第93話 グラウンドの端で、俺たちは笑った
9月3日、昼のホームルーム。
昼食後の教室には、弁当とパンの匂いがまだ残っていた。
窓の外は少し曇りがちで、グラウンドではどこかのクラスがもう練習を始めている。
担任が職員室から戻ってきて、出席簿を片手に立つ。
「はい、静かにー。そろそろ体育祭の準備に入るぞー!」
ざわっ、と教室が揺れる。
誰かが「もうそんな時期かよ」とつぶやき、別の席から「暑い中走るの嫌だな〜」という声が返る。
それも含めて、毎年の風景だ。
「体育祭は9月28日。三週間後。
体育委員と、あと手伝えるやつは前日の午後、グラウンド集合な。テントと机運び、白線引き、あと応援幕の設置だ」
「先生、それ運動部強制ですよね?」
「お、よく分かってるな。そういうことだ」
笑いが起きた。
黒板の端に日付が書き込まれる。
白いチョークの粉がふわっと舞い、陽射しの帯の中ゆらいだ。
「で、恒例の“クラス対抗リレー”。各クラス五人。立候補いるかー?」
一瞬、静寂。
教室の空気がゆるく動き出す。
「いやいや、もう二年だぞ? 去年より速いタイム出せるだろ?」
担任が笑うと、教室の後ろから誰かが小さく返した。
「先生、去年の俺、スタートで転んだんすけど」
また笑いが起きる。
昼下がり特有の眠気と騒がしさが、ゆるい波のように教室を満たしていく。
「誰も出ないなら俺が指名するぞー?」
担任がわざと声を張ると、何人かの目が自然と俺の方に向いた。
「佐久間でいいじゃん」「スポーツテストのとき速かったし」「アンカー向きだろ」
「ちょ、勝手に決めんなって」
苦笑しながらも、流れはもう止まらない。
「アンカー佐久間、異議なーし!」
誰かの冗談混じりの声に、教室がどっと沸いた。
「やっぱな〜」「似合う似合う!」
女子の方からも一気に歓声が上がる。
「きゃー、アンカー陽斗くん!」「やば、写真撮ろ!」
「うるさいって!」
顔が熱くなるのを隠すように、俺は机を軽く叩いた。
担任が口角を上げて言う。
「よし決まり。アンカーは佐久間だな。異議なし!」
「えぇ……」
笑いが広がる中、三橋がゆっくり手を挙げた。
「俺、やります」
ざわめきが一瞬、止まる。
その名前を聞いて、数ヶ月前の“あの出来事”を思い出すやつもいた。
一学期の初め、三橋は俺に喧嘩を売って、返り討ちにされた――そんな噂がまだ残っている。
けれど、今の三橋の顔は穏やかで、どこか吹っ切れたような表情だった。
担任が少し驚いたように首を傾げる。
「お、三橋が? いいじゃないか。やる気あるやつは歓迎だ」
三橋は軽くうなずきながら言った。
「どうせやるなら、ちゃんとやるよ。……チームで勝ちてぇし」
その言葉に、空気がほんの少しだけ変わる。
誰かが小さく、「いいじゃん、そういうの」とつぶやいた。
笑いが混じるでもなく、どこか温かい空気が広がっていく。
三橋は少し考えてから、静かに言った。
「俺、四走やる。佐久間にバトン渡すの、悪くねぇだろ」
「……三橋」
思わず名前を呼ぶと、
三橋は照れくさそうに笑って、後ろ髪をかいた。
「勘違いすんなよ。ただ、勝ちたいだけ」
「じゃ、あと三人か。誰かやりたい人?」
担任の声に、すぐに手が上がる。
「一走、俺やります!」
陸上部の川原が真っ先に名乗り出た。
「二走は俺!」
テニス部の西田が勢いよく手を挙げる。
「三走は……俺でいっか」
バスケ部の古賀が笑いながら肩をすくめた。
「よし、頼もしいな」
担任がうなずき、黒板に「一走 川原/二走 西田/三走 古賀/四走 三橋/アンカー 佐久間」と書き込む。
チョークの音が響くたびに、少しずつ“チーム”の輪郭が浮かび上がっていく。
「リレー代表は放課後にタイム計測と練習入るから、忘れるなよ。
他の競技も、できるだけ協力して出るように。分担はまた明日決めるぞー!」
「了解でーす!」
教室のあちこちから声が上がる。
担任が笑いながら腕時計をちらっと見た。
ちょうどそのタイミングでチャイムが鳴り、昼下がりのざわめきが戻る。
(去年もリレーに出たけど、そのときは四走だった。今年はアンカーか……やってやる)
窓の外では、風が旗を揺らしていた。
―
放課後のグラウンド。
白線の匂いと、土を踏む音。
三橋、川原、西田、古賀、そして俺。五人が並ぶと、不思議な一体感があった。
「誰が仕切る?」
西田が言う。
「速いやつがまとめろよ」
古賀が笑いながら続けた。
「じゃあアンカーの佐久間だな」
川原が言うと、他の3人も頷く。
「リーダーってことで」
古賀がニヤッと笑い、三橋が軽く手を挙げた。
「文句ねぇよ。お前が一番速いしな」
「おいおい、マジかよ……」
俺は苦笑しながら後頭部をかいた。
(――やるか)
―
【スキル展開】
→《会話術Lv1》《カリスマ性Lv1》《チーム統率Lv1》を同時発動。
―
風が一瞬だけ止まり、周囲の音が遠のく。
視界の端で淡い光が線を描き、仲間たちの輪郭がゆるやかに浮かび上がった。
――“空気が、ひとつになる”。
俺は自然と前を向いた。
声を出すと、言葉が自分の意志より少し先に届く。
「まずはフォーム確認からだ。
バトンの受け渡し、全員で一周。タイム計測は明日。
今日は“流れ”を掴もう」
言葉に合わせて、全員が頷いた。
さっきまでバラバラだった視線が、同じ方向を見ている。
「了解、キャプテン」
古賀が冗談めかして笑う。
俺は深呼吸をして、白線の上を見つめた。
(どうせやるなら……絶対に勝つ)
―
【クエスト発生】
タイトル:「チームをひとつに」
内容:リーダーとして、仲間の気持ちを一つにまとめろ
報酬:行動指数(筋力)+1/チーム統率Lv1→Lv2
―
風の向きが変わる。
グラウンドの空気が、わずかに緊張を帯びた。
「よし、最初は軽く流そう。
タイムよりも“バトンの感覚”を合わせたい。
フォームよりも、テンポ。リズムを掴むほうが大事だ」
「了解!」
「おう!」
「ナイススタート、川原!」
三橋の声がグラウンドに響く。
一走の川原が第一コーナーを抜け、まっすぐこっちへ向かってくる。
腕の振りも、ピッチも、まるで陸上部の大会みたいだった。
西田が前傾姿勢で待ち構え、タイミングを計る。
「……来た!」
一歩、二歩、三歩――川原の声と同時に手を伸ばす。
バトンが軽く弾んで、指先に吸い込まれた。
白線を蹴る音が重なり、風がトラックを駆け抜ける。
西田がコーナーを回りながら、次の走者・古賀へと差し出す。
その受け渡しも滑らかで、リズムが崩れない。
三走の古賀が直線に入る。スピードを上げながら砂煙を巻き上げ、三橋の元へ。
砂の向こうで、三橋が腕を広げて構えた。
その手に、金属の光が吸い込まれるように渡っていく。
三橋の腕が伸び、手のひらに確かな重み。
受け取る瞬間、彼がちらっと俺を見た。
「落とすなよ、キャプテン!」
「誰に言ってんだ!」
――走る。
風が、肺の奥まで流れ込む。
砂煙と歓声が混じり、視界の端に陽光が弾けた。
白線を踏み切った瞬間、脳内に淡い光が走る。
【クエスト進行中】
チーム統率率:23%
「もう一周いくぞ!」
声を張ると、みんなの顔が笑った。
「よっしゃ!」「まだまだいくぜ!」
誰も止まらない。足が前に出る。
日が傾き、影が長く伸びるころ――
息が合い、呼吸が重なり、バトンが一つの流れになった。
【クエスト進行中】
チーム統率率:37%
三橋が汗を拭いながら笑った。
「……悪くねぇな。なんか、マジで勝てそうな気がしてきた」
「当たり前だ。やるなら本気でやる」
俺も笑い返す。
グラウンドの上、風が涼しく吹き抜ける。
遠くの夕陽が、白線を黄金に染めていた。
―
体育祭前日。
放課後のグラウンドには、秋の色が混じり始めていた。
「おい佐久間! もう一回タイム測るぞ!」
川原の声が響く。
「今日はフォーム最終チェックな!」と西田。
古賀も笑って手を振る。「本番前に全部出し切っとけよ!」
三橋が軽くストレッチをしながら俺を見る。
「なあ佐久間。……最初のころより、みんな顔つき変わったな」
「そうだな」
最初はバラバラだった足音が、今はひとつのリズムになっている。
その音が、どこか心地よかった。
【クエスト進行中】
チーム統率率:68%
走るたびに、誰かの声が重なる。
「いいぞ!」「タイム上がってる!」
息が合う。視線が交わる。
それだけで、走りが軽くなる。
ラスト一周。
俺たちは黙って並び、呼吸を合わせた。
「いくぞ――!」
風が一斉に動き出す。
川原がスタートを切り、西田、古賀、三橋、そして俺へ。
バトンが手のひらに触れた瞬間、全身が熱を帯びた。
地面を蹴る。
空気が裂ける。
(――いいな。これが“チームで走る”ってことか)
最後の直線を抜けた瞬間、風が止まり、土の匂いが胸いっぱいに広がった。
俺たちはその場に立ち尽くし、笑い合った。
その瞬間、心の中で何かが弾ける。
【チーム統率率:100%】
―
【クエスト達成】
タイトル:「チームをひとつに」
内容:リーダーとして、仲間の気持ちを一つにまとめろ
報酬:行動指数(筋力)+1/チーム統率Lv1→Lv2
―
「……タイム更新だ、やったな」
三橋が笑いながら手を上げる。
「おう」
みんなの手が重なった。
空にはオレンジ色の夕陽。
走り終えた息と笑い声が、まだグラウンドに残っていた。
(憎み合った相手とも、今はこうして笑い合える。
明日は――絶対に勝とうな、三橋)
―
【Project Re:Try:動く形にする/第二段階レポート】
※【 】内は今回上昇分
◆日時:9月27日
◆目標:試作版稼働
◆進行状況:Phase.02進行中
◆目的:
「“努力記録”を実際に“動く形”として再現する」
“見る”努力から、“触れる”努力へ。
◆メンバー構成:
・佐久間 陽斗(CEO/代表・企画)
行動指数(筋力):36.5 【+1】
継続性(耐久力):34.0
構想力(知力) :34.2
共感力(魅力) :45.2
SP:25/スキル保持数:31
・佐藤 大輝(COO/現場統括)/信頼度:83
・相川 蓮(CTO/開発・解析)/信頼度:58
◆資産状況:
総資産:1,375,000円
内訳:試作版開発費 800,000円(使用中)/残資金 575,000円
◆進行状況:
・TRY-LOG 試作版 Ver.0.1 作成中
◆次段階予定(Phase.02)
TRY-LOG 試作版
機能構成:
・努力を記録する
・グラフで“見える化”する
・休む日を記録できる
・AIが成長を言葉で返す
――これは報告書でもあり、俺たちの“航海日誌”でもある。
(記録者:佐久間陽斗)
最後まで読んでくださってありがとうございます。
体育祭の練習を通して、久しぶりに三橋と向き合う話でした。
次回もどうぞよろしくお願いします。




