謝りながら前へ進め?
康平と白鳥は、一週間の内四日間は飯島の指導を受けている。
曜日にすると、火・木・土・日の四日になる。
二・三年生は、月・水・金の三日間がスパーリングの日だ。
水曜日は康平達一年生が休みの日なので、梅田・飯島の両先生が指導に入るが、月・金曜日は梅田が第二体育館で一年生の指導に当たり、飯島が二・三年生のスパーリングについていた。
スパーリングは選手同士が戦う実戦練習なので、事故防止の為に必ず指導者がついていなければならない。
その為、月・金曜日は、梅田だけが第二体育館に来て、一年生の指導に当たっていた。
だが、その時の梅田はミットを持たず、専ら形式練習をさせた。
康平と白鳥が、飯島からカニ歩きを教わって一週間後の火曜日、飯島は第二体育館に来ていた。
「高田と白鳥は、カニ歩きにも大分慣れてきたようだな! 新しい技の練習に入る前に付け加えたい事があるから、今から話す事を頭に入れておけよ」
「カニ歩きは、ピンチから逃げたい場合に使うんだが、何か打ち返してから逃げろ! ……出来れば姿勢を低くして、顔より下を打った方がいいな」
「顔じゃ駄目なんですか?」
康平が疑問をぶつけた。
「顔かぁ、……顔を狙うのはやめた方がいいな。相手の連打に呑み込まれる危険があるんだよ!」
「の、呑み込まれるって、どうなるんですか?」
白鳥も質問に加わった。
「まぁ、その、……なんだ、お前らが反撃しようとした時に、相手の連打が先に当たってしまうケースだな。……相手が連打してる時に顔面を狙うと、自分も高い姿勢になってるから被弾し易いんだよ」
苦労しながら説明する飯島へ、康平がお構いなしに質問をする。
「顔より下って事はボディー打ちでいいんですよね?」
「ボディーを打てればそれに越した事はないんだが……。ピンチの時はお前らもパニクっているからなぁ。……ブロックの上でもいいから、とにかく打って逃げるんだよ!」
「ブロックの上……でもいいんですか?」
白鳥が戸惑いながら訊いた。
「逆に質問するが、お前らブロックする時はどんな感じになる? 特に下半身だがな」
飯島に問い掛けられた二人は、顔を見合せながらブロッキングのポーズをした。
「……踏ん張るような感じですか?」
自信無さげに白鳥が質問調で答える。
「正解だ! パンチをブロックする時は踏ん張る場合が多い。すると相手は、一瞬だがお前達を追っかける事が出来なくなる。その隙に一目散に逃げるんだよ」
「もし間違ってボディーに当たった時はどうするんですか?」
康平の質問に飯島は吹き出してしまった。
質問した本人も失敗したような顔をしている。
「アホ、それだったら追撃だろう! ……いやチョット待て、そのまま逃げておけ。まず一番大事なのは打たれない事だからな」
康平と白鳥の質問責めに、さすがに飯島も辟易したのか、時計を見て二人に言った。
「お前らは今日、新しい練習をするんだから、そろそろ準備運動を始めろよ! そしてシャドーをする前に俺の所へ来い」
新しい練習が気になる康平と白鳥は、急いで準備運動を終わらせて飯島の所へ行った。
すると、飯島が少し険しい表情になっていた。
「お前ら準備運動はちゃんとやったのか?」
「いえ……かなり急いでやりました」
二人は下を向きながら小声で答えた。
「だったらもう一度やり直してこい! スポーツ選手は、怪我や故障に人一倍気を遣わないと駄目なんだよ」
「ス、スイマセンでした」
康平と白鳥は頭を下げた後、入念に準備運動を再開する。
「オイオイ、俺に謝んなくていいから自分の体に謝っておけよ」
飯島から険しい表情が消え、いつものように軽口を叩いた。
「準備運動は終わったようだな。お前ら二人は謙虚な方だが、謝り方はまだまだ未熟だなぁ。……これからは謝罪の仕方を磨いていかないとな」
改めて準備運動を終えた康平達だが、飯島の意味不明な発言で戸惑い気味の顔になった。
「今迄は逃げる練習をしてきたが、今日から前に出る練習を始めるぞ! 白鳥、俺を相手にして前に出てみろ!」
白鳥が飯島の前に出て構えると、左足を前に出した後に右足を引き付けた。
梅田から習った通りの足運びである。
健太以外の一年生はオーソドックススタイル(右構え)で、左足が前で右足が後ろになっている。
「おっ、ダテに練習はしてないようだな。たがこれからはオマケを付けるぞ! お前らは最近、梅田先生からダッキング(屈むような防御)を習ってたよな?」
「はい」
「左足を前に出した時に、小さくダッキングをするんだ。そして右足を引き付けながら頭を戻す! お前ら少しやってみろ」
康平と白鳥は、それぞれ言われたように前進していく。
「ん? そんなに大きくダッキングしなくていいぞ。疲れるからな。頭一つ分左右にダッキングすればいいんだ」
白鳥がここで質問をする。
「先生、右へダッキングしてもいいんですか? ……まだ習っていないんですけど」
「あぁそうだったな。その点は梅田先生と話し合っているから大丈夫だ! 特にお前らは、タイプ的にダッキングをする機会が多いんだよ。……ま、待て、今のは聞かなかった事にしろ! お前らのタイプを説明してたら練習にならないからな。そのまま前進を続けてろよ」
二人が今にも聞きたいような顔をしていたので、飯島は慌てて遮った。
二ラウンド前進する練習をしていたが、インターバルの時に飯島がアドバイスをした。
「逃げる時は勇ましくなんだが、前に出る時は今みたいに頭を位置を変えるんだ。打たれる確率が高いからな」
そして先生は少し得意げに付け加えた。
「まぁペコペコ謝りながら前に進む感じだ」
康平と白鳥は、笑いもせず真面目に聞いている。
「何だよ! この場面は笑って欲しかったんだがな。……それにしても、お前らの膝は硬いんだよなぁ。……次のラウンド、俺は用事があるからお前らは有馬達の練習でも見てろ! なんなら気付かれないように女バスを見ててもいいぞ」
飯島はそう言って体育館を出ていった。
ブザーが鳴り、次のラウンドが始まった。
「バカヤロー! そこはワンツーじゃなくて右、左、右だ!」
スパーン!
二人は、女子バスケ部を見たい気持ちを押さえて怒鳴り声の方に目をやると、有馬がミット打ちで梅田から頭を叩かれていた。
不思議な事に、有馬は叩かれる理由を納得しているようで、叩かれながらも集中して構えている。
その構えも今までとどこか違っていた。
興味深く並んで見ていた康平達だが、突然白鳥の頭が低くなる。
何事かと思っていた康平も、膝の力が抜けてカクンとなった。
驚いた二人が後ろを振り返ると、飯島が両膝を突き出して笑っていた。
「ハハハ! 俺の膝カックンは見事に引っ掛かったようだな」
「せ、先生! いきなり何をするんですか?」
康平の抗議にも構わず、飯島は話し始めた。
「これはお前らに教える為、ワザとやったんだよ」
意表を突かれた発言で目を丸くしていた二人に、飯島は話を続けた。
「前に出ながら頭を動かす時はなぁ、自分で左の膝がカクンと抜ける感じにするんだよ。さぁ、ラウンドの途中だが練習再開だ!」
康平と白鳥は、膝カックンされた感覚を思い出しながらダッキングをした。
今迄と違い、二人の頭の位置がクイッと勢いよく変わった。
「よーぉし、いいぞぉ! この感覚を忘れないように、前進だけのシャドーを五ラウンドだ!」
全ての練習が終わり、康平は飯島に質問した。
「ボクシングに戦うタイプってあるんですか?」
離れていた所で柔軟体操を終えた白鳥も、康平の質問には興味があるようで、二人のいる場所へ駆け寄った。
「あちゃー、やっぱり質問してきたかぁ。ボクシングの入門書には、ボクサータイプ・ファイタータイプ・ボクサーファイタータイプの三種類が書かれているんだがな。……大雑把に言えば、ボクサータイプは離れて戦うタイプで、ファイタータイプは接近して戦うタイプだ。それからボクサーファイタータイプが両方含めたタイプだな。……但し、あくまで入門書でのタイプ別なんだがな」
飯島は、少し困ったような顔で説明した。
「僕と康平は、どんなタイプなんですか?」
「今はハッキリ言えないなぁ。……俺からタイプの事を口にしてなんだが、これはお前らが実戦を重ねないと分からない部分なんだよ。ただお前らは、ダッキングを多く使いそうな気がするだけだ。……大体ボクシングなんて相対的なスポーツなんだよ。相手が接近戦を苦手だったらこっちは接近するし、逆だったら離れて戦うしな」
少しガッカリしたような表情の二人を見て、飯島は話を付け加える。
「ただ一つ言えるのは、お前らが華麗にフットワークを使ってボクシングしそうなイメージが、俺にはどうしても沸かねぇんだよ。お前らの顔を見ると、あんまり器用そうじゃねぇからなぁ」
「ヒドイ言い方ッスね! 確かに僕と白鳥は、ボクサータイプになれない気がするんですけど」
康平と白鳥は、お互いの顔を見て苦笑した。
「これから二・三年生の指導が残っているから、お前らはもう帰っていいぞ! あぁ、……チョット待て!」
二人を呼び止めた飯島は、再び話を始めた。
「戦うタイプの事なんだが、多くの入門書でのタイプは三種類しかないが、ファイタータイプ一つをとっても、カウンターが上手いとか、強振してくる奴や、連打がしつこいタイプだったり様々だからさ。……但し、それも一つ一つ使える技が積み重なってタイプ、……いや、スタイルが出来上がってゆくんだ! ……それはいいとして、俺と梅田先生はお前らに目指して欲しいスタイルがある」
「それは、どんなスタイルですか?」
康平と白鳥は、口を揃えて質問する。
「それは、打たれないで打つボクシングだよ! 戦い方は選手によって違うがな」
「そんな事って出来るんですか?」
「難しい課題さ。……せいぜい致命的なパンチを貰わないようにするのが現実なんだがな。……ただ、目指すのと目指さないのとは、後になって大きな差が出てくると俺は思っている」
飯島の話を二人は黙って聞いていた。
「だからお前らは打たれないスタイルの第一歩として、謝り方に磨きをかける事だ! 前に出る時は頭を振る癖をつけろ。……どのみちお前達が嫌がっていてもやらせるんだがな。 ……風邪を引かないように、もう着替えて帰れよ」
飯島は、笑いながらも真面目な口調で言った。