強くなりたかったら走れ
大会が終わって二日後から、一年生達だけの練習が始まった。試合をした先輩達は、もう三日休む予定である。この日は梅田だけが練習に来ていた。
一年生は、いつものメニューで練習をしていた。
シャドーボクシングが終わり、サンドバッグ打ちへ移ろうとした時、突然梅田が竹刀を壁際に置いてサングラスを外した。
そして梅田は四人に指示を出した。
「有馬はリングに上がれ。他の奴は、サンドバッグを打たないでシャドーを続けていろ」
梅田は、ミットを嵌めながらリングに上がった。
有馬もリングに上がった。少し緊張しているようである。
開始のブザーが鳴った。だが、梅田はミットを構えないで有馬に説明した。
「いいか、俺との距離を一定に保て! 俺の動きに合わせてお前も動くんだ」
梅田が下がり、有馬が前に出る。
「ダメだダメだ。いいか有馬、前に行く時は前足はつま先から着地しろ。そしてベタ足になる。……例外もあるが、今は基本の段階だ。つま先からの着地を徹底しろ! ……お前らもだぞ!」
梅田に言われて、他の三人も真似をした。
梅田はラウンドの終了ブザーがなるまで下がり続け、有馬に前進させた。
次のラウンド、今度は梅田が小さく前に出る。有馬はそれに合わせてユックリと下がった。
梅田が有馬に言った。
「下がる時は前足で蹴って大きく下がれ。最初は跳ぶような感じでもいいぞ。その後はすぐにパンチを打てる体勢を作るんだ。他の奴もやってみろ」
リングの外にいる康平達も、有馬を真似てバックステップをした。
梅田は三人の様子も見ている。そして全員に言った。
「いいか、バックステップをする時は中途半端に下がるんじゃねぇぞ! 踏み込みのいい相手だと打たれてしまうからな」
このラウンドは全員前後のステップを繰り返した。
三ラウンド目、有馬は梅田に合わせて左右に動く。
これは四人共最初の頃に習っていた。右へ動きたい時は右足から、左へいく時は左足から踏み出していた為、梅田は何も言わなかった。
次のラウンド、有馬は梅田に合わせて前後左右に動く。
その後、他の三人も交代でリングに上がり、梅田に合わせて動く練習を二ラウンドずつ行った。
梅田はミットを嵌めているが、パンチを一発も打たせないラウンドが続いた。
終わって梅田が全員に話した。
「お前ら、今までのメニューで構えだけのラウンドは、前後左右の動きに変える。但し、六対四のバランスは徹底しろ」
梅田の話はここで終わらない。
「お前ら今から本当のミット打ちだ。もう一度有馬からリングに上がれ」
梅田は再びリングに上がった有馬へ、ミット打ちのルールを説明した。
「片手で構えたらジャブだ。それは右手も左手も関係ない。両手で構えたら、ワンツーだ。両手を重ねて構えたら、後ろの手のストレートだ。やってみろ」
梅田がゆっくり右手を上げて構える。有馬はオーソドックススタイル(右構え)なので、左ジャブを打った。
今度は梅田が両手で構えた。
パパーン!
ワンツーストレートの当たる音がした。
そして、両手を重ねて構えた梅田に有馬の右ストレートが伸びる。
ミットの構えに反応して打つので、梅田は何も言わない。
終了のブザーが鳴り、無言のミットが終わる。インターバル中に梅田が有馬へ言った。
「次もルールは同じだが空振りさせる。だが、たまに当たるかも知れんぞ」
開始のブザーが鳴った。
有馬は構えた所に打つのだが、梅田が当たる瞬間にミットの位置をズラすのでパンチは虚しく空を切る。
有馬はパンチを殆ど外されて疲れたのか、軽く打ち始めた。手抜きのパンチである。
梅田はそれを見抜き、パンチを外すフリをしてミットで受けた。手打ちのパンチなのでシケた音がした。
「気の抜けたパンチを打つんじゃねぇぞ!」
梅田はそう言って、有馬の頭をミットで叩いた。
スパーン!
このラウンド、一番いいミットの音が出た。
終了ブザーが鳴り、梅田が再び有馬に言った。
「有馬、もう一ラウンドだ。なるべく鼻で深呼吸しろ」
疲れた様子の有馬だったが、ミットで頭を叩かれたくないのか、無理をして深呼吸をした。
三ラウンド目のミット打ちが終わった時、有馬は肩で息をしていた。だが梅田をチラっと見て、鼻での深呼吸に変えた。
他の三人も、同じように三ラウンドずつのミット打ちを行った。
そして白鳥と康平が一発ずつ、健太は二発を梅田からミットで頭を叩かれ、練習場に快音を響かせていた。
一年生達は、どのパンチが当たるか分からない緊張からか、身体よりも精神的な疲労で参っているようだった。
続けて合計十二ラウンドをミットで受けていた梅田は、汗を滴らせ鼻で深呼吸しながら言った。
「相手と戦う時は空振りも多い。空振りしてもいいように強く打つのが実戦的なパンチだ。分かったか?」
「はい」
一年生達も、鼻で深呼吸しながら返事をした。
その後の練習はサンドバッグ打ちへと続いたが、最後の柔軟体操が済んでようやく長い部活が終わった。
康平達は、次の日も梅田から集中的にコーチを受けた。
この日一年生達は、初めてディフェンスを習った。
それはブロッキングだ。文字通り、相手のパンチをブロックして防ぐ防御である。
一見地味なディフェンスで簡単なようだが、梅田からの注文は多い。
「ただガードを上げるのはブロックじゃねぇんだよ」
「手首をグッと曲げて拳を額につけろ。そうすれば顔に衝撃が来ないぞ」
「ブロックする時は、もっと首を引っ込めろ! 打たれる面を小さくするんだ」
その後ミット打ちが始まった。今回は康平からである。
昨日の空振りミットに加え、梅田がミットで康平にパンチを打った。
しかしパンチと呼べる程のスピードはなく、康平が反応出来るようにユックリと打つ。
ただ梅田は、押すように打つので、雑なブロックをした康平はガードが壊されてしまっていた。
スパーン!
その時梅田は、目にも止まらね早さで康平の頭をミットで叩いた。痛くはないが、ミット特有のいい音がした。そして梅田が言った。
「腕だけでブロックするんじゃねぇぞ。パンチを受ける瞬間、腰を下に押し付けながら体全体でブロックするんだ!」
五ラウンドのミット打ちが終わった。康平は両手をリングのロープに掛け、肩で息をしながらグッタリしていた。
「疲れた態度をするんじゃねぇ!」
梅田の罵声が飛んだ。彼は続けて全員に言った。
「お前らも練習中は、疲れた態度をするんじゃねぇぞ。ボクシングは誰も助けてくれる奴はいねぇスポーツだ。練習中は全てヤセ我慢しろ!」
四人は急に背筋が伸び、大きく開いた口は真一文字に綴じた。そして鼻で深呼吸をする。
その後、三人の一年生はそれぞれ五ラウンドずつ、梅田は十五ラウンドのヤセ我慢をする事になる。
全ての練習が終わり、帰る前に白鳥が梅田へ質問した。
「先生、前進する時は何故つま先から着地するんですか?」
「踵から着地した場合は、前足の位置が不安定になるからだ。すると、ストレート系のパンチが打ちにくい。今のお前らのバランスは安定していないから、実感は無いかも知れんが、今は俺達を信じて言われた通りにしろ」
「はい、分かりました」
返事をした白鳥だったが、質問とはいえ、無口な彼が自分から話すのは珍しい。この前の大会で黒木を見て、危機感を持ったのであろうか?
練習が終わった時、梅田は一年全員に言った。
「お前ら、強くなりたければ朝走ってみろ。まだ全員下半身が弱い。ゆっくりでもいいし短い距離でもいいから、毎朝走り続けたら必ず強くなる。但し、自分が走っている事は誰にも言うな!」
「誰にも……ですか?」健太が訊いた。
「そうだ! ……まぁ、一人位ならいいだろう。今まで自分がやった事をベラベラ喋る奴で、強くなったのはいなかったからな」
「……他の部活のように、学校では走らないんですか?」
今度は康平が質問をした。
「俺と飯島先生は、お前らを学校で走らせる事はしない。ランニングは一人でも出来る練習だからな。……ちゃんと走っているか分かっているのは、自分だけだって事だ」
黙っている一年生達の様子を見ながら、再び梅田が口を開いた。
「部活で走らせるのは時間が勿体ねぇんだよ。部活の時間に一人で出来るランニングをして、無駄に体力を使わせたくないしな。お前らは、二年ちょっとで覚えなければいけない事が沢山ある。……試合に勝つ強いボクサーになる為には、高校の部活なんて長いようで短いんだよ」
今度は有馬が質問した。
「俺達、走っていれば黒木や坂田みたいな奴に勝てるようになるんですか?」
「それは分からん。……奴らも人一倍練習してるからな。頑張っても、必ず勝てるとは限らないのが勝負の世界だ。今時点で他人と比較なんてするんじゃねぇ。自分の向上だけ考えろ。……大体なぁ、強いボクサーは朝走って当たり前なんだよ」
「……練習有難うございました」
四人は、複雑な表情で挨拶をして帰っていった。
家に帰った康平はすぐに部屋へ戻り、目覚まし時計のアラームを朝五時と六時半にセットした。六時半は、普段康平が起きる時間である。
明日の朝に走るか康平は決めかねていた。
夜の十一時になっても彼はなかなか眠れず、明日の朝の事はどうでもよくなっていた。
(朝、五時に起きれたら走ろう)
朝五時、康平は比較的大きな目覚ましのアラームで目が覚めた。
梅田が、走るのはゆっくりでも短くてもいいような話をしていたので、康平は軽いジョギングを始める事にした。
康平の家から、東は健太の家の方角で、北は裕也の家の方角である。
彼は、ゆっくり走っているのを誰にも見られたくないので、南西の方角に向かって走り始めた。
六月中旬のこの時期、朝五時でも明るい。
バイクに乗って新聞配達をする人。
朝の散歩をするお年寄り。
見るからに健康の目的で走っているオジサン。
擦れ違う人は少なく、通学時のせわしい感じはない。街全体がのどかなオーラを発している。
三キロ程度のジョギングだった。朝走るのは初めての事だったので、康平は意外な程疲労を感じていた。
家に戻った後急いでシャワーを浴び、朝食と歯磨き、今日使う教科書の入れ替え等、いつもの通学前のノルマをこなしていく。
家から駅に向かう途中、康平は健太と出くわした。
お互い、『走る』という単語を避けながら話をする。健太が先に口を開く。
「……俺さぁ、今気になってるコがいるんだよ」
「えっ?」
「内海綾香ってコなんだけどな。同じクラスで、ハーフみたいで結構可愛いんだ」
「お前は俺より面白いし明るいムードを作れるから、お前次第でうまくいくんじゃねぇの?」
康平は健太に言ったが、彼の欠点を知っていた。
どうでもいい事は器用にこなせるが、肝心な事は消極的になってしまうのだ。
その事は健太自身も薄々感じていた。
康平も健太の応援をしたいが女子のネットワークには乏しく、彼自身も女子に勇猛果敢なタイプではないので、見守ってやるしか出来ない分野だった。
健太は康平の表情を見て故意に話題を変えた。
「康平の一時間目は何をするんだ?」
「体育だよ……!」
康平は、今日の朝から走った事を後悔した。
この日の体育は、タイムを計る長距離走だったからである。
夕方の部活。先輩達は右手を骨折した清水を除いて、予定より一日早く練習に戻っていた。
先輩達は、次のインターハイ地方大会や国体県予選に向けて練習をしたいらしい。
どこの部活でもそうだが、試合に出る選手の練習が最優先される。
ボクシング部も例外ではない。
二日前に前後左右の動きを習った一年生達は、リングを使えず、鏡の前で他人の足を踏まないように気を使ってシャドーボクシングをしている。
康平達は、仕方がないと思いながらも練習場を狭く感じていた。
この練習場は、梅田がこの学校に赴任してから無理やり増設してもらったもので、既存の建物の間にプレハブ状の小さな建物が割り込んでいる。
この日は、梅田の他に飯島も練習に来ていた。二人の先生は何やら相談している。そして梅田が一年生全員を呼んだ。
「お前らは今日から違う所で練習をする。俺について来い」
梅田はそう言いながら竹刀を置き、グローブとミット、そしてストップウォッチを持って練習場を出ていく。四人の一年生達も梅田についていった。
二十メートル程歩くと、第二体育館に着いた。
この学校には二つの体育館がある。第一体育館は普段体育に使われ、室内で練習する殆どの部活もそこで行われている。
第二体育館は第一体育館の四分の一程度の大きさで授業では使われず、放課後だけ女子バスケ部専用の練習場所になっていた。
その中には、バスケ部で使用していない中途半端な空きスペースがあった。
梅田が全員に言った。
「お前らはここで交代で練習に来る。まず有馬と白鳥はここに残れ。片桐と高田は練習場でシャドーをしていろ。有馬はミットが終わったら片桐を呼びに行け。分かったな?」
「ハイ!」
全員が返事をして、康平と健太は練習場に戻っていった。
戻った二人は鏡の前で練習を再開したが、四人の時よりも場所に余裕が出来て動き易くなっていた。
それから四ラウンドが終わると、有馬が練習場の中へ戻った。
「健太、次はお前だ。頑張れよ」
有馬は、荒い息遣いのまま意味深な一言を発し、健太と交代した。
健太は第二体育館へ走っていった。
更に四ラウンドが経過し、白鳥が康平と交代しに来た。
白鳥は何も言わないが、元々赤い顔が更に赤くなって息を切らしている。大変そうなのが康平にも分かった。
康平も腹を括って第二体育館へ向かった。
彼がそこに着くと、すぐに健太からストップウォッチを渡された。
体育館にはボクシング用のタイマーが無いので、康平がシャドーボクシングをしながらタイムキーパーも兼用するという事だった。
休憩時間の一分が過ぎ、康平はブザーの変わりに声を出す。
「はじめ!」
康平は、シャドーボクシングをしながら健太の様子を見た。
昨日と同じようなミットだが、梅田がすぐにミットで構える為、健太は早いテンポでパンチを出す。
昨日の倍位のパンチを出していた。
また、ブロックさせる為にミットで打つ梅田のパンチが速くなっていた。
そしてブロックが雑だったり、パンチを打つ反応が鈍い時は、梅田のミット攻撃が容赦なく健太の頭を襲った。
スパーン!
「教わった通りにブロックするんだよ」
スパーン!
「ぼーっとしてんじゃねぇ!」
ミットの快音と梅田の罵声が体育館中に響き渡る。
健太のミット打ちが終わり、康平の番になる。彼もまた、梅田のミット攻撃と罵声にまみれた四ラウンドとなった。
この日、ボクシング部の一年生達は、女子と同じ空間で練習出来る悦びを味わうどころか、ミットで散々頭を叩かれ、罵声を浴び続ける恥ずかしい練習となった。
ジョギングを始めた康平だったが、まだ毎日やるとは決心していない。
但しルールは二つ決めていた。
目覚ましのアラームを二回セットし、一回目のアラーム(五時)で起きれば走る。
雨の日は、走らない。
夜遅くまで起きていた日でも、他の一年生達も走っていると思ったからであろうか、康平は不思議と五時には目を覚ました。
梅雨全線も今年は横着しているのか、雨がなかなか降らず晴天が続いた。
康平は連日走ることになった。
十日程ジョギングは続いたが、さすがに康平も疲れを感じていた。
金曜日の六時間目、数学担当の教師が休みの為、代わりに梅田が授業をする事になった。
康平は、いつも以上に真剣に授業を聴いていた。
梅田が普通の格好で、部活の時より優しく教える事。
苦手な数学である事。
ジョギングの疲れが溜まっている事。
彼は色んな要素が絡み合い、ついウトウト眠ってしまった。
康平は、頬にザラザラした感触で目が覚めた。
梅田が、康平の頬に数学の教科書を当てていたのだ。
ハッと我に返った康平は、体を硬直させて下を向いた。
「俺の授業で寝るたぁ、いい度胸だなぁ……おい」
梅田はそう言って、教科書で康平の頭を叩く。
バーン!
凄い音が教室中に鳴り響く。
クラスメートは、全員見てみぬフリをしている。
しかしその後、梅田は何事もなかったように授業を進めた。
授業が終わり、前の席に座っている亜樹が康平に話し掛けた。
「悲惨だよねぇ。部活でも叩かれて、授業でも叩かれて……」
「え、何で知ってんの?」
「あたしの友達、部活でバスケやってるから、たまにバスケの練習を見に行ってるんだ」
「ゲッ! 亜樹には恥ずかしいトコばっか見せてんな」
苦笑した康平に、亜樹は笑いながら否定した。
「そんな事はないよ。私、中学二年でバスケ辞めたけど部活自体は楽しかったのよねぇ。今は自分で決めた事だけど勉強漬けでしょ! 気が滅入った時はバスケ部の練習を見て、頭の中で青春を謳歌させてるってワケ!」
亜樹は更に話を続けた。
「それでも少し寂しい気持ちにはなるのよね。……そんな時、君達が梅田先生にシゴかれている所を見たんだ」
「俺達情けなかったろ?」
「そんな事ないよ。逆に凄い勇気を貰ったんだ」
「ウッソでぇ」
「ホントだよ! テスト休みも貰えず毎日あんなに怒られながら頭を叩かれて、私より灰色な青春をおくっている人もいるんだなぁって思ったら、また勉強を頑張る気になったのよね」
「それは、よぉござんしたねぇ」
亜樹が話題を変えた。
「テスト休みが無いって言えば、君今回の期末ヤバくない? この一週間授業中眠っている時が多いよ」
「それはまずいかも……」
康平は素直に認めた。亜樹はクスリと笑って康平に言った。
「だったら土日は、こっちの図書館へ来なよ。康平が寝てた時のノートも貸してあげるからさぁ」
「何か悪いなぁ。亜樹には助けて貰ってばかりで……」
「いやいや、そんな事は無いですわよ。君達のお陰で勉強がはかどってますからね」
「俺達の身を削ったパフォーマンスでか?」
「明日さぁ、友達も図書館に来るんだけど……いいかな?」
「別にいいよ。こっちが世話になる方だしさ。俺の方も、友達呼びたいんだけど……いい?」
「多分、この前いた健太君だよね。私、テンション高いコって得意じゃないんだけど……。ま、いっかぁ。彼にも勇気を貰っている事になるんだろうし」
「ワリィな。明日、灰色の青春をおくっている者同士で来るからヨロシク頼むよ」
「ちょっとー! 私の言った事を根に持ってない?」
土曜日。康平はこの日も早朝にジョギングをした。
ボクサーが朝走る事をロードワークと呼んでいるが、康平の場合はまだジョギングのレベルである。
それでも康平には辛いトレーニングだった。
しかし、土曜日は学校が休みで部活は九時からである。時間的に余裕がある為、康平は片道の距離をもう一キロ増やしていた。
往復五キロになり、康平はかなり疲れたが、自分は頑張っているという満足感が少し沸いていた。
部活へ向かう為に駅へ着いた康平は、健太を待っていた。
昨日彼の家へ電話をし、部活の帰りに永山高校の近くの図書館で勉強しようと約束していた。
電話越しでは健太が乗り気でなかったようだったので、康平は心配になり、もう一度朝に電話して駅で待ち合わせる事にしたのだ。
健太が少し遅れて駅に着く。部活用のバッグがヤケに膨らんでいるので、勉強する道具は持ってきたようである。
康平は安心した。
電車の中で、健太は気が重そうに言った。
「あまり気が乗らねぇんだけど……」
「まぁそう言うなって」
「一緒に勉強するのは、あの山口亜樹って奴だろ。美人だけど高飛車そうで苦手なんだよな」
どうやら健太と亜樹は、お互いを苦手としているようである。
「大丈夫だって! あいつ見た目よりいい奴だよ。それに、もう一人来るって言ってたしさ」
「そもそも何でお前が山口と仲いいんだ? あの入学早々ビンタした奴だろう」
亜樹は入学早々、しつこく言い寄って来た男を廊下でビンタをし、一時学年で話題になっていた。
「……向こうからよく俺に話し掛けてくんだけど、正直俺もよく分かってねぇんだよ。ただ、最近助けられてっから……。まぁ、友達の一人だよ」
「まあ、お前の友達は俺の友達みたいなもんだからな」
健太は、康平の歯切れの悪い返答にも敢えて突っ込まず、臭い台詞で締めくくった。
学校に着いて部活は始まったが、康平は体に違和感を覚えた。
体に力感がなく、いつもよりパンチが遅い。そして何より体がダルい。
一年生達のシャドーボクシングを見ていた梅田は、康平達が聞こえるようにワザとらしい独り言をいった。
「俺が選手だったら、午前中に練習がある土曜日の朝に走ることはしないなぁ。……それと毎日走れと言われても週に一日は休むなぁ」
走っている事を誰にも言うなと言った手前、梅田なりに助け船を出しているようだ。
この日一年生全員は、ゆっくりシャドーをメインに軽めの練習をする事になった。
どうやら動きが重いのは、康平だけではないらしい。
こうしていつになく平和な練習が終わり、康平と健太は永山高校の近くの図書館へ向かった。




