ダブルパンチ
試合が終わり、一組メンバーは教室へ戻っていた。
ただ、麗奈と亜樹はその中にはいない。麗奈は綾香達六組メンバーと話があるらしく、体育館に残っている。亜樹は試合で足を挫いた為、保健室へ湿布を取りに行っていた。
「ゴメンな」
そう言ってガックリとうなだれる康平に、誰も突っ込む者はいない。
「最初に言ったろ! 所詮球技大会はお祭りなんだからさ。あんまクヨクヨすんなって」
ようやく長瀬が言葉を掛けた時、麗奈が上機嫌で教室に入る。
それに気付いた山根が言った。
「麗奈ちゃんどうしたの? やけに嬉しそうじゃない?」
「さっき綾香達と話したんだけどさぁ、ケーキバイキングに賭けたお金は、半々にしようって事になったんだ。亜樹をリタイヤさせたお詫びがあったみたい」
「……って事は、あの六組のハーフみたいなバスケ部員と一緒に食えるんじゃん」
野球部の山崎は嬉しそうに話す。どうやら綾香の事を言っているようである。
「そうだとすると、康平はミスって正解だって事だよ! あのままシュートを決められたら、俺達だけでケーキを食う事になってたからな。……それにしても、あの綾香ってコ可愛いかったよなぁ」
バレー部の服部もテンションが上がっていた。
麗奈は意地悪な顔をして二人に言った。
「あんた達、綾香はハードル高いわよ! 彼女はモテるけど、あー見えて筋金入りの奥手だし、それに……」
「それに何だよ?」山崎が突っ込む。
「……いや、何でもないわ。まぁせいぜい頑張んなよ」
「気になる言い方だなぁ」服部と山崎は複雑な表情をした。
「気にしない気にしない! 亜樹が来たわ。右足どうだった?」
保健室から来た亜樹が答える。
「軽い捻挫でしばらくすれば治るってさ。……試合は残念だったわね」
「それがねぇ亜樹、話が大分変わっちゃったのよ」
麗奈は綾香達と話した事を亜樹にも説明した。
「へぇー、そうなんだ。……来月始めに行く予定だったんだから、半分自腹になってもいいんじゃない?」
「小遣いも貰う事だしね」山根も同調した。
球技大会のバスケは一クラス十人ずつが出場し、六クラスで六十人が二百円を出し合っていた。そして優勝したチームが総取りするルールで密かに行われていたのである。
優勝したチームは一人千二百円が手に入り、丁度その料金であるケーキバイキングの店にタダで行く予定であったのだ。
メンバーが明るく話しているのを見て、康平も救われたような表情になり、みんなの会話の中に入っていった。
球技大会は終わり、部活が始まった。
この日は金曜日で、先輩達はボクシング場で自由練習をしている。
四人の一年生達は、第二体育館での練習である。梅田と飯島は第二体育館に来ていた。
康平と白鳥は飯島から教わり、有馬と健太は梅田の指導を受けている。
準備運動とシャドーボクシングが終わった。康平と白鳥は、二ラウンド毎に飯島の構えるミットを打つ事になっていた。
最初の二ラウンドは、普段よりも離れた所から左ジャブを二発打つ。
この練習は二週間前から行っていて、二人は踏み込みが良くなるように、右足の蹴りを意識して打っていた。
康平と白鳥は二ラウンドずつ行ったが、二人共パンチは一発も届かず、快音の出ない静かな四ラウンドで終わる。
冴えない表情の二人を見た飯島は、笑いながら言った。
「お前らそんなにガッカリするなよ! このラウンドは、わざと遠くから打たせているんだから、パンチが当たらなくてもいいんだよ。ただ、届かなくてもフォームは崩すなよ」
次のラウンドが始まる直前、飯島が再び口を開く。
「次は距離を縮めて普段のミット打ちだ! しっかり当てろよー。まずは白鳥からだ」
ラウンド開始のブザーが鳴った。白鳥がミットを打つラウンドになると、康平はシャドーボクシングをする事になっている。
前のラウンドでやった踏み込んで打つ二発の左ジャブ。相手のジャブを右手でブロックしながら放つリターンジャブ。目隠しワンツーなど、習った技を確認しながら反復していく。
相手の右ストレートを、左にダッキングして放つ左ボディーブロー。
このパンチを打とうとした時、隣で練習している女子バスケ部の麗奈が康平の視界に入った。
球技大会で、パスを避けてしまった時の悪夢がよみがえる。
(ヤバい、ヤバい)
康平は首を左右に素早く振り、それを断ち切ろうとした。
これに気付いた飯島が康平に言った。
「どうした高田? パンチを食らった時の練習なんかしなくていいんだぞ」
女子バスケ部の方から、クスクスと笑い声が康平の耳に入る。
ラウンド中は話してはいけないルールになっていたので、康平は恥ずかしさに耐えながら黙ってシャドーボクシングを続けた。
二ラウンドが過ぎ、康平のミット打ちになった。
飯島は左ミットを顔の高さで前に出し、右のミットは口の前で構えている。
飯島がこの構えをした時は、最初の二ラウンドで練習した二発の左ジャブを打つ事になっている。
まず飯島が前に出している左のミットに、一発目の左ジャブを踏み込んで当てる。
そしてもう一度踏み込み、二発目の左ジャブを飯島が顔の前に置いている右のミットを目掛けて打つ。
この二発のパンチは、一つの技として早いリズムで打つ事を強調されている。
パンパン!
ミット特有の乾いたような音が二回続けて鳴った。
飯島は一瞬眉をしかめる。
その表情に気付いた康平が不審な顔をした。そして以前もこのパンチを打った時に、飯島が同じような表情になった事を思い出す。
「いいから続けろ! 話は二ラウンドのミットが終わってからだ」
飯島は、戸惑う康平に構わずミットで構える。
その構えに反応した康平がパンチを打つ。
打ち終わると、すぐに飯島が構えている。康平は考えている間がなくパンチを打ち込んでいった。
「白鳥、お前も来い」
二ラウンドのミットが終わると、飯島は白鳥も呼んで話を始めた。
「お前らが打つ二発の左ジャブは、二発目が弱いんだよ」
康平は納得した。一発目の左ジャブはキチンと打てるのだが、二発目のジャブは惰性で打っている状態になり、ミットへ当たる左拳の感触が弱いものになっていた。
白鳥も納得したような顔をしている。
「そこでだ。二発のジャブを打つ時は、二つの点を意識しろ」
「……二つの点ですか」康平が答える。
「一つは一発目のジャブを打った時に、引きを意識するんだ。……二人共シャドーで試してみろ」
康平と白鳥は、各々言われたように二発の左ジャブを打つ。
「腕だけを引くんじゃないぞ。最初のジャブを打った時に、右へ回した肩も戻すんだ」
様子を見ていた飯島が補足する。
康平と白鳥は、話を聞きながらシャドーボクシングを続けた。
「まぁこんな感じだろ。……ミットで試すから、二人共グローブを嵌めろ。白鳥からいくぞ」
飯島は、例によって二発の左ジャブを打たせる構えをした。そこに白鳥がパンチを放つ。
パンバン!
ミットの音から、明らかに二発目のジャブが強く当たっているようである。五回繰り返した後、康平に代わった。
飯島が前に出している左ミットへ、最初のジャブを打つ。引きを意識して打った為か、二発目のジャブを打とうとした時には、既にパンチを打つ溜めが出来ていた。
打ち易い状態で、そのまま二発目のジャブを打つ。
バン!
一発目のジャブよりも強く当たる感触が、康平の左拳に残った。
白鳥と同じく五回繰り返した時、飯島が二人に訊いた。
「お前ら何か気付いたか?」
「二発目のジャブが強く打ち易かったです」
「僕もです」
白鳥が先に言い、康平も相槌を打った。
「まぁ、チョットした工夫でパンチや技の精度が変わってくるからな。……ところでもう一つ意識して欲しいのは、どうでもいい感覚で一発目を打つ事だ」
「ど、どうでもいい感覚ですか?」
康平が聞き直して、白鳥と顔を見合わせた。白鳥も不思議そうな顔をしている。
「言い方を変えれば、相手に当たらなくてもいい感覚で打つって事だよ。……お前らに一つ訊きたいんだが、今やっている二発の左ジャブはどんな時に打つんだ?」
「相手との距離を詰めたい時です」
白鳥が即答した。彼は夏休みの時に、大学生の山本からこの技の指導を受けていたので、康平よりも早く答えていた。
「お、答えが早いな。今白鳥が言った通り、お前らには距離を詰めさせる為に教えている。……ただ他にも使い道はあるんだがな」
一呼吸した飯島は、再び二人に質問する。
「そこでだ。離れた所から距離を詰める為に二発の左ジャブを打っていくんだが、一発目のジャブはどうなる時が多いんだ?」
「……届かない時が多いと思います」
康平が自信無さげに答える。
「そうだな。離れている所から打っていくから、届かない時がほとんどだ。……だったら空振りするつもりで最初のジャブを打てばいいんだよ。そして二発目のジャブを強く当てるんだ。お前らは、最初のジャブから当てようとして打ってたからな」
答えが合っていた為か、ホッとした表情の康平だったが、隣から白鳥が飯島に言った。
「だから先生は二発のジャブを受けていた時、納得出来なくて眉をひそめていたんですか?」
飯島は意外そうな顔をしたが、人が悪いような表情になって二人に話す。
「納得出来なくて眉をひそめたんじゃないぞ。……それだったらお前らには、ずっと眉をひそめてなければならないからな」
康平と白鳥が黙っているので、飯島は話を続けた。
「俺があんな表情をしたのは、別に理由があるんだよ。……一発目の左ジャブを打つ時、最初に俺が何を意識すると言った? 白鳥言ってみろ」
「引きを意識しろと言いました」
「そうだよな。……俺が悩んでいたのは、どのタイミングでそれを指摘しようかって事だったんだよ」
「そのタイミングが今日なんですか?」すかさず康平が訊く。
「まぁな。今日は、今やった練習と同じ感覚で打つ新しい技を教えるつもりだったんだよ。それはダブルパンチと言って、他の学校でもよく使われているコンビネーションだ」
ダブルパンチ!
康平と白鳥は、初めて聞く名前の技に興味津々の表情になった。
「おいおい、そんなに期待するんじゃねぇぞ。特別な事を教える訳じゃないんだからな。……ダブルパンチというのは、片手で同じパンチを二回打つコンビネーションなんだ」
「同じ手で二回打つって事は、今やった左ジャブもですか?」
康平の質問に飯島が答える。
「正確に言えばそうなるんだが、普通はジャブ以外のパンチを言ってるんだ」
「フックやアッパーの事ですか?」白鳥が確認する。
「それとストレートも含まれるな。……お前らはオーソドックス(右構え)だから右ストレートだな」
飯島は尚も話を続けた。
「ところでお前らは、最近左ボディー打ちを練習しているよな」
「はい」
「左ボディーを打った後はどうするんだ?」
「なるべく動いて、反撃を貰わないようにしてます」
白鳥が答えた。
「……それは間違ってはいないんだが、少し勿体無いんだよな」
不思議そうな顔をする二人に、飯島は話を続けた。
「左ボディーが打てるって事は、相手との距離が縮まってるんだよ。折角接近したのに動いてたら、相手に逃げられるだろ! すると、また距離を詰める事から始めなければならない。……で、欲張りな俺は、左ボディーを打った場所から追撃をさせたい訳だ」
二人は、何となく理解し始めたようである。
「右ストレートでの追撃じゃ駄目なんですか?」
康平の質問に飯島は少し考えていたが、ミットを嵌めながら再び口を開く。
「二人共グローブを着けて、軽く左ボディーを打ってみろ! まずは高田からだ」
飯島が右脇の下に左ミットを立て、左手首を右肘で押さえるような格好をした。これは、左ボディーを打たせる時の構えである。
康平がそこに左のボディーブローを放つ。
「そこで動きを止めろ! ……高田、この体勢から右ストレートを打ってみろ」
飯島から動きを止められた時の康平は、左ボディーブローを打ってパンチを戻した瞬間だった。
左ボディーが打ち易いように、飯島の右側へ頭をズラしてパンチを打った為か、重心が左へ寄っていた。
康平はこの体勢から右ストレートを放ったが、体はそのまま左へ流れバランスを崩してしまっていた。
「右ストレートでの追撃は打ちにくいです」
康平は、苦笑しながら素直に感想を言った。
「今のお前の打ち方だと、あのバランスから右ストレートは打ちにくいんだよ。……チョット待て、今言った事は忘れろよ。こ、これは後になってから教える事だからな」
飯島は慌てて言い直した。
「ゴホン! と、とりあえず次は白鳥も打ってみろ」
康平に続き、白鳥も飯島のミットに左ボディーブローを打つ。康平と同様、左ボディーブローを打った時に左側へ重心が偏り、右ストレートでの追撃は打ちにくそうである。
飯島に訊かれて白鳥も答える。
「僕も右ストレートは打ちにくいです」
「二人共、左ボディーを打った後は右ストレートが打ちにくい訳だ」
康平と白鳥は素直に頷いた。
「……とすると、どのパンチだと追撃できるんだ?」
「…………」
「ミットを受けている俺から見ると、左ボディーを打った時のお前らは左側へ重心が寄っていたんだよなぁ。……出来れば次に打つパンチで、重心を元に戻させたいんだよ」
沈黙している二人へ、飯島が助け船を出した。
「……左フックですか?」
白鳥が自信無さげに言った。
「そうだ。左フックを打ちながらだったらバランスは右に戻り易いよな。左ボディーを打った後に顔面へ左フックを打つ。……これも一種のダブルパンチなんだ。早速ミットで試すからな」
康平が飯島に呼ばれてミット打ちを再開する。
「左ボディーを打ったら、すぐに俺の顔を狙って左フックを打つんだ。……左ボディーは、いつも通りフックとアッパーの中間でいいぞ!」
飯島は、話しながら右脇の下に左ミットを立て、左手首を右肘で押さえる格好になった。
これは左ボディーを受けるミットのポーズである。
「え、左フックが先生の顔に当たってしまうんですけど……いいんですか?」
「手が三本あれば、顔面への左フックを受ける構えも出来るんだが、残念ながら俺は二本しか無いからなぁ。……左手首を右肘で押さえないと、左ボディーの衝撃が直接腹にきて俺も辛いんだよ」
尚も躊躇する康平に、飯島は笑顔で話を付け加える。
「大丈夫だって! お前らごときのパンチを貰うようだったら、俺は指導者を辞めるからさ」
「……分かりました」
康平は複雑な表情で返事をした。
バン!
康平の左ボディーブローが飯島の左ミット当たった。そして、彼の顔面に左フックを放つ。
飯島は右肘を後ろに高く上げ、右のミットを外側に向けて康平のパンチを受ける。
バン!
左ボディーブローから顔面への左フック。このコンビネーションを二十回繰り返した後、康平と白鳥が入れ替わった。
白鳥のミット打ちも終わると飯島が言った。
「空気椅子の効果が少しは出ているようだなぁ。二人共フォームはいい感じだ。……ただ二発目の左フックはもっと早く打たせたいんだよな」
「はい」
康平と白鳥は漠然と返事をした。すると飯島は悲しい顔をしている。
「……お前らそこは『どうしてですか?』って、訊かないのか?」
「え、スピードが足りないのは自覚しているんですが……」
康平は答えた後、隣にいる白鳥の方を向いた。
「……僕もです」白鳥も頷いている。
「全体的なスピードが足りないのは仕方無いんだが、俺が言いたいのは左ボディーから左フックの打ち始めを早くしたいんだよ。何故だか分かるか?」
「……何と無く分かります」
「そうか。……よし高田、答えてみろ」
飯島は、再び悲しい顔になった。
「……左ボディーを打つと、相手のガードが下がって顔面への左フックが当たり易いからです」
「残念ながら正解だ。白鳥、その為にはどうするんだ?」
「最初の左ボディーを打った時に、引く事を意識するのだと思います」
「そうだな。次に打つ時は白鳥が言った事を意識するんだ。……この打ち方は、決め打ちする時の打ち方なんだがな」
「決め打ち……ですか?」
康平が訊きたいような顔をした時、飯島は上機嫌になった。
「ん、知りたいか?」
「は、はい」
二人は同時に返事をした。
「決め打ちと言うのは、文字通り打つ前から決めて打つ事なんだ」
「あ……はい」
飯島の説明が期待はずれだったのか、二人は冴えない表情で返事をした。
「と、とにかく次のラウンドから始めるぞ」
ラウンド開始のブザーが鳴り、康平からミット打ちが始まった。
康平が左ボディーを打とうと、肩を右へ回し始めた瞬間から飯島が叫ぶ。
「引け!」
思わず肩を戻した康平だったが、左拳はグローブの重みで飯島の左ミットまで届いていた。
重くはないが、スコーンと抜けるような感触が康平の左拳に残る。
「振れ!」
飯島が再び叫んだ時、康平は既に左フックを打つ溜めが充分に出来ていた。
打ち易い体勢になっていたのもあってか、康平は思い切り左拳を振った。
バァーン!
ミットの音が体育館に響き渡る。
「よーぉしっ! いいぞ高田。もうイッチョいくぞ!」
飯島に褒められた康平は張り切り、再び引きを意識した左ボディーブローの後に左フックを強振する。
ボスン!
飯島の右ミットからキレの悪い音がした。
一回目に打った左フックと全く違った感触だったので、康平は不思議に思った。
「先生、どうしてさっきのようにイイパンチが打てなかったんですか?」
「二回目に打った左フックは、胸が開いて撫でるようなパンチになってたからだよ。胸を開くと外側に力が逃げるからな」
康平に質問された飯島は、上機嫌で答えた。更に彼は話を続けた。
「パンチの質を上げるには、俺の『だっちゅうの理論』というのがある」
「……『だっちゅうの』って何ですか?」
康平が質問をする。シャドーボクシングをしている白鳥も、動きを止めて飯島を見ていた。
「何だ、高田は知らないのか? ……流行ったのは結構前だったからなぁ。巨乳タレントがテレビでよくやってたポーズなんだよ」
康平と白鳥は、今すぐ訊きたいような顔をして飯島を見ていた。
「今は敢えて言わないでおくぞ。……今日のお前らは、ダブルパンチという武器を手に入れる日だからな。『だっちゅうの理論』でパンチの性能を上げる話は、また近いうちにするから楽しみにしてろ」
飯島はそう言ってミット打ちを再開した。
練習が終わり、帰ろうとしている康平と白鳥に、飯島が話し掛けた。
「お前ら、俺に質問したい事はないか?」
「先生、どうしたんですか? 今日は質問をせがんでいるようなんですけど……」
康平が話すと飯島は真顔で答える。
「今日はなぁ……うちのカミさんと口喧嘩して、コテンパンにやられてきたんだよ。ボクシングの試合で言ったら、担架で運ばれて病院行きのケースだ」
二人は、どう答えたらいいか分からず黙って聞いていた。
「うちのカミさんの言葉には、殺傷能力でもあるんだろうな。……実はなぁ、俺は世の中に必要とされていないんじゃないかって思う程落ち込んでたんだよ」
困惑した表情の二人に、飯島は構わず話を続けた。
「お前らが俺に質問してきた時、俺は世の中からまだ必要とされてるんだと思って嬉しくなっちゃったんだよ。俺の気分をよくする為に、お前らを利用した感じになってしまったんだが……まぁ許してくれ」
「先生も頑張って下さい」
康平と白鳥は心から激励した。口下手な二人は、他人事とは思えないようだ。
最後に飯島が言った。
「お前らはもうすぐスパーをするんだが、先輩達とはキャリアも違うし、やられて当たり前なんだからな」