エピローグ Would you mind if I wrote your story?──あなたの物語を書かせてもらっても良いかな?
二十二時になった。
私は泣きながら息を吸う。
吸った息が震えて、吐いた息が熱い。
熱い息がフードの内側に溜まって、視界が結露している。
フードの向こうで世界は相変わらず回っている。
回っているのに──その回り方の中に、確かに『私』が混ざっていた。
──十分。二十二時十分。
その十分を受け取った今、私はやっと気付く。
今日ここに来たのは、髪を見せるためだけじゃない。
言うためだけでもない。
──自分で、前へ進むためだ。
進む、というのは、きっと。
相手がこちらを選ぶかどうかじゃなくて、自分が自分を置き去りにしないことだ。
私はフードの奥に隠れたまま、紙袋の取っ手に指を触れる。
紙は薄くて、薄いのに、指の跡だけは残りそうな薄さだった。
白いものを隠したはずなのに、白は私の手の中でだけ生きている。
白いマフラは、未だ見せていない。
短い髪も、未だ見せていない。
でも、見せる前に壊れた温度があるなら──それでも私は、ここまで来た。
しおりさんが私の視線に気付き、目を合わせ、小さく頷く。
言葉は無い。
でもその頷きが『もう大丈夫』と伝えてくれる。
私は十分を胸に抱える。
泣き声は出ない。熱だけが残る。
優しさの匂いが私の中で絡まっていた何かを──少しだけ、解いていく。
呪いみたいに私を席へ縫い付けていたものが、静かに解ける。
解けた糸の端が、未だ胸に残っている。
残っているけれど、もう、首は回る。
私はフードの中で目を閉じる。
十分の間に、呼吸を取り戻すために。
十分の先で、外へ出るために。
違う。そうじゃない。
フードの内側は暗くて、ソファの柔らかさだけが私をここに留める。
座っていれば、物語は始まる。
けれど──座ったままでは、終われない。
しおりさんを見る。
さっきの頷きは『もう立てる?未だ走れる?』──そう伝えていた。
靴底が床の存在を思い出す。
体重がほんの数ミリだけ前へ寄る。
『行っちゃえ、女の子』──きっと、そう伝えていた。
涙が喉へ落ちる感覚がだんだん遅くなる。
胸の奥が痛いまま、痛みの置き場所だけが変わる。
未だ優樹さんはそんなに遠くに行ってないはずだ。
時計は二十二時三分。
──映画も、物語も立ち上がることで終わりを迎える。
* * *
店内はいつも通りだった。
いつも通りじゃないのは、私だけだ。
でも、いつも通りの場所でしか書けないことがある。
私はiPhoneのメモアプリを開く。
忘れないためじゃない。
忘れなくても呼吸できるようにするために。
世界は両A面のレコードみたいに針を落とした側だけが物語になる。
もう片方は──無音だ。
だから私はこの片想いを物語に書こう。
私だけは、私の恋を八時三分の電車に置き去りにしない様に。
タイトルは──『取り急ぎ、コスモスだけの花束を』
カップの取っ手の熱さだけが、その結末を知っている。
愛崎朱憂




