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水筒作戦



 内海達とのスパーリングが終わった次の日からは、お盆の為、練習が五日間休みになった。


 この五日間は、親戚廻りや町内会の行事等であっという間に終わり、再び部活が始まった。



 鏡の前で四ラウンドのシャドーボクシングを終えた時、梅田が一年生達を呼んだ。


「今から俺がラリアットを食らわすから、お前達は横に動きながら避けろ。まずは有馬からだ」



 ラリアットは、腕を伸ばして上腕で相手の顔を狙うプロレス技である。



(ボクシングなのになんで?)


 康平達は、意味不明な指示に戸惑いながらも大きく返事をした。



 有馬は梅田とリングに入る。


 梅田が説明した。


「俺が左のラリアットをしたら、体を沈ませながら右に動け。右のラリアットは逆だ」



 梅田はユックリだが、本当に左腕でラリアットをした。


 有馬は、頭を下げながら右に動いてかわした。


 梅田が言った。


「下を向くんじゃねぇ。膝を使って、上半身を立てたまま体を沈めるんだよ」



 飯島も横から口を出す。


「アマチュアボクシングはルールが厳しくてな。前足より前に頭があると反則なんだよ」



 もう一度梅田が左のラリアットをする。今度は有馬も上手く動けたようで、梅田は何も言わなかった。


 次は梅田が右のラリアットを放ったが、これも有馬は上手くよけた。



 その後、梅田は左右のラリアットをランダムに打ったが、有馬は全部かわしていた。


 どうやら彼は、動きのコツを掴んだようである。



 飯島が康平達に言った。


「お前達も見てるだけじゃつまんねぇだろうから、こっちでもやるぞ。白鳥はリングに来い。高田と片桐は鏡の前で予習していろ」



 康平と健太は、鏡の前でラリアットをかわす為の練習をした。


 二人がいざやってみると難しくはないが、膝だけを使って頭の高さを変えるので、続ける康平と健太は膝の疲れを感じていた。



 三ラウンド後、康平は飯島、健太は梅田のラリアット攻撃をかわす練習をした。



 飯島が右のラリアットをした。康平が思ったよりも低い高さにラリアットがきたので、彼は膝を深く曲げながら大きく左へ動く。


 左のラリアットは逆の動きでかわした。



 飯島は、顔にラリアットをするというより肩を狙っていた。オーバーに動かさせ、体に憶えさせる為である。



 何度かかわしていた康平だったが、次のラウンドに不意打ちを食らった。


 飯島の右のラリアットを避けながら左へ動いた康平だったが、避けたハズの右腕が、裏拳のような形で突然康平の顔面に戻ってきたのだ。


 裏拳はバックハンドブローと言って、ボクシングでは反則である。


 軽く顔を叩かれたので痛くはなかったが、予想外の事に康平は不思議そうな顔をした。



「アホ! ガードが下がってんだよ」


 飯島が笑わずに言った。



 頭の位置を変えるとガードが疎かになるのは、結構犯しやすい。


 口で言われるよりも実際に軽くても叩かれた方が、印象に残り、覚えの早い時がある。


 康平もそれ以降はガードが下がらなくなった。



 ラリアット攻撃をかわす練習が終わり、メニューはサンドバッグ打ちとミット打ちへ移行した。


 ミットを受けるのは二人の先生しかいないので、余った二人はサンドバッグを叩く。


 他の高校では生徒同士でミット打ちをするところもあるが、永山高校では先生しかミットを持たない。パンチを打つ筋肉と、ミットを受ける筋肉が違うという理由らしい。


 最初は有馬と白鳥がリングに入ってミット打ち、康平と健太がサンドバッグを打っていた。



 四ラウンド後、康平達がリングに入ってミット打ちを始めた。


 ミットにパンチを打ち始めた途端、何故か康平が飯島からミットで頭を叩かれた。


 そして飯島は水道の蛇口で顔を洗っている。



 次に説明しながらミットを受けている梅田も、いきなり健太の頭をミットで叩き、水道の蛇口でウガイを始めた。


 飯島は康平の汗を顔全体に浴び、梅田は説明している最中に健太の汗が口に入ったようだ。



 康平と健太は、いつもは三着持ってきている替えのTシャツを、休みボケのせいか忘れてしまったのだ。


 夏の練習はとにかく汗が出る。流れ出る汗の為に、康平と健太のTシャツはビショビショで体にヘバリついていた。



 梅田が言った。


「片桐と高田、テメェらは形式練習を四ラウンドだ」


 康平と健太は梅田の逆鱗に触れたようである。


 形式練習を始めた二人。お互いのパンチは完璧にディフェンスしていたが、後から襲い掛かってくるビショ濡れのTシャツから飛び散る汗は、まともに浴びていた。


 明日からは替えのTシャツを増やそうと思いながら、相手の第三のパンチ『汗』を浴び続ける康平と健太だった。



 形式練習で散々な目にあった康平と健太だが、練習の帰り、電車から降りてコンビニの前にいた。



 二人は部活が終わる度に駅前のコンビニでジュースを買って飲み、古本屋で立ち読みをするのが日課だった。


 部活が終わった直後はワザと少ししか水を飲まず、電車の中でも喉が乾くのをグッと我慢する。


 そして、駅前のコンビニで安くて大きいパックのジュースを買って一気に飲み干す。


 冷たいジュースが体に染みわたる快感は堪えられないものだ。


 部活で遊べない夏休みをおくる康平と健太が考えた、ささやかに幸福を感じるイベントだ。



 ただこの日は康平がコンビニに入ろうとしない。



 健太が不思議そうな顔をして訊ねる。


「康平どうした? ジュース買わねぇのか」


 康平が歯切れの悪い口調で答えた。


「カ、カネが足りねぇんだよ」


「お前、ジュース代は毎日貰ってるんじゃなかったっけ?」


「貰ってるけどさぁ、……誕生日プレゼントの金がネェんだよ!」



 健太は、二週間程前に亜樹の誕生日を自分が勝手に聞き出した事を思い出す。


「あぁ、あれね。でも亜樹は無理しなくていいって言ってたんじゃねぇの?」



「そうは言ってもな、……日頃助けられてんし、……第一お前が本人の前で誕生日を訊くからだぞ」


 康平はシドロモドロだったが、最後は一気に捲し立てた。



「そういう康平の生真面目なところは僕も好きなんだよねぇ。……今から家に来いよ。姉ちゃんもいるからさ。ちょっと相談してみようぜ」


 反省した態度こそないが、健太なりに責任を感じているようである。


 健太の家は商店街の並びにある定食屋だ。


 康平は、健太と一緒に居間に上がった。


 午後六時を過ぎたばかりで、店は刈り入れ時の為か居間には誰もいなかった。



「ちょっと待ってろ。姉ちゃんを探してくっからよ。……冷蔵庫の麦茶、勝手に飲んでいいぞ」


 そう言い残して、健太は二階へ上がっていった。



 健太の家の中は、雑然としていて大雑把に片付けられていた。忙しいのもあって、洗濯物もたたまないで隅に寄せてあった。



 逆に気を遣わないのでいられるので、康平にとっては心地いい空間だっだ。


 麦茶を飲んだ後、疲れが出たのか、康平はアグラをかいたまま、丸いチャブ台に両肘をついて眠ってしまった。



 五分程経ったであろうか。康平は背中に柔らかい重みを感じて目が覚めた。


「康平珍しいじゃん。うちに来るなんてさ」


 康平の背中に健太の姉が座っていたのだ。


 彼女の名前は真由まゆといい、康平の二つ歳上で高校三年生だ。



 彼女は天真爛漫で、少しタレ目の愛嬌がある顔と、世話好きで面倒見がいい性格から男女を問わず友達が多い。



 康平は、背中に感じる柔らかい感触が気になった。


「真由さん……頼むから降りてくれないかな」



「私は座り心地いいんだけどな」


 そう言って康平の背中から立ち上がった真由は、マラソン選手のような短パンとランニング姿だった。


 康平は、グラマーな体型をしている真由を直接見ることができず、下に視線を逸らしていた。



「姉ちゃん探したんだぜ」


 二階に上がった筈の健太が台所の勝手口から入ってきた。かなり探していたようである。


「え……あんた達、私が目当てだったの」


 真由は、ワザとらしい言い方で恥ずかしそうにした。



「チゲぇよ! 康平が誕生日に贈るプレゼントの事で相談したかったんだよ」


 健太が真由のオフザケを遮り、本題を切り出した。



「ん、プレゼント?」


 真由はアグラをかきながら身をのり出した。


 どうやら彼女の世話好きな心を刺激したらしい。



 康平は照れながらも経緯を話す。


 そして金欠な事や、プレゼントは何を買えばいいか分からない事も相談した。



「……大体話しは分かったけど、小遣い貰えるのは月初めじゃないの?」


 真由が質問した。



「うちは十日なんだよな」


 残念な顔で話す康平に健太が言った。


「亜樹の誕生日は九月九日だろ。だったら五日位早めに前借りすりゃいいんじゃねぇの?」


「そうすっかな。……それとプレゼント買いに行く時は、真由さんから選んで欲しいんだけど。……いいかな?」


 康平も健太に賛同したらしく、ついでにもう一つの悩みも相談する。



 真由はしばらく思案していたが、何か思い付いたようだ。


「康平。……今日コンビニでジュースを買わなかったから、百円は貯まったんだよな」


 真由はアグラをかいているせいか、何故か男の口調である。



「え……まぁ、そうだけど」


 既に小遣いを前借りするつもりでいた康平は、意表を突かれて曖昧な返事をした。



「今から毎日百円ずつ貯めていけば、誕生日の少し前までは結構いい物が買えるかもよ」



 真由の話に健太が反論した。


「そりゃねぇよ姉ちゃん! 俺達、今年の夏休みはあんま遊べなくて、あのジュースだけが生き甲斐みてぇなもんなんだぜ」


 多少オーバーだが、あながち嘘ではない。



「もとはと言えば健太が悪いんだから、アンタも康平に付き合うんだね」


 真由は、弟の健太に対しては容赦がなかった。


 康平はさっき答えてもらえなかった相談を、もう一度真由にした。


「仮にお金が貯まったとして、買い物する時は真由さんも一緒に買ってくれるんだろ。何を買えばいいか分かんねぇよ」



「甘ったれんじゃないよ!」


 急に語気が荒くなった真由に、康平と健太は茫然とした。



「苦労もしないで選んだプレゼントなんて、亜樹さんてコが可哀想だよ」


 アグラを組み直して真由は二人を諭すが、その仕草がヤケに男らしい。


「…………」


 沈黙する二人に少し同情したのか、真由はヒントを与えた。


「まぁ、あげるとしたら身に付けないものがいいかな」


「え、何で?」健太が訊く。


「身に付ける物だと、プレゼントした人の前で付けていないと気まずいんだよね。その点、部屋に置く物だったら気に入らなければ押し入れにしまっとけばいいからさ」



 悪びれもせずに話す真由を見て、「何かズルいね」と康平がボソっと口にした。


「何言ってんのよ。迷惑なプレゼントあげるよりよっぽどマシだよ。……でも、そのコの事好きなんだろ?」


 真由に訊かれた康平は顔を赤らめた。


「いや、まだハッキリ分かんねぇけど、……でも本気でお礼はしたいと思っているよ」



「照れてんじゃねぇよ」


 健太は茶々を入れたが真由は笑わなかった。


「康平は、きっとジックリと人を好きになるタイプなのかも知れないね。……まぁここは男の見せ所だからしっかりやんなよ」


 彼女はそう言い残し、自分の部屋に戻っていった。


 康平と健太は、知らず知らずの間に正座になっていた。




 次の日、康平は練習に行く途中で健太と出くわした。この日は日曜日であるが、盆休みがあった為練習日になっていた。


 康平が言った。


「昨日の真由さん違ったよな。なんか男らしかったぜ」



 健太の話によると、真由は古い時代劇の捕物帖をレンタルで借りてずっと見ていたらしい。


 確かに立派な親分だった。



 健太が不思議そうな顔をした。


「そもそもお前は何で金欠なんだ? ……盆休みの時ゲーセンでも行ったのか?」


 バツが悪そうに康平が答える。


「……一回行ったよ」


「一回だけか。……あんまり金は使わねぇよな。じゃあ何に使ったんだ?」



 康平は恥ずかしそうに白状した。


「いや、そこで二千三百円を使ったんだよ。……ただ勘違いすんなよ。十五面クリアすると、好きな月の誕生石がついた携帯ストラップが貰えるゲームにつぎ込んだんだからな」


「あぁ、あのゲームね。あれの十五面をクリアした人は殆んどいないらしいぜ。……それに友達の話だと、あのストラップはデパートで普通に千円位で普通に売っているらしいぞ」


 健太は珍しく、本気で康平に同情していた。



 黙っている康平に健太が訊いた。


「亜樹へのプレゼントの為だったのか?」


「あぁ」康平は力無く答える。



「元気出せよ。もうすぐ練習なんだからさ。……気持ちを切り換えねぇと、またミットで頭を叩かれるぜ」


 健太は、ワザとらしい程大きな声で康平を励ました。



 その日の練習は昨日と同じく、ラリアット攻撃をかわす練習がメインだった。


 余談ではあるが、この日ミットで一番頭を叩かれていたのは健太だった。



 練習が終わり、学校の生ぬるい水道水をタラフク飲んだ康平と健太は帰路についた。



 帰りの電車の中で健太が口を開く。


「康平、携帯ストラップをプレゼントしたいんだったら、少し金を貯めれば買えんじゃねぇの?」


「いや、携帯ストラップはやめとくよ。……ゲームで二千三百円を使った後に思ったんだが、景品でプレゼントするのはチョットな。……今は、何をプレゼントするかは白紙の状態さ。真由さんも身に付けない物がいいって言ってたしな」


「俺も姉ちゃんのシタタカな性格は、いつもながらスゲェと思ってんだけどさ。そう言えば康平って、ジュース代はいくら貰ってるんだ?」


「いつもは百円だけど、図書館に行く時は二百円だよ。図書館へ行くと母さんの機嫌がいいんだよな」



 健太が少し思案して口を開いた。


「……明日から図書館へ水筒を持って行けよ。但し、康平は家の人に見つかんなよ。ジュース代貰えなくなっからさ。……康平一人だと危なっかしいから、俺も水筒持って付き合うからよ」


「お前は宿題半分も終わってねぇから、どのみち行かなきゃなんねぇんだろうが」


 康平は突っ込みを入れながら、心の中で水筒持参を付き合ってくれる健太に感謝した。




 家に着いた康平は、麦茶のパックの位置を確認しようとしたが、どこにあるか分からなかった。


 冷蔵庫にある麦茶は結構な量だった。無理して全部飲んだ後、母親に訊いた。


「麦茶無くなったけど、どこにパックがあんの? 俺が作るからさ」


「あれぇ、結構あった筈なんだけど……パックは食器棚の左上の扉を開けるとあるわよ」


 パックは水に入れたままでも麦茶が出来るものだった。作りながら康平は安心した。


 水筒の場所は階段の下の物置に入っているのを知っていたので、康平は問題にせず確認しなかった。



 夜八時過ぎ、康平は亜樹に電話をした。


【明日亜樹は図書館へ行くの?】


【行くけど、康平は宿題終わったんじゃないの?】


【いや今後の為に勉強することは大事だから、明日も図書館へ行こうと思ってさ】


 康平は明日二百円を確実に貰う為、居間にいる母親へ聞こえるように声を大きくした。


【何か怪しいけど……まぁいいわ。明日は綾香も来るようだし、君が来なくても私はいるよ】




 翌日の朝四時、康平は静かに階段の下の物置から水筒を持ち出す。


 急いで麦茶を作ろうとして蓋を開けた瞬間、康平は唖然とした。


 ずっと使っていなかった為か、中にカビが生えていたのだ。


 急いで中の掃除をする。水筒の中のカビは簡単にとれたが、水筒の飲み口は少し複雑な形をしていてなかなかとれそうにない。



「それはボールの中に水と漂白剤を入れて、一時間位漬けておけばとれるわよ」


 困っている康平に横から母親の声がした。康平は更に困った顔になった。



「昨日の様子が不自然だったから様子を見に来たのよ。ジュース代をあげているのに何で水筒を使うの?」


「あ、それは……その……」


 言葉に詰まった康平は、観念して正直にプレゼントの為ジュース代を貯める事を話した。



「これは母さんと康平の秘密ね。父さん達に見つかったらジュース代は出さないから、見付からないようにするのよ」


 母親は苦笑しながら言った。


 水筒の飲み口を、水と漂白剤の入ったボールに入れて康平は走りに行った。



 帰った後、ボールに入っている飲み口を見ると、カビは綺麗にとれていた。



 早速麦茶のパックを水筒に入れようとしたが、入りきらない。


 仕方なく冷蔵庫の中にある容器に入っている麦茶を水筒に移し替える。


 トクトク、トクトク。


 麦茶の入っている容器は口が小さい為、意外に大きな音がした。



 その時、新聞を片手にトイレに行こうとしている父親に見付かってしまった。


「お前ジュース代を貰っているのに、何で水筒なんか用意してんだ?」



 絶望した康平は、正直に訳を話した。



「……この話は母さんに内緒だな。母さん達に見付かったら、ジュース代は無くなるからな」


 父親は、母親と同じように苦笑して言った。


 水筒の件は初日から両親にバレた康平だったが、何とかジュース代を貯める事は出来そうである。



 康平は水筒を持って図書館へ向かった。


 一緒に歩いている健太の大きなバッグにも、水筒の形が浮き出ている。


 健太に素朴な疑問が沸いた。


「俺は宿題をやっつけるけど、康平は本当に勉強すんのかよ? お前、とっくに宿題終わってんだろ」


「…………」


 康平自身も迷ってしまった。



「大丈夫だって! 俺が何とかするからよ」


 健太が笑いながら話す。



 健太がこのセリフを言う時は、大抵アテにならない事を康平は過去の経験でよく知っていた。




 図書館に着くと亜樹と綾香がいた。亜樹が疑いの眼差しで康平を見た。


「健太が宿題をしにきたのは分かるけど、康平は本当に勉強しに来たの? 昨日の電話から何か怪しいのよね」


 まさか二百円を貰う為に図書館へ来たとは言うわけにもいかず、康平は少しだけ期待して健太をチラッと見る。


 健太は綾香の前だとまだ緊張するようで、残念ながらアテにならないようだ。


 今まで康平に茶々を入れると綾香の前でも自然体に戻れる感じなのだが、まだ今日は口が滑らかな状態ではない。



 康平が何て言おうか迷っていると、綾香が口を出した。


「可哀想だよ。きっと健太に付き合ってここに来たのよね」


「……そ、そうだよな、健太」


 咄嗟に相槌をしてしまった康平だったが、心の中で健太に謝罪した。


 康平に付き合ったのは健太の方である。綾香にとっては健太が情けない立場になってしまったのだ。



「まぁ、そういう事にしときますか。……時間が勿体ねぇし、トットと始めようぜ」


 健太は、妙に早い動作で勉強机に向かって歩いていった。


 四人が勉強できる机に座った。健太は黙々と宿題に取り組んでいる。


 健太が気になり、ノートを開いてシャーペンを持ってはいるが、三十分以上経っても康平のノートは白紙のままだ。



「康平は、歴史のマンガで勉強した方がいいんじゃない?」


 亜樹は少し呆れ顔で言った。


 ここの図書館には歴史のマンガ本を置いてある棚があり、康平は亜樹がいない時によく立ち読みしていた。



 更に三十分程経つが、康平はその間トイレに行ったり、勉強する科目を変える為に二回程バッグから本の出し入れをするが、勉強そのものは全く行っていない。



「同じ机にやる気のない人がいると迷惑なのよね。いくら健太に付き合ってるっていってもヒドイんじゃない?」


 今度の亜樹は少し怒っていた。



「それは違うよ」


 康平は即座に否定した。


 この声は大きかったようで、周りの人が一斉に康平を見る。


 図書館のオバサンも、右手の中指で眼鏡を軽く持ち上げて四人を見ている。



 康平は四方にペコペコ頭を下げた。他の三人は康平だけが目立つように頭を低くした。


「何やってんのよ、もう」


 亜樹が声を殺して康平を叱った。



「……ゴメン」


 康平は謝った後、健太の名誉回復をしようと、二百円を貰う為に図書館へ来た事だけでも話すつもりになっていた。


 勿論プレゼントの事は内緒にするつもりだったが……。



「ぷっ……怒られてやんの」


 健太が笑いながら康平をからかった。



「康平は笑われてんのに何か嬉しそうね」


 綾香がクスっと笑った。



 健太が口を開いてホッとした康平は、顔に出てしまったようだ。



 健太が三人に言った。


「ちょっと休憩しようぜ」


「そうね。今日健太は宿題頑張ってたから、休憩を希望する権利があるわね。……康平にはないけど」


 亜樹も同意した。



 康平と健太は水筒を持ち、亜樹と綾香は小さなペットボトルを持ってロビーへ向かった。


「二人共どうしたの? 水筒なんか持っちゃって」


「あ、その……実はさ……」


 綾香に訊かれた康平は、二百円の事をバラすつもりでいたので、そのまま白状しようとした。



「俺達、盆休みの時に無駄金遣ったんだよな」


「ん? ……あぁ」


 横から言った健太に康平は思わず同意した。



「話は変わっけど、図書館に誘ったのは俺じゃなくて康平の方なんだぜ! 亜樹達と勉強するのが楽しいんだってさ」



 康平は、言った記憶が無い健太の言葉に動揺した。



「そうなんだ。今日の康平を見ると、全くもって信用出来ないんだけどね」


 亜樹は人が悪いような顔で言った。


 健太は平然として答える。


「でも、コイツがこの時期に宿題終わるってありえねぇ事だしさ。……それに、俺と康平が家で勉強すると三十分が限度だしね。あとの何時間かは気分転換……ていうか、現実逃避しまくりなんだよな。……康平もここでの勉強は楽しかったんだろ?」


「勉強自体はまだ好きになれねぇけど……ここは楽しかったと思うかも……」


 康平は自信なさげに言った。



 綾香が笑う。


「アハハ、亜樹といるのがそんなに楽しかったんだ」



「……康平、数学の教科書持ってる? 君が本当に勉強が好きでここに来れるようになるまで、今から苦手な数学をミッチリやるわよ。明日からもよ。……分かったわね」


 亜樹は持ってきたペットボトルを殆んど飲まずに机に戻って行った。



 その日、亜樹に散々しごかれた康平は、いつもより勉強が辛く感じてしまっていた。


 図書館での勉強が終わり、部活へ向かう途中に健太が口を開く。


「……最初は悪かったな。綾香にお前が俺に付き合って図書館へ来ているって言われて、動揺しちまったんだよな。自分から同じ事を言うつもりだったのによ」


「いいよ、俺も咄嗟に相槌打っちまったしさ。……でも最初はテンパっていて、途中からいつもの健太に戻ったけど、何か吹っ切れたのか?」


「お前が亜樹に怒られた時から調子が戻ったんだよ。やっぱ康平というイジラレキャラがいねぇと駄目だな。……それはそうとお前、二百円の事を白状しそうだったな」


「え、何で分かったんだよ?」


 驚く康平に健太が笑って言った。


「康平ってホント分かり易いんだよな。でも、ジュース代二百円の事は話さなくてよかったよ。……セコいお金で買ったプレゼントは、貰った亜樹も複雑な気持ちになっちまうからさ」


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