り上がっている所を邪魔して悪いんだけど、そろそろ戻らないと怒られるよ」
亜樹が不機嫌なフリをして三人に言った。
「ゴメンね。亜樹には、ホント感謝してるから。亜樹は中学の時も、トップクラスの成績だったのよね」
「綾香、おだてても無駄よ。ここの図書館のオバサンは怒ると怖いんだから。さ、戻ろ」
四人は柔らか目のソファーから重い腰をあげ、勉強机に戻っていった。
図書館での勉強は思いの外進んでいた。
健太には気を遣いながら、綾香にはフレンドリーに、そして康平には上から目線で教える亜樹の存在が大きいようだ。
夕方、図書館の閉館間際、四人はロビーに立っていた。
「どう、亜樹って教え方上手くない? 私、テスト前にはいつも助けられてんのよね」
「確かに上手いかも知れないけど、俺はその度に屈折しそうだよ」
「なんか聞こえるわね」
苦笑した康平に亜樹はそっけなく言った。
「二人共、俺と康平みたいな幼なじみ?」
「私と亜樹は中学の時からの友達だよ。でも、亜樹が男子と一緒に勉強なんて初めてなんじゃない?」
「あれ、健太君が最初だっけ?」
「私は康平君も含めて言ってるんだけど。……あ、もう閉館ね。今日は楽しかったよ」
「亜樹先生のおかげで勉強も進んだしな」
健太も帰り際は自然に話が出来ていた。
帰りの電車で康平が口を開く。
「まさか、お前の気になってるコが来るなんてな」
「それもビックリしたけど、亜樹って外見と違って結構いい奴なんだな」
「そうかぁ? 俺にはキツイよ」
「それはお前に心を開いてる……だったら、それはそれで大変そうだな」
康平が故意に話題を変えた。
「それはそうと、明日十時であの図書館に行くけどお前も来るんだろ?」
「明日は辞めとくよ。またお前らに気を遣わせそうだしな」
「あの内海も来っかもよ」
「またテンパるだろうからいいよ。……お前がフォローしてくれるのは嬉しかったけど、康平に続けて借りを作りたくねぇしな」
「何の事だか分かんねぇけど、明日図書館に着いたら、健太は用事で来れないって伝えとくよ」
「亜樹も、俺が部外者にならないように気を遣ってたからな。あ、この事は言うなよ」
「言わねぇよ! 『誰と誰の部外者よ』って、俺が攻撃されそうだしな」
次の日、図書館へ行った康平だったが亜樹だけがいた。
康平は亜樹に健太が来れない旨を話す。
「……そっか、健太君も来れなかったのね。綾香も今日は用事があるって。……午後一時まではハイペースでいくわよ」
康平は、ここの図書館へ着た当初の目的である眠ってしまった授業のノートの書き写し作業を始めた。
前日は健太達がいたので亜樹もノートを貸しにくかったようだ。
亜樹のノートは、字が綺麗で読み易く覚えたい所を簡潔に書いている為、早いペースで康平の書き写しが進んだ。
授業十一時間分の空白になっていたノートは、午後一時頃に全て埋まった。
二人はロビーで遅めの昼食をとり、休憩していた。
「ワリィな。ホント助かったよ」
「いいよ、言い出したのは私だし」
「でも、俺がノートを書いていない所に付箋が付いていたけど、俺の前の席なのに何で分かってるんだ?」
「後ろに目があるなんて事は無いけど、君が眠ってる時は分かっちゃうのよね。……康平ってノートに字を書く時、強く押し付けて書くから音が聞こえちゃうのよ」
「すると、その音が聞こえない時は俺が眠ってるって事か?」
「……それだけじゃないよ」
「他に何かあるのかよ?」
康平に訊かれた亜樹は小さく笑った。
「字を書く音が聞こえない代わりに、気持ち良さそうな寝息が後ろから聞こえてくるんだよね」
亜樹は話を続けた。
「付箋はねぇ、……後で君が慌てるのを見たい気持ちもあったけど、日頃イジらせて貰ってるから、やっぱり助けてあげようと思って貼ってたんだ」
「いや、ホント助かったよ。アリガトな」
「……何言ってんの、今日の勉強はまだ続くんだからね。これから君の大好きな数学をやるよ」
亜樹は照れを隠すように、急いで学習机に戻っていった。
期末テストが終了した。
康平は、亜樹のおかげで中間テストよりも成績が上がったようだ。
今回も白鳥が断トツの成績だったが、元々存在感の薄い彼は中間テストの時より騒がれなかった。
それから一週間後、国体県予選があった。
清水は、前の大会で右拳を骨折したので出場出来ず、今回は五人の先輩が出場する。
清水が抜けた分、相沢がライト級へ階級を上げた。そして大崎は何と二階級上のバンタム級に出場した。
この二人は決勝戦まで勝ち残ったが、共に青葉台高校の三年生に敗れていた。
森谷は準決勝で敗退したが、石山て兵藤の二人は、圧倒的な強さで優勝した。
ライトフライ級の黒木琢磨も優勝だった。
裕也は今の大会に何故か出ていない。
大会当日、康平と健太は裕也と話す機会があった。詳しい事は聞けなかったが、フォーム改造の為らしかった。
大会前の梅田は上級生の指導に忙しく、あまり見て貰えなかった康平達は、ある意味平和な日々を送っていた。
国体予選が終わって五日後、平和な日々の一年生達に暗雲が立ち込める。
練習が始まると梅田が康平達に言った。
「一年全員、十二オンスのグローブを持って第二体育館に来い。それと、練習用ヘッドギアとマッピ(マウスピースの事)も忘れるな!」
ヘッドギアとは、頭部を保護する為の道具である。永山高校のボクシング部では、練習用として薄い試合用ではなく、少し厚いヘッドギアを使っていた。
そしてマウスピースは、十日前から各自用意するように先生から言われている。
一年生達に緊張が走る。
先輩達がスパーリング(実戦練習)で使っていたアイテムを自分達も使うとなると、やはり……。
ただ一つ足りない物があった。ノーファウルカップだ。局部を守る道具だが、スパーリングには欠かせない道具の一つである。
有馬が質問する。
「先生、カップはいらないんですか?」
「今日は使わんから不要だ」
全員ノーファウルカップを、カップと略して呼んでいる。
梅田は竹刀を持って第二体育館へ向かった。
康平達はそれぞれ道具を持って梅田についていった。
梅田が全員に言った。
「全員、ヘッドギアとマッピとグローブを付けろ」
四人は慣れない手つきで用意する。
康平と有馬は緊張していたのか、グローブから先に付けてしまった。
「アホ! それじゃぁヘッドギア付けらんねぇだろ」
梅田は苦笑しながら、二人にヘッドギアを付けていた。
こうして全員用意が出来ていった。
「これから形式練習を始める。それは、打つパンチを決めて防御する練習だ。細かい事は面倒だから、やりながら教えるぞ」
有馬と白鳥、康平と健太がコンビを組む。
梅田が康平と健太に言った。
「高田、ジャブを一発片桐に打ってみろ。顔だったらどこでもいいぞ。それを片桐が防御する。今はブロックして守れ」
康平と健太は長い付き合いの中で、口ゲンカこそ三ケタを超えるキャリアだが、殴りあったケンカは一度もない。
記念すべき(?)初の暴力行為が健太の顔面に飛んでいく。
健太は力みながらだが、康平の左ジャブをブロックした。
「今度は片桐が打て」
梅田に言われて、二人は戸惑いながらも前と逆の行為をする。
「それを交互に繰り返す。但し、相手が打ったら三秒以上間を空けてから打て。分かったな?」
「ハイ!」
四人はそれぞれジャブを打ち、それをブロックする動作を、ぎこちない感じでそれぞれ始めていった。
梅田から指導の声が飛んだ。
「白鳥、もう少し離れた場所から打て!」
梅田は竹刀を使って白鳥を後ろに下げさせる。
「片桐、ブロックする時も六対四のバランスを崩すんじゃねぇぞ」
再び竹刀を使い、引き気味だった健太の腰を前に出させた。
「高田、ジャブを打ったらすぐに構えを戻せ!」
ジャブを打った後、康平の拳が下に落ちていた。彼は梅田から胸の高さに竹刀を出され、それにぶつからないように左ジャブを打たされる。
今まで、ただ似合っているだけであまり使われなかった梅田の竹刀は、この時部員の技術向上の為に機能的な働きをしていた。
別の分野で活躍する時もあった。
「有馬テメェ、要領よくすんじゃねぇぞ」
有馬は自分が防御の番の時、白鳥が打つ前からブロックの体勢を作っていた。
梅田はそれを見逃さず、有馬の頭を竹刀で軽く叩いた。
この日一年生達は、ジャブだけの形式練習をずっと続けていた。
第二体育館での形式練習は、次の日も続けて行われた。
形式練習の初日こそジャブだけだったが、次の日からは後ろの手で打つストレートが加わった。
ストレートは後ろの手で打つ分、体の捻りを使い易く、しかも利き腕でのパンチだ。当然ジャブより威力がある。
(顔にもらったら……)
四人は緊張している。
だがいざ始めてみると、最初から相手が打ってくるを知っているので、クリーンヒットの場面はなかった。
しかし、ブロックした時の衝撃が大きいので腰が引けていた。
「お前ら、六対四の重心を崩すな」
梅田は全員の腰を竹刀で軽く叩いた。
一年生達は、相手のパンチ以上に梅田が恐いのであろう。全身を力ませながら、無理矢理腰を前に出してブロックした。
「そんなに力んだら、パンチが打てねぇぞ。もっと力を抜け」
恐怖の中でリラックスするのは本能に逆らうようなもので、なかなか出来る事ではない。梅田に言われた一年生達だったが、ガチガチに力んだ体でブロックをした。
「リラックスなんだよリラックス!」
一年生達がブロックする度に、梅田は同じ台詞を繰り返す。
梅田は気が短い。何度言っても直らない四人に、梅田の顔は真っ赤になり、声のトーンは怒号に変わっていった。
女子バスケ部の方から、梅田の足許にボールが転がっていった。
彼は怒りに集中していて、気が付いていない。
女子バスケ部の一年生達は、梅田が恐くて誰もボールを取りに行こうとしなかった。
「梅田センセ! ボールを取りに行ってもいいですか〜」
見かねたバスケ部顧問の女の先生が、やんわりと声を掛けた。
「あ、どうぞいいですよ」
梅田は、真っ赤な顔のまま笑顔で答えていた。
さすがの梅田も、教師同士だと気を遣うようである。
一年生の女子バスケ部員は、必要以上にオジギをしてボールを持っていった。
康平達は、赤い顔のままで愛想良く話す梅田を、吹き出しそうになる程可笑しくなったが、笑える状態ではない。
ただ、ほんの少しだがリラックス出来たようだ。
その後一年生達は、ワンツーストレートも含めた形式練習を続けていった。
練習が終わり、梅田が一年生達に言った。
「恐怖の中でのリラックスは難しいんだ。お前らも短絡的にならないで、慣れるまで根気強く身につけろ」
四人は、自分の事を棚に上げている梅田の言葉に物凄い抵抗を感じながらも、大きく返事をした。
第二体育館での出張練習。……これは一年生達にとって、精神的な重圧のある場だ。
異性への興味が急上昇中の康平達が、多くの女子(バスケ部)の前で名指しで怒られ、そしてミットで叩かれるのだ。
その恥ずかしさは、当人達にとってどの位であろうか?
梅田が計画的に仕組んだかは分からないが、一年生達は、自分だけは怒られないようにしようと必死に取り組んだ結果、目に見えて上達しているようである。
最初の形式練習の時は、魔法のステッキのように縦横無尽に活躍した梅田の竹刀も、夏休み間近になると彼の体を支える位しか役に立っていない。
梅田が、口を酸っぱくして言っていた六対四(前六後ろ四)のバランスも安定し、四人の一年生にも余裕が生まれ始めていた。
余裕が生まれると油断してしまうのは、人間の救われ難い性であろう。
形式練習のインターバル中、康平の視界に内海綾香が目に入った。
康平は、健太と綾香の事が気になり出した。
図書館で一緒に勉強して以来、健太から彼女の事は何も聞いていない。
「はじめ!」
ストップウォッチを持った梅田が、ゴング代わりの号令を出す。
健太のパンチを、作業でもするかのように漠然とブロックした康平は、顔面に衝撃が走った。
鼻がツーンとして涙目になる。
健太の左ストレートを鼻に貰ったのだ。打った健太も驚いた。
「バカヤロー! 高田、形式練習でボーッとしてんじゃねぇよ!」
何日かぶりに梅田の罵声を浴びた康平は、鼻血が止まらない。
「康平、大丈夫か?」
「構うな片桐。ボクシングは打たれる奴が悪いんだよ。……高田、オメェ保健室寄ってもう帰れ」
康平は、上を向きながら鼻を摘まむという情けない格好で保健室へ向かった。
保健室へ着いた康平だったが、保健医はいないようで鍵が掛かっていた。
「あれ、康平……君?」
康平が声の方に視線を向けると、内海綾香が立っていた。
「私も突き指しちゃったのよね。あっ、ちょっと待って今鍵開けるから。……私、保健委員なんだ」
彼女は自分の突き指の処置を簡単に済ませると、急いで引出しから綿棒を出して康平へ持っていく。
「悪いな。後は自分でやるからいいよ」
綾香が献身的な雰囲気を持っていた為か、康平は先手を打って遠慮した。
「ホントに大丈夫? 私、鼻の掃除やってもいいけど」
康平の予感は的中した。彼女は、鼻の掃除までするつもりだったのだ。
綾香の透き通るような白い肌を、自分の鼻血で汚せない気がするし、何より親友の想い人である。
康平は丁重に断った。
康平はベッドで仰向けになったが、綾香は椅子に座って待っていた。
「部活に戻んなくていいの?」康平が訊いた。
「私の部活はこれでおしまい。突き指したからもう帰りなさいって。……康平君は?」
「俺の方ももう帰れってさ。言い方は乱暴だけど……」
「梅ッチ、部活になると鬼だもんね。……あ、そうだ。康平君駅まで歩くんだよね! 私ンチ駅の向こう側だから、途中まで一緒に帰ろうよ?」
「あぁ、……いいよ」
思わず返事をしてしまった康平だった。
待ち合わせの校門へほぼ同時に着いた二人は、ゆっくりと駅へ向かう。
「ショックよね。今までずっとバスケやってて突き指なんて無かったのに、……初心者みたい」
「ど、どの位やってんの?」
「そうね、小学校三年から始めているから今年で八年目だよ」
「随分続いてるね」
「やっぱり好きだからね。……私、ここの高校を選んだのは亜樹が入るからなのよ。家から近いのもあったけど、進路を決める理由としては結構いい加減かもね」
「亜樹はバスケを途中で辞めたらしいけど、何でそんなに仲いいの?」
「何処まで話していいのかなぁ。……康平君は、亜樹がバスケ部を辞めた理由って知ってるの?」
「レギュラー争いしてた先輩の嫌がらせだろ?」
「……康平君を信用して話すけど、亜樹とレギュラー争いしてた先輩は、そんなに仲が悪くなかったの」
「え?」
「その先輩と付き合ってた彼がいて、その人が私にしつこく電話してきたりしてたんだ」
「マジで」
「私どうしたらいいか分かんなくて、思い切って先輩に相談したのよ」
「どうなったの?」
「逆に私が先輩の嫌がらせを受けるようになってしまったのよ」
康平は黙って聞いていた。
「でも、私と亜樹はその頃から仲良くなってたんだ。亜樹は私の味方をしてくれて、先輩には正面から文句言ったのよ。そしてその彼氏にはビンタまでしちゃったのよね」
「……凄いね」
「その後亜樹は、先輩達から嫌がらせを受けて退部届けを出したんだけど、同じ学年では一番上手かったんだ」
「へぇー」
「私と亜樹は、それ以来親友の仲なのよ」
綾香が続けて話す。
「亜樹って、外見がお高い雰囲気だから結構誤解され易いのよね。中学の時も一人でいる時が多かったの」
康平は、何て答えればいいか分からず沈黙していた。
「でも高校に入って亜樹は康平君と楽しそうに話してるから、私もホッとしているんだ」
「……楽しそうかは分からないけど、言葉の暴力は振るわれてるよ」
「それは亜樹が心を開いてるからよ。あんなに男の人に話し掛ける彼女は見たことないもの。……そう言えば期末テストはどうだった?」
「亜樹のノートのおかげで少し成績が上がったよ」
「早く亜樹に言った方がいいよ。彼女なりに心配してたから。……表現は屈折してたけどね」
綾香はそう言ってクスっと笑った。
翌日、康平は亜樹に期末テストのお礼を言おうとするが、何かキッカケが無いと面と向かってお礼が言えそうにない。
康平は、以前のように亜樹が勝手に見るのを期待して机の上に成績表を置いてみた。
亜樹は成績票をチラっと見たが、それを手にする事なく康平に言った。
「何わざとらしく成績表を置いてんの?」
「ん? あ、亜樹が見たいかと思ってさ」
「結局どうだったの? 成績は上がったの?」
「中間テストの時より上がったよ」
「私のノートまで見せてあげたんだから当たり前でしょ!」
ずっと成績を教えなかった康平に、亜樹はご機嫌斜めだったようだ。
本当に亜樹が心を開いているか、疑いたくなる康平だった。




