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返し技を狙うな

 練習が終わった時、有馬が梅田に質問した。


「先生、スパーリングの時返し技を狙うなって言われたんですけど、どうしてですか? 一ヶ月間ずっと練習してたんですが……」


「……有馬、ちょっと待ってろ」


 梅田はそう言うと一年生全員を呼んだ。



「お前ら一年生はこれから週二回スパーリングをするんだが、返し技を狙うのはやめろ」


 梅田の話に一年生達は怪訝な表情になった。


 返し技とは相手のパンチをディフェンスし、反撃する技の事である。康平達は夏休みの終わり頃から習い始め、反復練習を繰り返していた。



「……狙うなって事は、練習もしないって事ですか?」


 康平が訊くと梅田が答えた。


「返し技は今まで以上に反復練習をしろ。だがスパーリングでは狙うな」


 四人はますます疑心暗鬼になった。


「何でですか? 返し技を狙えば反撃出来るし、もっと上手く戦えるんじゃないんですか」


 有馬が反発するように言い返す。



「有馬、お前まだ動けるか?」


 梅田は怒る様子でも無く有馬に訊いた。


「はい」


「だったらグローブを付けてリングへ上がれ。グローブは十オンスでいいぞ」


 梅田は頷く有馬を見て、自身もサングラスを外してグローブを嵌めている。



 リングへ入った有馬に梅田が言った。


「一ラウンドだけマスボクシングをするぞ。簡単に言えば寸止めの実戦練習だ。……有馬はドンドン返し技を狙ってみろ」



 全員の練習が終わっていた為、タイマーは電源がオフになっていた。飯島が気付き、電源を入れて二分間に設定する。



「梅田先生、始めますよ」


 飯島はそう言ってタイマーをスタートさせた。


 梅田の特殊な構えに、対峙している有馬は戸惑い、他の一年生達は興味深げに見ていた。



 選手によってガードの位置は違ってくるが、通常構えた時のボクサーを正面から見ると、両腕の前腕の角度は垂直に近く、縦に二本線のような形になる場合が多い。主にグローブがある方で顔面をガードし、肘の方でボディーブローを防ぐ。


 だが、梅田の構えは全く違っていた。


 オーソドックススタイル(右構え)の梅田は、左腕全体をヘソの高さまで下げる。その前腕の向きはほぼ水平だ。


 一方、右グローブは左目の下辺りまで上げている。そして、前腕の向きは斜めだが水平に近い。


 頭部は右腕で守り、左腕で腹部をガードする構えだ。


 有馬は返し技を狙っているので、パンチを出さずにジッと見ている。


 梅田がピクリと動く。前にある左膝を使ったフェイントで、体全体が一瞬ブレた。


 有馬は反応し、右グローブを高く上げた。


 彼はリターンジャブを狙っていたらしく、左ジャブを出し掛かっていた。



 梅田が二十センチ程前進して距離を詰めた。


 有馬は、詰められただけの距離を下がる。


 梅田のプレッシャーを感じたのか、彼は左へ回りだした。



 梅田がまたピクッとフェイントを入れた。


 有馬が再び右グローブを上げてディフェンスの体勢に入る。


 迎え撃とうとした有馬の足が一瞬止まった時、梅田がスーっと距離を詰め、右のパンチをいきなり放つ。


 オーバーハンドライトと呼ばれ、ストレートとフックの中間のようなパンチだ。有馬の顔面へ当たる直前に止められたが、少し山なりの軌道の為、寸止めでなければ有馬の肩越しから顎へ直撃していた。



 仕切り直そうと有馬が左へ回る。


 追う梅田の右の肩と腕が少し動く。


 有馬が左ガードを上げて防御の体勢に入った時、彼のガードの隙間に、梅田の左ジャブが伸びていた。



 その後も、寸止めだが有馬は梅田からいいようにパンチを当てられていった。



 終了のブザーが鳴り、リングから出た梅田が一年生全員に口を開く。


「お前らに質問だが、返し技に必要な事は何だ?」


「……動体視力ですか」健太が答える。


「もっと単純に考えろ」梅田は、グローブを外しながら否定した。



「あ、相手が打ってくる事ですか?」


 白鳥がそう言った時、梅田は頷いた。


「そうだ、相手のパンチがあって初めて返し技が出来る。……有馬、今マスボクシングをしたんだが、形式練習で返し技を練習をしていたのと何処が違ってたか言ってみろ」


「……先生が、何のパンチを打ってくるか分からなかったんで大変でした」


 ヘッドギアを被ったまま有馬が答える。


「形式練習は、相手の打つパンチを決めて返し技をする練習だからな。普通の実戦練習では、何のパンチがくるか分からないから返し技を狙うのは大変だ」


 有馬を除く一年生達も、理解はしているようである。梅田が話を続けた。


「お前らはまだ返し技を体で覚えていないから、それを狙うと返し技ばかりに集中してしまうんだよ。……それに、今のアマチュアボクシングルールの採点基準と短い試合時間でハイペースな試合が多い」


 健太が訊いた。

「どういう部分を採点しているんですか?」


「簡単に言えば、相手にダメージを与えたか。積極的に攻撃していたか、攻勢点という奴だ。上手く相手のパンチを避けて反撃出来たか。自分のペースで試合出来たかの四つだ」


 梅田は話を続けた。

「あくまで俺の主観だが、県大会レベルの試合で、両方のダメージが同程度だったら、二番目の攻勢点がポイントを分ける事が多い……それがどういう事か分かるな?」


「相手は攻勢点を取ろうと、手数を多く出すって事ですか?」


 健太が訊くと、梅田は頷きながら話を続けた。

「そうだ。返し技ばかりを狙って、待ちの姿勢になったら、自分から不利な条件で戦う事になってしまうんだよ」


「先生、返し技を使えないんじゃ、練習しない方がいいんじゃないですか?」

 有馬が不満顔で言った。


「俺は返し技を使うなとは言っとらんぞ。狙うなと言ってるんだ。言い換えれば、打とうと思わないで打つんだよ。返し技を打てれば、たとえ空振りしても相手を警戒させて攻勢を止められるからな」


「打とうと思わないで打てるんですか?」


 尚も食い下がる有馬に、梅田はニヤリとした顔で話す。

「反復練習をしてるとなぁ、体が勝手に打ってる時があるんだよ」



「お前らも、いつの間にか打ち始めたよなぁ」


 傍らで話を聞いていた飯島が、柔軟体操をしている二年生達へ言った。



「一度打ち始めたら、結構出るようになりましたね」

 最初に大崎が答えた。


「返し技が自然に出るようになったのは、十二月頃だったと思います」

 続いて森谷が話した時、飯島が付け加えた。


「お前ら、森谷を基準にすんなよ。コイツは二年の中じゃ一番目がいいからな。……確か大崎は二月頃だったよな」


「そうですね。初めて自然に打てた時は嬉しかったですよ。今までの形式練習が無駄じゃなかったってね」



「先生、俺には訊かないんですか?」


 大崎が答えた後、キャプテンの相沢が口を開く。柔軟体操を始めたばかりのようで、汗をタオルで拭きながらやっていた。



「あ、そうか相沢もいたんだよな。……ところでお前はいつ打てるんだろうなぁ」


「あ、飯島先生酷いじゃないですか? 勘が悪い俺も、最近やっと打てるようになんたんスから」


「ブロックしてからの左フックだけだけどな」

 大崎が横から茶化した。


「大崎、俺の武器を一年にバラすんじゃねぇよ。これからスパー相手になるんだからさ」


 冗談まじりに言い返す相沢へ、今度は森谷が笑いながら突っ込む。


「セコいなぁ、そんなにしてまで一年に負けたくないのかよ。……高田と片桐は相沢とスパーする時、打ち終わりに左フックだけ気を付ければいいぞ」


 康平と健太は相沢と体重が近い。二人は戸惑いながら笑った。



「その試合だけ見れば、左フックの返し技だけで戦った世界チャンピオンは何人かいるんだよ」


 相沢が森谷に言った後、飯島が一年生達へ説明した。


「相沢はボクシングオタクだからなぁ。試合のDVDの数は半端ないぞ」



「ちょっと待って下さい!」


 全員の視線が健太に集中する。


「相沢先輩は、最近返し技が打てるようになったんですよね。……という事はですよ。インターハイや国体予選の時は、返し技無しで戦ってたんですか?」


「……覚えが悪くて驚いたんか?」


「ち、違うんです先輩! 先輩はインターハイ予選は準決勝、国体予選では決勝まで残ったんですよね」


「あぁ、そういう事か」


 健太の話に相沢の怪訝な表情は消えた。



「避け勘の悪い相沢だが、試合のDVDで研究してる分、攻撃のパターンは二年で一番多いぞ。だから県大会でも勝ち残れたんだ。練習時間も一番長いからな」


 梅田の口許は綻んでいたが、すぐに歪みへと変わった。


「だがな、少しはその分勉強へ時間を回せ。数学は特にだぞ」


「相沢は、数学が連続して赤点だったからな。追試や補修授業をする梅田先生の身になってみろ。テストが終わった少し後に大会があるから、結構忙しいんだぞ」



 飯島に言われて、相沢は頭を掻いた。


「すんません。……ただ、今は返し技の左フックをヒントに、コンビネーションを改良中なんですよね」


「また厄介な技を考えたのか? 俺相手に使うなよ」


「お前とスパーする時に試してみるよ! ……いつも使っている技に、ちょっとアレンジするだけだからさ」



 大崎に向けていた相沢の視線が、梅田に向けられた。


「先生、今回のテストは見逃して下さい。……次の期末は頑張りますから」


「お前なぁ、将来の為に勉強もしないと駄目だぞ。……高校チャンピオンになったら年金が入る訳でもないんだからな」


 飯島が突っ込むと、二年生達が笑った。


「先生、今のは久々のヒットですね。最近は外してばかりだったんですがね」


「だろう森谷、今言った瞬間『ナイス俺』って思ったからな」


「でも先生、練習中はいつも通りつまんない冗談でいいですよ。こっちはシカトして練習に集中出来るんで」



 ゴホン!


 大崎に言い返そうとした飯島だったが、梅田の咳払いで静かになった。


「十一月の新人戦だが大崎はバンタム級、相沢はライト級、そして森谷はウェルター級でエントリーするぞ。……お前ら問題は無いな」


 返事をする二年生達の表情が引き締まった。



 梅田は続けて一年生達へ言った。


「お前ら返し技を打ちたいか?」


「ハイ!」


 四人は間髪入れずに返事をした。



「だったら明日から形式練習の方法を変えるぞ。今までは、一種類のパンチをリクエストして返し技をやっていたが、次からは二種類のパンチをリクエストしろ」


「右ストレートと左フックの二種類……とかですか?」

 有馬が質問する。


「……いや、ストレート系に返し技をする時は、もう一種類のリクエストもストレート系に統一しろ。フックとアッパーの時は、もう一種類もフックとアッパーにするんだ」


「え、どうしてですか?」


 健太がすぐに訊いた。


「片桐、ストレートを打つ間合いはどれ位だ?」


「一歩踏み込んで当たる位だと思います」


「じゃあ、その距離からフックやアッパーは当たると思うか?」


「いいえ、届かないと思います……あっ!」


「気付いたようだな。距離によって打てるパンチは変わってくるんだよ。……今のお前らは、離れた時はストレート系に対しての返し技、近い時はフックやアッパーに対しての返し技を繰り返せ。分かったな」



「二種類のパンチへ返し技の練習ですか、……スパーリングでも早く出そうですね」


「それでも出ない奴は出ないんだよ。情けない程にな」


 感心したように話す有馬へ、相沢が自嘲気味に言った。他の二年生達は、自分の事を言っている相沢を見て笑っていた。



「だがなぁ、ディフェンスの練習にもなるから真剣にやるんだぞ」


 最後は真剣に話す相沢キャプテンへ、一年生達は大きく返事をした。


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