第75話 誰にも見えない、彼女だけの+1
七月二十八日。
昼過ぎの駅前、ベンチの上で小さな紙袋を握りしめていた。
中には、少し奮発して買った上質な万年筆。
――前回の“トリプルブッキング”の埋め合わせ。
同じ日に三人と約束を入れて、結果的に全部を中途半端にしてしまったあの日。
彼女は笑って許してくれた。
けれど――その笑顔の意味だけは、いまだにわからない。
「せめて、今日くらいは――ちゃんとしないとな」
小さくつぶやいた、その瞬間。
風の向こうから、柔らかな声が届いた。
「佐久間くん」
振り向いた先にいたのは、一ノ瀬凛。
白いブラウスに、淡いベージュのスカート。
見慣れたはずの彼女なのに――どこか違って見えた。
「ごめん、待った?」
「いや、今来たとこ」
「……そう? なんかちょっと緊張してる?」
「いや、してない。……たぶん」
一ノ瀬が小さく笑う。
その笑顔だけで、心臓のリズムが一拍ずれた。
―
駅前の通りを少し歩いたところで、彼女が立ち止まった。
「ねぇ、ちょっとこの本屋寄っていい?」
そう言って入ったのは、駅前の大型書店。
三階建てのフロアに、コーヒーの香りと紙の匂いが混ざる。
静かな空間に、彼女の声だけが心地よく響いていた。
「見てるだけで時間忘れるね」
「一ノ瀬って、参考書コーナー直行するタイプだろ」
「バレてる……。でも今日は、ちょっと違うかも」
そう言いながら、彼女は文芸コーナーに向かう。
ライトノベルの棚で立ち止まり、指で背表紙をなぞった。
「ねぇ、こういう世界って……ちょっと憧れない?」
「え?」
「努力が数字で見えたり、頑張りがちゃんと形になる世界。
……なんか、少しだけ羨ましいなって思うの」
少しドキッとした。
偶然の言葉だとわかっていても、自分の“能力”を見透かされたような気がした。
「……まあ、確かに。
頑張ったぶんが目に見えたら、そりゃ嬉しいよな」
「うん。でも――」
彼女はほんの少しだけ目を伏せた。
「……見えない努力って、誰にも伝わらないまま終わっちゃうのかなって」
その横顔を見ながら、俺は少し笑った。
「……俺さ、思うんだけど。
“見えない努力”ほど、本当は価値があるんじゃないかって」
「価値が、ある?」
「うん。数字に出なくても、ちゃんと積み重なってる。
それを――誰かが気づいたときに、初めて報われるんだと思う」
彼女は驚いたようにこちらを見て、
ふっと息を漏らした。
「……ずるい。そういうこと言うの」
「ずるい?」
「うん。信じたくなっちゃう、そういうの」
言葉の余韻が残る。
ほんのり赤く染まった頬を見て、俺は思わず視線を逸らした。
―
一通り店を見て回り、雑貨フロアへ。
ガラスケースの中に並ぶペンの光が、やけに印象的だった。
(……ちょうどいいな)
俺はタイミングを見計らい、そっと紙袋を差し出した。
「これ、ちょっとしたお詫び」
「え?」
「この前、予定ぐちゃぐちゃにしただろ。悪かった」
「そんなの、もう気にしてないよ」
「俺が気にしてんだよ」
一瞬、空気が静かになった。
それから、一ノ瀬の口元がわずかにゆるんだ。
「……開けてもいい?」
「ああ」
彼女が紙袋をそっと開け、中を覗いた瞬間――目を丸くした。
「……これ、万年筆?」
「うん。勉強のときに使えたらと思って」
「……ありがとう。でも、これ……さっき私も見てたやつだ」
「え、ほんとに?」
「うん。さっき雑貨フロアで“きれいだな”って思って、どの色にしようか悩んでた。……結局戻したんだけど」
「……偶然だな」
「そうだね。なんか、ちょっと不思議」
ふたりの視線が重なった。
その一瞬が、やけに長く感じた。
言葉よりも先に、胸の奥が温かくなる。
―
夕暮れの風が、熱をやわらげていく。
駅へ向かう道。沈む陽が、二人の影をゆっくりと伸ばしていく。
「……佐久間くん」
「ん?」
「私ね、昔から“認められたい”って気持ちが強かったの。
でも、今日少しだけ変わったかも」
「変わった?」
「うん。認めてもらうことより――
“隣で一緒に頑張りたい人”がいる方が、ずっと嬉しいんだって気づいた」
「それ、誰のこと?」
「……秘密」
そう言って笑ったあと、彼女は少し歩を止めた。
鞄の中を探るようにして、包みを取り出す。
「……あ、そうだ。これ、渡しそびれてた」
「え?」
「佐久間くん、この前、誕生日だったでしょ?
本当はその日に渡したかったんだけど……ごちゃごちゃしてて」
手渡された小さな箱を開けると、
中には、濃紺のブックカバーが入っていた。
上質な革の手触り。落ち着いたデザイン。
「読書、好きって言ってたから。……似合うと思って」
「……ありがとう。一ノ瀬らしいな」
「え、なにそれ」
「真面目で、優しくて、丁寧で……そういうところ」
「……そんな言い方されたら、ちょっと照れる」
笑い合う声が、夏の夕暮れに静かに溶けていった。
ふと、一ノ瀬の笑顔がわずかに揺らいだ気がする。
その瞬間、彼女の胸の奥が少しだけ痛んだ。
(……あぁ、私、ほんとにこの人のこと――)
けれど、その続きは、喉の奥で止まったままだった。
―
その夜。
机の上には、万年筆と、渡したブックカバーの空箱。
スマホの光を見つめながら、彼女は何度もメッセージを打っては消した。
『今日は楽しかった。ありがとう』
『……また、どこか行こう』
最後の一文を打つ指先が、わずかに震える。
送信ボタンの上で止まったまま、胸がきゅっと締めつけられた。
(どうして、こんなに……)
(“好き”って言葉だけ、どうしてこんなに重いんだろう)
彼女はスマホを閉じ、
代わりに万年筆をそっと手に取った。
『今日、私は気づいた。
頑張る理由が、少しだけ変わった気がする。
これからは――あの人の隣で、頑張りたい。』
書き終えた文字を見つめる。
インクが静かに滲んで、やがて乾いていった。
―
【クエスト達成】
タイトル:「本に刻む想い」
内容:想いを“形”に残せ
報酬:SP+5/知力+1/好感度+10( 一ノ瀬凛 )
―
※【 】内は今回上昇分
【現在のステータス(七月下旬・一ノ瀬デート後)】
・名前:佐久間 陽斗
・年齢:17
・身長:180.8cm
・体重:63.0kg/体脂肪率:9.0%
・筋力:29.0
・耐久:30.0
・知力:32.2【+1】
・魅力:43.2
・資産(現金):1,375,000円
・投資中:60,000円(評価額:160,000円/利益:+100,000円)
・総資産:1,535,000円
・SP:44【+5】
・スキル:25(展開可能)
・称号:注目の存在/ヒーロー/聖夜を共に/女子人気独占
・会社メンバー機能:解放済
- 佐藤大輝(実務担当【COO】/信頼度60/加入済)
- 相川蓮(技術担当/解放)
・特別イベント:
水城遥(好感度89/恋愛条件未達)
一ノ瀬凛(好感度89/恋愛条件未達)【+10】
星野瑠奈(好感度89/恋愛条件未達)
―
翌朝、彼女のノートには、
小さく一文が増えていた。
『今日の自分に、少しだけ+1』
もちろん、そんな数値が本当にあるわけじゃない。
けれど――そう書いた瞬間、
彼女の胸の奥で、何かが確かに変わった。
誰にも見えない、彼女だけの“+1”。
読んでくださってありがとうございます!少し静かな回でしたが、楽しんでいただけたでしょうか。また次回もよろしくお願いします。




