試合に出る裕也と気になる女の子
しばらく新しいメニューでの練習を続ける一年生達。徐々に体力がついて、こなせるようになってきた。
ただ、フォームはまだギコチない。
「有馬、左ジャブが裏拳になってるぞ。鏡の前で構えた時、左拳と左肩が同じラインになるんだ」
「高田、右ストレートを打っても左足の親指を浮かすんじゃねぇ!」
梅田のチェックは、マンベンなく一年生全員に施される。
だがパンチというアイテムを貰った一年生達は、精神的に充実して練習していた。
その日の練習が終わり、帰ろうとしていた康平と健太は、梅田と飯島が呼び止められた。
「お前らこいつを知ってるか?」
梅田はそう言って、二人にインターハイ県予選のトーナメント表を見せた。
それを見た康平と健太は、驚きのあまり固まってしまった。
ライトウェルター級のトーナメント表には、坂田裕也の名前が出ていたのだ。
「はい、知ってます」健太が答えた。
「中学の時からボクシングをやってたのか?」
「中学の時は野球をしていたんですが、ボクシングをしていたかは知らないです」
今度は飯島が訊き、康平が答えた。
「分かった。もう帰っていいぞ! ……それと言い忘れた事があってな。もうすぐ中間テストだが、ボクシング部だけはテスト休みが無いから今から勉強しておけよ」
「し、失礼します!」
飯島の話に、康平と健太は強烈なダメージを食らってしまった。
裕也が試合に出る事にも驚いた康平と健太だったが、テスト休みがない事は我が身に降りかかる大事件だった。
本来、全ての部活にテスト休みがあり、その期間部活動をしてはいけない規則だったが、梅田の選手達に対する思いやり(?)から、熱心に校長を説得して特別に許されていた。
学校側でも、毎年インターハイ全国大会に出ているボクシング部は特に優遇しているようである。
練習場を出た康平と健太は走り、先に出ている有馬と白鳥に追い付いた。
「テスト休みが無いって有り得ねえだろ」
「学校は学業が本分だよな」
「ボクシング部を優遇するんだったら、俺達の問題だけ簡単にすればいいんじゃねぇか」
白鳥を除く三人は口々に言いたい事を言った。
しかし、陰で罵ってもテスト休みがない事に変わりはなく、ボクシング部員達は過酷な中間テストを迎える事になる。
康平と健太も、勉強かどうかは本人達にしか分からないが、テスト休みに予定していた計画が全て潰れてしまった。二人は仕方なく、その週の土曜日からテスト勉強を始める事にした。
土曜日になった。部活は午前九時から始まる事になっていた。
一年生達は八時五十分過ぎには全員練習場にいたが、先輩達は誰も来ていなかった。
ちょうど九時になった時、飯島が練習場に入って一年生達へ言った。
「梅田先生と上級生は練習試合に行ってるから、今日はこれで全員だ。さあ始めるぞ!」
一年生達はいつものメニューで練習を始めた。
七ラウンド目を過ぎた時、ミットを嵌めた飯島が有馬を呼んだ。
「有馬、リングに上がれ。習ったパンチを打ってみろ」
左ジャブから始まり、右ストレート。そしてワンツーストレートと習ったパンチを順々に打っていく。
有馬はミットとはいえ、対人相手に打つので最初は戸惑っていたが、ミット特有の乾いた音が大きく鳴ると、どんどん調子が上がっていった。
だがパンチを打つ時、反対側のガードが顔から離れたり、パンチの戻りが悪かったりすると、飯島がミットで軽く顔を触ってくる。
先生は踏み込みを良くさせる為に、少し遠目からパンチを打たせていた。
有馬から始まり、全員三ラウンドずつのミット打ちが終わった。一年生達は重いサンドバッグと違って、パンチを戻さなければならない感覚を味わった。
ゆっくりシャドーが終わって柔軟体操をしている時、健太は飯島に質問した。
「先生、ボクシング部は女子マネジャーを募集しないんですか?」
「うちの部は、自分の事は自分でやらせる方針だからさ。女子選手はともかくマネジャーはとらないな」
飯島の話を聞いた健太は、心の底から残念そうな顔をした。
それを見た飯島が再び話し出す。
「お前らに強くなる秘訣を教えてやろう」
「それは何ですか?」
「それはモテない事さ。モテないからやることが無くてボクシングに没頭でき……」
シラけ気味に一年生達は聞いている。さすがに飯島も、ハズシタ空気を感じ取ったようである。
「お前ら今日は学校休みなんだから、終わったらさっさと帰れよ」
飯島はそう言って、一年生達を無理矢理帰らせた。
家に帰った健太は、昼御飯の後、バッグに勉強道具を入れて康平の家に向かった。
勉強したのは最初の三十分だけだった。二人は、息抜きの為に始めたゲームにハマってしまった。結局、夜の九時までゲームは続いた。
健太は、無駄に教科書の入ったバッグを持って家に帰った。
翌日二人は、昨日勉強できなかった分を取り戻そうと、朝から近くの図書館へ行った。
図書館にはゲームが無い為、二人は集中して勉強していた。
昼過ぎから坂田裕也と鳴海那奈が図書館に来た。
二人は驚き、裕也が口を開く。
「お前ら、ここで何してんだ?」
「どういう風の吹き回しかな?」
そして那奈がクスリと笑った。
「べ、勉強に決まってんだろ」
「い、家で勉強やってもはかどんねぇんだよ」
康平と健太は慌てて言い返す。
すると那奈が決め付けるように言った。
「あんた達は家で勉強しても、マンガとゲームに逃避しちゃうタイプだもんね」
康平と健太は返す言葉が無く無言になった。
裕也が二人に訊いた。
「今から勉強するって事は、お前らの高校は中間テストが近いのか? もしそうだとしたら早過ぎるよな」
「まだ二週間以上あるよ」康平が答える。
「どうかしちゃったの?」
那奈は心から心配そうな顔をしている。
康平と健太は、(勉強している事を心配されている)不自然さに気づかずに、自分達がボクシング部へ入部した事、そして、ボクシング部にはテスト休みが無い事を話した。
裕也と那奈はとても驚いていたが、裕也は複雑な表情をして言った。
「お前らもボクシングやってるって事は嬉しいんだけど、三人とも体重が近そうだから、どっちかと試合するのは嫌だな」
四人はしばし無言になった。康平が沈黙を破る。
「そう言えば、裕也は試合出るんだって?」
「ああ、俺中三の春からアマチュアのボクシングジムに通って選手登録してたから、試合に出られるんだけどね」
康平と健太のように、高校からボクシングを始めた場合は、一年間は試合が出来ないルールになっている。
「スゲーな。じゃあ夏の初めまで部活(野球)やりながらジムに行ってたんかよ」
健太に訊かれて裕也が答えた。
「高校入って一年間試合に出られないのは、考えたくなかったからね。……野球部のみんなには、最後の大会前に掛け持ちしてたから今でも悪いと思ってるよ」
「試合は、ライトウェルター級で出るんだよね」康平が言った。
「今体重が六十一キロちょっとだからライト級(六十キロ以下)でもいいんだけど、ライト級には先輩がいるしね」
「ライトウェルター級っていったらうちの兵藤先輩か」
裕也は健太の方を見てニコリと笑った。
「兵藤さんの事は、話さなくていいよ。お前らにスパイみたいな事はさせたくないしな」
ずっと黙っていた那奈が話に割り込んだ。
「はい、ここで雑談終了。私達もテスト休みが無いんだから勉強しないとね!」
青葉台高校ボクシング部もテスト休みは無いらしい。
四人は雑談という誘惑を断ち切る為に、それぞれ離れて勉強を始めた。
永山高校には食堂があり、そこは結構広い。その空間には売店があって、パン等や文房具等を売っている。
昼休みの売店は大忙しだ。昼前に弁当をとっくに消化している育ち盛りの高校生達が多く、足りない分はパンを買って飢えを充たしている。
また、食堂は運動部の部室に近く、パンを買って各々の部室で食べている者も多い。
健太は学校へ遅刻しそうになり、朝食を抜いた日があった。
弁当は、二時間目を過ぎた時に食べてしまっていた。放課後の部活に備える為に昼休みに売店でパンを買った時、怖そうな先輩達とすれ違った。
そそくさと下を向いて横切ろうとした時、いきなり健太の腕を掴む者がいた。
「アホ、挨拶なしに通り過ぎる事はネェだろ」
ボクシング部三年の清水だった。
「あ、こんちはッス!」
健太は慌てて挨拶をした。
「清水、お前がオッカねぇから避けられたんじゃねぇの?」
清水は他のもっと怖そうな同級生からカラカワれていたが、結構ユニークな男である。
部活以外の清水は、いつもシカメッ面で、肩で風を切るような歩き方をする。オマケにガニ股ときている。
ところが部活になると、少し内股で歩く。
そして戦う時は、ボクシング教本に出てきそうな正統派スタイルで戦う。
色々な意味でアンバランスなものを持っている先輩である。その清水が言った。
「片桐、今日から昼休みは部室に行くなよ」
「えっ、どうしてですか?」
健太は不思議そうな顔をした。
「今は説明している時間はネェから、他の一年にも言っておけ」
「はい! 分かりました」
健太は納得したわけではないが、他の怖そうな三年生と離れたい為、素直に返事をして一年生の教室へ向かって行った。
健太は康平と白鳥にその事を伝え、有馬にも伝えた時、逆に有馬が理由を話し始めた。
「昼休みの部室は、大崎先輩と相沢先輩の専用部屋になってるよ」
「えっ、なんで?」
「今試合が近いから、二人は減量に入ってるんだ。二人はメシを旨そうに食ってる奴等を見なくていいようにっていう配慮だな」
「梅ッチが言い出したの?」
「梅ッチは知らないみたいだぜ」
生徒間で梅田の事は、梅ッチと言っていた。
有馬が話を続けた。
「森谷先輩から聞いたんだけど、言い出したのは石山先輩と清水先輩だよ」
健太も納得した。
石山と大崎(フライ級)、清水と相沢(ライト級)は階級がカブッていた。
永山高校は特別な事情でもない限り、後輩の方が階級を変える。
少ない部員なのに同じ階級で戦うのは馬鹿げているし、何より選手達がそれを望んではいない。
健太は康平と白鳥へ理由を話す為、もう一度二人の所へ向かった。
放課後の部活。相沢と大崎は、苦しそうな表情を一切見せずに練習していたが、練習が終わった後、体重計に乗った時だけは弱気な顔になっていた。
土曜日練習。二・三年生と梅田は、また他県の高校へ練習試合に行っていた。
一年生達はこの日も飯島と練習する事になった。
飯島と梅田は、六・四の重心をはじめとして膝や角度や腕の位置等、指摘する事は殆んど同じである。
異なるのは正反対と言ってもいい程違うキャラクターだ。
梅田は、いつも余計な事は言わず恐い雰囲気だが、飯島はとても明るく冗談が多い。
この日の練習では有馬の動きが違っていた。
シャドーボクシングの最中に頭を動かし、パンチを避ける動作を勝手に加え出す。彼は数日前のプロの世界戦を見て、チャンピオンの真似をしていた。
有馬は飯島をナメていた訳ではなかったが、恐い梅田がいないので気楽な気分だったようだ。
飯島は急に表情を変えた。そして、ゆっくりと有馬に近付き小声で話し掛けた。
「誰がそんな事をしていいと言った?」
有馬は動きを止めて飯島の方を見た。もう一度飯島が訊いた。
「誰がそんな事をしていいと言ったんだ?」
静かな口調だが、腹の底から出すような声は、有馬だけでなく他の一年生にもビシビシ伝わった。康平達は二人の様子を見ていた。
「いいえ、誰も言ってません」有馬が固まったまま答えた。
「じゃあ、何でそんな動きをしたんだ?」
「三日前の世界戦をテレビで見て、つい……」
「じゃあ訊くが、梅田先生の前でも同じ事が出来たか?」
「……出来ないと思います」
「俺の前なら出来ると思ったのか?」
「……すいませんでした!」
言葉に窮した有馬は、飯島の顔をまともに見れず、深々と頭を下げて謝った。
「分かったなら、二度とこんな事をするな! ……お前らも練習を続けていろ」
飯島は全員に練習を再開させたが、椅子に座って考え込んでいた。
一年生達は、いつもより緊張した空気で練習を続けている。
五ラウンド経過した時、飯島は一年生全員に言った。
「お前ら一旦整理運動して着替えろ!」
康平達は、飯島の機嫌が悪くなって帰されると思い、着替えた後に帰ろうとした。
「ま、待て待て、まだ練習が終わりとは言ってねぇぞ!」
飯島は慌てて全員を呼び止めた。
「全員そこの長椅子に座れ!」
四人は言われた長椅子に並んで座った。飯島も、自身が座る椅子を一年生達の正面に持ってきて腰を掛ける。
その直後、また怒られると思った有馬が急に椅子から立ち上がり、再び頭を下げた。
「先生、……さっきは申し訳ありませんでした!」
「アホ! これから話すのはその事じゃねぇよ。有馬はさっき、充分反省したろ?」
有馬は安心した表情になり、大きく返事をした。
「だったらいい。さっきの事は、これで終わりだ。……今は別の件でお前達を座らせたんだ。……お前達の思っている事を聞いておきたいし、俺もお前達に伝えておきたい事があるから、雑談に近いような話し合いを今からするつもりだ。お前ら、思う事があったら何か言ってみろ」
「…………」
一年生達は、お互いを遠慮してか一向に話そうとしない。
飯島が堪らず話し掛けた。
「俺の冗談がツマンねぇという話以外だったら、何でも許すから言ってみろ。……今の練習で不満な事でもいいんだぞ。白鳥、お前から話せ」
「……防御も習いたいと思うのですが……」
「他のパンチも打ちたいです」
白鳥に続いて康平も話す。そして健太も疑問をぶつける。
「体重とかは、気にしなくていいんですか?」
「他校のボクシング部の一年は、もうスパーリング(実戦練習)を始めているようですが、うちの高校はまだやらないんですか?」
最後に有馬が質問をした。
「他にないか?」
飯島に訊かれた一年生達だが、乏しい経験で質問するのが難しいらしく、他に無いようである。
「お前ら、今は体重の事なんて気にするな。特に練習後の食事はちゃんと食べろよ。今の時期は、ボクシングに必要な筋肉をドンドン付ける時だ。分かったな!」
「はい、分かりました」
飯島の話に健太が返事をした。飯島は話を続けた。
「今の段階で、他のパンチやディフェンス、スパーリングをする事はない。梅田先生も話したと思うが、前六・後ろ四の重心と、パンチを打つ軸が安定するまでは、他の技術は一切教えないつもりだ。例えば、重心と軸を崩して防御しても反撃しにくいからな?」
飯島の話を聞いて、康平達は納得したようである。
「ところでお前ら、これからの練習で疑問があったら俺か梅田先生に質問しろ。但し、間が悪い時に質問するなよ」
健太が早速質問をした。
「梅田先生に質問しても、怒られないんですか?」
飯島は苦笑しながら言った。
「その点は大丈夫だ。俺も梅田先生も、頭で理解しないで練習するより理解したうえで練習した方が、数段早く上達する事を知っているから、梅田先生も喜んで教えてくれるはずだ」
四人は意外そうな顔をしていた。飯島は時計を見た。
「もう十一時半になったし、今日はもう帰るぞ」
時間を言われて急に空腹を感じた一年生達は、急いで帰っていった。
中間テストが終わった。康平と健太は土日の詰め込み勉強のおかげか、それなりの感触だったようだ。
有馬はボクシングに集中するらしく、はなから諦めていた。
白鳥は、相変わらず暗い感じで口数も少ない。
入学してから二ヶ月近く経ち、康平達がようやく分かった事は、白鳥が笑いたい時は口許が微かに弛む位なものだ。
白鳥のクラスメートでも、彼に興味を持つ者は殆どいないので、それすら分からない者も多い。
しばらくして中間テストの結果が出た。永山高校では順位の公表はない。だが康平のクラスでは、ちょっとした噂がたっていた。
一時間目の授業が終わった直後、康平の前の席に座っている女の子が振り向いて彼に話し掛ける。
山口亜樹といい、康平と同じ位背が高い。肩まで伸ばしたセミロングで色は白く、鼻筋がスーッと通っているカッコイイ系の美人である。
勝ち気な性格で、入学早々言い寄ってくるしつこい男にビンタを喰らわしたエピソードは、一時伝説になった程だ。
話が受け身勝ちの康平は彼女にとって話し易いらしく、最近はよく話すようになっていた。
「ねぇ、君の部にいる白鳥って人、今回のテストは満点に近かったらしいよ」
「えっ、マジで?」
「なんだぁ、知らないの? 結構な噂だよ。たまに彼を見るんだけど暗そうだよね。実際はどうなの?」
「あいつは部活でも無口だからな。俺もよく分かってないんだ」
「コミュニケーションとれてないなぁ。ところで君は何番だったのかな?」
亜樹は、机の上に無用心に置いてあった成績表を素早くとって、康平の届かない所で見ていた。
「君は、もう少し頑張った方がいいんじゃない」
「ひどいな! うちの部はテスト休みが無いんだよ」
「学生は学業が本分でしょ? 言い訳しない」
「自分の方こそ何番だったんだよ?」
「さぁ、……でも君にもっと頑張れって言える位の成績だよ」
二時間目のチャイムが鳴り先生が教室に入って来た。二人は話をやめて次の授業の準備に入った。
放課後の練習。インターハイ県予選を間近に控え、先輩達は最後の段階である。
試合に出す技を確認する者。試合の前に少しでも食べられるようにと、サウナスーツを着て縄跳びのラウンドを増やしている者。
各々試合に向けて最後の調整に入っている。
一年生達は誰も試合に出ないので、いつもと同じ練習をしていた。
四人はそれぞれ修正する所を指摘されるが、最近は指摘される内容が安定している。
康平はもっと前足に重心をかけて六対四のバランスを安定させる事。
健太はもっと左肘を絞り、左ストレートを打った時に右足が開かない事。
有馬は、もっと肩の回転を使って左ジャブを打つ事。
白鳥にも梅田から罵声に近い指摘がされる。
「白鳥、何度言ったら分かるんだ。お前は左足をもっと曲げろ」
白鳥が修正しなければいけない所は、伸び気味の左足をもっと曲げる事だ。
運動神経が良いとは言えない白鳥だったので、口で指示されてもなかなか直らない。
「お前、俺の声が聞こえてんのか?」
梅田は、白鳥の所へ行って体全体を上から押し付ける。
左足が充分に曲がったのを確認すると梅田が言った。
「もう二度と同じ事をさせるんじゃねぇぞ」
梅田は、噂ではあるが勉強で学年トップの白鳥にも厳しく指導をする。
一年生達の練習が終わったが、康平と健太は少し残っていた。飯島に言われて始めた質問をする為である。
最初の頃は、一年生全員が話し易い飯島ばかりに質問していた。
だが梅田の淋しそうな表情を察した健太が、恐る恐る質問したところ、梅田は口許を歪めながらも熱心に説明した。
それからは梅田にも質問が飛ぶようになっていった。
今回は、健太が梅田に疑問をぶつけた。
「ジャブを打つ時、なぜ肩の回転を強調するんですか?」
「ジャブをグローブ付けて腕だけで打ったらどうなる?」
「腕が疲れます……あっ!」
「分かったか? 腕以外の部分の大きな筋肉を使えば疲れにくい。それに肩を回して打つと他に利点が二つある」
「それは、どんな事ですか?」康平が訊いた。
「まず、肩が回った分射程が伸びる事だ。もう一つは、回した肩で自分の顎をガード出来る事だ」
康平と健太は、実際にジャブを打って納得したようだ。
健太は、思い切ってもう一つの質問をした。
「先生、クラスで噂になっているんですが、中間テストで白鳥が満点に近い点数を取ったって本当ですか?」
「うちのクラスでも噂になってます」
梅田は、少し考えた後に答えた。
「その噂は本当だ。学生は勉強が本分だからな。少しは奴を見倣え。但し、勉強出来ても練習で手抜きはさせんぞ」
この日の練習で、梅田の言葉に嘘偽りがない事を知った康平と健太は、そそくさと帰っていった。
木曜日。この日からインターハイ県予選が始まった。
「見るのはいいけど、やるのはチョット……」
ボクシングについてよく聞く話だ。
高校ボクシングも例外ではなく選手層は少ない。
康平がいる県でも、多くて四回程勝てば優勝出来る。
今年の開催地は裕也がいる青葉台高校だ。そして、木曜日から日曜日まで四日間かけてトーナメントを行い、全国大会に出場する者を決める。
ボクシング部の一年生達は、木・金曜日は試合に行かず学校で授業を受けていた。
「ねぇ、康平は試合に行かなくていいの?」
康平の前の席に座っている山口亜樹が、彼に話し掛けた。
「あぁ、俺達一年は試合しないから、応援に行くのは土曜日からだよ」
「そうなんだ」
「山口の方こそ、どっかの応援には行かないのか?」
「あたしは、キ・タ・ク・部。中学の時は部活やってたけど、先輩後輩の関係で疲れちゃってさぁ。今は気ままにって感じだよ。……それと山口って、名字でいうのはやめてくんない。照れるからさ」
亜樹は、ハッキリものを言う性格のようだ。
(名前で呼ぶのも、結構恥ずかしいんだけどな)
と思ったが、口には出さず康平が言った。
「あ、亜樹は何やってたんだよ?」
「アハハ、ドモッてる。私はバスケやってた。ほら、私って背が高いでしょ? それで期待されていたんだけど、先輩とのレギュラー争いで色々あってね。二年で辞めたんだ」
亜樹は、百七十二センチの康平と同じ位背が高い。
「……それは大変だったな」
亜樹が寂しそうに話すので、康平は心から同情した。
「ぷっ、嘘だよ。二年で辞めたのはホントだけど、意地悪してくる先輩に正面から文句言って、正々堂々と辞めてやったんだ。……意外に思われるかも知れないけど、あたしって気が強いし……」
「全く同情して損したよ。それに誰も意外に思ってねぇよ!」
亜樹が怒るフリをする。
「ひっどいわねぇー! でも君って、将来詐欺に騙されるタイプかもね」
康平が何か言い返そうとした時、授業が始まり話は中断した。
放課後。帰り支度をしている康平に、再び亜樹が話し掛けた。
「今日は部活が休みなんだ?」
「日曜日以外で休めるのは久しぶりだよ」康平は嬉しそうに答えた。
「前から不思議に思ってたんだけど、康平は何でボクシング部に入ったの? 昔はヤンチャだったとか……」
「そんなんじゃないよ!」
「……だよね! いくら君がイカツイ格好しても、全然怖くないしね」
「余計なお世話だよ!」
「……例えば一番あり得ない仮説だけど、康平に彼女がいてそのコに勧められたとか? ……まぁ、これは無いわね」
決め付けるように亜樹は言った。
「ひでぇなぁ。何でそんなに入部した理由を聞きたいんだよ?」
「ほら、君はボクサーってタイプじゃないからさ。精悍でもないし、 根性無さそうだし、あとそれから……」
康平は、これ以上悪口を言われるのはゴメンとばかりに、本当の事(部紹介で騙された事)を言った。
「アハハ! やっぱりそうなんだ。君は期待を裏切らないね。将来詐欺に気を付けた方がいいよ」
「もうボロクソだな」康平は苦笑した。
「……康平はもう帰るの?」
少し黙っていた亜樹が言った瞬間、健太と有馬が教室に入り健太が言った。
「康平、今日試合した先輩達みんな勝ったそうだぜ」
「清水先輩と相沢先輩は相手を倒したんだってさ。見たかったよな」
「石山先輩と兵藤先輩はシードだし、土曜日まで全員残ってるといいなぁ」
亜樹は黙って帰り仕度をしていたが、康平に小さく手を振って教室を出ていった。健太と有馬からは彼女が見えていない。
亜樹の方へ、照れ臭そうに康平は小さく右手を挙げた。健太が気付いた。
「どうした康平。彼女と何かあったのか?」
「あいつ山口亜樹だろ」有馬がボソっと言った。
「あの入学早々男をビンタしたっていう……。お前もビンタされそうになったのか?」
「そんなんじゃねぇよ」康平は健太に言い返した。
「あいつ、どこかツンケンしてるし、女同士でもあんま評判は良くないらしいぜ」
有馬の話を康平は黙って聞いていた。
「折角部活が休みなんだし、こんな所で油を売っていないで帰ろうぜ」
「そうだな。折角の休みなんだし、トットと帰ろうぜ」
健太の意見に二人は大いに賛同し、急いで教室を出ていった。
翌日の土曜日。インターハイ県予選は準決勝まで進んでいた。場所は県立青葉台高校の体育館だ。裕也のいる学校である。
前日の試合でも永山高校の先輩達は殆ど勝ち残っていたが、ライトフライ級(四十九キロ以下)の大崎は負けていた。
彼は、普段の体重が五十四キロ位あるのを減量していたので、疲れがあったかも知れないが、相手は黒木という一年生だった。
(どんな奴だろう)
健太と有馬は、そう思って黒木を探しにいこうとした時、大崎が二人を止めた。
「お前らそんな暇ないぞ! もうすぐ石山先輩の試合だからな。応援にまわるぞ」
高校生の試合は二分三ラウンドと短い。そして安全を考慮してか、試合を止めるのが比較的早い。次から次へと試合が入れ替わっていく。
次の試合は、フライ級(五十二キロ以下)の石山だった。彼は赤コーナー側から試合に出る事になっていた。
応援する為、赤コーナーの後ろの方へ歩く一年生達に大崎がアドバイスをした。
「いいかぁ、野次は絶対禁止だぞ! 退場させられるからな。先輩達のパンチが当たったら、ブロックの上でもいいから歓声を上げろ。すると選手は調子が上がっていくからな」
「ハ、ハイ!」
初めて見る公式戦に、一年生達は緊張しながら返事をした。
前の試合でも選手のパンチが当たると、その学校の応援する者達から歓声が上がっていた。
前の試合が終わり、入れ替わりに赤コーナーから石山がリングに入った。
赤コーナーから出場する場合は、シューズとトランクスの白のベルトラインを除いて、グローブやヘッドギアも含めて赤色に統一される。ちなみに、青コーナー側の相手は青色である。
石山は身長こそ百六十二センチと小柄ではあるが、その分腕が太く体全体が分厚い。
リングに上がった彼は対戦相手を一切見ずに体を揺すり、歩きながら軽くパンチを出す。
リングアナウンスから名前と学校を放送されると、石山は丁寧に頭を下げた。
上下白の服を着たレフリーがリング中央で手招きをした。これから戦う二人の選手はそこに歩み寄る。そして二人はグローブを合わせ、それぞれのコーナーへ戻っていく。
「ボックス!」
ゴングが鳴った直後、レフリーの声で試合は始まった。
やや長身の相手は大きなフットワーク使い、左へ回っていく。
小柄な石山は、頭をゆっくりと振りながら前へ出る。
軽いパンチの応酬があった後、ロープを背にした相手がパンチを出した瞬間、石山が左フックで飛び込んだ。
凄い音を立てて相手の右グローブに当たったが、石山はお構い無しに連打を浴びせた。
石山が五発目のパンチを打った時、相手は体をくの字に曲げてマットに右膝をついていた。左のボディーブローが当たったようである。
レフリーは、カウントエイトまで数えたが試合は再開された。
普段は温厚な石山だが、情け容赦なく連打を浴びせた。再びレフリーが中へ割って入り、カウントを数える。
カウントエイトまで数えた時、青コーナー側から投げられたタオルに気付いたレフリーは、両者をそれぞれのコーナーに戻した。
一ラウンド一分過ぎ、石山はRSCで勝利した。
あまりの速攻に、大崎も応援するタイミングを失っていた。
「二試合後は相沢だ! 気合い入れっぞ」
大崎は、自分へ言い聞かせるように後輩達へ言った。
バンタム級(五十六キロ以下)で出場している相沢の相手は、今年春の選抜で全国三位になっている青葉台高校の選手である。
試合が終わった石山も加わって懸命に応援したが、地力の差が出て三ラウンド目に連打を浴び、ストップされて負けてしまった。
その後、清水・兵藤の二人は勝ち残り、決勝戦に駒を進めていた。
康平と健太は坂田裕也の事が気になった。ライトウェルター級(六十四キロ以下)のトーナメント表を見た時、彼は準決勝に勝ち残っていた。
康平と健太は、こっそり裕也の試合を見に行った。裕也の爽やかな人柄を知ってる二人にとっては、信じられない程荒々しい戦い振りだった。
ガンガン前に出ながら、とに角打ち合う。そして、思い切った右パンチを振るっていた。
二ラウンド目、今までずっと空振りしていた右の強振が相手の顔面を捉える。
すると今まで元気だった相手の足許がふらつき、そこで裕也のストップ勝ちとなった。
康平と健太は呆気にとられていたが、森谷の試合が次にあるので急いで戻っていった。
ウェルター級(六十九キロ以下)の森谷も苦戦はしていたが、辛うじて判定で勝ち、明日の決勝を迎える事になった。
この日の試合が全て終わった後、康平達は裕也と那奈を見付けた。だがお互いに話している時間が無いようで、二人は先輩達と一緒に帰っていった。
翌日の決勝戦、この一戦でインターハイ全国大会に行ける者が決まる。会場は緊張した空気になっていた。
この日、四人の先輩達が決勝に出場する。
ある者は目を閉じて音楽を聞きながら落ち着かせ、またある者はしきりに後輩に冗談を言って緊張を紛らわせていた。
試合の一時間前になった時、先輩達は一斉にウォーミングアップを始めだす。
緊張を振り払うかのように派手に肩を動かしながらシャドーボクシングをしたり、相手にパンチを打たせて目慣らしをする等、先輩達は徐々に戦闘モードへ入っていく。
この日も軽量級から試合をする予定なので、石山は三試合目である。
一年生達は、二試合目のライトフライ級にも興味があった。大崎に勝った一年生の黒木が決勝に残っていたからだ。
ピン級(四十六キロ以下)の試合が終わり、黒木琢磨の試合が始まった。
黒木の構えはオーソドックス(右構え)だが、極端に低いガードである。両手のグローブはヘソの高さにあった。
そして、リラックスした状態から鞭のようなパンチが繰り出される。
相手のパンチは上体の動きと最小限の足裁きでかわす。
二ラウンド開始早々、黒木が一方的に打っているところで試合が終わった。
会場にいる半分以上の者が感心するように見ていたが、同じ階級になりそうな有馬と白鳥は呆然としていた。
次は石山の試合である。
対戦相手も研究していたようで、決して同じ場所には留まらず、すぐに位置を変えて先輩に的を絞らせないようにしていた。
石山は慌てた様子もなく、前半はボディーにパンチを集めた。
二ラウンド後半、石山の左アッパーが顔面にヒットした。相手の足が大きくよろめく。その瞬間にレフリーが試合を止めて、石山の優勝が確定した。
バンタム級の試合が終わり、次のライト級(六十キロ以下)は清水が出場した。
相手は青葉台高校の三年生で、去年の新人戦でも決勝で戦った宿敵である。ちなみにその時は、青葉台の選手が僅差の判定で勝っていた。
去年の雪辱を果たそうと、清水が早いテンポで攻撃を仕掛けていく。
彼の左ジャブがよく伸び、その後に続く右ストレートと左フックが度々相手の顔面を捕らえた。
一年生達はこのままいけば勝てると思ったが、なぜか二ラウンド終盤からペースが落ちていた。
息はキレていないが右のパンチが一向に出ない。
三ラウンド目になると相手が打ちまくる展開になり、判定で負けてしまった。
試合後のドクターチェックで、清水は右拳を骨折していた。
彼は右拳を氷嚢で冷やしながら応援に参加しようとした。しかし梅田が説得をし、応援に来ていた両親に連れられて病院へ向かっていった。
清水が病院に向かって歩いている最中、兵藤と裕也の試合が始まっていた。
積極的に前へ出る裕也に対し、兵藤が迎え打つ展開になる。
兵藤はサウスポー構えだが右効きである。効き腕を振るう右フックが強くそれで倒すシーンが多い。
だがこの試合に限っては、時折強振する裕也の右を警戒してか他の試合よりも軽めに打つ。そして、打ち終わりには忙しく位置を変えていた。
裕也の放つパンチは空を切るが、兵藤のサウスポーからの右フックと左ストレートがよく当たった。
安全の為、高校ボクシングでは、倒れなくても、ダメージが大きいと思われるパンチがクリーンヒットした際、ダウンを宣告される時が多い。
一ラウンドと二ラウンドに、一度ずつダウンを奪われていた裕也は、勇敢にパンチを打っていたが、三ラウンド開始早々からパンチは出なくなった。
試合を終わらせようと仕留めにかかった兵藤だったが、その時裕也の渾身の右ストレートが兵藤の顔面に直撃した。
たたらを踏んだ兵藤だったが、すぐに打ち返して反撃に移る。
裕也は打ち返す力は残っていないようで、そこで彼のRSC負けとなった。
ウェルター級の森谷も、兵藤に続こうと奮戦したが力及ばず判定で敗れた。
全ての試合と閉会式が終わって康平達が帰ろうとした時、会場の後片付けをしていた裕也が走って近付く。
まず兵藤の所へ行き、深々と頭を下げた。
「試合勉強になりました。全国大会を頑張って下さい」
「お前ハート強いな! また頑張れよ」
そして、裕也は康平と健太の方へ近付いて感想を漏らす。
「やっぱ、兵藤さんは凄いね。手も足も出なかったって感じだよ」
康平と健太が間近で裕也を見た時、彼の体は所々にミミズ腫があった。
そして兵藤の右フックを何発か貰ったせいか、顔面の左側は腫れて左目が細くなっていた。
それでもスッキリした顔で話す裕也を、二人は別世界の人間のように思った。
「つ、次の大会も頑張れよ」
二人はどう答えたらいいか分からず、別れ際に康平が一言言っただけだった。
大会が終わった翌日、学校は代休で部活も休みである。
康平は不安な気持ちになっていた。
裕也のように、勇気をもって戦える自信はない。
そして、黒木琢磨のように上手くなる自信はもっとない。
気分転換でもしようとしたが、暗い気持ちだったせいか何も思い付かなかった。
ボクシング部にはテスト休みが無い事もあり、仕方なく期末テストに向けて勉強する事にした。
近所の図書館が休みだったので、永山高校の近くにある図書館へ向かった。
図書館に着いた康平は、まず前回のテストで悪かった数学に取り掛かる。彼は元々数学が苦手だった。
気分が乗らない時に、苦手教科に取り組むのは自殺行為である。
勉強を始めて二十分が経過すると、彼の思考回路が停止した。
勉強が全く進まなくなり、康平は図書館の中を散歩する。
彼は歴史のマンガ本が置いてある棚を見つけた。自然に手が延び、その場で立ち読みになった。
康平にとっては大して面白くないマンガだったのだが、お堅い本達が多い図書館では貴重な存在だったようで、ボロボロになっていた。
康平は一冊読み終えた後、テスト勉強に来た目的を思い出して机に戻った。
だが勉強を再開した途端、再び康平の脳が緊急停止した。
机に戻った義理を果たすかのように問題を二問解き、再びマンガを読みに行った。
別のマンガを一冊読み終える。
(何やってんのかな俺)
自分に呆れながら机に戻ろうとした時、康平の椅子には女の子が座っていた。
康平は、女の子の前をさりげなく歩いてチラっと見た。すると、彼女は突然口を開いた。
「ナーニやってんのかな君はぁ」
一瞬ギクリとした康平だったが、声を聞いてすぐに誰だか気付いた。
山口亜樹である。
学校の制服ではなく、ジーンズに紺のTシャツだった。
鼻筋がスーっと通った派手な顔立ちと、長身でスラッとした体系のせいか、地味な印象はない。
「亜樹こそ何しに来たんだんだよ?」
「勉強に決まっているでしょ! それに私の家この近くなんだ」
「……へぇ、そうなんだ」
「たしか君は電車通学だよね。わざわざここまで何しに来たのかな?」
「べ、勉強に決まってるだろ」
「またまたご冗談を。ここへマンガを読みに来たんでしょ?」
亜樹がクスリと笑った。
「一応数学はやってるぜ。……二問だけなんだけどさ」
「確かに二問は頑張ったようだけど、解答は残念な結果みたい」
康平は苦笑した。
「……康平はブルーっぽいから今勉強してもはかどらないよ」
「そ、そんな事は無いさ」
「自分で言うのも何だけど、私って結構勘がいいんだ。……他人に話すとスッキリする時ってあるからさぁ、無理にとは言わないけど相談に乗ってあげるよ」
「高く付きそうだな」康平が苦笑した。
「いつもイジらせて貰っているお礼だから心配しないで。……あっちで話そうよ」
二人は会話が出来そうなロビーへ向かった。そこにはジュースの自動販売機があり、康平は相談料でも払うかのように一本亜樹へオゴった。
大人っぽい亜樹も、月の小遣いをやりくりする高校生である。素直に喜んだ。
ジュースを飲みながら、康平は亜樹にブルーになった訳を話す。
将来同じ階級で戦うかも知れない勇敢で強い友達がいる事。
同じ学年なのに桁違いに強い奴がいる事。
来年の今頃は試合に出るのだが、自分は戦えるか不安な事。
亜樹は、さり気なく相槌を打ちながら真面目に話を聞いていた。
十五分程、自分の事ばかりを話していた康平が、苦笑しながら言った。
「ごめんな。亜樹には関係ない事ばかりなのにな」
「気付いてくれた? ……ウソだよ」
少し笑った亜樹が続けて話す。
「ゴメンね。相談に乗るって言ったけど何も出来ないみたい」
「いや、そんな事は無いよ。亜樹に話してたらさ、まだボクシング始めたばかりなのに悩んでいるのがアホらしくなってきたよ」
「じゃあ、ジュース一本分の貢献はできたんだ。……でも、友達と試合したら殴れるの?」
「分かんないよ。なるべく試合はしたくないな」
不安な表情で康平が言った。
「君は、ひとが良さそうだから心配だね」
「俺より亜樹の方が、ボクシングに向いているよ。言葉の暴力の攻撃的センスは大したものさ」
「ひっどいわね! でも私は攻撃して欲しそうな人にしか攻撃しないわよ」
「かなわないな。ところで亜樹は、期末テストまで一ヶ月近くあるのに勉強してんの?」
「私さぁ、家に近いって理由だけで高校選んだの。でも、入学したら急にいい大学に行きたくなっちゃったのよね」
「大学行って、何すんのさ?」
「まだ漠然としてるけどね。話は変わるけど、康平はいつもどこの図書館にいるの?」
「下田駅から近くの図書館だよ! あそこは家の近所だし、健太っていう友達と勉強してるよ」
「この間クラスに来たコでしょ。二人いたけど……」
「目ツキが悪くない方の奴だよ」
笑いながら康平は答えたが、目ツキが悪いのは有馬である。
「テンション高そうね」
「あれはあれで、いいとこあっからな!」
時計を一瞬見た亜樹が康平に言った。
「そろそろ勉強再開しよっか。くれぐれもマンガで歴史の勉強しないようにね」