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入部

 四月、入学式が終わって一週間後、県立永山高校ではイベントが催されていた。


 放課後、新一年生が全員第一体育館に集められ、その前でそれぞれの部活動が紹介をしていく。


 サッカー部は、金髪のカツラをかぶった人がリフティングのパフォーマンスをし、野球部は古臭い青春ドラマで一年生の笑いをとっている。


 他の部活も部員を増やそうと、面白可笑しくパフォーマンスを演じていた。


 最後にボクシング部の順番に回ったが、十二人の部員が全員並び、その左端でキャプテンが説明するようである。


 十二人の構成は男女六人ずつで、男子は全員イケメンとは言い難いものの、女子は全員容姿が整っていた。



(あの六人の女の子達はマネージャーかな?)


 一年生の高田康平はそう思った。


「自分達ボクシング部は、少しでも楽をして強くなれるように、スパルタ式ではなく合理的な練習で頑張ってます。一人でも多くの人の入部を待っています! 以上」


 キャプテンの説明は三十秒程で終わり、すぐに全員が下がっていった。



 部紹介が終わり、康平は親友の片桐健太と一緒に学校を出た。電車通学の二人は駅に向かって歩いていた。


 康平と健太は、幼稚園からのくされ縁で趣味や好みも似ている。


 不幸な事に女の子の好みも同じだったようで、中学の時は同時に同じ女の子を好きになってしまった。


 その時二人は、お互いに気を遣って何もしないでいたが、そのうち彼女は別の男子と付き合ってしまったという苦い経験がある。



 駅に着き、電車に乗りながら健太が口を開く。


「康平、お前部活どうする?」


「まだ決めてねえけど、部活しないかもしんねえし、……健太こそどうなんだよ?」


「俺もまだ決めてないよ。ただボクシング部のマネージャー達はみんな可愛かったな」


「……そうだな」



 電車から降りた二人は、自宅近くの古本屋で立ち読みをした後、それぞれ家に帰っていった。


 夜、康平は布団の中に入る。そしてボクシング部の部紹介、特にマネージャー達を思い出していた。

(ボクシングってモテるのかな?)


 奥手な性格の為か、人生イコール彼女いない歴の康平だったが、異性には常に興味があった。


 彼は中学で卓球部に所属していたが、実績もなく、一日サボッてもバレない位の存在だった。これは健太も同様である。


 高校へ入ったら、何かに打ち込みたい気持ちも彼にはあった。


 入部してから二週間は仮入部として扱われ、いつでも辞めていいという話を聞いていた事もあり、彼はボクシング部へ入る事にした。



 次の日の夕方、康平は学校のボクシング場に行った。そこは、プレハブで造られた小さな建物である。


 入り口の扉で健太とかち合う。


 しばらく二人共黙っていたが、先に健太が口を開いた。


「なんだ、お前もやるの?」


「あぁ、ちょっと思うところがあってな。……マネージャー可愛いからだけじゃねえぞ」


 健太がプッと吹き出した。


「俺はマネージャーの事なんか訊いてねえよ。……まぁ俺も、入部する理由の半分はそれなんだけどな」


「どうせ仮入部だしな。……行こうぜ」


 康平がそう言うと、健太が頷いて扉を開いた。



「入ったら挨拶せんか!」


 いきなり怒鳴り声が飛んだ。


 二人は驚き、目を閉じながら下を向いた。二人がそっと上を向くと、顧問と思われる先生が竹刀を持って仁王立ちしていた。


 中肉中背の体格で、オールバックにサングラス、そして金のネックレスまで付けている。とても教師とは思えないような風貌である。


 康平と健太は顔を見合わせ、震えながらも声を張り上げた。


「今日仮入部しました。宜しくお願いします!」


 顧問らしき先生の声が和らぐ。


「挨拶だけは、大きい声でせんとな。俺は顧問の梅田だ。今日は何もしなくていいから、そこの椅子に座って見学していろ」



 梅田が指差した椅子には、既に二人が座っていた。一人は目付きの悪い男で、有馬猛ありまたけると言った。


 もう一人は白鳥翔しらとりしょうという名前で、見るからに暗い感じがする男である。



 康平達が椅子に座ると、部紹介にいたメンバーがポツポツと入り始めた。



「お願いします!」


 それぞれ大声で挨拶をし、深々と頭を下げてから練習場に入る。狭い空間の為か、挨拶の声が練習場全体に響く。


 部紹介に出ていた男子は次々と入ったが、女子はまだ一人も入っていない。


 男子の六人目が入った時に梅田が言った。


「全員揃ったな。今年は仮入部が四人か。分かっていると思うが、うちは学校の中で一番厳しい部活だ。練習を始めるぞ」



(部紹介の女の子達は一体?)


 康平と健太は顔を見合わせた。健太が緊張しながら梅田に質問する。


「先生、部紹介の時は十二人いましたけど……」


 梅田は、何事も無かったように答えた。


「あれは、ボクシング部は人数が少なくて寂しいから、他から借りてきただけだ。何か問題でもあるのか?」


「……いいえ、ないです」


「今日は何もさせないから練習を見てろ。……帰りたい時は帰っていいぞ」



 がっかりした康平と健太だったが、すぐに帰れるような雰囲気ではなかった為、二人はしばらく練習を見る事にした。


 それぞれ準備運動を始めた先輩達は、終えた者から縄跳びを始めた。


 そして、それを二ラウンド行った者は、シャドーボクシングへと練習が進んでいく。


 揃って練習をするのではない。個々にタイマーのブザーに従って三分動き、三十秒休むペースを守って練習を続けている。


 誰も声を出す者はいない。アップテンポの洋楽こそ流れているが、練習自体は静かだ。


「相沢、今のパンチはワンテンポ遅らせろ」


「兵藤、左へ動く時はもっと大きくだ」


 時折梅田の声が練習場に響く。



 練習はミット打ちやサンドバッグ打ちと、段々ハードなものになった。


 部員達は呼吸こそやや荒くなるものの、口を一文字に閉じ、手を抜かずに黙々と練習を進めている。


 弱音を吐けない空気が練習場にはあった。



 康平は、自分がここで練習をやっていけるか不安になった。


 ただ同時に、パワフル、またはスピーディーに動く先輩達を見て格好いいとも思った。



 しばらくして、康平と健太が帰ろうとした時、梅田が言った。


「ボクシングは地味な練習の繰り返しだ。だがな、自分が頑張った分だけ結果に出易い競技だ。仮入部の期間だけでもいいから、一生懸命やってみるんだな」


 翌日の放課後、康平と健太は一緒にボクシング部の練習場へ向かった。


 クラスが違う二人だが、どちらも一人で練習に行くのが嫌で、お互いの教室に行く途中でばったり会ったのだ。


 健太が口を開く。


「クラスの奴から聞いたけど、ボクシング部の部紹介は毎年あのやり方でするらしいぞ」


「……とすると、あの女の子達に釣られたのは、俺達含めて四人か?」


「他はともかく、最低俺達二人は釣られた訳だ」


「ところで健太、ずっとボクシング続ける気か?」


「俺もお前もそんなに根性あるわけねぇから、勝手にリタイアするかもよ」


 二人が話をしているうちに、ボクシング場に着いた。


 康平と健太は大きく息を吸って扉を開き、叫びながら深々と頭を下げる。


「お願いします!」



 二人に竹刀を持った梅田が近寄る。


「よーし、お前らも早く着替えて準備運動しろ」


 有馬と白鳥は既に準備運動を始めていた。


 永山高校のボクシング部は、他の部活と違って全員で声を出しながらの体操は全くしない。全員、各々で準備運動をしている。


 康平と健太は、準備運動が終わった事を梅田に伝えた。梅田は四人に言った。


「一年全員鏡の前に並べ」


 梅田が一人一人に利き腕を聞く。そして、それぞれの構えをつくっていった。


 右利きと答えた康平は、右半身が後ろの構えになった。有馬と白鳥も右利きだったようで同じ構えになる。左半身が後ろの構えになった健太は左利きだった。


 鏡の前で構えている四人を見ながら梅田がユックリと歩く。そしておかしな所を修正する。


 修正が終わり、四人の後ろを二往復した梅田が言った。


「次のブザーが鳴ったら三分間ずっと構えてろ。そしてブザーが鳴ったら休む。またブザーが鳴ったら三分間構える。それを十回繰り返す。分かったか?」


 一年生達は何も言わずに黙っていた。梅田が怒鳴る。


「返事はどうした! ボクシング以前に、挨拶と返事は人として基本なんだよ!」


「は、はい!」四人は慌てて返事をした。



 ブザーが鳴り、構えだけという四人にとって退屈な練習が始まった。


 ところが、いざ始まると一年生達の下半身が辛くなっていった。


 前の足は少し曲げなければならず、後ろ足の踵は上げなければならないからだ。


 ラウンドが進むにつれて、康平達から汗が滴り落ちる。



 近々先輩達の試合がある為、梅田は殆どの時間上級生達を見ているが、時折一年生にもチェックが入る。


 首の角度や手の位置も、崩れてくると竹刀で軽く修正する。



 最後のラウンドが終わった時、一年生全員の膝とふくらはぎが笑っている状態だった。


「一年生は、柔軟体操をしたら帰っていいぞ」


 梅田に言われた四人は、最後の力を振り絞って返事をした。


「はい!」




 着替えが終わり、先に校門を出た四人の一年生は駅に向かって一緒に歩いていた。康平と健太以外の二人、有馬と白鳥も電車通学だった。


 四人共最初は黙って歩いていたが、耐えきれなくなったように有馬が口を開く。


「片桐と高田は友達のようだけど、どこの中学だよ?」


「俺達、北山中から来たよ」健太が答える。


「北山だったら、ここから三駅位か? 近くで羨ましいな」


「有馬君は何中?」今度は康平が有馬に訊いた。


「おいおい同じ一年なんだから、君なんて付けんなよ! 俺は西添中だから駅七つさ」


「遠いね」


「通学だけで一時間位かかるな」


 有馬はツンツン頭で目付きが少し悪いせいか、ヤンチャなイメージだが結構気さくな性格のようである。


 少し後ろで歩いている白鳥は、顔が赤くボサボサ頭で体がズングリしている。そして、どことなく暗い雰囲気があった。


 三人の会話も、どこか聞いていない感じである。


「白鳥はどこの中学?」


 たまらず健太が声を掛ける。健太は博愛的な性格で、そこは親友の康平が彼を尊敬していた。


「……岩下中」白鳥が答える。


「聞いたことないけど?」


「隣の県から来た。今は親戚の家に住んでるよ」


「俺と康平は部紹介の女の子達に騙された感じで入部したけど、有馬と白鳥もそうなの?」


 何か事情はありそうだが、訊ける雰囲気でもないので健太は話題を変えた。



「ハハハ。ボクシング部のペテン部紹介は、有名なんだけどな。俺は高校入ったらボクシングやろうと思っていたから、部紹介の時はいなかったよ」


 有馬が笑って言った。続いて白鳥も答える。


「俺もボクシングやりたくてここに来た……」


「……凄いね」



 駅に着いた時、丁度下りの電車が来たので康平と健太はそれに乗る事にした。


 有馬と白鳥は上りの電車である。


「じゃあな」


 康平と健太は急いで電車に駆け込んだ。


 有馬と白鳥は上りの電車を待つのだが、ウマが合わないらしくお互い離れた所に立っていた。



 練習四日目、部活に来るのは顧問の梅田だけだったが、この日から副顧問の飯島も部活に参加した。


 飯島は数日前に身内に不幸があったらしく、昨日まで学校を休んでいた。


「片桐と高田、ちょっと来い」


 飯島に呼ばれた康平達は、不思議な面持ちで先生の所へ行った。



「お前ら、部紹介の女の子達に騙されたらしいな?」


「……はい」健太が返事をする。



 飯島は笑った。


「男はなぁ、下心で頑張れる時も多いんだから気にすんな」



 飯島は体育教師で、普段からジャージを着ている。角刈りの頭に浮き出た頬骨、そして浅黒い顔からいかにもスポーツマンといった感じである。


 上級生の練習しか見ていないが、ミットを受けながら冗談を混ぜてアドバイスをしている。



 梅田は柄の悪い風貌から体育教師のように見えるが、なんと数学教師だった。


 部活以外での梅田は、オールバックの髪を下ろし、眼鏡はクロブチで金のネックレスも外している。



 昨日康平と梅田が廊下で擦れ違った時、康平は全く気付いていなかった。


「挨拶せんか!」


 怒鳴り声で康平はすぐに誰だか気付き、慌てて挨拶をした。この種のエピソードは毎年あるようだ。


 ボクシング部の二年生に康平と同じ中学の森谷がいた。着替えの時に康平がその事を森谷に話すと、彼は笑って答える。


「ハハハ、あれは梅ッチの部活用の正装なんだよ」


 梅田は、生徒間で梅ッチと呼ばれていた。


 オールバックに薄茶色のサングラス、金のネックレスにとても良く似合う竹刀は、梅田がボクシングに集中する為の必須アイテムのようで、練習の時には必ず変身する。


 共に年齢が四十過ぎの梅田と飯島は、現役時代に対戦したことがあり、一勝一敗のイーブンという噂だが真実のほどは定かではない。ただ、共に選手としての栄光は掴めなかったようである。



 康平と健太は、先輩達から先生の事を教えてもらったが、肝心のボクシングの方は構えしか教わっていない。今日も退屈だが辛い十ラウンドを迎える運命だった。



 入部後一週間経っているが、一年生達はまだパンチを教えて貰っていない。


 相変わらず構えだけだが、この日から前後左右に動く練習も加わった。


 飯島は上級生しか見ていないので、一年生には何も言わない。


 梅田も殆ど先輩達を見ているが、時折一年生達をチラッと見る。


「有馬、右脇を絞れ!」


「高田、右のカカトを上げろ!」


「白鳥、左膝をもっと曲げろ!」


「片桐、右の腰骨はもう少し前だ!」


 全員に細かいチェックが入る。



 永山高校ボクシング部には独自のルールがあり、ラウンド中は特別な事がない限り、返事をしなくて良い事になっていた。

 梅田に言われた本人達は、無言のままフォームを修正する。本人が直したつもりでも直っていない場合には、梅田が竹刀で優しく(?)形を直す。


 拳の位置や膝の向きなど色々細かい。その中でも強調しているのが、顔の向きと重心である。


「顔は正面を向け。顎を横から殴られると効くぞ!」


「重心は、前六後ろ四だ。これで右も左も強く打てるようになるんだ!」


 自分達の後ろで、いい音を立ててサンドバッグを打っている先輩達を鏡ごしに見て、お調子者の健太はパンチを打ちたい衝動にかられた。


 しかし去年この時期、二年の相沢が勝手にパンチを打ったら、悲惨な程怒られた話を聞いていたので、さすがの健太もパンチを打つことを簡単に断念した。


 梅田に言われたラウンドが終わり、柔軟体操をしようとしていた一年生達に梅田が言った。


「お前ら、これから補強を始める。言わば筋トレだ。今から教えるから用意しろ!」


「はい!」



 梅田が教えるメニューは、腹筋背筋、腕立て、懸垂などオーソドックスなものが殆どだったが、特殊なものとしてランジがあった。


 それは、下半身の補強で片方の足を大きく前に出してから体を沈ませる。出した足を元に戻しながら、沈んだ体も元に戻す。それを左右交互に繰り返す。


 このトレーニングは回数ではなく、四ラウンド続けてする。最後のラウンドは、一年生全員が苦悶の表情になっていた。



 全ての補強が終わり、梅田が全員に話す。


「お前ら、今日教えたメニューを毎日やるんだ。いいな!」


 沈黙している四人に梅田が怒鳴った。


「返事をしろ返事を!」


「はい!」


 康平達はツリそうな腹筋に力を入れ、ボクシング場に響きわたる大きな声で返事をした。




 永山高校ボクシング部は、日曜日が練習の休みの日である。


 その休日に当たる日曜日、康平と健太は気分転換する為、遊びに出かける事にした。


 まずゲームセンターへ行ったが、二人が持っていたお金は底を突き、他の友達のプレーを見る時間が多くなった。


 さすがに二人は飽きて、馴染みの古本屋へ行く事にした。


 古本屋の入口に着いた時、男女二人が康平と健太に近付く。


「やっぱり健太と康平だ。向こうのコンビニからお前らが見えたんで走ってきたんだよ」


「あんた達、兄弟みたいにいつも一緒だね」


 康平達に声を掛けた男女は、坂田裕也さかたゆうや鳴海那奈なるみななである。


 二人は康平達と中学時代のクラスメートで、今は青葉台高校に通っている。永山高校とは電車で反対の方向なので、あまり会う機会は無かった。


 裕也が再び口を開く。


「お前らと、同じ学校だったらもっと楽しかったけどな」


「俺と康平の成績じゃ、青葉台は無理なんだよ。……まぁそれは置いといて、会うのは卒業式以来かもな」



「裕也は高校でも野球やってんの?」


 康平が訊いた。


 中学時代の裕也は、野球部でエースだった。小さい頃からやっていたせいか、色はかなり黒い。目は切れ長で顔が整っているのもあって、精悍なイメージである。


「いや、高校からはボクシングやるって前から決めていたんだ」


「……凄いね」


「……あたしは、気が進まないんだけど」


 那奈が浮かない表情で話す。長髪の彼女は色は白く、和風美人といった感じである。


「けど、那奈もボクシング部のマネージャーになってくれたんだぜ。ところで、お前らは卓球部でサボりに磨きをかけるつもり?」


「お、俺達はまだどこの部にも入ってねぇよ。……健太、そうだよな?」


 思わずそう答えてしまった康平だったが、ボクシング部への仮入部は、まだ入部でない事を心に言い聞かせる。


「あ……あぁ」


 健太は複雑な表情で相槌を打った。


「そっか。こっちも部活で忙しいから、なかなか会えないかも知れないけど、今度一緒に遊びたいな」


「じゃあな!」


 二人と別れた康平と健太は、複雑な気持ちになっていた。


 康平と健太が、同時に好きになった女の子は鳴海那奈だった。そして彼女と付き合っているのは坂田裕也である。しかも裕也は康平達と結構仲がいい。


 あの二人は康平達が那奈を好きだった事は知らない。


 康平と健太は二人が憎い訳ではないが、なぜか切ない気持ちになった。


 古本屋には入らずに健太が言った。


「なんでお前、自分もボクシングやってるって言わなかったんだよ?」


 健太の口調が八つ当たりのように感じたので、康平もたまらず言い返した。


「お前だってはぐらかしてたじゃないか」


「空気読めよ。あそこで俺達もボクシングやってるって言える訳ねぇだろ」


 不毛な口ゲンカが続いた後、健太がボソっと言った。


「まだ構えと筋トレしかやってねぇし……部活辞めようかな」


 康平は、何て答えていいか分からずに黙っていた。


 さっきまでの口ゲンカは一時休戦し、健太が別れ際に言った。


「二年の森谷さんに相談してみようぜ」


「そうだな、昼休みでも行こうか」


 二人は真っ直ぐ家に帰って行った。




 月曜日の昼休み、康平と健太はボクシング部二年の森谷へ相談しに行った。


 森谷は康平達と同じ中学の先輩で、ゲームセンターで会うとたまに話すような間柄だった。


 何をされる訳でもないのに、ちょっと緊張しながら先輩がいる教室へ向かった。すると、森谷は相沢と廊下を歩いていた。


「なんだお前ら、こんな所でどうしたんだ?」


 森谷が康平達に訊いた。



「……せ、先輩達に用があったんです」


 健太は森谷だけに相談する訳にはいかず、咄嗟に嘘をついた。


 相沢がいることは予想外だったが、彼は自身が先生から怒られた事を康平達に教えてくれた人で、二人にとっては好感の持てる先輩だった。



 地味な練習ばかり続いている事。ズバ抜けて運動神経がいい方では無いので、続けていく自信がない事を話す。


 森谷と相沢は顔を見合わせたが、森谷は意外にも明るい表情で答えた。


「大丈夫だよ! 俺達も最初は同じ気持ちだったから心配すんな」


「そうそう、今週の土曜日になれば辞める気持ちなんてなくなるからさ」


「相沢が言ったように、騙されたと思って土曜日まで続けてみるんだな」


 康平と健太は意味不明のままだったが、先輩達の明るい雰囲気に妙に納得させられ、土曜日まで続けてみる事にした。




 金曜日。それまで拷問に感じられた地味な練習が続いたが、最後の柔軟体操に差し掛かると梅田が言った。


「一年にはまだ言ってなかったが、明日は練習試合があるから朝九時学校集合だ。いいな」




 土曜日の朝、永山高校ボクシング部員は練習試合の為学校に集合した。


 目的地は、隣の県の早瀬工業高校である。


 部員はそれぞれ、梅田と飯島の車に乗って目的地へと向かった。


 毎年この時期になると、永山高校と早瀬工業は合同練習という形で練習試合をしている。


 県が違う為、お互いインターハイ予選で当たる事はないので、対外試合をするにはうってつけの相手なのだ。



 二時間程で早瀬工業に着く。そこには古い建物だが、かなり広い練習場があった。そして三十人以上の部員が練習していた。


 全員で挨拶をし、すぐにウォーミングアップに入る。


 毎年二・三回合同練習をする間柄なので、顧問の先生同士は勿論、三年生同士でも最近の事など親しく話している。


 合同練習の内容は、五ラウンドのシャドーボクシングから始まり、その後試合形式のスパーリングをし、最後にシャドーボクシングを三ラウンドする。


 ウォーミングアップが終わって合同練習が始まった。



 まずは五ラウンドのシャドーボクシング。


 シャドーボクシングと言っても永山高校の一年生達は構えしか習っていないので、恥ずかしい気持ちで構えのポーズを始めた。


 康平達がチラっと早瀬工業の一年生達を見た時、彼等も構えだけで動いてはいない。


 知らない者同士なのもあってか、微かな敵愾心を発したりしながらも、二校の一年生達はホッとしながら構えだけのシャドーボクシングに集中した。



 五ラウンドのシャドーボクシングが終わり、先輩達は試合形式のスパーリングをする事になった。


 スパーリングは軽いクラスから始まった。


 最初は、ライトフライ級(四十九キロ以下)で予選に出る予定の大崎が出た。彼は二年生である。相手も二年生らしい。


 軽量級なので迫力は感じられないが、とにかく速い。そしてパンチの数が非常に多い。


 かなりの打ち合いになったが、その直後に大崎がもう一度攻めてパンチを当てるシーンが目立った。


 一年生達の目にも、先輩の優勢なのが分かった。



 その後、フライ級(五十二キロ以下)、バンタム級(五十六キロ以下)と階級が上がっていったのだが、全体的には永山高校が優勢な試合が多かった。


 中でも目立ったのは、主将の石山(フライ級=五十二キロ以下)と、ライトウェルター級(六十四キロ以下)の兵藤(三年)である。



 石山は小柄でオーソドックススタイル(右構え)だが、左のパンチが恐ろしく強い。特に左フック・左ボディブローはブロックの上から当たっても、フライ級とは思えない凄い音がした。


 二ラウンド目に石山の左アッパーが顔面にヒットした。相手が千鳥足になりストップになった。



 ライトウェルター級の兵藤は、右利きなのだが構えはサウスポーだ。中学までずっと剣道をしていたそうで、本人の希望でサウスポーになったらしい。


 長身で細身だが利き腕の右フックが強く、そしてよく当たる。


 相手が強引に前へ出た時、兵藤の右フックが顔面にヒットして、相手は前のめりに倒れてしまった。



 相沢と森谷も、相手が三年生だと苦戦していたが、二年生相手だと有利に試合を進めていた。



 こうして全員のスパーリングが終わり、三ラウンドのシャドーボクシングを始めたが、永山高校の四人の一年生達は、どこか誇らしげに構えだけのポーズに集中していた。



 合同練習から帰った康平と健太は、家の近くの古本屋で立ち読みをしていた。


 マンガを読みながら健太が康平に言った。


「今日は楽しかったな」


「あぁ、そうだな」


「飯島先生が言ってたけど、うちの高校はかなり強いらしいぞ」


「俺も思ったよ。二年もみんな強いもんな」


「兵藤先輩カッコ良かったな。相手前のめりでダウンだぜ」


 話のテンションが上がり始めた途端、二人は古本屋の店主に怒られた。


 いつもは立ち読みを許しているのだが、今日はウルサクくて迷惑だったらしい。


 さんざん謝った後二人は外に出た。



 小さい頃から店主に何回か怒られていたのもあってか、ケロっとした顔で健太が再び話し掛ける。


「俺さぁ……部活続けてみるけど、お前はどうする?」


「構えだけやらされてるのは、うちの高校だけじゃないみたいだし、俺も続けるつもりだよ。……それに試合で勝つと気持ち良さそうだしな」



 月曜日の部活。練習場へ入った一年生達に梅田が話し掛けた。


「お前ら一年は、今日から構えの練習は五ラウンドでいいぞ。その後パンチを教えてやる。今日はジャブだ。いいな?」


「はい!」


 一年生達は一際大きな声で返事をした。



 梅田の突然の一言に、康平と健太のやる気が一段と湧いた。


 感情が顔に出やすい有馬は本当に嬉しそうである。


 白鳥は分かりにくいが、急いで着替えている様子からやる気になっているらしい。



 康平達にとって長く感じられた五ラウンドが終わった。


 インターバルが終わり、梅田が口を開く。


「いいか? 構えた所から真っ直ぐ前の方の拳を突きだす。やってみろ」



 四人が思い思いにジャブを打つ。


 健太だけはサウスポーなので右ジャブだが、他の三人は左手が前なので、左ジャブを打つ。


 構えと同様に梅田の細かいチェックが入る。


「ちゃんと構えた所から打て!」


「反対の手を顔から離すな」


「打つ時、目をつぶらない!」



 梅田は約一ヶ月後のインターハイ予選の為、先輩達を見なければならず、特に意識させたい部分を言った。


「ジャブは前六後ろ四のバランスのままで打て。打つ時は、顎を引いたまま肩の回転を使って打つ。いいか、無理しても肩を回して打てよ。六ラウンドが終わったら筋トレだ。いいな!」


「はい!」



 筋トレが終わって柔軟体操をしていた一年生達に、梅田が言った。


「ジャブは、体の捻りを大きく使えないから難しいパンチだ。実戦で使えるまでに、一年位かかるつもりで根気強く身に付けろ!」


 梅田は話を続けた。


「明日は、後ろの方の拳で打つストレートを教えるからそのつもりでいろ」


「はい!」


 しばらくジャブだけの練習をすると思っていた四人は、返事をしながらも意外な一言に戸惑っていた。


 練習が終わり、一年生達は更衣室でゆっくりと着替えていた。


 汗でビショ濡れのTシャツを脱いだ有馬が康平に言った。


「なぁ、一昨日の先輩達強かったな」


「あぁ、カッコ良かったよな」


「俺は、石山先輩みたいになりてぇんだけどな。強打者タイプって何かゾクッとするよ」


 健太が話に割り込む。


「有馬は細身だから、タイプが違うかもよ」


「まぁ、そうかもしんねぇけど、憧れるのは自由だろ」



 そのうち、最近ハマッているゲームや学年の女の子達の事に話が脱線すると、白鳥を除いた三人の着替えが完全に止まってしまった。


 しばらくすると、主将の石山がTシャツを取り替える為、更衣室に入って来た。


「お前ら、まだいたの?」


「ス、スイマセン。すぐに着替えます」


 呆れ顔の先輩に、有馬が慌てて着替えを再開する。


「ハハ、そんなに急がなくていいよ」


 石山は、獰猛な戦い方をする割に温厚な性格のようである。


 石山が更衣室を出る時、健太は疑問に思った事を言った。


「うちの部はジックリ教える方針のようなんですけど、ジャブだけは違うんですか?」


「それはジャブをマスターするまで、ジャブだけずっと打ってたら、それだけを打つバランスになってしまうからな」


「そういうモンなんですか?」


「バランスって意外とデリケートだからさ。あ、お前らサッサと帰んねぇと怒られるぞ」


「は、はい、急いで帰ります」


 三人は急いで着替える。


 既に着替えを終えている白鳥は三人を待っていた。無口ではあるが一緒に帰りたいようだ。


 一年生達は梅田に睨まれながら、そそくさと帰っていった。



 翌日一年生達は、後ろの手で打つストレートを習う事になった。教える前に梅田が説明した。


「いいか、これからストレートを教えるぞ。最初に後ろ足を回す。次に肩を回す。最後に腕が伸びる感じだ。それを流れるようにやってみろ」


 康平達はそれぞれストレートを打つ。


 昨日のように梅田は上級生の指導が忙しいらしく、ポイントをだけを付け加えた。


「前足は少し内側に曲げたまま動かさないで打て。パンチは打ったらすぐに戻す。重心は六対四から七対三へ移る。ストレートだけを四ラウンドやる。いいな!」



 ストレートだけの四ラウンドが終わり、一年生達は筋トレに移った。


 それも終わりに近付いた頃、梅田が四人に言った。


「お前ら筋トレが終わったら、すぐにシャドー(ボクシング)をゆっくりやれ」


「はい」


 一年生達は理解出来ないまま、習った左右のストレートをゆっくりと打っていった。


 梅田が補足する。


「いいか。パンチを打つ時の使う筋肉を意識しろ。筋トレで鍛えた筋肉を、パンチ用に切り替える為のトレーニングだ。分かったな」


 康平達は、少し納得できた表情でパンチをゆっくり打ち始めた。



 数日後、左右のパンチを習った一年生達に、練習メニューが組まれた。


柔軟体操


縄跳び 二R


シャドーボクシング


構え 二R


ジャブ 二R


ストレート 二R


左右パンチ 三R


サンドバッグ 三R


左右ストレートのシャドーボクシング 一R


筋トレ


ゆっくりシャドーボクシング 二R


柔軟体操


という内容だ。


 新たにサンドバッグ打ちがあるが、その時は不思議と梅田のフォームチェックは無い。よほどサンドバッグに体を預けて打ったり、顎が極端に上がっている場合でなければ何も言われない。


 フォームが悪くても、サンドバッグをガンガン打たせて筋肉を付けさせる方針のようだ。


 筋肉が付かなければ正しいフォームで打つことも出来ないというのが、梅田の持論らしい。


 練習後、梅田は一年生全員に言った。


「これからパンチを打つ軸が固まるまで、この練習メニューが続くからな」


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