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ケンケンと空気椅子


 二日後の金曜日。一年生達が練習する第二体育館には、梅田と飯島がいた。


「今度から二・三年生は土曜日にスパーリングだから、今日から金曜日もお前らに教えるぞ! あいつらは今日、自由練習をやってるよ」


「じ、自由練習って何ですか?」


 説明した飯島へ早速白鳥が質問をした。



「自由練習って、お前ら知らなかったっけ? ……最近始めた事なんだが、まぁその名の通り、自由に練習することさ。覚えたい技のシャドーだけでもいいし、休みなしにサンドバッグを打ってもいいし、とにかく好き勝手に練習していい日なんだ。自由練習は一週間に一日だけだがな」


「石山先輩と兵藤先輩は国体前ですよね。大丈夫なんですか?」


 今度は康平が疑問をぶつける。



「梅田先生の考えた事なんだが、試合前だからこそ俺はいいと思っている。試合前は思考が狭くなり易いからな。案外遊び感覚でやった方が、身に付けられる技があるかも知れないんだよ。……ただ、これが正しいかどうか俺にも分からねぇぞ」


「僕達にそういう日は無いですよね?」


 康平の質問に飯島は即答した。


「当たり前だろ! お前らはまだ習った技の種類が少ないんだからな。……まぁ二年になったらあると思うがな。早く自由練習出来るように、さっさと練習始めるぞ!」


 飯島に急かされた康平と白鳥は、準備運動からシャドーボクシングへと練習を進めていく。



「頭の振り方はまだ慣れないようだが、まずは高田からミット打ちだ!」


 ラウンド開始のブザーが鳴り、康平のミット打ちが始まった。


 ミットを構える飯島を見た康平は、少し違和感を覚える。普段のミット打ちも、踏み込みを良くする為に遠めから構えていたのだが、今回は更に遠くで先生が構えていた。


「どうした? この構えをしたらジャブを二発打つんだろ」


 飯島は左ミットを前に出し、右ミットは口の前に構えている。ただ、康平から見たら手前にあるはずの左ミットも、彼の頭から一メートル半近く離れていた。


「届かなくてもいいから、右足で思い切り蹴って打ってみろ!」


 飯島に言われて無理矢理踏み込んだ康平だったが、パンチは届かず、左ミットに当てようとするあまり上半身が前のめりになってしまった。


 ペチ!


 空振りした康平の左頬へ、飯島が右のミットで触っていた。


「オイオイ、そんな前のめりになったら、ジャブを空振りした時カウンターを喰らうぞ! さっきも言ったが、踏み込む時は右足で思い切り蹴るんだ! 届かなくてもフォームは崩すんじゃないぞ」



 その後康平は、ひたすら右足を蹴ってジャブ二発を繰り返したが、結局一度もミットに届く事なく二ラウンドを終えた。



 続く白鳥も、飯島のミットに向けてジャブ二発を何度も放ったが、一度もミットから快音が出る事はなかった。ただ彼の場合は、夏休みに大学生の山本と練習していたので、フォーム自体は綺麗に打っていた。



 白鳥のミット打ちが終わった後、飯島が口を開く。


「踏み込みというのは大事なポイントなんだが、一朝一夕で身に付くものじゃないからなぁ。今日からミット打ちで最初の二ラウンドは、わざと遠くから打たせるからな!」


「ところで話は変わるんだが、右ストレートに対しての返し技は何を習ってんだ?」


「ブロッキングストレートと、左へダッキングしての左ボディー打ちです」

 飯島の質問に、一瞬康平を見て白鳥が答えた。康平も頷いた。


「そうか。……今日は俺が右ストレートを打ったら左ボディーを打つんだぞ! また高田からミット打ちだ」



 開始のブザーが鳴り、ミット打ちが始まった。


 パンパァーン!


 飯島の構えに反応して二発の左ジャブを打ったが、このラウンドの先生は近くで構えていたので、二発ともミットに当たった。


 ただ二発目のジャブが右のミットへ当たった時、飯島は一瞬眉をしかめたが、すぐに普段の顔に戻っていた。康平も気付いたようだが、先生がすぐに両手を重ねての構えていたので、質問する間もなく右ストレートを放つ。


 間髪入れずに飯島が、左ミットを横向きにして構えている。これは左フックを打たせるポーズなのだが、右ストレートを打った後、最初の構えに戻してしまった康平は、一度溜めを作り直してから左フックを打った。


「……まだ言ってなかったと思うが、右パンチを打った後は、体は右に捻ったままで腕だけ戻すようにしておけよ! 右パンチを打った時は、左パンチの溜めを作るチャンスなんだからな。……ほら、もう一回右ストレートからいくぞ!」


 両手を重ねて構えた飯島に右ストレートを放ち、すぐに左フックを打とうとした康平だったが、飯島はまだ左ミットで構えていない状態だった。


 打ち始めの動作に入った康平はバランスを崩してしまった。


「オイオイ、ちゃんと見てから打てよ! ボクシングは相手があるスポーツだからな。……もう一回いくぞ!」



 再度飯島のミットへ右ストレートを打った康平は、左フックの溜めを作ったまま左ミットが上がるのを待っていた。勿論そこに左フックを打つ為である。



 ところが五秒経っても飯島の左ミットは上がってこない。


「まだまだぁ、我慢しろよ!」


 飯島は今にも左ミットを上げそうな素振りで、康平のフォームをじっくり見ていた。



 十数秒程経って左ミットが上がり、康平は左フックを打ったが快音は出ずに空を切り、右へ泳いだようにバランスを崩していた。


「わざと空振りさせたんだが、まだ下半身が安定してないなぁ。……今のを繰り返すぞ!」


 結局康平は、右ストレートから左フックのパターンをずっと繰り返し、一度も返し技をする事なく二ラウンドのミット打ちを終えてしまっていた。



 次は白鳥のミット打ちになったが、彼はシャドーボクシングをしながら康平のミット打ちを観察していたようで、右ストレートを打った後、左フックの溜めを作って待ち構えていた。


 左ミットが上がった時に白鳥は左フックを打ったが、飯島は左ミットをヒョイと下げて空振りさせる。

 白鳥はお世辞にも綺麗なフォームとは言えないが、バランスを崩さずに振り抜いていた。



「おっ、いいぞ白鳥! もう一度右ストレートを打ってみろ」



 右ストレートを打った白鳥が、さっきのように左フックの溜めを作って待っていた。


 パコッ!


 白鳥の額に飯島の右ミットが当たった。


「左フックの溜めを作った時でも、俺が右ストレートを打ったら、ダッキングして左ボディーを打つんだよ! 白鳥もう一度右ストレートからだ」


 右ストレートを打った白鳥が、もう一度左フックの溜めを作る。


 飯島の右ストレートを左へダッキングして避けた彼だが、前足の曲げが少ない為か、つんのめるような形になっていた。


 そして、ボディーを打った時には後ろ足の踏ん張りが効かず、自分のパンチの衝撃で左側へバランスを崩していた。


 飯島は、何度かダッキングからの左ボディーを白鳥に打たせたが、バランスが良くならない。そして、そのままラウンド終了のブザーが鳴った。



「確か白鳥は、左足が伸び気味で梅田先生によく怒鳴られたんだよなぁ。……今日のミットは中止だ! 高田も俺の所に来い」



 康平が二人の所へ行くと、再び飯島が口を開く。


「お前らはまだ下半身が弱い。これから補強の時に二つのメニューを追加するぞ! ケンケンと空気椅子だ」


「ケンケンて何ですか?」


 白鳥が質問をした。


「ケンケンパって遊びが昔あったんだが、パの部分を無くしてやるから、俺と梅田先生はケンケンと言っているんだがな。……要は片足で前に進むんだ。二人共左足を上げろ! ……そして、立っている右足で、思い切り蹴って前に進んでみろ!」


 飯島は手本を見せながら説明する。康平と白鳥もそれに続いて右足で蹴って前に進んだ。


「ケンケンはこんな感じだが分かったな?」


 二人が返事をすると、飯島は更に説明を続けた。


「じゃあ今度は空気椅子だな。まぁ知ってると思うが、空気の椅子に座る感じで中腰になるんだ!」


 飯島は話しながら、両腕を前に延ばして自らポーズを作った。


「俺は用事があるから、お前らこの姿勢でいろ! ……女バスを見ててもいいぞ」


 康平達のポーズを確認した飯島は、女子バスケ部の方へ歩いていった。



 球技大会の事もあって康平は女子バスケ部を見ていたが、彼女達は交替で試合形式の練習をしていた。


 綾香と麗奈はコートから出たばかりのようで、タオルで汗を拭きながらドリンクを飲んでいる。


 麗奈が康平の視線に気付いたらしく、綾香の肩をトントンと指で叩き康平の方を指差す。綾香は一瞬だが右手を小刻みに振っていた。



 身動きの取れない体勢で、どう反応しようが迷っていた康平だった。


 バーン!


 体育館中にミットの音が響く。


 この空間にいた殆んどの者が、音の出た方向に視線を向ける。


 そこでは梅田と健太がミット打ちをしていた。



「白鳥、今の音は?」


 康平は小声で隣にいる白鳥に訊く。


「見てなかったの?」


 逆に白鳥から訊かれた康平は、女子バスケ部を見ていた事に少し罪悪感を感じていた。


「ストレートとアッパー(下から突き上げるパンチ)の中間ような左ボディーだったよ! ……有馬もそうだけど、健太のフォームが少し変わったよね」


 白鳥は話を続けたが、健太のフォームが変わってきた事は康平も気付いていた。


 健太はサウスポー構えで右半身が前に出ているスタイルだが、右手の位置が以前より前に出ている。


 シャドーボクシングをしているオーソドックス(右構え)の有馬は、前に出るハズの左肘を少し引き気味にし、逆に右手を左手と同じ位前へ出していた。シャドーを見た限りだが、彼の左ジャブは以前より力強い感じである。



 健太と有馬の練習を見た康平は、弛くなりかけていた空気椅子の角度を九十度近くに修正した。


 白鳥の頭の位置も心なしか少し下がったようだ。



 二人共空気椅子の角度を自らキツくしたせいか、健太達の練習を見る余裕はなくなり、冷や汗に近い汗が足元に滴り落ちていた。



 ラウンド終了のブザーが鳴った時、飯島が康平達の所へ戻ってきた。


「よーし、もういいぞ! 二人共、足をほぐしながら聴けよ。今、バスケ部顧問の田嶋先生にお願いしたんだが、コートの隣でケンケンをしてもいいそうだ。……ん、どうしたお前ら? 浮かない顔して」 



 二人は顔を見合わせ、康平が答えた。


「……あのう、女バスの前でケンケンと空気椅子……ですよねぇ」


「ははぁーん。女子の前だと恥ずかしいってか! ……気持ちは分かるがな。練習場だと狭くて、特にケンケンは出来ないんだよ。まぁ我慢しろ」


 健太達の練習を見た後だったせいか、二人は渋々返事をした。



「ところで先生、ケンケンと空気椅子は、どの位やるんでしょうか?」


「んー……二日に一回だな。火・木・土でいいだろ。それで一日にやるのは……それは今決めるんじゃなくて、その練習をしている時に自分で切り上げろ」


 白鳥の質問に、飯島は意外な返答をした。



「自分で……ですか?」


「そうだ! べつに限界を超えてまでやらせようとは思ってないから勘違いするなよ。……極端な話、ケンケンは右足で蹴る感覚を感じられれば体育館一往復でもいいし、空気椅子は左膝の角度を固める感覚が分かれば三十秒でもいいんだからな」


 康平と白鳥は、更に戸惑いの表情になった。



「ノルマを決めたくないんだよ! 例えばケンケンを体育館五十往復、空気椅子を時間で十分に決めたとすると、お前らだったらその日の練習はどうする?」


「ペース配分をすると思います」


 飯島の質問に康平が答える。



「だろ! ……俺だって補強にそんな練習メニューがあったらペース配分をするしな。だが練習の時は、補強の為にペース配分をして欲しくないんだよ」



 まだ理解していない康平逹に、飯島は話を続けた。


「お前らは部活で何の練習をしに来てる? 白鳥言ってみろ」


「……ボクシングです」


「そうだよな! 基本的に部活の時はなぁ、お前らのナケナシの体力はボクシングを身に付ける為だけに使い切らせたいんだよ。補強の為にシャドーやミットで手抜きをしたら本末転倒だからな」



 康平と白鳥は、少し納得した表情になった。



「オット、肝心な事を忘れてた。ケンケンが終わったら、右足で思い切り蹴りながら二発の左ジャブを打て。空気椅子の後は、ダッキングして左ボディーの練習をしろ。どちらもシャドーでいいぞ。……さっきも言ったと思うが分かるな? ケンケンは踏み込みを良くする為で、空気椅子は、特に左膝の曲げを安定させる為の補強だ。高田が左フックを空振りした時や、白鳥がダッキングした時にバランスが崩れるのは、左膝の曲げが安定しないせいなんだよ」




 この日康平達は、女子バスケ部の側をケンケンで往復していたが、往復する度に彼らの顔が赤くなっていった。


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