みんなの練習
次の週の水曜日、康平は亜樹と一緒に市営体育館で練習に励んでいた。もちろん球技大会の為、バスケの練習である。
この日はパスをもらった康平がすぐにシュートをするという練習をメインに行っていた。だが先週とは違って、パスを出した亜樹が康平のシュートをディフェンスする形式になっている。
相手がいるとどうしても慌ててしまう康平は、とてもシュートをしたとは言えない方向にボールが飛んでしまっていた。
「私を気にしないで打って」
「シュートは入らなくてもいいんだからね」
シュートを失敗する度に亜樹は根気強くアドバイスをしたが、何度繰り返してもシュートらしいシュートを打つ事ができない康平だった。
「上手くできなくてごめんな」
「康平に経験がないから、慌ててしまうのは仕方ないよ。……康平、今ディフェンスしないからシュートしてみてよ。ユックリでいいからね」
康平は、先週亜樹に習ったフォームを確認しながらユックリとシュートを打つ。
ボールはバックボードからリングに当たり、康平逹の所へバウンドしながら戻ってきた。
「慌てなければ康平はいいシュートを打てるのにね。だけど、今の段階でもホンの少しはチームに貢献出来そうなんだよね」
「俺みたいな下手くそが? ムリムリ、だってバスケは相手がいるスポーツだろ! ディフェンスされたら変なシュートしか打てないしさ」
「ディフェンスされたら……だよね。もしノーマークだったら康平はいいシュートを打つでしょ。すると誰かが君をマークをしてくると思うの。でもそのおかげで、他のメンバーの負担が少なくなるんだから、それだけでもチームに貢献してると思うよ」
「そんなもんかなぁ。……でもそう言ってくれると気が楽になるよ」
「康平を含めてバスケが苦手だって思っている人には、スリーポイントのラインからシュートを打たせる作戦だって先週言ったよね?」
「ん? 言ってたけど、理由は聞きそびれたんだよな」
「私の方こそ言いそびれちゃってゴメンね。うちのクラスでスリーポイントを打つ役目の人は、君も入れて四人いるんだけどね」
「すると、俺の他に下手な奴が三人いるってわけだ」
「……その四人からスリーポイントを打ってもらうんだけど、その役目の人にマークが付くと相手チームのディフェンスがバラけるでしょ?」
「俺達ゴールから遠い位置にいるからね」
「その時は、バスケをある程度出来るメンバーがゴールに切り込んでいくんだ」
「俺達にマークが来なかったら?」
「その時は康平逹にシュートを打ってもらうよ」
「そっか。そのコボレ球を亜樹と麗奈が拾うんだね。……でも上手くいくのかな?」
「分からないわ。でも、上手くいくかどうか別にして私はこの作戦が好きよ」
亜樹の言葉に康平は不思議そうな顔をした。
亜樹は話を続けた。
「話はズレるけど球技大会でのバスケって、バスケが出来る人だけが試合をしてるって感じなのよねぇ」
「あ、それ分かるよ。経験者とか運動神経がいい奴ばかりにボールが集まるんだよな」
「そうなのよ。だから勝ってもあまり喜んでいない人もいるんだよね」
「今の作戦だと、俺達みたいな下手なメンバーにもボールがくるからな」
「正直な話、勝ち負けはあまりこだわっていないんだ。メンバー全員が球技大会を楽しめればいいかなって思ってるんだけど、皆には内緒だよ!」
「アハハ、特に麗奈には内緒にしておくよ。一番勝負にこだわっていそうだからな」
「でもね、麗奈も、バスケに慣れないメンバーが楽しそうに練習しているのを見て、凄く喜んでたんだよね。……康平、何笑ってんのよ」
詰問する亜樹の前で、康平は何やらニヤついていた。
「あ……いや、亜樹は優しいなぁと思ってさ」
「何よイキナリ」
「だって俺達を下手って言わないだろ! ここで練習始めた時から一度も言ってないよな」
怒ったフリをしていたような亜樹だったが、急に真顔になった。
「言わないようにっていうか、思わないようにしてるよ。球技大会と言っても、チームメイトだからね」
「団体競技って経験無いから分からないけど、そういうもんなの?」
「康平は中学の時卓球部だったんだよね。これは私が勝手にやってる事だから、君は気にしなくていいからね。ミニバスの頃からだけど、メンバーを悪く思わないようにしてるんだ」
「それは、チームが勝つ為の秘訣?」
「そんな大層なものじゃないんだけど、一種の自己満に近いのかなぁ。……でもそうやって試合に臨むと、試合中はメンバーと一体になっているような気がするんだ」
「何となく分かるような気はするけど」
「別に康平が悩む必要ないよ。さっきも言ったけど、私が勝手にやってる事だからね。……それに康平が『下手』って言ったメンバーは、今までバスケの練習をした事がないだけで、最近結構上達してるんだよ。もちろん君も含めてね」
「そうなんだ。……でも俺、他の三人に悪い事言ってたんかなぁ。……『下手』ってさぁ」
「別に本人の前で言った訳じゃないんでしょ! でも悪いと思ったら、これから言わなければいいのよ」
今度は、言い終わった亜樹がクスリと笑った。
「俺、変な事言ったかな?」
「何も変な事は言ってないわ。……ただ康平は、真面目なんだなって思っただけだよ」
「と、とりあえず練習の続きをしようぜ! 六時半になったら、また人が来るんだからさぁ」
「そうね! 真面目な康平君には、こっちもしっかり教えないとね。あ、悪いけどそこのボール頂戴!」
照れている康平を見てもう一度小さく笑った亜樹だったが、ボールを貰った瞬間から彼女も真面目な顔になっていった。
「バスケの話に戻るけど、康平には、もう少し活躍して欲しいのよねぇ。……専属コーチとしてはね」
「ディフェンスが来ても、慌てなければいいんだよな」
「でも、簡単にはいかないでしょ!」
「ま、まぁな」
「康平は、いいフォームでシュートを打てるようになったんだけど、……私がディフェンスすると、フォームが崩れてんのよね」
亜樹はしばらく思案していたが、再び口を開いた。
「康平、シュートを打つ時はフォームだけを意識してね! ボールは変な方向にいってもいいからさ」
康平にパスを出そうとした亜樹だったが、動作を止めてもう一度念を押す。
「ボールはボードに当たんなくてもいいからね! 習ったフォームで打つ事だけに集中してみて」
小さく頷いた康平へ、亜樹がパスを出す。
ボールを貰った康平は、フォームを確認しながらシュートを打ったが、ボールはボードにも届かず、 亜樹のブロックに遮断されてしまっていた。
「簡単にブロックされちゃったな」
康平は、苦笑しながらボールを拾いにいった。
「君がフォームに集中してた証拠だよ。次はもう少し早く打ってみよっか。パスを貰った瞬間に、膝を曲げる感じでシュート体勢に入ってみて!」
もう一度パスを受け取った康平がシュートを打つ。
ボールは亜樹の頭上を越えていった。だがバックボードには当たったものの、リングには当たらずにコートへ勢いよく跳ね返る。
リバウンド出来るシュートが打てなかったので、満足出来なかった康平だったが、亜樹は意外にも上機嫌になっていた。
「いい感じだよ! 繰り返し練習したら何とかなりそうね。……ボールは私が取ってくるから康平はシュートのイメージしててね!」
シュート練習は何度も繰り返されたが、ボードからリングに当たったのは半分程度だった。
康平は自嘲気味に呟く。
「上手くはいかないもんだな」
「そんな事ないよ。上出来上出来! ……またバドミントンの人達が来たみたいだから、もう終わりにしよ!」
笑顔の亜樹は、康平の肩をポーンと弾むように叩いた。
三日後の土曜日の午後、ボクシング場は康平達一年生が独占していた。
本来、一年生も土曜日の午前中に練習をするのだが、今月は集中的にコーチを受ける為、先輩達と練習時間をずらして行っていた。理由は、来月から始まるスパーリング(実戦練習)の為である。
康平と白鳥は、いつものように飯島のコーチを受けながら、頭を振りながら前に出る練習とダッキング(屈むような防御)からの返し技をメインに練習を進めていった。
練習も終わりに近づき、補強運動(筋トレ)に差し掛かった頃、康平が飯島に質問した。
「先生! ケンケンはボクシング場が狭いから、第二体育館でしなきゃいけないのは分かるんですけど、空気椅子は別にこっちでやってもいいんじゃないんですか? 場所も使わないですし」
康平を見て白鳥も頷いている。
飯島は腕を組んで考えていたが、ニヤリとしながら質問に答えた。
「いや、やっぱり第二体育館でやろう! これはお前達の為なんだよ」
話を聞いた二人は、不思議そうな顔をした。
「ボクシングの上達に何か関係するとか……ですか?」
「まず無いな!」
白鳥の問いにキッパリと否定した飯島は、再びニヤリと笑って話し出す。
「俺は教師である前に人生の先輩なんだが、お前らに俺の持論を押し付けるつもりだ」
「どんな持論なんですか?」
気が乗らない表情で康平が訊いた。
「男はなぁ、女の子の前で恥ずかしい思いをする程成長できるんだよ。お前らは、俺から見るとムッツリタイプだからな。まぁこれは強制だ!」
困った表情になった康平と白鳥だったが、
「康平、先に行ってるよ」
と言って、白鳥が一人第二体育館へ向かっていった。もちろん、ケンケンと空気椅子をする為である。
「ん、珍しいな。いつもだと、ケンケンと空気椅子は二人一緒に始めるだろ?」
「女バスの前だと、一人であれをやるのは恥ずかしいんですよ。今日の女バスは、午前中で練習が終わってますからね」
飯島の話に答えた康平だったが、第二体育館へ行ったはずの白鳥が練習場へ戻ってきた。
「どうした白鳥! 第二体育館は誰もいないはずだろ?」
「先生! 僕もそのつもりで行ったんですけど、バスケ部でない人達がいたんで戻ってきたんです」
「白鳥、俺も今からケンケンだから一緒に行こうぜ!」
康平は、白鳥と共に第二体育館へ向かった。
中では、康平のクラスメートがバスケの練習をしていた。球技大会でバスケに出るメンバーである。九人いるので、康平以外のメンバーが全員参加している事になる。
「おーい康平、お前も入ってこいよ」
クラスの男子に誘われた康平だったが、練習中だと断った。
「康平達は、またアレやるんでしょ? 皆、こっちで練習しよ!」
康平と白鳥がケンケンを始める事を知っている麗奈は、意外にも練習場所をズラして二人に協力していた。
「ボクシングの練習なんて、俺初めて見るよ」
「何か変わった練習よね」
注目されながら、壁に沿ってケンケンをしていた康平と白鳥は、恥ずかしさのあまり普段よりも一層顔が赤くなっていた。
「あっちはまだ部活なんだからさ、こっちは邪魔しないように練習しよ!」
「麗奈の言う通りよ、シュート組は私と一緒に練習再開ね!」
康平達を見ていた七人だが、麗奈と亜樹に諭されて練習に取り掛かっていた。
十往復程ケンケンをした二人は、右足の蹴りを意識しながら左ジャブ二発のシャドーボクシングを繰り返す。
「もう、コートは思う存分使えるわね! また試合形式で始めるわよ」
「麗奈は、あの二人の練習メニューを知ってるみたいね」
「まぁね! ボクシング場が狭いから、一年生達はここで練習してる時が多いのよ」
女子メンバーから訊かれた麗奈は、練習している二人を見ながら答えていた。
「お、ボクシングらしい練習してんじゃん! 康平、スパーリングとかって叩き合うやつはヤンナイのかよ?」
男達に訊かれた康平は、苦笑しながら手でやらないゼスチャーをした。
彼らはボクシングに興味があるらしく、康平達の練習を見ながら真似をしている。
だが、一向に左ジャブ二発のシャドーボクシングしかしない二人に見飽きたのか、バスケの練習を再開した。
康平達が空気椅子を始める頃には、試合形式の練習になっていた。
メンバーの練習が気になっている康平は、空気椅子をしながら彼らの様子をじっと見ていた。
試合形式と言っても、攻撃側と防御側に別れてコートの半分だけを使っているようである。全部で九人しかいないので、攻撃側は五人、防御側は四人の組み合わせだ。
コートのセンターライン辺りから、麗奈がドリブルをしながらユックリ進む。防御側はゾーンディフェンスで待ち構えている。
麗奈が小柄な男へ素早くパスを出した。リングから見て左側のスリーポイントのラインに立っていた彼は、即座にシュートを放つ。
ボールはバックボードからリングに当たって大きく跳ね上がった。
麗奈がリバウンドを取りにいく。亜樹は防御側に回っていて、麗奈と同時にジャンプした。二人は同じ位の身長の為か、ボールを掴む余裕がないようで、麗奈が辛うじてコートの右側へボールを弾く。
そこには小柄な女子がいた。彼女はシュートを打とうとしたが、目の前にディフェンダーが立っていた。一度シュートを打つポーズをしてから、右側にいる長身の男へ小さくパスを出す。
パスを貰った男は、バラけた相手のディフェンスをドリブルで切り込んでいき、リングから三メートル位離れた場所でジャンプシュートをした。
ボールはボードに当たってからリングの中へ綺麗に入った。
「さっすが長瀬、運動神経は抜群だね!」
麗奈が、シュートを決めた男へハイタッチをする。
彼は長瀬和也といい、サッカー部員である。今年の新人戦は、フォワードとして一年からレギュラーとして試合に出る期待の新人だ。いかにもサッカー部員らしく、日焼けした濃い目の顔は精悍な印象なのだが、物静かで落ち着いた性格の男だ。百八十センチの長身なのもあってか、女子生徒には人気があった。
「いや、それより小谷のパスが良かったんだよ」
長瀬はパスをくれた小柄な女の子へハイタッチをする。
「中澤君だっていいシュートを打ってたよ」
今度は防御側の亜樹が、最初にシュートした小柄な男へハイタッチをした。
それぞれハイタッチをされた小柄な男女は、球技大会の種目分けの時に自信がない事を言っていた二人である。康平と同じく、スリーポイントシュートを打つ役割のようだ。
他のメンバーも攻撃側や防御側に関係なく、長瀬達へハイタッチをしていた。
「康平のクラス、何かいい雰囲気だね」
「え……そうかなぁ」
白鳥にトボけた返事をした康平だが、切ないような気持ちになっていた。顔に出ているかも知れないと思い、空気椅子の角度をワザとキツくさせ、苦悶の表情を自ら作りあげる。
空気椅子を終えてシャドーボクシングをしていた二人だったが、バスケをしているメンバーも、今度は康平達を見ることなく練習に集中していた。
ボクシング部の練習が終わって、急いで第二体育館へ向かった康平だったが、鍵が掛けられていた。どうやらバスケの練習も終わったようである。
「どうした康平、帰るんだろ?」
「……そうだな。折角の休みなんだし、急いで帰らないとな。今日は有意義に過ごそうぜ!」
無理にテンションを高くした康平の口調が不自然だったのか、健太と有馬は不思議そうな顔をしていた。
部活から帰った康平だったが、健太達に語った言葉とは裏腹に、有意義な時間を過ごす気力もなく家でダラダラしていた。
夕食を済ませ、居間で家族とテレビを見ていた康平に、妹の真緒が覗き込むような格好で話し掛ける。
「兄貴今日は元気ないね。……まぁいつも冴えないんだけどね」
「うるさいなぁ、俺だって憂鬱な日はあるんだよ」
「おぉー怖! あ、友達に電話しなくっちゃ」
勢いよく立ち上がった真緒に母親が釘を刺す。
「真緒、あなた電話を使い過ぎなんだから少しは控えなさい。料金次第では小遣いを減らすわよ」
康平の二つ年下の真緒は中学二年なのだが、夏休みの前頃から頻繁に電話をするようになっていた。
「えー、母さんあんまりだよぉ。中学生は中学生なりの人間関係があるんだからね」
真緒はふてくされたような顔をして、ペタンと座布団に座り込んだ。
その時、居間から出た所にある電話から音が鳴った。
「友達かも知れないから私が出るよ。……向こうからの電話だったら問題ないでしょ」
再び勢いよく立ち上がった真緒は、跳ねるような歩き方で居間を出ていった。
しばらくすると、真緒はニヤニヤしながら居間の襖を開けている。
「兄貴ぃ、山口さんて女の人からデ・ン・ワ! 頑張ってね」
「な、何を頑張るんだよ。……学校の用事だけかも知れないだろ! あ、テレビのボリュームは下げなくていいからな」
面倒なフリをして廊下に出た康平は、受話器のコードを最大限に伸ばし、できるだけ居間から離れた位置で受話器を耳に当てた。
【もしもし、電話代わったけど……】
【いきなりゴメンね! これと言って用事は無かったんだけど電話したんだ。……今大丈夫?】
【俺の方は大丈夫だよ! ……それはそうと初めて練習見たけど、みんなバスケ上手いんだね】
【みんな練習頑張ったもんね! 長瀬君みたいに最初から上手いのも中にはいたけど、……小谷さんや中澤君は私もビックリする程上達したんだよ】
【あの小柄で仲がいい二人だろ! 俺と同じでシュートを打つ役割みたいだけど、チームに貢献してるって感じだったよ】
【二人はねぇ、自分達のせいでケーキバイキングに行けなくなるのがイヤだからって、熱心に練習してたからね】
【……それとさぁ、練習と言ってもみんな楽しそうだったよな】
【……実はさぁ、康平の事が気になって電話したんだよね】
【え、俺の事?】
【……これは、もし私が康平と同じ立場だったらの話なんだけど、自分以外のメンバー全員が楽しそうに練習してるのを見ると寂しくなっちゃうなぁ……って思ったんだ】
【俺……そう見えたかな?】
【そんな事言ってないでしょ! 第一、練習中は君を見てなかったしね。……私が勝手に思っただけだよ】
【さ、寂しくはなかったけど、……みんな上手いなぁって感心してたよ】
【そう……だったらいいんだけど。今度の水曜は最後の練習だから覚悟しててね。みんなについていけるように、ビシビシいくからね!】
電話を終えた康平は居間に戻ろうとした。だが亜樹の心遣いが嬉しかったのか、顔が弛んでしまっている。
洗面所の鏡を見ながら弛んだ顔を元に戻そうとしたが、上手くいかず二階の自分の部屋へ行く事にした。
居間の前を通った時、真緒が襖を小さく開けて笑っている。
「兄貴、憂鬱な顔は出来た?」
康平はそそくさと二階へ上がっていった。