第81話 “努力”と“好き”で腹一杯にする夢――Re:Try始動
第二章:Re:Try 始動編
8月9日の朝。
カーテンの隙間から差し込む陽光が、机の上のノートを照らした。
昨日までの夜と違って、空は驚くほど澄んでいる。
湿った夏の風が、まだ眠い体の熱をやわらげてくれた。
ベッドから起き上がり、机の上のメモを見た。
そこには、丸字で書かれた一行――
「Re:Tryの“次の一手”は、技術。」
ノートの余白には、試作画面のスケッチ。
アプリの名前はTRY-LOG。
努力を記録し、可視化する仕組み。
だが、コードを書けない俺には、これ以上形にできなかった。
(……俺には“心”はあっても、“技術”がない)
ペンを握った手をそっと置く。
脳裏に浮かぶのは、一人の男。
数日前――ラーメン屋で偶然出会った天才。
言葉を交わしたのはほんのわずか。けれど、
その時見たスキル構成が、今も鮮明に焼きついている。
(……相川蓮――あの人しかいない)
スマホを手に取る。
SNSの検索欄に、ひらがなで打ち込んだ。
“あいかわ れん”
すぐに出てきたアカウントには、
ゲームのスクショと、飯テロの写真が並んでいた。
プロフィール欄にはこうある。
「白峰高校三年/プログラム・飯・RPG/人生=デバッグ中」
思わず笑ってしまう。
“人生=デバッグ中”――彼らしい。
指先が自然と動く。
DMの入力欄を開き、ゆっくりと文字を打った。
「この前ラーメン屋でお会いした佐久間です。白峰高校二年の。
相川先輩に折り入ってお話しがあるんですが、
今日夜ご飯も兼ねて、駅前の中華料理屋でお会いできませんか?」
送信。
小さな“シュッ”という音。
画面には「送信しました」の文字が残った。
心臓の鼓動が妙に速くなる。
「……頼む、読んでくれ」
昼前。
静かな部屋に、スマホの通知音が響いた。
すぐに画面を開く。
【相川】
食えるなら行く。
ただし、腹一杯にできなかったら減点な。
数秒、呆然と見つめた後――笑いがこみ上げた。
(やっぱり、あの人らしいな……)
―
夕方。
窓の外では蝉が鳴き続け、空気の中に昼の熱がまだ残っていた。
ほんの少しだけ、風が涼しさを帯び始めている。
机の上にノートを広げ、今日話す内容を箇条書きにしていく。
・Re:Try構想
・TRY-LOGの概要
・目的:「努力が報われる社会を」
・相川先輩に依頼したい技術パート
・初期報酬は資金+食事サポート
(人を雇うなら、資金は絶対に必要だ……)
(今の手持ちは150万。――これじゃ全然足りない)
ペン先が止まる。ページの隅に書かれた“夢”の文字が、妙にまぶしく見えた。
(数字を超えて、人を救う仕組みを作りたい)
それはもう、俺一人では届かない場所だった。
―
夕暮れの駅前は、まだ人通りが多かった。
制服姿の学生、仕事帰りのサラリーマン。
ざわめきと夕風の中を抜けながら、
(今日が、“Re:Try”を動かす最初の歯車になる)
そう胸の中で呟く。
暖簾をくぐると、店内には炒め油とにんにくの香りが満ちていた。
カウンターの奥では、中華鍋が火を噴いている。
テーブルの一角――
相川蓮は、すでに座っていた。
湯気の向こう、目の前にはラーメンとチャーハンと餃子が並んでいる。
「お疲れさまです、相川先輩。もう頼んでたんですか?」
「ん? 腹減ってたからな。
お前の分も勝手に頼んどいた。ラーメンとチャーハンと餃子三枚」
「……ありがとうございます」
相川は箸を手に、すでに餃子を一つ頬張っていた。
(多い、多すぎる……)
胃が軽く悲鳴を上げるのを感じながら、向かいの席に腰を下ろす。
席につくと、湯気の熱が顔に当たった。
相川は餃子を飲み込み、口の端をぬぐいながら言った。
「それで? ただの食事ってわけじゃないだろ」
「はい。……進路のことを聞きたくて」
「進路? ふーん……」
相川はグラスの水をひと口飲み、少しだけ考えるように目を細めた。
「俺はゲームが好きだ。だからプログラムを学んで、開発会社に入るつもりだ。
RPGを作って、自分の世界を動かす。それで十分だと思ってる」
「すごいですね。俺、そういうの全然できないんで……」
「いや、お前は別ベクトルだろ。
どっちかっていうと――経営者っぽい顔してる」
(経営者、か……)
スープをひと口すする。
熱い塩気が舌に広がり、胸の奥まで染みていく。
まるで、その言葉の余韻を確かめるみたいに。
「――俺は、会社を作ります」
「ほう」
相川の手が止まった。
湯気の向こう、その瞳だけが静かに光を宿す。
「名前は“Re:Try”。
一度折れた努力を、もう一度信じられる場所にしたいんです。
“TRY-LOG”っていうアプリで、頑張った記録を“見える”形に変える。
――努力が、報われる仕組みに」
相川は黙って聞いていた。
餃子をひとつ口に入れ、咀嚼しながら腕を組む。
「――努力を、数値にする……か」
「はい。俺自身、数字で救われた人間なんです。
でも、数字に苦しめられた人も見てきた。
だからこそ、数字を“救うための武器”にしたいんです」
「TRY-LOGは、努力の“過程”をデータとして残すアプリです。
たとえば勉強時間、筋トレの回数、走った距離、読んだ本のページ数……
全部“自分の努力の軌跡”としてグラフ化する。
点数や結果じゃなく、積み重ねそのものを可視化して、
“自分はちゃんと進んでる”って――そう実感できるようにしたいんです」
「……ほう」
相川が箸を止めた。
その目の奥に、ほんのわずかに興味の色が滲む。
「SNSみたいに“誰かの努力”も見えるようにしたい。
ただし、比べるためじゃなく――支え合うための仕組みです。
たとえば“昨日より+1分勉強できた”とか、“今日も継続できた”って投稿に、
他の人が『いいね』じゃなく、『がんばったね』を送れるような」
言葉が静かに宙に溶ける。
沈黙。
厨房で鳴る鉄鍋の音だけが響いていた。
そのリズムが、まるで心臓の鼓動のように重なる。
「……それで、俺に何をしてほしい?」
相川が箸を置き、まっすぐこちらを見る。
「アプリ開発をお願いしたいんです。
“Re:Try”の技術責任者として、一緒に作ってほしい」
相川はラーメンのスープを飲み干し、ふっと笑った。
「……面白ぇな」
「え?」
「俺にとっちゃ、数字なんざただの記号だ。
でも――お前の言葉には、“血の通った数字”の匂いがする。
お前が見てるのは数値じゃねぇ、“人間”だ」
スープの最後の一滴まで飲み干すと、
相川はどこか清々しい顔で言った。
「だが、俺は簡単に首を縦には振らねぇ。
俺が好きなのは、食うこととゲーム作り。
それがあれば十分だ。――だから」
相川は指を一本立てた。
目の奥に、挑むような光が宿る。
「お前の話が“ゲーム作りより面白くて”、
その上で“腹一杯になる報酬”をくれるなら、考えてやる。
つまり、“世界を腹一杯にさせる夢”を見せろってことだ。
資料と根拠を持ってこい。
感情論だけじゃ、胃袋は満たせねぇからな」
「……はい。必ず、準備してきます」
相川の口元が、ほんのわずかに笑う。
「それと――次は佐藤も連れてこい。
あいつ、気に入ってる。食いっぷりがいい奴は裏切らねぇ。大方あいつも設立メンバーなんだろ?」
「……はい、伝えておきます」
「よし。……ならまた連絡しろ。今日はここで帰る」
相川は立ち上がり、ポケットから財布を取り出した。
慣れた手つきで会計票をつまみ上げ、軽く目を通す。
俺は慌てて財布を取り出す。
「いえ、今日は俺が――」
「いらん」
相川は軽く手を振り、札を一枚抜き取ってテーブルに置いた。
「お前、今はまだ“後輩”だ。
“社長面”するのは――俺を納得させてからにしろ」
一瞬だけ、口角が上がった。
「……でも、楽しみにしてるぞ」
そのまま立ち上がり、暖簾をくぐって出ていった。
風が店内に流れ込み、湯気がゆらめく。
その向こうで、相川の背中が夜の中に消えていった。
残されたラーメンを見つめ、箸を置く。
スープの表面に、天井の明かりが揺れていた。
まるでそこに――“新しい歯車”が回り始めたように見えた。
(……面白くしてみせる。腹一杯になるくらいに)
静かに息を吐く。
その瞬間、心の奥で“ピコン”という小さな音が響いた。
―
【ステータス:8月上旬/相川加入イベント】
(※【 】内は今回上昇分)
◆基本情報
名前:佐久間 陽斗(17)
身長:180.8cm 体重:63.0kg(体脂肪率9.0%)
◆能力値
筋力:30 耐久:31 知力:33.2 魅力:44.2
SP:44 スキル:25(展開可能)
◆資産
総資産:1,544,000円
投資中:60,000円 利益:+100,000円
◆称号
注目の存在/ヒーロー/聖夜を共に/女子人気独占/自己信頼
◆Re:Tryメンバー
COO:佐藤大輝(信頼度60/加入済)
CTO:相川蓮(交渉進行中)
◆イベント
Project Re:Try(発生中)
水城遥(好感度89/恋愛条件未達)
一ノ瀬凛(好感度89/恋愛条件未達)
星野瑠奈(好感度89/恋愛条件未達)
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夜風が、店を出た頬を撫でた。
駅のホームの灯りが滲み、街全体が薄いオレンジ色に染まっている。
ポケットの中でスマホが震える。
画面を開くと、相川からのDM。
短い文の最後の一行だけが、妙に眩しく見えた。
――世界を腹一杯にさせろ。
口元が自然と緩む。
「……最高だよ、相川先輩」
街路樹の葉が、夜風にかすかに揺れた。
そのざわめきが、まるで――“夏の挑戦の始まり”を告げる合図のように響いていた。
読んでくださってありがとうございます。
相川先輩との再会、そして仲間としての一歩。
ここから第二章――Re:Tryが動き出します。
陽斗たちの挑戦を、これからも見届けてください。




