第97話 心が触れた瞬間
10月3日、夜。
相川の家の部屋には、パソコンの光がゆらめいていた。
机の上にはノートやケーブル、紙コップのコーヒー。
画面にはTRY-LOGの試作品。数字の線が動き、キャラクターの“トライ”が跳ねている。
相川が真剣な顔でマウスを動かした。
「……よし。動作も安定してきたな」
佐藤がソファから覗き込む。
「なんか、もう完成してんじゃね? 相川先輩マジですごいっすね」
「いや、まだ細かい調整が残ってる」
俺はタブレットで画面を操作し、入力を試していた。
「“今日の記録”って押すと、ちゃんと動いた」
トライが画面の中でピョンと跳ねる。
相川がわずかに笑った。
「いい反応だ。ようやく形になってきたな」
トライの動きを見つめていると、画面の端のカレンダーに目が止まった。
(……今日は10月3日。もうすぐ、瑠奈の誕生日か)
スマホのメモには“星野瑠奈 誕生日”の文字。
モニターの光の向こうで、彼女の笑顔がふっと浮かぶ。
(きっと今も、全力で走ってるんだろう)
「おい、佐久間。集中切れてんぞ」
「すみません。……ちょっと、確認したいことがあって」
―
廊下に出て、スマホを取り出す。
発信ボタンを押すと、すぐに呼び出し音が鳴った。
少し息の弾んだ声が返ってくる。
『あ、先輩? どうしたの? ごめん、今ちょうど撮影終わってさ』
「忙しいのは分かってる。……そろそろ誕生日だろ? ご飯でも行かないかと思って」
『え、覚えてたの!? ありがと! ……でもね、いいよ。ほんと気持ちだけで。
先輩、今めっちゃ頑張ってるじゃん。邪魔したくないし』
一瞬、言葉が詰まる。
『ほんとは嬉しいよ。でも、誕生日より、今の先輩の夢のほうが大事だから。』
「……そっか。そうだよな」
『うん。また落ち着いたらゆっくり会お?』
通話が切れたあと、胸の奥に静かな熱だけが残った。
(お互い、走ってるんだ。――今は、それでいい)
リビングに戻ると、相川がふと顔を上げた。
「いいニュースか?」
「まあ、そんなところです」
TRY-LOGの画面で、トライが軽く跳ねた。
―
夜。
家に戻っても眠れず、ノートPCを開いた。
相川から送られたデータのチェック。
入力値とグラフの動きを確認していく。
専門的なことは分からない。でも、自分にできることを一つずつ。
「TRY-LOG、応答テスト完了」
独り言のように呟く。
そのとき――
コツン。
窓ガラスを小さく叩く音。
カーテンを開けると、街灯の下に瑠奈が立っていた。
「……やっぱ、会いたくなっちゃった」
「えっ、お前……どうしたんだよ」
「我慢できなくて。偉そうなこと言ったのに、ごめん。
……逆サプライズってやつ?」
「こんな時間に……」
「誕生日くらい、好きな人に会いたいじゃん」
その笑顔が、街灯の光に照らされて、少しだけまぶしかった。
言葉が出ない。胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「……ちょっと待ってろ。すぐ下に行く」
スリッパを蹴るように脱いで階段を降りた。
ドアを開けると、夜の空気がふっと頬を撫でる。
そこに、息を弾ませた瑠奈が立っていた。
近くで見ると、ライトに照らされた髪が乱れている。
「……来るなんて、思わなかった」
「迷ったけど、やっぱり来ちゃった」
その“やっぱり”が、少し震えて聞こえた。
「嬉しいよ。でも、ごめん。
プレゼント、何も用意できてなくて」
「そんなのいいよ」
瑠奈は小さく笑って、首を振る。
「会わないって言ったの、私だし。
でも……こうして顔見られたから、それだけで十分」
夜風が静かに、二人の間を抜けていく。
「……そっか」
息を整えながら、視線を上げる。
「じゃあさ――せっかくだし」
少し間を置いて、目を合わせた。
「俺が今、本気でやってるやつ。見ていかないか?」
瑠奈が目を瞬かせ、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……いいじゃん。見てみたい」
―
玄関を開けると、母さんがスリッパを鳴らして顔を出した。
「陽斗? どうしたの? あら……お客さん?」
「ああ。ちょっと見せたいものがあってさ。部屋行くね。帰りは送るから」
靴を脱ぎながら言うと、瑠奈が一歩下がって丁寧に頭を下げた。
「こんばんは。夜分すみません、星野っていいます。すぐ帰りますので」
「まぁ、ちゃんとしてる子ね」
母さんが目を丸くしながらも、口元に笑みを浮かべた。
そのとき、廊下の奥から足音がパタパタと近づいてくる。
「お兄ちゃんの友達?」
パジャマ姿の妹・美咲が顔を出した。
そして瑠奈を見るなり、動きが止まる。
「……えっ!? 瑠奈ちゃん!? 本物!? 本物だ!!」
「美咲! うるさいって!」
思わず声を上げると、瑠奈が手を口元に当てて小さく笑った。
「ふふ。かわいい妹ちゃんだね」
「……頼むから、あんまり騒がないでくれ」
顔を押さえながら言うと、瑠奈が小さく肩をすくめる。
「ごめん、驚かせちゃったね」
母はどこか呆れたように笑いながら、
「……どこかで見たことあると思ったら。まったく、あんた、すごい子連れてくるわね」とつぶやいた。
―
部屋に入ると、瑠奈がきょろきょろと見回した。
「先輩の部屋、落ち着く。思ったより整ってるね」
「そりゃ、一応ちゃんと暮らしてるからな」
俺はノートPCを開き、画面を瑠奈の前に向けた。
「これが、俺が本気でやってること」
「なにこれ?」
瑠奈が画面をのぞきこむ。
「“TRY-LOG”。俺たちで作ってるアプリの試作版」
「アプリ?」
「努力を“見える形”にするやつ。たとえば今日勉強した時間とか、走った距離を記録すると、こうやってグラフになって……キャラが成長していく」
画面の中で、丸いキャラクター“トライ”がぴょんと跳ねた。
瑠奈は目を丸くして、小さく笑う。
「すごい……。先輩らしいね。“頑張ること”をちゃんと形にするなんて」
「ありがとう。まだ未完成だけど、動くようにはなってきた。文化祭でお披露目する予定なんだ」
俺が夢中で説明していると、瑠奈はじっと俺の横顔を見ていた。
「このグラフは努力の“見える化”で……」
手で画面を指しながら、つい熱が入っていく。
自分でも、声のトーンが少し上ずってるのが分かった。
「たとえば、習慣を数字で追えると――」
言いかけた瞬間。
ふいに、温かいものが頬に触れた。
一瞬、頭の中が真っ白になる。
思考が止まり、マウスを持つ手がわずかに震えた。
(……今、なにが起きた?)
ゆっくり振り向くと、瑠奈が数センチの距離で笑っていた。
「……先輩、真剣な顔、かっこよかった」
心臓が跳ねる音が、やけに大きく響いた。
呼吸の仕方も忘れそうになる。
「……ごめん。やっぱ、プレゼント欲しくなっちゃって」
瑠奈が顔を赤らめながら笑う。
心臓が、うるさい。
息を吸う音さえ聞こえてしまいそうで、言葉が出ない。
「ふふ、ちゃんと説明も聞いてたからね。トライ、かわいい」
瑠奈はそう言って、視線を画面に落とす。
けれどその指先は、わずかに震えていた。
「……そろそろ帰るね。明日も朝早いし」
立ち上がり、玄関へ向かう背中。
その一歩ごとに、現実が追いついてくる。
――待てよ。
「お、おい! 送るよ、瑠奈!」
慌てて立ち上がると、
ドアの向こうで彼女が振り返り、照れくさそうに笑った。
「……うん。じゃあ、お願いね、先輩」
―
駅までの道。
街灯が並び、夜風が少し冷たかった。
二人とも、ほとんど話さなかった。
でも、その沈黙は不思議と心地よくて――
さっきまでの空気が、まだどこかに残っていた。
改札前で、瑠奈が足を止める。
「ねぇ、先輩」
「ん?」
「夢って、ひとりで叶えるもんじゃないんだね。
“誰かに見せたい”って思えることも、努力なんだと思う」
「……ああ。そうかもしれない」
「ありがとう、先輩。今日、会えてよかった」
彼女は笑って手を振る。
「たぶん、一生忘れない誕生日になる」
電車のドアが閉まり、瑠奈の姿が遠ざかる。
夜風が頬を撫でた。
(……忘れるわけ、ないだろ)
TRY-LOGの画面が、部屋の暗がりで静かに光っていた。
―
【クエスト達成】
タイトル:心が触れた瞬間
報酬:共感力(魅力)+2/SP+5
―
【Project Re:Try:動く形にする/第二段階レポート】
※【 】内は今回上昇分
◆日時:10月7日
◆目標:試作版稼働/文化祭発表準備
◆進行状況:Phase.02 進行中
◆目的:
「“努力記録”を実際に“動く形”として再現する」
“見る”努力から、“触れる”努力へ。
◆メンバー構成:
・佐久間 陽斗(CEO/代表・企画)
行動指数(筋力):38.5
継続性(耐久力):34.0
構想力(知力) :34.2
共感力(魅力) :48.2【+2】
SP:30【+5】/スキル保持数:31
・佐藤 大輝(COO/現場統括)/信頼度:83
・相川 蓮(CTO/開発・解析)/信頼度:58
◆資産状況:
総資産:1,390,000円
内訳:試作版開発費 800,000円(使用中)/残資金 590,000円
◆進行状況:
・TRY-LOG 試作版 Ver.0.1 完成間近
・文化祭展示計画確定(展示テーマ:「その努力、数字にしてみない?」)
◆次段階予定(Phase.02)
TRY-LOG 試作版 完成・実演準備
主な機能構成:
・努力を記録する
・グラフで“見える化”する
・休む日を記録できる
・AIが成長を言葉で返す
・努力タイプに応じた“TRYキャラ”の簡易進化
・文化祭での制作発表
――これは報告書でもあり、俺たちの“航海日誌”でもある。
(記録者:佐久間陽斗)
読んでくださりありがとうございます。
瑠奈の誕生日回、書いていて胸が熱くなりました。笑
次回からはいよいよ文化祭本番です!




