第36話 甘く、苦く、あたたかく
二月十四日。
冬の空気は刺すように冷たかった。
それでも校舎の中は、なぜか妙に熱を帯びていた。
昇降口を抜けた瞬間、どこからともなく甘い香りが漂ってくる。
そして――耳をすませば、男子たちのざわめき。
「おい、今日こそワンチャンあるかもしれん……!」
「俺、朝から心拍数ヤバい。健康診断出したら止められるレベル」
「いやいや、お前は無理。現実見ろ」
ふざけた会話のようで、どの声もどこか震えている。
浮かれているようで、実はみんな本気なのが伝わる。
――これが、噂に聞く“バレンタイン”の朝。
俺にとっては、ずっと遠い世界だった。
中学の頃、机の中に入っていたのはプリントと教科書だけ。
手作りチョコなんて夢のまた夢。
放課後の下駄箱を開けても、そこにあるのは埃と上履きだけ。
それが、今。
―
「佐久間くん、これ……受け取ってくれる?」
教室に入ると、隣の席の女子が立っていた。
ピンクのリボンに包まれた小さな袋。
両手で差し出すその仕草が、ほんの少し震えて見えた。
(え……俺?)
状況を理解するより早く、心臓が跳ねた。
「え、あ、ありがとう……!」
自分でも情けないくらい、声が裏返る。
けれどその瞬間、彼女の頬がふわっと赤く染まり――逃げるように走り去った。
残されたのは、机の上の小さな包み。
それを見つめるだけで、胸が騒いで止まらない。
(……本当に俺が、チョコをもらったのか?)
指先に残るリボンの感触が、何度確かめても夢みたいだった。
―
午前の休み時間。
昼休み。
放課後前。
気づけば、俺の机の中もカバンのポケットも、小さな包みで埋まっていた。
ラッピングはそれぞれ違うけれど、どれも丁寧に結ばれている。
「いつもありがとう」
「これからも頑張ってね」
そんなメモが添えられていた。
義理チョコだって、かまわない。
その一つひとつが、胸にじんと沁みた。
(……あの頃の俺には、絶対に想像できなかった光景だ)
文化祭で笑い合ったあの瞬間。
球技大会で汗まみれになってぶつかった仲間。
期末で必死にノートを開いていた夜。
あの時間たちが、少しずつ積み重なって――
今の“俺”を作ってくれた気がした。
数字じゃなく、スキルでもない。
“人の気持ち”という、目に見えない報酬。
それが、こんなにも温かいなんて知らなかった。
「……おい、佐久間、また増えてんぞ!」
「なあお前、正直に言え。モテ期きてるだろ」
「いやこれ、普通に人気者やん」
笑いながら肘で突かれて、言葉が出ない。
ただ、照れくさく笑うしかなかった。
けれど――
その笑顔の奥で、胸がじんわりと熱くなっていた。
―
放課後。
昇降口のざわめきも消え、夕方の光が差し込む。
薄いオレンジ色の光が床を照らし、冬の静けさが戻ってくる。
靴を履き替えようとしたとき、背後から聞き慣れた声が響いた。
「佐久間くん」
振り返ると、一ノ瀬凛が立っていた。
黒髪が肩のあたりで光を反射し、整った顔立ちはまるで絵画のよう。
その手には、小さな白いリボンのラッピング袋。
「これ。……義理だから」
表情ひとつ変えずに言う。
でも、袋は少しだけ歪で、手作りの跡が残っていた。
そして、ほのかに漂う甘い香り。
「……ありがとう」
受け取った瞬間、スキルウィンドウが淡く光る。
―
【一ノ瀬凛 好感度:60/信頼】
―
(義理、か……いや、本当に?)
彼女の背中が遠ざかっていく。
その歩幅はいつもより少しだけ早くて、
遠ざかる靴音が、なぜか胸の奥に残った。
―
家へ向かう帰り道。
ポケットのスマホが震えた。
画面には、見慣れた名前。
【水城遥】
もう帰ってる? 星ヶ丘公園に来てくれない?
文字を見た瞬間、心臓が跳ねた。
手が勝手に動き、足が自然に前へ出る。
気づけば、冬の風の中を走っていた。
冷たい空気が肺を刺す。
それでも、走るたびに胸が熱くなっていく。
(……そりゃ緊張もするわ。落ち着け俺、平常心平常心)
―
星ヶ丘公園。
街灯の下、マフラーを巻いた遥が立っていた。
白い吐息が夜気に溶け、頬が桜のように赤い。
両手で紙袋を抱きしめている。
「……来てくれたんだ。よかった」
その声は小さく震えていた。
俺が近づくと、遥は少しだけ顔を伏せ、袋を差し出した。
「これ、受け取ってほしいの。
義理とか本命とか、そういう言葉じゃなくて――
ただ、私の気持ちだから」
袋の中には、手の跡が残るほど丁寧に作られたチョコが並んでいた。
少し歪な形も、リボンの結び目のズレも、全部が温かい。
中には、小さな封筒。
「ありがとう、遥」
「……うん」
たったそれだけ。
でも、寒さの中で感じたその温度は、手のひらにずっと残っていた。
―
夜。
部屋に戻って、二つの包みを机に並べる。
包装紙の香りが、ほんの少し違う。
一つは落ち着いたビター。
もう一つはやさしい甘さ。
一ノ瀬のチョコを口に入れると、舌に苦みが広がる。
けれどそのあと、ほのかな甘さが追いかけてきた。
「……うまい」
思わず呟く。
次に遥のチョコを食べる。
柔らかくて、口の中でゆっくりと溶けていく。
封筒を開くと、手書きの文字が並んでいた。
『いつもありがとう。これからも、一緒に頑張ろうね。』
その一文が、まっすぐ胸の奥に刺さった。
―
【水城遥 好感度:78/好意】
【一ノ瀬凛 好感度:60/信頼】
―
数値が並ぶウインドウが、淡い光を放ちながらゆっくりと消えていく。
けれど、もう数値なんてどうでもよかった。
今、胸の奥にあるこの温度が――すべての答えだ。
カレンダーをめくると、二月も半ば。
入学してから、もうすぐ一年。
ほんの数か月前まで何もなかった俺が、
今は“誰かの想い”に支えられている。
(……俺が、こんな日を迎えるなんて)
窓の外には、粉雪が舞っていた。
その白さが、街灯の光に照らされてゆっくり落ちていく。
静けさの中で目を閉じた。
――チョコの甘さが、まだ胸の奥に残っていた。
―
※【 】内は今回上昇分
【現在のステータス(二月十四日・バレンタイン後)】
・名前:佐久間 陽斗
・年齢:16
・身長:168.1cm
・体重:62.0kg
・体脂肪率:15.0%
・筋力:22.9
・耐久:23.7
・知力:21.2
・魅力:28.7
・資産(現金):¥263,000
・投資中:¥60,000(評価額:¥65,500/利益:+¥5,500)
・総資産:¥328,500
・SP:24.0
・スキル:13(展開可能)
・称号:注目の存在/ヒーロー/聖夜を共に
・特別イベント:水城遥との関係(進行中/好感度:78)/一ノ瀬凛との関係(進行中/好感度:60)
読んでくれたこと自体が、本当に嬉しいです!この気持ちを忘れずに、物語を続けていきます!




