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シオン  作者: あいちあい
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第1話「スマホを預かっただけなのに」

 十二月の朝は寒い。特に台所は一際寒く感じる。

 でも世の中の多くの人は、この寒さと戦いながら毎朝台所仕事をこなしている。


 高校三年生の坂本(さかもと)(べに)もそんな一人だった。

 足元から底冷えする寒さの中、制服のスカートの下にジャージを履き、ジャケットの代わりにダウンコートをはおりながらも、いつものようにおにぎりを握っている。

 

 紅は手際よく少し小さめのおにぎりを五つ握ると、三つは皿に乗せ、ラップをかけて二日酔いに効くと書かれた市販の胃薬の箱と一緒に、食卓テーブルに置く。そして残り二つはラップでくるんで巾着袋の中に入れてから、台所から続く玄関近くに置かれた通学用のリュックの中に入れた。

 これで準備完了だ。


 紅は「うぅ、さむ」と両手を温めるように擦り合いながら台所から続く二つある扉の一つを開けると、そこには布団の中に潜り込み、後頭部を少しだけのぞかせて眠る母親の姿があった。


「お母さん」

 枕元に座った紅が声を掛けた。だが母親は無反応。これはいつものことだ。今までだって一度で起きた試しはない。


「お母さん」

 紅はもう一度声を掛けた。すると数秒後、布団がもぞもぞと動いたかと思うと、目を細めて気だるそうな母親の顔がひょこっと現れる。


「おはよ、お母さん」

「……おはよ。……え? もう学校?」

「そう、学校。テーブルにおにぎりと胃薬が置いてあるから。あと鍋には昨日の味噌汁の残り」

「うん、ありがと」

「じゃぁ、もう行くね」

「うん。行ってらっしゃい。車に気をつけてね」


 紅は「はぁい」と返事をしながら部屋を出るため立ち上がろうとすると、母親が思い出したかのように「あ、ちょっと待って」と呼び止める。


「なに?」

「紅に預けたい物があるの」

「預けたい物?」

 

 母親は上半身を起こし、「うぅさむ」と言いながら枕元に置いてあったバッグからスマホを一台取り出すと、「はい」と紅に向けて差し出した。


「え? スマホ?」

 

 紅が訝しみながらも見た事がないソレを受け取ると、母親はすぐ布団に潜り込む。


「これ誰の?」

 紅はスマホをまじまじと見ながら母親に問う。


「昨日の客がお店に忘れてったやつ」

「え!? なんでそんなの持ち帰ってくるの? お店に置いてこなきゃダメじゃん」

 思わず紅の声が大きくなる。


「そのつもりだったんだけど、忘れたことに気付いてすぐ折り返しがあると思って持って帰ってきちゃった。なんかもっとお話したいと思っちゃって」

「思っちゃったって……」

 

 紅の母親はシングルマザーだ。だから恋愛は自由で、紅も止めるつもりはない。というより女手ひとつでここまで自分を育ててくれた母親に、これからは自分のためにも時間を使って欲しいとさえ思っている。だからたまに母親が客と恋をしても、紅はいつも見守っていた。だがそれはあるひとつの条件をクリアしている時に限ってだ。


「その人ちゃんと独身なんだよね?」

 これがその条件だ。


「ううん。なんか再婚したばかりみたい。奥さんの連れ子が可愛いってメロッてた」

「じゃぁダメじゃん! 不倫だけは絶対にダメだからね!」

 またまた紅の声が大きくなる。


「分かってるって。だから紅にそれ託すんじゃん。昨日はちょっと魔が差しただけ。それくらいイケオジだったのよ。もう少し早く出逢いたかったわ」

 

 そう苦々しい顔で話す母親を見て、紅の溜飲が下がる。


「とにかく、これは今日お店に持ってってよ。お客さんの忘れ物を黙って持ち帰ってきたなんて、ママさんに怒られちゃうからね」

「えー、じゃぁ出勤まで私が持ってるってこと?」


 その母親の面倒臭そうな声に、紅は「しょうがないでしょ」と呆れる。だがそのすぐあとに、一抹の不安が頭をよぎる。

 

(ちょっと待って。もしお母さんが一人の時に電話がかかってきて、万が一でも誘われちゃったりしたらどうなるの? 電源を切ってたとしても、もしかしたらお母さん、気になってつけちゃうかもしれないし。となるとやっぱり、私が持ってた方が安全な気がしないでもないような)

 

 紅が考え込んでいる。すると母親は「どうしたの? 寒いからドア閉めて」と、どんどん布団に潜り込んでいき、紅の不安などまるで感じ取ってない様子がうかがえる。


 その姿を見て、紅の中で結論が出た。


「やっぱりこれ、私が預かるわ」

  

 すると母親は「ほんと?」と布団から顔をひょっこり出し、その顔は嬉しそう。


「でも学校から帰ってきたらバトンタッチだからね。そして絶対にお店に持っていくこと」

「おっけーい。ありがとう、助かるわー」

「あ、もう七時二十五分じゃん。やば」

「あらあら、いつもより5分遅刻ね。引き留めてごめんね。行ってらっしゃい」

「行ってきます!」


 紅はスマホを手に持ったまま、急いで玄関に向かった。

 そしてリュックの中にスマホを投げ入れると、靴を履きながら手袋と耳当てをつけ、改めて「行ってきます」と母親に向かって声を掛けてから、扉を開ける。


 紅の住むここは、大きな河と川の間の土手道沿いに建てらてた、二階建ての築古アパートだ。外廊下の先にある階段を降りると、駐め放題で名ばかりの駐輪場がある。

 紅はそこに置いてあったママチャリの前かごにリュックを入れると、サドルに跨って目の前の土手道を勢いよく走り出した。


 ここから紅が通う県立高校まで自転車で五十分。

 まぁまぁな距離にも関わらず、紅はこの道のりを、雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も、入学以来一度も遅刻することなく、自転車通学をしている。

 

 だから今日も間に合わせてみせる。

 これは紅の願掛けだ。

 三年間、一度も遅刻せず学校に行けたら、きっと希望する地元の国立大学に合格できる!


 紅の想いの込もった一心不乱のペダル運びの甲斐があり、今日も無事に遅刻することなく校門をくぐることが出来た。

  

 そして向かった三年二組の教室。

 紅は「おはよう」と言って中に入るが、その挨拶に返事をしてくれる生徒は誰もいない。これもいつものことだった。紅には挨拶を交わせるような友達はいないからだ。


 だがそれも仕方がなかった。友達と遊べる時間もお金もなく、休み時間はいつも予習復習に当てている紅に友達など出来る訳もなく、ましてや成績がトップクラスとなれば、近寄り難いに決まっている。それを紅も分かっていたから、自分から積極的に行動に出ることは控えていた。いじめられることさえ無ければ、それでいい。


 廊下側の自席に着いた紅は、リュックから授業で使う教科書やタブレットを取り出した。だが母親から預かったスマホのことは、必死に自転車を走らせている内にすっかり頭から抜けていた。自転車の前かごにあったリュックが走行中に揺れたことで、スマホが奥深くまで滑り落ちてしまった事と、自分のスマホは制服のジャケットのポケットにいつも入れていたことから、すっかり失念してしまったのだ。


 教室後方には生徒一人ずつに与えられた扉なしの個別ロッカーがあり、ここに各々がコートやバッグを入れることになっている。紅はそのロッカーにリュックを入れると、脱いだダウンコートや防寒具をその上に押し込み、自席へ戻ろうと踵を返す。すると次の瞬間、突然賑やかなファンファーレの音楽が流れ始めた。


(あ! スマホ!!)

 

 紅はその音でリュックにスマホがあることを思い出した。流れているファンファーレは自分のスマホの着信音ではないし、さらに言えば、マナーモードにしてあるので着信音など絶対に鳴る訳もない。

 

 紅は慌ててロッカーのリュックに手を掛けた。この段階で、その音色がリュックの中から鳴り響いていることが分かる。


(やばいやばい。早く消さないと!)


 今朝は自宅を出るのがいつもより遅くなったため、リュックに入れる時に電源を切らなかったことを紅はものすごく後悔した。近くにいる生徒達が不思議そうに自分を見ているのも居た堪れない。


(待って待って! すぐに消すからちょっと待って!)


 紅はリュックの中をまさぐり、底に沈んでいたスマホを見つけると急いで取り出した。すると画面には『青弥』の文字が表示されている。

 それは、今まさにこのスマホに電話を掛けている人物の名前だった。


「……青弥(あおや)?」

 

 しゃがみ込んだ紅が、スマホを見てそう呟く。すると視界の中に男子生徒の足が現れたかと思うとしゃがみ込み、次の瞬間、紅の頭上で男の声がする。


「まじか、すげぇぇぇ」


「え?」っと紅が顔を上げると、そこにはクラスメイトの岩森(いわもり)青弥(あおや)の顔があった。

 膝を突き合わせるかのようなその近さの距離に突然のイケメンのアップ。

 思わず紅の息が止まる。


 青弥は紅の目の前に、スマホを静かに見せて来た。その画面には『信二』の文字。


「これ、信二っておやじの名前なんだよね」

 

 そいう言うと、青弥は紅が見えるように通話オフボタンをタッチする。すると紅の手元にあったスマホから流れていたファンファーレがピタッと止まる。


「ほらね」と、青弥の口角が綺麗に上がるのと反対に、紅は驚き過ぎて声が出なかった。

 

「追跡機能見てたら徐々に学校に近づいてくるからさ。まさかと思って鳴らしてみたら坂本が持ってたなんて、びっくりだよね」

「ごご、ごめんなさい! お返しします!」


 紅は頭を少し下げ、両手のひらの上にスマホを乗せて献上品かのように差し出すと、青弥は「いやなんで謝んの? 逆でしょ」と言いながら受け取り、「すっげー奇跡にまじびびってる」と呟く。


(奇跡? 幸運とは何もつながらないのに?)

 紅は胸の辺りがモヤッとする。


「まじ助かった。ありがとう。今朝親父からスマホを落としたから探してくれって頼まれて困ってたんだ。これどこにあったの?」

「……どこ?」


(……言えない。スナックだなんて言いたくない)

 紅が言葉に詰まる。

 

 すると、ガラガラガラッと扉が開く音がした。一時間目の数学教師が前の扉を開けて中に入って来た音だ。自席を離れていた生徒達が一斉に席に戻り始める。


「あ、やべ、先生来た」


 青弥も同様に席に戻るために立ち上がり、「とりあえず戻るか」と右手を紅に差し出すと、紅は条件反射でその手を掴んだ。すると青弥はクイッとその手を引っ張って紅を立ち上がらせると、「後でお礼するからその時詳しく聞かせて」と言い残し、窓際の自席へと戻って行く。


「おーい、早く席に着けよ」

 数学教師の声が教室内に響き渡る。


 ほどなくして一時間目の授業が始まったが、紅は珍しく授業に集中できなかった。

 このあと、どうやって青弥に説明すればいいのか、紅の頭はこんがらがっていたからだ。

 

ーーあぁもう、やっぱりスマホなんか預からなきゃよかった!ーー

 

 まさか、スマホを預かっただけでこんなことに巻き込まれるなんて。

 今朝の自分の判断に紅は泣くに泣けず、つくづく心から後悔した。


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