表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/64

臆する者と開き直る者


 翌日の放課後。練習場へ入った一年生達に、梅田が話し始めた。


「お前達は今日からスパーリングを始める。前にも言っているが、二年生にはライトスパー形式でやらせるからな」


「お前達は思い切り打っていいんだぞ」


 飯島も横から口を挟んだ。



 一年生達は緊張からか、それぞれ無言で準備運動を始めた。



 四ラウンドのシャドーボクシングが終わり、最初は有馬と大崎がリングの中へ入る。



 開始のブザーが鳴った。


 両グローブを合わせた二人だったが、お互いに様子を見ていた。



「何ニラメッコしてんだ! 有馬、ドンドン左ジャブを出せ」


 梅田の怒鳴り声で、有馬が左ジャブを出す。


 だが、同時に放っていた大崎の左ジャブが有馬の顔面にヒットした。


 怯んだ有馬が少し後ろに下がった。



「ビビるんじゃねぇぞ! 構わずジャブを出すんだよ」


 再び梅田が怒鳴った。


 その声に反応した有馬は、再びジャブを繰り出す。


 だが、そのパンチは大崎が頭の位置を変えた為、虚しく空を切った。



 身長が百六十五センチの大崎に対して、六センチ程高い有馬は盛んに左ジャブを打ったが、全て外された。


 逆に大崎の左ジャブが、度々有馬の顔面にヒットしていった。



 夏休みに大学生の山本とスパーリングをした有馬だったが、その時は相手が明らかに手を抜いていた。


 山本は、有馬のブロックの上をわざと打っていたのだが、大崎は有馬の顔面を狙ってパンチを放っていく。


 相手が打ってくるプレッシャーのせいか、有馬はガチガチに力んだ状態になっていた。


 左ジャブの突き合いで分が悪い有馬は、堪らず右の大きなパンチから入っていく。


 だが、それは大崎が難なくかわした。



「そんなパンチはいらねぇんだよ! 練習通りに左ジャブを出せ」


 梅田の声で、有馬は再び左ジャブを放つ。



 一ラウンド目が終わった時、出したパンチが少ないにも拘わらず、有馬は肩で息をしていた。



 コーナーへ戻る有馬へ、梅田がアドバイスを出した。


「いいか、深呼吸しながら聴け! お前はとにかく左ジャブだ。左を突いて当たったら右左右だ。分かったか?」



「……返し技は狙わなくてもいいんですか?」


「それはまだ考えるな。打たれながらでも、左ジャブを突き続けるんだ! いいな」


 呼吸を整えた有馬が質問すると、梅田が即座に答えた。


 ずっと返し技の練習をしていたので、言い返そうとした有馬だったが、梅田は間髪入れずに話を続ける。


「理由は後で全員に話すが、返し技は絶対に狙うんじゃねぇぞ。今のお前は、大崎のパンチを食らっても左ジャブを打ち続けろ」


 梅田はそう言って、立ったまま休憩している有馬の尻を叩いた。



 二ラウンド目に入って、有馬は根気強く左ジャブを放つ。


 だが、ことごとく避けられ、逆に大崎からパンチを食らう有馬に、梅田からアドバイスがあった。


「左ジャブが伸びないぞ。ミットの時みたいに溜めを作るんだよ」



 その声を聞いた有馬は、右グローブを口から二十センチ程前に出し、左の肩と肘をグッと引いた構えになった。


 そして、右グローブを引く反動で左ジャブを放つ。


 これまでと違い、有馬の左ジャブが勢いよく伸びていた。


 だが、そのパンチも空を切り、大崎の軽く打った右ストレートが有馬の顔面を直撃した。


「構わずジャブを出すんだよ!」


 一際大きな梅田の怒鳴り声で、有馬は顎を上げながらもジャブを放つ。しかし、このパンチもかわされていた。



「いいんだ有馬。その調子で打ち続けろ」



 梅田に褒められて気をよくしたのか、有馬はすぐにジャブを打った。



 ラウンド終了まで左ジャブを出し続けた有馬だったが、全て空振りに終わった。


 一発もパンチを当てられなかった有馬は、悔しそうな顔をしながらヘッドギアを外す。



「次は高田と森谷がリングへ入れ」


 梅田の声で、二人はリングに入った。



 ラウンド開始のブザーが鳴り、お互いにグローブを合わせる。


 有馬と同様に、康平も相手のプレッシャーを感じて固まっていた。


 オーソドックススタイル(右構え)の森谷は、左グローブを胸の高さで前へ出し、緩急をつけて不規則に動かす。


 利き手の右グローブは、右のコメカミにピタリと付けて全く動かさない。


 但し、その右グローブは対峙している康平に向けられている。


 康平は、常に右パンチを狙われているような気になり、パンチを出そうにも出せない状態になったのだ。


 開始から二十秒程経った時、様子を見ていた飯島が言った。


「森谷、お前から先に打ってやれ」



 森谷の左ジャブが伸びる。


 スピードの無いパンチだったので、康平は右グローブでブロックをした。



 森谷は、戻した左グローブを大きく動かした後、再び左ジャブを放つ。


 今度は速いパンチだった為、康平のブロックが遅れて顔面にヒットした。


 顎が跳ね上がった康平だったが、森谷はライトスパーだった為か、追撃はしないで距離をとって様子を見ていた。



 森谷は再びゆっくりと左ジャブを伸ばす。


 それをブロックした康平は、忙しく動く先輩の左グローブに気を取られていた。



 その時、康平の左コメカミに衝撃が走る。


 テンプルに、いきなりの右オーバーハンドを貰ったのだ。それは、フックとストレートの中間のようなパンチである。



 たじろぐ康平に、飯島が口を開く。


「高田、お前自分から打っていかないとサンドバッグで終わるぞ。……誰も助けてくれないんだからな」


 声を荒げていないが突き放すような飯島の口調に、康平は、打たなければ打たれるという現実を実感した。


 彼は打たれるのを覚悟で、距離を詰める二発の左ジャブや目隠しワンツー等、習ったパンチを繰り出していく。


 しかし、それらは尽く空を切る。そして、その直後に森谷のパンチが康平の顔面にヒットした。


 但し、森谷はパンチを打ち抜かずに当てるだけだったので、康平にダメージは無かった。



 康平が先手で打つと、空振りした後に森谷が軽いパンチを当てた。康平が待てば待ったで、森谷は好きなようにパンチを当てた。


 康平も有馬と同様に、一発もパンチを当てる事なく二ラウンドが終わった。



 有馬もそうだったが、出したパンチが少ないにも拘わらず、僅か二ラウンドのスパーリングを終えた康平は肩で息をしていた。



 次は白鳥と大崎のスパーリングなのだが、一ラウンド休憩をすることになった。


 飯島が有馬と康平に話し掛ける。


「どうだ、スパーは疲れるだろ?」


「はい! たった二ラウンドなのに疲れます」


 有馬が答えると、ヘッドギアを脱いだばかりの康平も頷いた。


「実戦になると相手も打ってくるからな。サンドバッグやミット打ちより数段疲れるんだよ。……ところで高田と有馬は、開始から二十秒程黙っていたが、何をしようとしてたんだ?」


「あ、相手の様子を見ようと思ってました」


 飯島に訊かれて康平が答えた。


「有馬もか?」


「……はい」



「ボクシングはぶっちゃけ殴り合う競技だ。自分が殴らなきゃ殴られるんだ」



 飯島に続いて、梅田も二人に言った。


「スパーリングや試合で相手を殴る気が無かったら、その時点で負けなんだよ。分かったか?」


「はい」


 有馬と康平は返事をしたものの、先輩と実力が大きく違っていた事もあって、複雑な心境になっていた。



 休憩が終わる頃、白鳥と大崎がリングへ入った。


 開始のブザーが鳴る前、白鳥は両肘を上げて左右の肩を交互に回す。両肩の筋肉をほぐしているようだが、その仕草は不思議と違和感が無い。



 開始のブザーが鳴ってグローブを合わせた後、白鳥は前に出始める。


 白鳥は身長が百六十センチで、大崎よりも五センチ低い。


 距離を詰めようとする白鳥の額に、大崎の左ジャブが当たった。


 だが白鳥は臆する事無く、二発の左ジャブを放ちながら更に前へと出る。


 一発目の左ジャブは届かず二発目が大崎の顔面を襲う。大崎はそれを右手でブロックしながら、スーっと右後方へ蟹歩きで位置を変えた。


 向きを変えて追う白鳥に、大崎は急に左へ回りながら速い二発の左ジャブを放った。


 白鳥は両手を上げてガードをしたが、不意を突かれた為、彼の動きが一瞬止まった。


 パァーン!


 がら空きになった白鳥のボディーに、大崎の右ストレートが入る。当たった時の音が練習場に響いた。


「大崎、ボディーは強く打ってもいいぞ!」


 飯島に言われて大崎が小さく頷いた。



「今のパンチも軽く打ってたんですか? 音が大きかったんですけど」


「まぁな。あれだけいい音がするって事は、ダメージがいかないように握らないで打ってたんだろうな」


 有馬に訊かれて飯島は答えた。


「ボディーだったら強く打っても大丈夫なんですか?」


「そうだな。ボディーだったら、余程の事でもなければ深刻なダメージにはならないからさ」



 飯島が話す間もスパーリングは続いている。


 白鳥が前に出て、大崎が足を使いながらいなす展開のまま、一ラウンド目が終わった。



 インターバルの最中、飯島はリングに上がって大崎に小声で話す。


「え、いいんスか先生?」


「まぁ、残り三十秒だったらいいだろう。だが、倒しにはいくなよ」


「先生、どんな指示を出したんですか?」


 リングから下りた飯島に康平が質問した。



「大崎は、元々好戦的で打ち合うタイプなんだよ。二年の中じゃ一番負けん気も強いしな。だからラスト三十秒から打ち合ってもいいって言ったのさ」


「白鳥は大丈夫なんですか?」


「まぁ大丈夫じゃないか。……足はついていってないが、あいつは何気にお前達よりやる気満々だからな」



 飯島が答えた後、二ラウンド目開始のブザーが鳴った。


 一ラウンド目と同様に、大崎が軽いパンチを出しながら、フットワーク使って白鳥を翻弄していた。


 追い足が悪い白鳥のパンチが届かない距離で、大崎がポンポンとパンチを当てる。


 それでも前に出てパンチを出す白鳥だったが、大崎のバックステップやサイドステップで簡単にかわされていた。



 残り一分を切ったところで、大崎がフェイントを入れて左ジャブを突いた。


 このパンチも貰った白鳥が根気強くワンツーストレートを返す。


 今までのようにバックステップでかわす大崎だったが、途中でロープにぶつかった。


 白鳥が追い掛けざまに右を放つ。ツンのめるように打った為か、後ろにある筈の右足が前に出ていた。


 だが、白鳥は足の位置を直す事無く、右足が前のまま左フックを強振した。


 このパンチは大崎の右ガードに当たった。彼のバランスの悪い時に当たったのもあって、左へ大きく吹っ飛んだ。


 すると大崎は足を使わずに、前に出てパンチを打ち始めた。白鳥のガードに、右ストレート・左フック・右ストレートが強く当たった。


 吹っ飛ばされたのが勘に触ったのか、負けず嫌いの大崎にスイッチが入ったようである。


 白鳥もすぐに打ち返す。決して綺麗なフォームではないが、躊躇なくパンチを放つ。


 残り三十秒を待たずして打ち合いになった。


 大崎の連打をブロックした白鳥が、右のパンチを打った時、大崎はそれを右手でブロックをして左フックを返す。


 だが、白鳥が突っ込みながら打った為、大崎の放った左フックは白鳥の頭を抱えるような形になり、体が密着して膠着状態になった。



「ブレイク! 二人共離れろ」


 梅田の声が練習場に響き、両者は距離をとった。



「白鳥、フォームは気にしなくていいから、今みたいにドンドン打っていけ。……大崎もそのまま打ち合っていいぞ」


 リングの中にいる二人は、飯島をチラッと見て小さく頷いた。



 スパーリングが再開される。


 共に前に出てパンチを打つ為、すぐに接近戦へと移る。すると、両者の実力差が顕著になった。


 高校ボクシングで一学年の差は大きい。白鳥が僅か半年のキャリアなのだが、大崎は一年半だ。まして彼には試合経験もある。


 腰高で単発のパンチを打つ白鳥に対し、大崎は小気味よく二発から三発のコンビネーションを放つ。


 白鳥は、堅いガードで何とか防いでいた。


 大崎が、顔面への軽い右ショートアッパーから強い左ボディーブローを放つ。


 ベジッ!


 一ラウンド目に当たったボディーブローの音と違って、鈍い音が白鳥の右脇腹から発せられた。


 思わずガードが下がった白鳥の顔面に、大崎のショートストレートが二発当たる。白鳥の顎が二度跳ね上がった。



「ストーップ!」


 梅田が声を張り上げると、大崎はクルリと向きを変えてニュートラルコーナーへと歩いていく。



「ワン、ツー、スリー、……」


 梅田がカウントを数えている時、飯島が白鳥に言った。


「白鳥、スパーを続けられるんだったらガードを上げろ」



 白鳥は、何ら躊躇する事なくガードを上げている。



「梅田先生、続けていいですか?」


 飯島がそう言うと、梅田は頷いてスパーリングを再開させた。


 白鳥はためらいもなく前へと出る。


 少し驚いた大崎だったが、彼も前進した為、すぐに二人の距離が縮まった。


 コンビネーションで攻める大崎に対して、ガードを堅くした白鳥が単発で返す展開が続いた。



 大崎が軽く右ストレートを放った時、白鳥は左へダッキングして左ボディーブローを打とうとした。


 だが慣れていない白鳥は、大きく避けすぎてパンチの打ち出しが遅くなっていた。


 大崎の放った返しの左フックが、先に白鳥の顔面を捉える。



「ストーップ!」


 仰け反った格好になった白鳥を見て、梅田が声を張り上げ、そしてカウントを数える。


 すぐにガードを上げた白鳥だったが、カウントセブンを数えたところで終了のブザーが鳴った。



「二人共リングから出ろ! ……白鳥、頭は痛くないか?」


「え、あ、はい大丈夫です」


 梅田に訊かれて白鳥は即答した。


「白鳥、お前は実戦の経験があんのか?」


 リングから出た白鳥に飯島が質問した。


「……ええっと、あるって言えばある事になります」


「ある! まさか喧嘩じゃないよなぁ」


「そ、そんなんじゃないですよ」


 ニヤニヤしながら訊く飯島に、白鳥は肩で息をしながら否定した。



「飯島先生、何で白鳥が経験者って思うんですか?」


 横から有馬が割り込む。


「スパーリングを終えたばかりなのに、白鳥は興奮もしていないだろう。それで実戦馴れしてるんじゃないかって思ったのさ。……まぁ、どこで実戦したかは訊かないでおくけどな」


「……でも今日の白鳥のフォームはバラバラでしたよ」



 言い返す有馬に、飯島は笑いながら言った。


「ハハハ、確かにそうかも知れないが、白鳥はお前達よりも開き直っていたぞ。おっかなびっくりパンチを打つお前達よりはな」


「次は森谷と片桐の番だ!」


 梅田に言われた二人はリングへ入っていく。


 一年生達は、健太の相手をするのは相沢だと思っていたので意外な表情をした。相沢は、まだ誰ともスパーリングをしていない。


 二年生達は相沢も含めて、何の疑問も無いような顔をしている。



 健太はリングへ入ってからも、ゆっくりながらシャドーボクシングを続けていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ