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シオン  作者: あいちあい
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第4話「再びの青弥」

 あの曲がトロイメライだと分かってから数日が過ぎた。


 結局、音楽準備室の一件以来青弥から声を掛けられることがなかった紅は、二学期の終業式を明日に控えた中、残り一か月を切った大学入学共通テストに集中することが出来ていた。

 

 もし紅が明るい高校生活を送れていたら、受験間近でも青弥みたいな一軍男子からピアノ演奏が録音されたURLをもらえば心がざわめいたかもしれない。

 でも紅はそうじゃなかった。

 曲を聴いた時は驚いたし、曲名が分かったのも嬉しかった。そして誰が演奏しているのか、なぜ青弥は私にこれを聴かせてくれたのかなど疑問も湧き上がったが、それはその時だけだった。紅のこれからの方が長い人生設計を作る為の今の時間を、そんなことに使う余裕などあるはずもなかったからだ。

 

 当たり前だが志望校である地元の国立大学の偏差値はとても高い。

 担任からは紅の成績なら合格する可能性はあると言われていても、独学なので、学習塾通い組の追い込みは恐怖でしかない。


 そんな日々を送る中、今日も図書室にはトロイメライが流れてきた。

 

 紅は帰り支度をして扉へと向かうと、隣接された自転車置き場に駐めていた自転車の前かごにリュックを入れ、とっくに日が暮れた帰路を五十分かけて走るために、マフラーをしっかりと首に巻き直してから自転車に(またが)った。


 そして半分くらい来たところだろうか。

 紅はある小さな交差点に差し掛かり赤信号で止まると、進行方向の先にある、店内からの明かりが煌々ともれるコンビニエンスストアが目についた。


 そこはガラスの壁面に『クリスマスケーキ発売中』や『ご一緒にチキンもいかがですか』と書かれた大きな幕が掲げられており、今朝は気が付かなかったが昨日までとは違う目立ちぶりから、今日がクリスマスイブだと強調して教えてくれている。

 ちなみにここから見える範囲でもコンビニは他に二店舗あり、どこもケーキとチキンが一押し商品であることが遠目ながらにも分かる。それがクリスマス気分を盛り上げるのではなく、熾烈なクリスマス商戦にしか思えない紅は気の毒に思え、(売る方は大変だろうなぁ)と漠然と思う。


 信号が青に変わり、紅は自転車を押して交差点を渡ろうとした。

 すると目の前に見えていたコンビニの中から、制服を着てリュックを背負った学校帰り姿の青弥が、手に大き目なクリスマスケーキの箱を持って現れた。


(岩森君!?)

 

 まさかの遭遇に驚いた紅は、前輪が横断歩道にかかったところで足が止まった。

 さらに青弥のすぐ後ろから小さな女の子が出てきたかと思うと、青弥はケーキを持っていない右手をその女児に差し出し、手をつないで歩道側の危険から守るように隣に立ってゆっくりと歩き出した。その小さな姿は高身長な青弥の腰ほどしかなく、頭身からも幼さが見て取れる。


(もしかして、あの子が妹さん!?)


 十三歳年上の兄と歩く妹はテンションが高いのか、手をつなぎながらスキップを始め、赤いポンポンがついたヘアゴムで結ばれたツインテールが揺れる後ろ姿はとてつもなく可愛い。その姿は端から見れば微笑ましいものでしかないはずなのに、紅はなぜか咄嗟に目を反らし、気が付けば信号を待っていた場所に自転車ごと戻っていた。


 渡ればどうやっても青弥を追い抜いてしまい、きっと自分だとバレてしまう。

 もしかしたら青弥は、家族と一緒にいる自分の姿を見られたくないのかもしれない。自分ならプライベートの姿は誰にも見られたくないと、思わずグルグルと考えてしまう。


 結局紅は横断歩道の手前でゆっくりと歩く青弥達の姿が消えるのを待ち続け、信号を二回見送ってから自転車を走らせた。

 


「ただいまぁ」

 鼻を赤くした紅がアパートに帰ると、いつもより一時間早い出勤の母親の姿は無く、食卓テーブルの上には手書きのメモが残されていた。


ーー今年もケーキはお客さんがくれると思うから楽しみに待っててねーー


「……ありがたいことで」


 母親が働くスナックでは毎年クリスマスの二日間はイベントを開催していて、今日母親が早く出勤したのもその準備の為だ。そして毎年クリスマスケーキをホールで持って来てくれるありがたい客がおり、母親はちゃっかりそれを持ち帰ってくるので、紅はここ十年近く毎年クリスマスケーキにありつけている。


「ふふ。じゃぁ明日の朝ご飯はケーキでいいね」


 紅は台所の床に置かれた小さなヒーターのスイッチを入れると、リュックから取り出した水筒を手に持ってシンクの前に立ち、食器を洗うスポンジに手を伸ばした。


 そして翌朝、いつも通り目覚めた紅は、食卓テーブルに母親が宣言通りにゲットしてきた十二センチサイズのクリスマスケーキの箱を見つけると、四等分にカットしてその一つを朝食代わりに食べ、残りは箱に戻して冷蔵庫に入れた。こうしておけば、起きてきた母親も食べてくれる。


 家を出る時間が近づいた紅は、母親を起こさない様に部屋の(ふすま)を少しだけ開けると、布団で眠る母親の後ろ姿に向かって小さな声で「行ってきます」と告げ、静かにアパートを出た。ーー今日は終業式なので帰りは早いですーーというメモを食卓テーブルに残して。


 

 自転車で走る紅の視界に、昨夜青弥を見掛けたコンビニが見えてきた。

 相変わらずガラスの壁面には『クリスマスケーキ発売中』の幕が張られていたが、余計なことを考えたくない紅は視線を向けず、前だけを見て自転車を走らせた。


 終業式は、時間通りに教室にやって来た担任が気を利かせたのか、ありきたりの冬休みに対しての心構えと体調管理について手短に話すと成績表を渡し、あっという間に終わらせてくれた。

 担任が去ったあとの教室では、クラスメイト達は名残惜しそうにしゃべり込んでいたが、誰とも話す事が無い紅はさっさと教室を後にすると、自転車置き場へ向かった。


 だが駐輪場に紅が着くと、背後から「坂本」と呼ぶ声が聞こえる。

 

「え?」

 紅が振り向いた先には、青弥が立っていた。


 「え!?」と驚く紅に、青弥は「お前、帰るの早過ぎじゃね?」と苦笑いしながら近づいて来ると、持ち手に赤いリボンが結ばれたA四サイズの大きさの紙袋を「はい」と差し出してきた。思わず紅は受け取ったが、紙袋はずっしりと重く、一面に大きく描かれた果物のイラストが存在感を醸し出している。


「これ、何?」

 紅は訝しみながら、その紙袋に視線を向ける。


「スマホのお礼。遅くなってごめん」

「……お礼?」

 青弥の言葉を聞き、さらに紅の顔が曇る。


「私、要らないって言ったよね。それにこんな高い物、受け取れるわけないじゃん」

「なんで高いって分かるの? 中身まだ見てないでしょ」

「そんなの見て分かるし」

「あ、じゃぁもう持ってた? 学校で使ってるとこ見たこと無いからまだ持ってないかと思ってた」

「……確かに持ってはいないけど、でもということはやっぱりタブレットなんでしょ。だとしたらほんとに受け取れないから。いくらなんでも高すぎるって」


 紅は青弥の手に紙袋を持たせようと試みるが、後ろ手に組んでしまった青弥の両手に中々手が届かない。


「ねぇちょっと、まじで受け取って。返したいんだって」

「ダメ、もらって貰わないとこっちも困る」

「なんで岩森君が困るのよ。絶対無理。ごめんだけど無理だから」


 粘る青弥を前に紅も一歩も引かないでいると、何かを察した青弥は突然紅の手を取り、「こっち来て」とその手を引いて走り出す。


「ちょ、ちょっと、何!?」


 青弥に手を引かれて駐輪場を離れた紅は、すぐ隣に建つ図書室の裏手に着いた。図書室は今日は閉館日なので、この辺りをウロウロする生徒は誰もいない。


「急にごめん。人が来たからさ」


 あぁそうか、と紅は納得した。

 目立つ青弥の行動は、学年関係なく生徒の間に広まるのが簡単に想像出来る。 


 青弥は申し訳なさそうな顔で話を続けた。


「じゃぁさ、お礼がダメならクリスマスプレゼントは? 今日ちょうど二十五日だし」

「クリスマス?」

 

 そんな理由で交流がほとんど無い人から高価なクリスマスプレゼントをもらうのは、やっぱり紅にはしっくりこない。まるで貧乏が故にほどこしを受けるかのようで、紅はとても嫌だった。


「あの、ほんとに私は大丈夫だから。トロイメライの曲だってもらってるし。お気持ちだけいただきますから、もう帰っていい?」


 一刻も早くここから去りたい紅は、青弥の足元に紙袋を置くと、今来た道を戻ろうとした。


「じゃぁ合格祝い!」


 紅の足が止まった。今の紅に取って、それは間違いなくキラーワードだった。

 背を向けたまま立ちつくしている紅に、青弥は紙袋を拾い上げると背後に近づき、そっと紅の手に持たせる。


「合格祈願も兼ねて先に渡してとく」


 顔が見えないせいか、優しい口調の青弥の声が紅の心に沁み込んで来る。


「もしダメだった時は、どうしたらいいの?」

「何言ってんの? そんなことはありえないでしょ。坂本頭良いじゃん」


 その青弥の言葉にホッとした紅は、「……うん」と返事をするのが精いっぱいだった。

 合格祈願と言われて渡されてしまうと、突き返す勇気はもう出ない。

 紅は紙袋を胸の前で抱えると振り返り、青弥に向かって「ありがとう」と小さく頭を下げる。

  

「良かった。大学の講義はタブレットを使うとこが多いからぜひ活用してやって。その方がそいつも喜ぶから。じゃぁ良いお年を!」

 

 そう言い残すと青弥は小走りでその場を去って行き、一人残された紅はポカンとなった。


「そこはメリークリスマスじゃないんだ」 


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