白鳥の実戦経験
練習が終わった一年生達は、駅へ向かって歩いていた。
健太が口を開いた。
「そう言えば白鳥って、実戦経験があるって言ってたよな」
「じ、実戦経験て程じゃないけど……」
「白鳥は喧嘩しそうにないんだけどな」
「け、喧嘩なんてした事ないよ。ただ家では兄さん達とスパーリングをやってたよ」
今度は康平が訊いた。
「白鳥の兄さん達ってボクシングやってたんだ?」
「兄さん達はボクシングをやってないよ。ただ、よく外で喧嘩してた」
白鳥の話に康平達は戸惑っていた。
それを察した白鳥が話を続けた。
「スーパーにいる叔父さんから聞いていると思うけど、俺んちって金が無かったんだよね」
康平と健太そして有馬は、白鳥が幼い頃に父親を亡くし、母親も病気勝ちで経済的に苦しかった事情を知っていた。
「……あぁ、その事は知ってるよ」有馬が真面目に頷く。
「だ、だから結構馬鹿にされたんだよね。しょっちゅう同じ服着てるとか、運動靴がボロボロだとかさ」
白鳥以外の三人は返す言葉が無く、黙って聞いている。
「た、ただ、うちの兄さん達は気が短いから、ば、馬鹿にした奴らと喧嘩してたんだ」
「それと家でのスパーリングと関係あんのかよ」
健太に訊かれた白鳥が、再び話し出した。
「兄さん達は、俺と同じで体が小さかったから喧嘩で負ける時も多かったんだ。……でも、そいつらに勝つまでやり返すんだって、家でスパーリングを始めたんだよ」
「スパーリングって言っても、マッピやヘッドギア、グローブを用意出来たんか?」
今度は有馬が訊いた。
「そんな道具は無いよ。……今だから言えるけど、グローブは兄さん達が柔道部室から柔道着をカッパラって、それを手に巻いてグローブ換わりにしてたんだ」
白鳥は苦笑しながら話を続けた。
「そ、それでスパーリングが始まったんだけど、に、兄さん達はそっちに嵌まっちゃって、俺も毎日付き合わされたんだ。……あ、けどスパーリングって言うより、ボクシングごっこみたいなもんだよ。遊び半分でやってたから経験者って言えないんだけどな。今日のスパーリングでも、俺だけ二回もカウント数えられたしさ」
「……でも、白鳥はスパーリングで一番打ち合ってたし、ビビっていた俺達よりは勇敢だったよな」
康平をチラッと見た有馬は言ったが、少し悔しげな表情だった。
駅に着き、有馬達と別れた康平と健太は、下りの電車に乗った。
部活帰りの高校生達が多いせいか、座る場所は無く、二人はドアの側に寄り掛かった。そして、康平が話し出した。
「そう言えば健太、昨日は綾香も図書館へ来たんだけど、何で来れなかったんだよ」
スパーリングで善戦した健太は、上機嫌で答えた。
「昨日はボクシングのDVDをずっと見てたんだ」
「ボクシングのDVDって、レンタルであったっけ?」
「ちげーよ! 俺さぁ、六月頃からプロの世界タイトルマッチは全部録画してんだぜ」
照れ臭いのか、健太は左の人指し指で鼻の下を擦った。彼は話を続けた。
「そんでさぁ、俺が好きなアレの試合を何回も見てたんだよ」
「アレって、サウスポーで左ボディー打ちが得意なチャンピオンか?」
「そうそう、前の防衛戦はそのパンチで試合を終わらせてたしな。……今日のスパーは外れてもいいから、アレが打つ左ボディー打ちを必ず一発は打つって決めてたんだよ」
三週間程前から、健太はサウスポーからの左ボディーブローを習っていた。
第二体育館でミット打ちした際、健太がそのパンチを打つと快音が体育館中に響き渡り、隣で練習している女子バスケ部員も彼に注目している時があった。
康平は、その音を聞く度に戦慄が走っていた。自分が将来健太とスパーリングした時、あのパンチを食らうのかと思ったからだ。
康平は、スパーリングで手加減されているとは言え、健太が得意のパンチを当てて、森谷先輩の動きを止めたシーンを思い出した。
(今日の健太は凄かった)
その旨を言おうとした康平だったが、口から発せられることはなかった。
スパーリングで萎縮していた自分を振り返ると、健太に差を付けられた悔しさが勝り、言葉にすることが出来なかったのだ。
康平も健太と同じく、六ヶ月間真面目に練習してきたのもあったのであろう。
ただ康平は、ご機嫌な健太を見ると、親友として嬉しくなる気持ちもあった。
「お前と違って、俺は森谷先輩に遊ばれてたけどな」
苦笑しながらだったが、康平は、今の彼に言える最大限の賛辞を健太に贈った。
電車から降り、駅から出た二人は徒歩で歩いていた。健太が口を開いた。
「綾香ってさ、お前に気があるんじゃねぇの?」
「い、いきなり何を言い出すんだよ! ……そんな事ある訳ないだろ」
慌てて康平は言い返すが、心当たりは無い事もなかった。ただ、綾香本人が亜樹との関係を応援すると言っている以上、康平に確証は無い。
「俺の思い違いかも知んねぇからな。……たださぁ」
「ただ?」
「綾香ってさ、周りに気を遣うタイプじゃん。彼女、俺には他の奴らみたいに気を遣って話すんだけど、お前には自然体で話すように見えたんだよ。……俺にはな」
「……それは気のせいだと思うぜ」
「まぁ、俺が勝手に考えているだけで、お前を責めてる訳じゃねえからさ。今俺が言った事は気にすんなよ」
健太はそう言ってフッと笑った。
別れ際、健太が再び口を開いた。
「俺さぁ、綾香は好きだけど、今はボクシングに集中しようと思ってんだ。自分が頑張っただけ強くなれそうな気がすんだよ。じゃあな」