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魔法のワンツーストレート

 次の日、部活は夕方から始まった。夏休みと違い、一年生は先輩達と一緒の練習である。


 この日から、ずっと練習を休んでいた三年の石山と兵藤が練習に加わった。


 二人は既に大学推薦の話がきていて、今から十月の国体に向けて練習を再開する。


 三人の二年生と四人の一年生を加えると、どうしても練習場が狭くなってしまう。



「一年生全員、スパーの道具を持って第二体育館に来い」


 梅田は康平達に指示した後、自身もミットとストップウォッチを持って第二体育館へ向かった。


 一年生達も、保護具とグローブを持ちながら梅田の後を追った。


 全員が第二体育館へ着いて準備が終わった時、梅田が口を開いた。


「今日から形式練習に返し技を加えるが、最初はワンツーストレートをブロックした後に前の手でフックを返せ。但し、フックは振り切らないで寸止めしろ。一ラウンド終わったら相手を替えていけ」



 梅田は言い終わると、開始の号令をかけた。


 最初のラウンドは康平が健太と、有馬は白鳥とコンビを組んで形式練習を始めた。


 一年生達は夏休みの期間、フックを打ち返すつもりでブロックするように、山本からアドバイスを受けていた。それもあって、四人の動きはスムーズである。



 一ラウンドが終わって梅田がアドバイスをした。


「お前らいい感じだが反撃のタイミングが遅い。ブロックする時は、相手のパンチに自分からブツカリにいくような感覚でフックの溜めを作ってみろ。それと高田と片桐は、体重の軽い者と練習する時、パンチを少し軽めに打て」



 次のラウンド、康平は白鳥と、健太は有馬と組んで形式練習を始めた。



 白鳥のワンツーストレートをブロックし、すぐに左フックを打ち返そうとした康平だったが、ブロックした瞬間顔に衝撃があった。


 白鳥のパンチを顔から離してブロックした為、自分のグローブを顔にぶつけたのだ。



「高田、左フックを返すのは遅くてもいいから、今は溜めを作りながら丁寧にブロックしろ」


 梅田の声が体育館に響く。



 その後康平は、今まで習ったように拳を額に付けて手首を少し曲げるブロッキングをしたので、顔に衝撃を受ける事はなくなった。


 ラウンド終了の合図をした梅田は、全員に言い聞かせた。


「さっき言った事と矛盾するが、今のような返し技は来年の春位までに実戦で使えればいいから、焦る必要はねぇんだぞ」



 次のラウンド、康平は有馬とコンビを組む。


 有馬のパンチは強くないが非常に速い。彼は身長こそ百七十センチを超えているが、体重は五十キロ程度だ。


 白鳥も同じ位の体重だが有馬よりパンチが遅い。ただ彼のパンチは、体の芯に響くような重みがあった。



 有馬が打つワンツーストレートは、「パパーン!」と一気にくる感じだ。



「ちょっとお前ら、練習を中断しろ!」


 康平と有馬を見ていた梅田が四人を集めた。


 梅田が有馬に言った。


「有馬、高田にワンツーを打ってみろ」



 パパーン!


 有馬の速いワンツーストレートが康平のガードに当たった。



「有馬、今度は空振りで打ってみろ」



 有馬は不思議な面持ちでワンツーストレートを打った。


「お前ら、有馬のワンツーを見てどう思う?」


「速いと思いますけど……」健太が答えた。



「他に思うところは無いか?」


 有馬以外の三人は、お互いを見ながら沈黙する。



「高田、グローブを貸せ!」


 梅田は、サングラスを外しながらグローブを嵌めて有馬の前に立った。


「有馬、俺を狙ってワンツーを打ってみろ!」



 有馬は戸惑いながらも、速いワンツーストレートを放った。


 だが、ワンな左ジャブからツーの右ストレートを打とうとした有馬に、梅田の右が軽く当たった。


 軽く当たったのでダメージこそ無かったが、有馬は驚いた表情になった。



「お前のワンツーには、欠点があるんだよ」


「えっ、それはどこですか?」


 有馬が訊くと梅田は答えた。


「いいか? これは有馬だけの欠点ではないから、全員よく聞け。ワンツーのワンが伸びてねぇんだよ」



 一年生達はピンとこない感じで黙っている。



 梅田は、頭を掻きながらしばらく考えていたが、再び有馬を前に立たせた。


「もう一度俺にワンツーを打ってみろ。但し、今度はユックリだぞ」



 有馬がワンからツーを打とうとした時、梅田が彼の動きを止めた。



「ここが有馬だけじゃなく、お前ら全員の悪いところだ」


 梅田は、有馬の伸びていない左腕を差して説明を始めた。


「伸びていない左ジャブから打つ右ストレートは、非常に危険だ」



 実際に梅田からパンチを当てられた有馬は、納得し始めたようだが、他の三人はまだ分かっていない様子である。



 梅田は更に話を続けた。


「有馬、そのままの姿勢でいろ。いいか? 相手がこの瞬間にパンチを出したら、遮るものが何もないんだよ」


 梅田は、説明しながら有馬にパンチを当てる動作を繰り返す。



「左ジャブの後、右ストレートを打とうとして体重を前に乗せた時に、このパンチを喰らったらダメージは最悪だ。……これで試合が終わるケースが多い」



 ようやく三人も分かったようである。


 梅田は、ゾッとしている一年生達の様子を見た後、有馬に左を伸ばさせる。


「有馬、もう少し顎を引け。……この状態だったら有馬の左腕が邪魔で、相手はパンチを打ちにくくなるから被弾する確率はグッと減ってくる」


 白鳥が質問した。


「テ、テンプル(コメカミ)は無防備ですけど、だ、大丈夫なんでしょうか?」


 テンプルも顔の急所の一つである。



「あまり根性論は言いたくないが、顔だけで言えば顎と耳の後ろ以外は気合いで何とかなる」



 萎縮している一年生達を見た梅田は、珍しく困った表情で頭を掻いていた。


「この技は、もう少し後に教えたかったんだがな」


 梅田は、ボヤキながら一年生達に指示を出した。


「これからお前らに新しいワンツーを教える。形式練習のようにペアを組んで向き合って構えろ」



 梅田からグローブを返してもらった康平は、再び有馬と向かい合う。


 梅田が言った。


「どっちでもいいが、ジャブを伸ばした状態で止めていろ」



 健太と白鳥のペアは健太の方が、康平達は有馬が先にジャブを伸ばした。


 梅田は健太と有馬の立ち位置と、左ジャブを伸ばす場所を修正した。


「これからワンツーを打つ時、ワンはここに打て!」


 有馬は康平の右側に位置を変えている。そして、左の拳は康平の頭上に延びていた。


 頭上というよりも、康平から見てやや左上と言った方が正しいかも知れない。


 ただ、康平には全く当たらない場所である。



「有馬は少し体を左に傾けろ! そして背中の左側を相手に見せるようにするんだ。片桐は逆の方だぞ」


 有馬が梅田のアドバイス通りにフォームを直した時、康平は有馬の右パンチに恐怖を感じた。


 有馬の右グローブが肩と背中で隠されて、康平からは全く見えないのだ。


 今度は康平と白鳥が梅田のアドバイスを受けてポーズを作るが、有馬と健太も驚いているようだ。



 梅田が全員に話す。


「今日はミットで返し技を増やそうと思っていたが、予定を変更する。今のフォームを意識して、形式練習で相手に打ってみろ。今からラウンド再開だ。始め!」



 有馬がパンチを打ち、康平がそれをブロックする。


 今までのように、パパーンとくる早いワンツーと違い、パッパーンと少し遅い感じなのだが右ストレートの威力が全く違っていた。

 パンチが重くなり衝撃も倍増している。



 今度は康平が有馬に打つ。


 左ジャブを相手に当てないので少し違和感を感じたが、左を伸ばした後の右ストレートが思い切り打ち易くなっていた。


 軽めに右ストレートを打ったつもりだったが、それが有馬の左ガードに当たった時、彼は衝撃でバランスを崩していた。


 白鳥も同様に、健太の打った左ストレートでバランスを崩す。



「バカヤロー! 高田と片桐は軽く打てと言っただろうが。白鳥と有馬はお前らより十キロ軽いんだぞ!」


 梅田の罵声が第二体育館に響いた。


「いや、軽く打ったつもりなんですけど。……このワンツーは魔法のようです。強く打てるし目隠しにもなるんですね」


 健太が怒られたにも拘わらず、素直な感想を言った。その時梅田は、右手にミットを嵌め始めていた。


 一年生達は、先生が何か新しい事を教えるかも知れないという期待をした。



 スパーン!



「ラウンド中は喋るんじゃねぇ!」



 梅田はどうやら、健太の頭を叩く為にミットを嵌めたようである。


 ただ、梅田は一旦練習を中断して全員に説明を始めた。


「このワンツーにはタネがあるから、魔法ではなくてマジックと言った方がいいな。俺と飯島先生が目隠しワンツーと呼んでいる技だ。有馬、目隠しワンツーのワンを伸ばしたまま、そこで動きを止めていろ」


 有馬が言われたようにポーズを作る。


「もう少し体を左側に傾けろ」


 覚えたてで、まだ馴れない有馬は梅田に修正された。


 再び梅田が口を開く。


「このポーズだと、右側に大きく肩が回って右パンチの溜めが出来ている状態だ。しかも自然と後ろ足に重心が残っているから、体重の乗った右ストレートが打ち易い。分かったか?」



 一年生達は明るい表情で返事をした。



 この日康平達は、目隠しワンツーをメインに形式練習を繰り返していった。



 練習後、有馬が梅田に質問した。


「このワンツーを覚えたら、県でも勝ち抜けるんですか?」


「そんな甘いもんじゃねぇんだよ! ただワンツーが強力になっただけだ。……お前らに言っておくが、ボクシングでこれを出せば絶対に勝てる技なんてないんだからな! 有馬、一度目隠しワンツーを俺にユックリ打ってみろ」


 有馬がユックリとそれを打った時、梅田はの右下に屈んでいた。そして、無防備な右脇腹に左ボディーを打つフリをした。


「お前らに教えたいのは今のような返し技だ。まだ覚えなければいけない技があるから、明日からは覚悟しておけ」




 学校から駅までの帰り道。一年生達は一緒に歩いていた。


 有馬が独り言のように呟く。


「俺、ボクシング部に入って良かったよ」


「いきなり何だよ、最近の有馬は俺の次に怒られてんのによ」


 健太に続いて康平も笑いながら話す。


「そうそう、最近白鳥が怒られなくなってきたからな。怒られランキングは現在二位だぜたぶん」



「……怒られんのも、嬉しいんだよな」



 ボソっと言った有馬に、三人は驚いた表情になった。



「あ、勘違いすんな。変な趣味じゃねぇからよ」


 有馬は弁解するように話を続ける。


「俺だって怒られんのより、褒められる方がいいに決まってんじゃん。……中学ん時は、先公達があまり相手にしてくれなかったんだよ」


「シカトでもされてたりとか?」康平が訊いた。



「そこまで露骨じゃねぇけど、何かヨソヨソしい感じだったんだよな。俺とダチのガラが悪いのもあったかも知れねぇけどさ」


 健太が言った。


「ダチって、ゲーセンで会った五人だろ? 確かに怖ぇ感じはしたけど話すと面白かったぜ」


「だろ! 俺もそうだけど、アイツらだってカッコだけでワリィ奴じゃねぇんだよ」


 有馬は友達を良く言われて嬉しいのか、顔が少しニヤけていた。



「ふつう……自分の事を悪い奴じゃねぇって言うかな?」



 康平と健太は、声の主に視線を向けてビックリしている。


 白鳥である。彼は、笑いながら有馬にツッコミを入れていた。



「ウッセェよ。言葉のアヤってやつなんだよ」


 有馬は驚いた様子もなく、顔を赤くしながら言い返す。



「俺、白鳥がツッコミ入れんの初めて見たよ」


 康平が言うと有馬が真顔で答えた。


「いや、週に一度位はあるんだよ。他人の話を聞いてないようで、たまーにツッコんでくるからタチがワリィんだよ」


 健太が言った。


「残念だなぁ。じゃあ今週は白鳥のツッコミがもう聞けないじゃん。……来週の分もここでツッコんじゃえよ」


「い、いや……そんな事言われても……」


 白鳥は注目されるのが苦手なのか、いつものようにモジモジし始めた。



「有馬と白鳥って、最初あんまり仲は良くなさそうだったよな。……四月頃だと電車も離れて座ってたしさ」


 康平に続いて健太も話す。


「しょうがねぇだろ。一方は学年トップの真面目君だし、もう一方は……」


 健太はもう一方を見て、話を躊躇してしまった。




「もう一方が何だってぇー?」


 有馬は一瞬健太を睨んでいたが、すぐに表情を戻して話し出した。


「怒ってねぇから心配すんなよ。俺も気を遣われない方が嬉しいしさ。正直白鳥みてぇなのは俺と別の人種って感じで、今でも苦手なんだけどよ。……ただ、コイツは散々ミットで叩かれてんのに弱音を吐かねぇから、少しは認めてやろうって思ったんだよ」


 康平が頷いた。


「俺もそう思うよ。白鳥の愚痴って聞いた事ねぇもんな」


「あんまり白鳥を褒めてイジメんなよ! 照れてあんなに赤くなっちゃったじゃねぇか?」



 白鳥は健太にからかわれていたが、どことなく嬉しそうである。



 有馬が言った。


「白鳥! 黙ってねぇで、俺以外にもツッコミ入れてやれよ。……ところで今週の日曜はお前ら予定あっか?」



 康平と健太は顔を見合わせ、康平が口を開く。


「ワリィ! 俺達日曜日は用事があって行けねぇんだよ」


「そっかぁ、残念だなぁ。ちょっとした収入があって、あのゲーセンでオゴろうと思っていたんだけどな」


 健太が有馬に訊いた。


「オゴりと聞いて見過ごす訳にはいかねえんだが、何で羽振りがいいんだ?」


「前にゲーセン行った時、憶えてっか? アイツらと賭けをしていた話」


「九月まで部活が続いたらってやつだろ。あれ本気でやってたんかよ?」康平が言った。



「まぁな。奴らは皆、俺が辞めるのに賭けていたからな。どのみちアイツらにも俺がオゴるんだけとよ」


 有馬は満面の笑みを浮かべた。


 健太が控え目に質問した。


「その次の週ってわけにはいかねぇよな?」


「それは無理だな。アイツらも、バイトとか都合つけてきてっからよ。……じゃあ、来るのは白鳥だけだな」


「えっ、マジで白鳥も行くのかよ」康平が驚く。


「え……まぁ」


「俺が白鳥に、……いや、スーパーの奥さんの方に頼んだんだよ。あそこは奥さんがボスだからさ。そしたら喜んでくれてたぜ」


 駅に着いた時、別れ際に有馬が再び三人に話し出した。


「今日はよぅ、欠点を指摘されて嬉しかったんだよ。ちゃんと、俺の事を見てくれてるって思ってさ。まぁ、俺だけの欠点じゃなかったんだけどな。……日曜日の話になっけど、もし急に行けるようになったらいつでも来いよ。アイツらもお前らの事は気に入ってるみたいだからな」


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